After31 最近、イチャイチャが足らないのです!

 はてさて、今日も今日とて俺の部屋である。

 学校から帰ってきて、部屋の扉を開いた途端、唯花ゆいかは通学鞄を放り出して駆け出した。


奏太そうた、着地よろしく!」

「へいへい」


 着地とは唯花自身ではなく、通学鞄の方である。錐揉み回転している四角形の鞄をキャッチする、俺。その間に唯花は小テーブルの前に滑り込み、いそいそとスマホを取り出した。


「るんるんた~♪ 奏太の買ってくれたカードで~、課金石を大召喚~! 今日こそ、水着ネロちゃんをゲットだぜーっ!」


 お姫様はご機嫌である。スマホに表示されているのは、ソシャゲの英霊ゲーム。最近、唯花のお気に入りのキャラがガチャでピックアップされたらしい。


 で、ここぞとばかりに俺に課金カードをねだり、学校帰りにコンビニで買ってきて今に至る。まあ、ガチャなんでお目当てのキャラが引けるとは限らんのだが、


「えへへ、ありがとね~。奏太、大好きー♪」


 この笑顔を見られるならプライスレスである。あとは水着ネロちゃんとやらが唯花のところに大召喚されてくれることを願うばかりだ。


「しかし唯花に課金カード買ってやるのも久々だなぁ」

「だねー。最近はお父さんとお母さんからお小遣いもらってるし」


 これも引きこもりを卒業した変化の一つだろう。何やら感慨深く思いつつ、俺は2人分の通学鞄を勉強机の横に置く。


 で、唯花の方はカードのナンバーをスマホで読み込もうとして……いたんだが、ふいに顔を上げて首をかしげる。


「はて……何か忘れてるような気がするのです」

「うん? 忘れてるって何をだ?」

「んー、なんだろう。何かわかんないけど、すごい大事なことがあったような……」


 スマホとカードを持ったまま、唯花は「むむむ」と可愛く眉を寄せる。そして唐突にハッとし、勢いよく立ち上がった。


「あっ、そうだーっ!」

「うお、どうした急に?」

「どうしたもこうしたもないのー!」


 唯花は俺のところまで駆け寄ってくると、スマホとカードを握ったまま両手をブンブンする。


「なんたること! なんたること! なんたること、でありますかー!」

「うん、何かにひどく嘆いてることはわかったから、とりあえず落ち着け。スマホとカードをこっちに渡すんだ。落としちゃったら大惨事だからな」

「うみゅ。よろしゅう」

「かしこまった」


 唯花からスマホとカードを受け取り、丁重に勉強机に置く。


「で、どうした?」

「そう! そうそう、落ち着いてる場合じゃないのー!」


 テンションを再起動させ、また両手をブンブン。

 可愛く両手を握りしめて、ぴょんぴょん跳ねながら、唯花は言った。


「最近、イチャイチャが足らないのです!」

「なん、だと……!?」


 俺は両目を見開いて驚愕。

 イチャイチャが……足りない?

 それはカップルとして由々しき事態だ。

 唯花の嘆きもさもありなんという話である。


 が、驚きは一瞬だった。

 すぐに冷静になり、俺は首をかしげてしまう。


 いや足りないか……?


 俺と唯花は毎日ぴったり一緒にいるし、一般的なカップルの平均値ぐらいにはイチャついている気がする。これでも足りないとは、如何なることか。


「あーっ、『如何なることか?』って顔してる!」

「む、ズルいぞ。心を読むんじゃない」

「へへーん、奏太の考えてることなんてハンドでゲットするようにわかるもん」

「うん、手に取るようにわかる、な? ハンドでゲットだと普通にサッカーで反則してるように聞こえるからな?」


「幼馴染でカノジョな唯花ちゃんの観察眼をスィートにノン・ルッキングなのです」

「うん、甘く見るな、な? スィートにノン・ルッキングだとシンプルに意味がわからないからな?」

「でも奏太はわかるでしょ?」

「や、俺はほら……」


 ちょい気恥ずかしくなって、鼻の頭をかく。


「……幼馴染でカレシだからな」


 女子はさらっと言えるのかもしれないが、男子としてはこういうことをわざわざ言葉にするのはちょい恥ずい。唯花も気恥ずかしい空気に当てられたのか、ちょっと照れた感じで「あはは」と嬉しそうに身じろぎしている。


 ……や、うん、本当に足らないか、これ?


