第164話 恋人たちの甘々エピローグ

「いってきまーすっ!」


 今日も唯花ゆいかの元気な声が高らかに響いた。

 玄関先で待っていた俺は感慨深く右手を上げる。


「おっす」

「おはよ、奏太っ!」


 唯花も左手を掲げてハイタッチ。

 

「からの~! ぎゅーっ!」


 そのままジャンプして抱き着いてきた。


「おまっ、朝っぱらからフルスロットル過ぎだろ」

「だってー、楽しくて嬉しくて楽しいんだもーん!」


 楽しいを二回言ってる。

 どうやらかなり楽しいようだ。


 引きこもり卒業から数日が経った。

 唯花は毎日、ご機嫌で学校に通っている。


 友達もだいぶ出来たらしい。

 というか加速度的に唯花の仲間は増え続け、ものの数日で如月派閥なるものまで出来上がりつつあった。


 俺の仲間からも『面白そうだから如月さんの方についていい?』なんて奴も続出し、我が勢力は急速に唯花の勢力に吸収されつつある。マジで末恐ろしい。


 生徒会長なんかは『次期会長は三上ではなく、如月君というのもアリかもしれんな』なんてことを言っていて、我が母校はさらにカオス化しそうである。


「はい、じゃあ今日の分、ちょーだい♪」

「……おいおい、朝っぱらからか?」

 

「朝っぱらからだよー。朝から唯花ちゃんに逢えるこのぷれしゃす感を大事にしたいと思わんのかね、チミは?」


「いやすでにこの何日か、毎朝逢ってるんだが」

「だとしーてーもー!」


 ぬう、逃がしてはもらえないようだ。

 いつまでも玄関先で抱き合ってるわけにもいかない。


 観念して、俺は明後日の方を向く。


「あー……ゆ、唯花」

「うんうん! なになに?」


「その……」

「はいっ」


「――好きだ」

「きゃー! きゃー! にゃー!」


 だーっ、顔が熱い!

 メチャクチャ恥ずかしいぞ、チクショー!


 告白した日に『これからは毎日好きって言ってね』と言われた通り、あれから俺は毎日唯花に好きだと言っている。いや言わされている。


 まったく勘弁してほしいものである。

 男はそんな簡単に好きだなんて言いはしないもんなんだぞ?


「ねえねえ、奏太っ。あたしも奏太のこと、だーい好きっ、だよ!」

「…………」


 ……ま、いっか!

 好意をちゃんと言葉にするのは大切なことだよな、うん。


「あ、グッときた顔してる」

「グッとこないわけがあるまいて」


「チューしたそうな顔してる」

「したくないわけがあるまいて」


 思わず流れで本音を言ってしまった。

 

 好きだと言うのは気恥ずかしくても、グッときたらキスはしたい。

 男とはそういう生き物だ。


 えー、と唯花は腕のなかでもじもじする。


「朝っぱらから……しちゃうの? それってどうなのかなぁ?」

「朝から俺に逢えるぷれしゃす感を大事にしたいとは思わんのかね?」


「奏太は美少女ではないので、ぷれしゃす感を自称するのは無理だと思います」

「まじか……っ」


 真顔で言われた。

 ショックだ。


 しかしここで折れる俺ではない。


「唯花もしたそうな顔してるぞ?」

「えー、してないよぉ。唯花ちゃんはひんこーほーせーな美少女だもん」


「いいやしてる。すごいキスしたそうな顔してるぞ?」

「してないってばー」


「じゃあ、キスしてみればわかるんじゃないか?」

「えー」


「実際にしてみたら、したかったかどうかわかるだろ?」

「むー、それは……」


 自分の唇に指で触れ、唯花は恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「……その通りかも」

「だろー?」


 このチャンスを逃す手はない。

 俺はクイッと唯花のあごを持ち上げる。


「あ……」


 こぼれた吐息を奪うように、キスをした。

 唯花がぺちぺちと胸を叩いてくる。

 

