3 我が愛しの妻、の巻

「ぐはっ! やられたぁ」


 さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。



 ――明子との再会から、二週間。

 組織の秘密基地にくたくたの体でなんとか戻り、行ったのは怪我の治療と必殺技の再訓練だった。

 ほとんど何もできず、あっさりと二度も敗れたジャスティス・タイガーを倒すべく取り組んだはずの治療と訓練だったが、残念なことにというかやはりというか、二度あることは三度ある――今日も手も足も出ない状態で戦いに敗れてしまったのである。


(今度こそ、ダメかも……)


 さすがのタイガーも、三度目ともなると手加減は無いらしい。

 ズキズキとした酷い痛みが全身を襲う。それとともに体から血の気が失せてゆき、意識も朦朧と薄れゆくのがわかる。

 最期の力を振り絞って重い首で周りを見渡せば、荒野のちりと化したショッカーの戦闘員たちの残骸が見えた。

 同志たちの哀れな姿を瞳の奥に焼き付けて、ゆっくりと目を閉じる。

 すると、何故か想い起こされたのは、この前自宅で遭遇した我が愛しの妻「明子あきこ」との美しくも切ない恋の記憶だった――。



  ◇



 明子との初デート。

 後に俺の愛しの妻となった女との記念日なのだ。当然、忘れるはずもない。


 その頃の俺は、貧乏な大学三年生。

 仕送りの額も少なく、バイト三昧の日々を送っていた。

 そんな男子苦学生にだって、女子にモテたい気持ちは普通にある。バイトで忙しいのは分かっていても、そんなモテたい一心で「軽音楽部」に入部した。無理矢理、同じ一年生とバンドを組んでほんのちょっと活動してみたものの、既に二年生の頃には自然退部扱いになるほど出席率は低くなり……。

 ちなみに軽音楽部は「軽」という割には結構ハードなロックをやっていたバンドも多く、俺は下手くそながら中学の頃から密かに続けていたギターのパートを担当していたのだ。


 そんな大学三年生の春。

 我が愛しの妻――酒井さかい明子あきこと出会ったのはその頃だ。彼女は同じ大学の二学年下、つまりは一年生で、入学したばかりの後輩だった。

 華奢で背が小さいけれど、ハキハキしていて元気な娘。

 少し垂れ気味の眼と肩下まで伸びたちょっと長めの髪型が、俺にとってはストライク「ど真ん中」だった――その頃は。


 知り合った場所は、バイト先のコンビニだった。

 たまたまシフトが一緒で、お客さんがふといなくなるそんな偶然の瞬間に彼女に颯爽と声を掛ける――という寸法の計画を、何日も前から必死に考えていた俺。


(さりげなく、というところが最も重要だ)


 そうしてずっと考え続け、練りに練ったデートに誘うための華麗なストーリー展開は、すでにばっちりと頭の中に入っている。

 そしてそのとき、歴史は動いた。

 コンビニで、俺と彼女の二人きりの時間がついにやって来たのだ。


(よしっ!) 


 俺は、鼻息も荒く作戦決行に踏み切った。


「あ、あき、あこき、あこここき――」

「はぁ? な、何ですか? それって、もしかして私の名前ですか?」


 思ったより勘の鋭い女だ――レジの前でごくりと唾を飲みながら、小さく頷く俺。

 明子は、呆れ顔で肩を窄めた。


「この前から私のこと隙あらば、じーっと観てましたよね……? もしかして、デートに誘いたいんですか?」


 ず・ぼ・し。

 明子の切れ長の瞳が、俺を貫く。


「ででででで――でとのとで、おねがでねがで……」


 激しくもつれる、俺の口。

 それでも俺は、ここぞとばかりにほつれた前髪を右手で颯爽と直す。元々のプランでそう決めてあったからだ。

 だが、それを見た明子が、これ見よがしに大きな溜息を吐いた。


「ほんっっとに、世話が焼けますね――。仕方ない、いいですよ。それなら明日の夜、恩田さんは空いてますか? そうですねぇ、場所は――映画館にしましょう」

「え? あ、はい……」


 結局、すべては明子が決めた内容での初デートとなる。

 そう……俺の「考えに考えた作戦」は、全く役に立つことなく砕け散ったのだ。



 次の日の夜七時になった。

 場所は映画館――といっても、新しい沢山のスクリーンがあるような所謂“シネコン”ではなく、商店街の裏にある、昔ながらの大きなスクリーンが一つだけしかないような映画館だった。


 初デートが、愛しの彼女の提案したデートスポット――こんなシチュエーションに、心踊らない男子などいるのだろうか? いや、いるはずはない!