 と思っていたら、唯花が目ざとく気づいて唇を尖らせた。


「あー、『本当に足らないか、これ?』って顔してるー」

「いやまあ、そんな顔にもなるじゃろう?」

「唯花ちゃんが足りないって言ったら足りないのー」

「つまりどの辺が足りないんだ?」

「だからー」


 唯花の目がチラッと勉強机の課金カードに向く。

 無意識にではなく、俺にアピールするための視線だ。


 課金カード?

 それがなんだって言うん…………あ。


 言わんとしてることにようやく気づいた。

 と同時に唯花が俺に向かって両手を開き、小さくうなづく。


「うみゅ」

「これは……ハグしてオーケーのサインだな?」

「なのです」


 まだ唯花が引きこもっていた頃のこと。

 俺はバイト代が出る度に課金カードをお土産に買ってきて、その代価として唯花にハグすることを許されていた。


「なんか……めちゃくちゃ懐かしいな」

「ねー」


 つい2人して笑ってしまった。

 最近は当たり前にハグしているから、すっかり忘れていた。課金カードを買ってやるのが久々だったこともあるが、このやり取りを忘れていたのは確かにイチャイチャが足りないと言われても仕方ないかもしれない。


 まあ、冷静に考えるとそんなことはまったくないんだが、唯花が言うならそれでいいのだ。


「それじゃあ、ええと……いいか?」

「ん」


 課金カードを買ったらハグしていい。

 その約束に従って、唯花の背中へそっと手を回す。


 黒髪がふわりと舞い、シャンプーの匂いが鼻先に届いた。細い体を抱き寄せると、制服越しの柔らかい胸が体に当たる。


 うわ、なんつーか、これは……。


 昔の気分に戻ったせいか、微妙に理性が危うい。

 昔の俺、よくこれ我慢できてたな。

 時を超えて過去の自分を尊敬してしまいそうだ。


「ふふ」


 腕の中から小さな笑い声が聞こえた。


「奏太がなんか緊張してるー」

「いや緊張ってほどじゃないんだが……課金カードの代価だと思うと、昔に戻った気がしてどうもな……」

「あー、それあるかも。あたしもいつもよりちょっとドキドキしてる……」


 うむ、わかる。

 ぴったり密着してるからな。

 胸の柔らかさの向こうに唯花の鼓動を感じる。


「あ、エッチな顔してる」


 これまた目ざとく見つかってしまった。

 俺は慌てて誤魔化しに掛かる。


「してない、してない」

「ほんとー?」

「本当だ。すごく本当だ」


 ジト目の唯花に対し、至極真面目にうなづく。

 まあ、表情でバレてるだろうが、体面というものは大切なのだ。


 心頭滅却、もしくは明鏡止水。

 どうにか冷静さを取り戻そうとしていると、ふいに唯花が口を開いた。


「ねえ、奏太」


 どこかイタズラっぽい上目遣いで。

 これまた懐かしい言葉が紡がれる。


「あたしのこと、好きになったらダメだからね?」

「――っ!」


 心頭は滅却できず、明鏡も止水にできず。

 思わず感慨深さが溢れ出しそうになってしまった。


 まったく、こやつめ……!


