第156話 キス祭り~ソウタニウムを充電中~(後編)

 ベッドがギシギシと音を軋ませている。

 部屋のなかには荒い呼吸が響いていた。


 飛び散った汗が玉のように輝き、ベッドの上で折り重なった二つの影を彩っている。


 俺は熱に浮かされるように名前を呼ぶ。


「はぁはぁ、唯花ゆいか! 唯花……っ!」

奏太そうた、奏太ぁ……っ! もっとぉ……!」


「もっと!? く……っ! ゆ、唯花ぁ、唯花……!」

「奏太ぁ! ……えへへ、もっともっと!」


「さらにもっとぉ!? ぜーはー、唯花! ぜえぜえ……」

「にゃふふふ♪ もっともっと、さらにもう一声っ」


「さらにもう一声ぇ!? ゆ、ゆい……ゆい……って死んでしまうわぁ!」


 とうとう力尽き、俺は盛大にベッドに突っ伏した。

 圧し掛かられた形の唯花が「きゃー♪」と楽しそうに悲鳴を上げる。


 俺のHPはもうゼロだ……。


 抱き合うような状態でぐったりしていると、ぽんぽんと背中を叩かれた。


「もー、奏太は体力ないなぁ。もっと鍛えないといけませんぞ? あたしのダンベル貸したげよっか?」


「ぜーぜー……おま、ただ寝てるだけの奴が……ぜーぜー、よくもまあ……ぜひゅー」


 オーバーワーク過ぎて、息が整わない。

 全身がぴくぴくしていて、生まれたての小鹿のようである。


 唯花の登校を明日に控え、今日は如月きさらぎ家に泊まることになった。


 俺は誠司せいじさんから借りたパジャマ姿。

 唯花もお気に入りのもこもこパジャマを着ている。


 で、断っておくが、エロいことをしていたわけじゃない。


 腕立て伏せをしていたのだ。


 お前は何を言っているんだ、と言われそうだが、実際、俺は腕立て伏せをしていた。いやさせられていたのである。


 唯花から一晩中チューして、とお願いされ、マジでその通りにキスをし続けていたのだが、回数が100回を超えた辺りから唯花がキスの面白バリエーションを考え始め、気づけば『全力で腕立て伏せしながらチューして♪』とワケの分からんお願いマッスル状態に突入していた。


 というわけで唯花がこてんとベッドに寝転び、その上で俺が腕立て伏せをしながらキスをするという謎トレーニングがかれこれ一時間ほど継続していたのである。


 いやもうどうしてこうなった……。


「俺、キスってもっとロマンチックなもんだと思ってたんだが……」

「えー、すっごくロマンチックだと思うけど?」


「お前は一度、ロマンチックって言葉を辞書で引いてこい」

「わかった。じゃあロマンチックって言葉を辞書で引いて、そこに腕立て伏せのことって書き足しておくね?」


「暴挙!? 概念を書き換えるという圧倒的暴挙……!」

「くっくっくっ、可愛い唯花ちゃんに掛かれば、筋トレもロマンチックになるのです!」


「その筋トレさせられてるの俺なんだけど!」

「やれやれ、では見せてくれよう」


 残りの力を振り絞ってツッコむ俺に対し、唯花は下からぎゅっと抱き締めてくる。


 うおっ、ちょ、Fカップが……!?


 力尽きてぶっ倒れている俺だが、唯花に体重を掛けないように肘や膝に重心を移して多少体を浮かせている。


 しかし『あたしに体預けていいよー』と言うように、唯花は俺を引き寄せた。

 そして耳元で囁く。


「あのね、あたしのために頑張ってくれてる、奏太。とっても素敵だったよ?」

「……!?」


 耳元で吐息のような甘い囁き。


「……ありがと。すっごく格好良かったです」

「ぬ……!?」


 考えてみたら、唯花に格好良いなんて言われたこと、なかなかない。


 まるで瞬間湯沸かし器みたいに一瞬で顔が熱くなった。

 耳が赤くなってるのが自分でわかる。頭からシュウシュウと煙が出そうだ。


 一方、唯花はきゅるんとイタズラ顔に変わって、ニヤニヤ笑い。

 それ見たことか、という感じで言う。


「ロマンチックですか?」

「……ロ、ロマンチックです」

「ならば、よーし」


 ちゅっ、と頬にキスされた。


「な……っ!?」

「およ? どったの、さらに真っ赤になっちゃって。今の今まで唇のチューしてたのに、頬っぺたで照れることある?」


「いや、それは、その……っ」


 今日は数えきれないほどキスをしているが、ほとんどが唯花にせがまれて俺からしたものだった。だから不意打ちでされて、その、なんだ……。

 