 持っている服の中で一番派手な縦縞ズボン(最近はパンツ、というらしい)と赤いチェック柄のシャツを選んだ俺は、この街の中心に向かって意気揚々と出かけていった。

 初デートなのだから遅刻などもってのほか――俺はかなり早めに家を出たはずだった。映画館についてみると、意外や意外、約束の時間にはまだ30分以上もあるというのに、入り口前で、明子がそわそわとした感じで俺を待ち受けている。

 後でわかったことだが、彼女はなかなかにせっかちな性格なのだ。


「あ、明子さん。お、おたま、たませ――」


 未だ、昨日からの緊張が解けず、どもり続ける我がくちびる


「あ、来た? やっぱり気が変わったんで、まずは食事にしましょう!」


 俺のどもりなど全く気にせず――というかほぼ無視した状態で、いとも簡単に、そして一方的に、彼女はスケジュール変更を宣言した。

 後でわかったことだが、彼女は相当な気分屋なのだ。


「は?」


 昨日から必死に考えていたデートのイメージからかけ離れてしまい、何が起きたのか良く理解できず立ち尽くしてしまった、俺。

 彼女は、そんな状態の俺の左手を無造作に握りしめると、小走りで駆けだした。

 いとも簡単に彼女と手を繋げて拍子抜けした俺だったが、彼女の決断力及び行動力に密かに感謝する。もしも俺がリードしていたら、手を握るまでには少なくとも三カ月は掛かっていたに違いないから――。


「あそこのレストランね、この時間混むのよ……。ほら! とっとと走る!」


 引き摺られるようにして滑り込んだのは、俺の人生に無縁な、おしゃれなイタリアンレストランだった。

 ウエイターが勿体つけたような、はんなりとした動作でメニューを開き、向かいに座った俺と明子の二人の前にそれを並べる。

 まさに、メニューは読めない横文字のオン・パレード。

 革製の立派な表紙の割には不鮮明な写真で料理の内容がよく見えないし、その上、写真の下についたちっちゃな日本語の文字の意味も全然理解できない。


(イタリア料理なんて、俺にわかるわけないじゃん)


 お手上げ! みたいな感じでふと向かいを見ると、そんな俺とは正反対な、慣れた雰囲気で寛ぐ明子がいた。純白の衣装に黒のエプロンを身に着けた店員に向かい、「あれとこれ、それに――」と、堂々とした態度で注文している。


「……まじかよ」


 唖然とする俺の目前で恭しく注文を受けた男が、するりとした闊達な動きで厨房へと戻っていく。


「あ、恩田さんのも注文しといたからね」

「ありがとう――すごいね、君、イタリア語わかるなんて」

「へ? わかる訳ないでしょ。全部、適当よ」

「えーっ! そうなのぉ!?」


(末恐ろしき女……。俺は、付き合う相手として選択ミスをしたのだろうか)


 一抹の不安が俺の脳髄を駆け巡る。

 そんな思いに苛まれてしまった俺だったから、当然、会話は盛り上がらない。おまけに支払いがいくらになるのか、気になって気になって、仕方がない。


 暫くの後。

 盛り上がりに欠けた会話の中、いよいよ問題の料理が俺たちの前に並んだ。


(何だ、これ?)


 思わず、首を傾げてしまった俺。

 出てきた料理は、どう表現すればいいのか、巨大なトマトでできた肉団子――そんな感じだった。大きな皿の中央に、赤く円い塊が鎮座する。

 当然ながら、その料理の味なんて憶えてはいない。何となく、トマト・ケチャップを容器ごと丸かじりしたような、そんな味だった気もするが。


 一方、明子の前に並んだのは拙い俺の知識的に云えば、牛肉となんちゃらのソテーとかという感じの、どう見ても美味しそうな肉料理だった。

 彼女の料理から発せられる芳しい香りが、テーブルを包む。

 圧倒的な格差に目の前で呆然とする俺を置いてけぼりに、彼女は楽しそうにナイフとフォークを操り料理に舌鼓を打っていた。


(この女、本当にメニューが読めないのか?)


 笑顔で肉を口へと運ぶ彼女に対し、今度は「どす黒い」疑惑が俺の心の中心に蔓延はびこった。



 ――不安と不満の詰まった食事も終わり、会計へ。

 当然、ここは初デートだし、男が見栄を張る番である。


「あ、ここは僕が払うよ」

「当然よ」

「……うん、そうだね」


 あっさりと、俺の提案を受け入れる彼女。

 伝票に書かれていた金額は苦学生の俺にとって目の飛び出るような値段だったが、所持金的にギリギリセーフで、ほっと胸を撫で下ろす。

 俺が会計を済ましている間に、明子が「先に外に出て待ってるね」と言って店を先に出た。


「ありがとうございましたぁ」


 快活な女性店員の声に背中を押されるようにして、自分も外に出る。

 店の扉を開けて外に出たら、「今日は楽しかったね」「うん、また会える?」なんて甘いセリフのやり取りがあることを妄想した俺だったが、それも空しく、俺が店の外に出て来たのを確認した彼女は予想外な言葉の先制パンチを繰り出したのである。