 好きになったらダメ。

 それは唯花が引きこもり時代によく言っていたセリフだ。

 自分が引きこもりなことを気にして、唯花はこう言ってよく俺に釘を刺してきた。


 どうやら課金カードのハグにかこつけて、昔ごっこがしたいらしい。


 よーし、わかった。

 そっちがその気ならこっちにも考えがある。

 エロい奴扱いされたことへの汚名返上だ。


 俺は唯花のあご先をクイッと上げて見つめ返す。


「なんでダメなんだ?」

「ほえ?」


「なんで俺は唯花のこと好きになったらダメなんだ?」

「え~」


 この返しは予想外だったのだろう。

 唯花は目をパチクリして考え始める。

 ついでにあごクイをされて、ちょっと頬っぺたが赤い。


「んーと、んーと……」


 しかし考えても答えなんて出るはずがない。唯花はもうとっくに引きこもりを卒業してるし、そもそももう付き合ってるからな。


「んー……」


 数秒、考えていたが、やっぱり思いつかなかったらしい。

 唯花は潔くにぱっと笑う。


「わかんなーい♪」

「なんだとー?」


 俺はわざとらしく驚いてみせる。


「わかんないはないだろう、わかんないは。大事なことだぞ?」

「だって、わかんないんだもーん♪」


 唯花は甘えた声で、ぶら下がるように俺の首へ手を回してくる。

 一方、俺はあごクイしたままにやりと笑う。


「そういうワカランチンな奴には――こうだ!」


 もう一方の手で腰を抱き寄せ、唯花のおでこへ口づけをした。


「はうっ」


 おでこだけに留まらない。

 まぶた、鼻先、ほっぺたへ、キスをしていく。


「にゃ~っ! ちょっと、ちょっとー……っ」


 唯花は真っ赤になって、困った顔で身じろぎする。


「なんでチュウするのー?」

「ワカランチンへのおしおきだ」


 さらにもう一度、ほっぺた、鼻先、まぶた、おでこへ。


「にゃっ。にゃにゃ……チュウの雨が降ってくる~! 奏太、ダメだって~!」


 照れまくった笑みで逃げようとする、唯花。

 だがしっかり抱き締めているので逃がさない。


「なんでダメなんだ?」

「だ、だってー……奏太に『あたしのこと好きになったらダメ』って言ったばっかりなのにぃ……」


 細い指先が黒髪をいじいじと手いじりする。

 その手で顔を隠し、唯花は恥ずかしそうに囁く。


「こんなことされたら……」


 イチゴのように真っ赤になった顔で。


「……あたしが奏太のこと、好きになっちゃう~」


 くっ、かわゆい奴め。

 そんな顔でそんなこと言われたら、ますますいじめたくなってしまうぞ。


 顔を隠している手をどかせ、俺はさらに問う。


「好きになったらダメなのか?」

「も~、わかんないってば~!」

「じゃあ、おしおき続行だな」

「え~♡」


 キャッキャ言いながら唯花は逃げようとする。

 しかしそれを阻んで、頬っぺたにキス。「にゃ~♪」と唯花はわざとらしく困った顔をする。


「っていうか、昔ごっこしてるのにグイグイ来るのズルいからぁ。昔の奏太はこんなにグイグイ来ないしぃ」

「残念、ここにいるのは今の俺なのだ。というわけで唯花がわかるようになるまで、おしおきをやめない」

「そんなこと言われたって、わかんないものはわかんなーい♪」


 というわけでほぼ無限ループでイチャイチャし続けることになってしまった。

 なぜならもう何を分かればいいのか分からないし、さらには唯花がずっと分からないフリをするので、まったくやめ時がない。


「ねえねえ、奏太」

「お、わかったか?」

「まだわかんなーい♪」

「じゃあ、キスだな」

「きゃー♪ やだぁ、もう~♡」


 これでもかと言うくらい、無限ループは終わらない。

 まあ、うん、とりあえずこれで一般的なカップルの平均値ぐらいのイチャつきにはなれたんじゃなかろうか。そんなことを思いつつ、幸せを噛み締める俺なのでした。

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