「あ、ひょっとして」


 きゅぴんときた顔。


「あたしからされたのが嬉しかった?」

「――っ!? ち、ちげーし!」 


「うっそだぁ。唯花ちゃんに不意打ちでチューされて嬉しかったんでしょ? ね、ね、そうでしょ?」

「ちげーし! そんなことねーし!」


「きゃー、照れてるー! 奏太が照れてるー! もうっ、奏太くん、可愛い♪」

「うっせ! うっせ! 奏太くんとか言うなし!」


 恥ずかしくなって緊急離脱。

 ベッドの逆サイドにごろんと転がる。


 しかし唯花は逃がしてくれない。

 べたーっと背中にくっついてきて、耳元で囁いてくる。


「YOU、本当のこと言っちゃいなよー? 唯花ちゃんからのチューが嬉しかったんでしょー?」

「もう寝る! 超寝る! 俺は寝る!」


「えー、じゃあ嬉しくなかったのー?」

「嬉しくなかったとは言ってねえし!」


「じゃあ、もっかいしてほしくないのー?」

「もっかいしてほしいとは思ってるし!」


「ふふふ、い奴め♪」


 両肩に手を乗せてきて、俺の頬を鼻先でツンツンと突く。

 え、キスじゃないのか? と振り向いたところで――唇にキスされた。


「はい、あたしからの唇チューだよ」


 黒髪をさらっと揺らし、にっこり笑顔。


「嬉しい?」

「~~っ!」


 もう声も出なかった。

 フェイントからの唇キスなんて小癪な奴め……!


 俺の頭の熱でベッドが焦げるんじゃないかと心配になってきた。

 と、唯花が背中にこつんと額を当てた。


 小さな微笑みの気配。

 囁くように語り掛けてくる。


「ふふ、楽しいね」

「……まーな」


 明日が登校日とは思えない空気だ。

 ……が、分かってる。


 唯花がわざとはしゃいでることぐらい、俺にはお見通しだ。


「……あたしがわざとはしゃいでると思ってる?」


 ……ん?


「ま、それもあるけどね。なにせ唯花ちゃんってば筋金入りのビビリさんだから」

「別に無理しなくていいんだぞ? 学校は逃げやしないからな。明日がダメなら明後日、明後日がダメならその先、頑張るのはいつだって構わないんだ」


「またそうやって甘やかすー」


 なんか背中をぐりぐりされた。

 そして苦笑の気配。


「頑張りたいんだ。みんなからいっぱい勇気をもらったから」


 それに、と言葉は続く。


「ちょっとだけ、下心もあるの」

「下心?」


 ……って、なんだ?

 不思議に思っていると、唯花の手のひらが頬に触れた。


「……奏太。あたしね、好きな人がいるの」


 今さら驚きはしない。

 驚きはしないが……いやすまん、いきなりだったので正直、ちょっと動揺した。


 唯花がこういうことを言うのは初めてじゃない。

 以前も似たようなことを言っていたが……今回は雰囲気が本気だ。


「でもね、あたしその人に一回フラれてるんだー」

「…………」


「フラれてるんだー」

「…………そ」

 

 背中側から謎の威圧感をひしひしと感じる。


「そ、それはひどい奴がいたもんだな。ウチの可愛い幼馴染をフるなんて、まったく持って許しがたい」

「だよねー」


 つねられた。

 痛くはない……とは言えない程度に多少痛い。お姫様はお怒りだ。


「だけどさ」


 ふっと力の抜けるような声。


「思うんだ。あの時、その人があたしをフッたのは、あたしのため。もしも恋人になったらあたしがぜんぶに満足しちゃうから、あえてフッてくれたの。……だからね」


 言葉の途中で、俺は無意識に振り向いていた。

 唯花の顔が見たいと思ったから。


 ……真っ赤だった。


 目は潤み、耳まで赤くなり、唯花は今にも泣きそうなほど恥ずかしがっている。

 それでも声を絞り出す。


 ぜったい言わなきゃ、という必死さが伝わってくる表情で。


「あたしね、ひょっとしたら、って思ってるの。もしも明日、あたしが頑張って、頑張って、頑張って、いーっぱい頑張って、学校まで辿り着けたら、その時は……」


 かぁーっとさらに赤くなって、ぽつりと。



「……大好きな人があたしに告白してくれるんじゃないかな、って」



 …………。

 …………。

 …………なんつー可愛い下心だよ。


 もう今すぐ抱き締めたいという衝動に駆られた。

 なんならあと100回でも1000回でもキスしたいと思った。


 だけど、それは今じゃない。


 死ぬほど歯痒いが、ここから先のすべては唯花が自分の手で掴み取るべきことだ。

 俺がするべきなのは待つこと。そして信じること。


 だから皆まで言わず応援する。


「俺にはそいつが誰なのかは分かんないけどさ」


 頬には触れない。

 頭も撫でない。

 ただ言葉だけを伝える。


「唯花の願いが叶うように祈ってる」


 返ってきたのは小さな頷き。

 外の世界に怯える心と、それを克服しようとする勇気、二つの気持ちが混じった表情。


「……ありがと」


 すっと小指が差し出された。


「あたし、頑張る」

「おう、頑張れ」


 小指を絡め、触れ合ったその一点にありったけの気持ちを込めた。


 そこからは抱き合うこともキスすることもしなかった。

 向かい合い、お互いに目を閉じて、静かに眠った。


 そして時計の針はまわっていく。

 星は巡り、月は流れ、夜の帳は上がって、そして――朝がやってきた。


 唯花の登校する朝だ。

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