「さあ、次は夜景よっ!」

「ええッ?」


 またも彼女に引き摺られるようにして、表通りに出る。

 しかし、金はない。じりじりと心が焦り、冷や汗が額に流れた。

 と、そのとき車道を滑るようにしてこちらに近づいて来た、眩しい二つ眼のヘッドライト。流しのタクシーだった。


「へいっ! たくすぃー!」


 手刀を切るように右手を上げた明子が、いつかどこかで見た映画で聴いたようなセリフを叫んだ。

 彼女の威勢に負けたのか、タイヤを鳴らして一台のタクシーが急停車する。スーッと開いたドアに引き込まれるように、二人してタクシーの後部座席に滑り込んだ。

 この街中心部からほど近い、標高五百メートルほどの小高い山の頂上にある展望台へと向けてタクシーは走り出す。もちろん、それは明子の指示だった。

 時折カタカタと音を立てて上がる料金メーターにハラハラし通しで、彼女との会話も楽しめない。


 しばらくして、目的地の展望台の降り立つ。

 施設入り口を抜けて階段を上り、屋上から下界を望む。世のサラリーマンの方々の残業の努力で形成された美しき夜景を前に、しばし息を呑んだ。もちろんそれは明子も同じ。ハイテンション気味の彼女も、このときばかりはさすがに黙って景色を見つめていた。

 ひゅうう――。

 不意に辺りを吹き抜けた、透明な夜風。

 そろそろ夏になる時期だといっても、まだまだ冷たい。その冷気が肌の細胞のわずかな隙間に浸み込んでいく。


「さむっ」


 そう言って、もじもじと肩を竦めた俺の横に彼女がぴったりと肩を寄せ、張り付いた。


(ええっ!?)


 その驚きは声にならならなかった。

 というより、声を出せなかったのだ――折角出来あがった何かを壊してしまいそうで。

 しばらく、俺たちは夜風に震えながら無言の会話を楽しんだ。彼女の呼吸音が闇の中で聞こえ、風になびく彼女の長髪が俺の頬をくすぐった。



 そんなこんなで所持金を使い果たし、俺の財布は少しの小銭を残して見事にすっからかんとなった。財布空間での限りないエントロピー減少、とでもいおうか。今まで数カ月間、生活費を削って溜めた金が、ほぼパーになる。

 そんなトホホ(死語)な俺だったが、「帰りはバスで帰ろうよ」という必死のアピールで彼女を何とか説得し、市街中心部行きのバスに乗った。


 変な達成感と、同じくらいの喪失感――。

 そんな複雑な気持ちと彼女の肩が自分の方に触れる感触を楽しみながら、夜の街を窓越しに眺める。だが、そういう時間ほどすぐに去ってしまうもの。あっという間にバスは目的地のバス停に着いてしまった。

 とりあえず、歩いて彼女に自宅近くまで送ることにする。


「ここでいいわ」


 彼女はある交差点で背中越しにそう云うと、くるりと振り向いた。

 そして、俺の右掌を彼女の両手で包み込むようにして握ると、こう付け足したのである。


「次のデートは、ちゃんとカッコよく私を誘ってくださいね――。じゃあ、また!」

 夜風に曝され冷え切った俺の体に、じんわりと温かいものが広がった。

 それに、なんだかんだいっても女の子である。その手の感触は、ちっちゃくてあたたかくて、かわいかったのだ。


「うん……わかりました。努力します」


 すぐさま善処の方向を伝えると、彼女はにかりと笑って掴んでいた俺の手を離した。そして、自分の住んでいるらしいアパートの方へと歩き出す。

 細い背中を見せ、立ち去っていく彼女。

 その背中に見惚れている自分の掌の上に、残像というか、変な感触が残っていることに気付いたのはそのすぐ後だった。

 見れば、折りたたまれた茶色い封筒がひとつ、掌の上に乗っている。


(こ、これは?)


 開封してみると、今日のデート代のほぼ全部が賄えるんじゃないかというほどの結構な金額の紙幣と一枚の便箋が、中に入っていた。


『今日のデート代の足しにしてください  明子』


 既にかなり小さくなってしまった彼女の背中が、急に金色に輝いて見えた。


(な、なんて女なんだ。俺は今日結局、彼女におごられただけじゃないか……)


 そう思いながらも、「助かったぁ」というのが、俺の本音だった。

 と、直ぐに襲ってきた空しい気持ち、情けなさ。

 俺は、満天の星空を仰ぎながら、自宅アパートへの道をゆっくりと歩き始めた。



  ◇



 思い出とは、絶対的に美しいもの。

 どんな切ない思い出であっても、時間がたてば美しい思い出へと自動変換される。たぶん、きっと――。


 いつしか、俺の体の中に生きる力が溢れていた。

 俺は、全身打撲のような痛みとともにゆっくりと立ち上がった。

 ふと辺りを見ると、数多くのヒラ戦闘員たちが倒れる惨状の中で、大地を踏みしめるようしてむくりと立ちあがった男が、たった一人いた。


(あの背恰好――。確か、組織ナンバーワン怪人の『ドラゴニアエース』付きのベテラン隊員で、この道二十年の――おやっさん!?)


「おう、カピバラン! 生きてたか……。まずは、一緒に帰るとしよう」

「あ、ああ」


 ともあれ、生き残った者同士。

 肩を組むようにして組織アジトへの帰路についた、俺たちなのだった。



 <つづく>

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