第Ⅰ章 1話

 これは私がまだあの人に会っていない。

 四歳の頃の話


 「由利、それ私のサンダル。同じのあるんだから履かないで」

 「いいじゃん、別に」

 そう言って由利は私のサンダルを勝手に履く。

 人のモノを勝手に取るのは珍しいことではない。

 そして、一度盗られた物はもう二度と私の手の元には帰って来ないのだ。

 「何を騒いでいるの」

 玄関で騒ぐほどでもないが、軽く由利を窘めた私の声に居間から母が煩わしそうに出て来た。

 「お母さん、柚利愛が、私がちょっとサンダルを履いただけなのに怒るの」

 「柚利愛、サンダルぐらいいいじゃない。貸してあげないさ」

 「でも」

 「ああ、もう。何で、そんなにケチなの?

 少しぐらい良いでしょう。我儘言わないで」

 「・・・・はい」

 たくさん可愛い靴とサンダルを持っている由利と違って私のサンダルは今、由利が履いている、あれ一つしかない。

 だから履いて欲しくはなかったのだ。

 帰って来ないことを知っているから余計に。

 だいたい一〇足以上も持っているのだからわざわざ私の一足しかないサンダルを履く必要はないじゃないか。

 でも、そんなことは言えない。

 だって、言っても意味がないから。

 それを言うことは私の我儘になるから。

 だから私はぐっと堪えた。

 そして案の定、私のサンダルは帰って来なかった。

 玄関にもなかった。

 どこに行ったのだろうと思い、私はサンダル同様に一足しかない靴を履いてサンダルを探した。

 サンダルは直ぐに見つかった。

 私の家は古い。

 今の家のように電気でお湯が沸かせるような最新鋭の設備にはなっていない。

 お風呂に冷水を張り、ボイラーで沸かすのだ。

 ボイラーは勝手口を開けたところにある。

 私のサンダルは片方が完全に焦げた状態でボイラーの前に転がり、残りの一足は勝手口の入り口に合った。

 その状態から、私は由利が勝手口から上がったこと、上がる際、サンダルは後ろ向きに放り投げるように脱いだことを予想した。

 たった一足しかない私のサンダル

 それを勝手に履かれた上に黒焦げにされたのだ。

 私は怒り心頭で由利の元へ黒こげのサンダルを持って行った。

 「由利」

 「何?」

 明らかに怒っている私の顔を見て、由利は面倒くさそうな顔をした。

 その顔が更に私をイラつかせる。

 「このサンダル」

 私は百合に黒こげのサンダルを見せたが、由利は全く分かっていない顔をしている。

 『している』というか本当に分かっていないのだ。

 由利の一連の行動に悪意がない。

 それは分かっている。

 だからこそ、私の怒りは収まらないのだ。

 「それどうしたん?」

 「どうしたん?じゃない!由利じゃん。

 由利がボイラーの所でぬぎっぱにするから焦げたんじゃん」

 「私じゃないよ」

 人のせいにするなと言う顔で由利が抗議して来る。

 本当にムカつく。

 「由利以外に誰が居るん?

 だいたい、由利が昨日私のサンダルを勝手に履いたんじゃん」

 「知らないよ」

 「知らないよじゃないっ!」

 「ちょっと、何喧嘩してるの?」

 私の声で母が来てしまった。

 「お母さん、だって由利が私のサンダルを」

 「それぐらいでいちいち喧嘩しないでよ」

 はぁ。と、母はため息をついて行ってしまった。

 結局、由利はサンダルのことを認めず、謝罪もなかった。

 母も咎めることはなかった。

 サンダルはもうない。

 母に「サンダルがないから買ってくれ」という勇気はなかった。

 なので出かける際は靴を履くことにした。

 ついて行った買い物で由利が母にサンダルを強請り、買ってもらっていた。

 「私、サンダルが一つもないんだけど」とさりげなく言ってみたが冷たい声で「ふぅん」と言われるだけだった。

 私はあまり外には出してもらえない。

 時々、遠出する時には連れて行ってもらえるけど、近場のスーパーとかは絶対に連れて行かれないし、基本的に家から出るなと言われている。

 保育園に通っている由利と違って、私は保育園にすら行かせてもらっていない。

 だからいつも保育園から帰って来た由利が無邪気に保育園であったことを話すのを聞いて良いなと思っている。

 でも、私は絶対に保育園に通わせては貰えないだろう。

 だって私はアルビノだから。

 前に「柚利愛は保育園に行かないの?」と由利に聞かれたことがある。

 それを聞いた母は「柚利愛は良いの」と言っていた。

 「どうして?」と更に追及する由利に「あの子は普通のことは違うから恥ずかしくて外になんか出せない」と言っていた。

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