「もー、強引~っ!」

「いやー、はっはっはっ」


 とりあえず笑って誤魔化す。

 ……と、そんなやり取りをしていて、ふと気づいた。


「唯花さんや」

「なんじゃらほい、奏太さんや」


「カノジョさんや」

「にゃ……!? にゃんじゃらほい、カ……カレシさんや」


 ちょっと照れくさくなり、俺は頭をかく。


「いや、なんつーか……俺たち、付き合ってるじゃないか」

「そ、そうですね。わざわざ口にされると照れちゃうけども」


「で、なんだかんだで、それ以前にも数えきれないほどキスをしたじゃないか」

「し、しましたな」

「しかしそう考えると今のって……」


 やべ、言ってて本当に恥ずかしくなってきた。

 だが一度言い始めてしまった以上、止められない。


「幼馴染じゃなくて、恋人同士としてのキスだったな、と」


 まさにぷれしゃすだ。


「はう……!?」


 唯花も気づいたらしく、ボンッと顔が赤くなった。

 両手で自分の唇を押さえ、ぷるぷると震えだす。


「ほ、本当だーっ! あ、あたしってば今……彼氏にキスされちゃったんだ! ど、どうしようっ。恋人同士のキスだ。こんなの初めて……!」


「なー、俺も今、彼女にキスしちゃったぞ。唯花的に言えば、『あたい見ちゃった新世界!』だ」


「ファーストキス……っ。これってもうファーストキスだよね?」

「まー、正確には昨日もしたし、一昨日もしたし、屋上でもしたけどな」


「いいの! ファーストキスって思った時がファーストキスなのっ。……あっ、でも今のはファーストキスって思ってなかったから、もっかいしたい!」


「ファーストの概念とは一体……」

「いいのー!」


 一転、唯花はちょこんと俺のブレザーを摘まみ、潤んだ瞳で見つめてくる。

 耳に届くのは囁き声。


「お願い、奏太……」


 とろけるような甘え声で。


「あたしに……恋人同士のファーストキスして?」


 超しよう。

 拒む理由などどこにもない。


 再び唯花にあごクイする。


「唯花……」

「奏太ぁ……」

「あのさー、奏太兄ちゃんにお姉ちゃん」


 いきなり声をかけられ、ビクッとした。

 二人同時にぐるんっと玄関の方を見ると、伊織いおりが扉を半開きにしてこっちを見ていた。


 完全に目が死んでいる。

 まるで屍のようだ。


「毎朝毎朝、イチャイチャするのはいいんだけど、早く学校いってくれないかな。僕、すごい出づらくて遅刻しちゃいそうなんだけど。まさか本当に濃厚なイチャイチャを毎日、生で見せられることになるなんて思ってもいなかったんだけど。なんなの? 僕は前世で一体どんな業を背負ってきたの?」


「お、おおう、伊織……その、なんだ、すまん」

「ご、ごめんね、伊織?」


「いいからとっとと行く! 僕もあおいちゃんと待ち合わせしてるんだからっ。はい、いってらっしゃい!」


「「い、いってきます……っ!」」


 中学生の弟に追い立てられて、俺たちはいそいそと出発したのだった。


 …………。

 …………。

 …………。


 通学路を並んで歩く。

 一度、伊織に怒られた後だが、唯花のウキウキムードは止まらない。

 ナチュラルに腕を組んでくる。


「ねえねえ、週末はどこに連れてってくれるの?」

「そうだなー」


 話題は週末のデートのこと。


 この一年半で街のなかにいくつもデートスポットができた。

 外に出たらそこに連れていくと、引きこもっている時に約束していたのだ。


 当然、プランはいくつも考えている。

 しかしおうちデートを除くとすると、これが俺たちの初デートになる。


 せっかくだから唯花を思いきり楽しませてやりたいし、考えだすとこれがなかなか悩ましい。


「あー、なんか悩んでる顔してる。あのね、あたしは奏太と一緒だったらどこでも楽しいよ?」

「むう、可愛いことを言いよる」


「あ、だったら放課後、あたしの部屋で会議する? お母さんがまた大量にお菓子買ってきたから消費しないとだし」

「また山ほど買ってきたのか、あの人は……」


 唯花が外に出てからも、結局、なんやかんやで放課後は如月家に通っている。

 一年半も続けていたから、なんとなく習慣になってしまっているのだ。


 お菓子の消費もあるってことなら、唯花の部屋でデートプランを練ってもいいか……と思ったのだが、ふと別の案を思いついた。


「俺の部屋は?」

「ほへ?」


「だから俺の部屋。唯花、もう長いこときてないだろ?」

「にゃるほど!」


 まるで木登りするように俺の腕に巻きつき、唯花は目を輝かせる。


「その手があったかー! いきたい、いきたいっ。奏太の部屋なんてすっごい久しぶりだもん! カノジョとしてお部屋の掃除とかしてあげちゃうよっ。それにそれに――あっ」


 シュバッといきなり唯花が離れた。

 距離を取り、ちょっと赤くなってジト目で睨んでくる。


「……こやつめ、油断も隙もないのです」

「な、なんのことかな?」


「とぼけるでない。この美少女を自分の部屋に連れ込んで……あ、あたしにえっちなことする気でしょ?」


 いやいや違うぞ?

 俺はただただ純粋な気持ちで唯花を招待したいと思っただけなんだ。


 せっかく外に出られたから、その記念に自室で唯花の帰還を盛大に祝いたいだけなんだぞ?


 ……と申し開きをしたい気持ちは山々なのだが、哀しいかな、相手はカノジョにして幼馴染。俺の本音など筒抜けである。


 だから鼻の頭をかきながら、素直に尋ねる。


「……い、嫌か?」

「へ!? や、やではないけれども……っ」


 赤い顔でごにょごにょし始める唯花さん。


「うぅ、奏太がずるい~。恋人同士になったらルパンダイブ使わずに、ついに正攻法で攻めてきたぁ……。あたしが奏太の直球に一番弱いって知ってるくせにぃ……」


 知ってる。

 知ってるからこその直球だ。


 ありがとう、ルパン。

 ありがとう、理性さん。


 俺もついにひとり立ちだ。

 これからは自分の力で頑張るよ。


 青空にルパンと理性さんを思い浮かべて、キラリと涙を光らせる。


 そうしていると、唯花が勢いよく腕に抱き着いてきた。

 そして覚悟を決めた表情で言う。


「やっ!」

「やっぱり嫌なのか!?」


 まさかの逆転敗北ホームラン。

 心のルパンと理性さんが無駄死になった。


「そ、そうじゃなくって!」


 唯花はぐいっと俺を引っ張る。


「や……」


 紅葉のように頬を染めて、耳元で囁く。


 甘い吐息を吹きかけるように。

 大好きという想いを形にするように。


「優しくしてくれないと……」


 あとはちょっとの冗談も込めて。




「……今度は、奏太の部屋に引きこもっちゃうんだからね?」




 それはそれで大歓迎だけどなー!

 可愛すぎて感情が爆発した。

 いかん、我慢できん!


「ゆ、唯花ーっ!」

「きゃあ!? 路上、ここ路上っ! 今はダメーっ!」


 辛抱利かずにルパンダイブ。

 否、ゼロ距離密着状態から放つ、奇跡の奏太ダイブ。


 しかし驚いていたのは一瞬で、唯花は冷静な判断でひらりとかわした。


「ほい、回避」

「なん、だと!?」


「ふふん、あたしが何度、奏太のダイブを体感してきたと思っているのかね。すでにダイブ系の技は唯花ちゃんには通じないのです」


 しまった、俺が今、奇跡の進化を果たしたように、唯花も唯花で日々進化しているようだ。


 いやまあ回避してくれよかったけどな。

 危ない危ない。


「ほら、早く学校いくよ。伊織じゃないけど、のんびりしてたら遅刻しちゃう」

「へいへい」


 唯花が跳ねるように歩き出し、俺も二つ返事でついていく。

 楽しそうな背中を見ながら、つい苦笑がこぼれた。


「しかし、まさか唯花に『学校いくよ』なんて言われる日がくるとはな」

「うん! だって――」


 黒髪を風に遊ばせるようにして振り向く。


「――学校楽しいもん!」


 それは本当に眩しいくらいの笑顔だった。




 

 俺たちはこれからもずっと一緒に生きていく。

 ひょっとしたらまた人生の試練のようなものが降りかかる日もあるかもしれない。


 だけど、もう大丈夫だ。


 俺の隣には唯花がいる。

 唯花の隣には俺がいる。


 二人は恋人同士で、連れ添って毎日を生きている。

 こんなに無敵なことはない。


 だからさ。

 ずっと見守ってきてくれた仲間たちに感謝を伝えたい。


 心からの想いを込めて。


 ありがとう。

 俺たちは幸せになりました――!


「奏太~、早く早くー!」

「おう、今いく!」


 軽やかに返事をし、地面を蹴る。

 青空の下、俺たちは眩しい朝日のなかを歩き始めた――。

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