第155話 キス祭り~ソウタニウムを充電中~(前編)

 窓から柔らかな夕陽が差し込んでいた。

 西日に照らされた先、壁にはクリーニング済みの唯花ゆいかの制服が掛けてある。


 今日、部屋にくる前に撫子なでしこさんから預かってきたものだ。

 これで準備は整った。


 明日、唯花は登校する。


 さて。

 運命の日を前にし、俺たちが何をしているかと言うと、ゴゴゴ……ッと睨み合っていた。


 俺はいつもの学校帰りのワイシャツ姿。

 唯花もいつものパジャマ姿……なのだが、今日のパジャマは触り心地の良い、もこもこ素材。本人曰く、ここ一番の時のためのお気に入りらしい。


 で、睨み合いながら、ベッドの上にいる。

 日本刀を構えた侍のような心境で、俺は重い口を開いた。


「宮本・唯花・武蔵よ。まだやるというのか。もう十分であろう?」

「土方・奏太そうた・歳三よ。まだじゃ、まだ足りぬ……!」

 

 ぺたんとした女の子座りで豪語する、ウチの剣豪幼馴染。


 いや俺、小次郎じゃないのかよ。

 武蔵で振ったんだからそこは小次郎にしてほしい。


 そんな要望を口にする暇もなく、唯花が二刀流もかくやという勢いで両手を広げた。


「はーい、というわけでチューして、チュー! 今宵の唯花ちゃんは血に飢えておるのだー!」


 ひらひらと両手を降り、袖が俺の頬に当たる。

 ぬう、もこもこ素材が気持ちがいい。


 しかも唯花め、ここぞとばかりに萌え袖にしておる。

 もこもこ素材で萌え袖とか倍率ドンだぞ?


「あのな、唯花? 血に飢えるのは武蔵じゃなくて近藤局長の虎徹だからな? あと血に飢えてキスせがむとかワケ分からん」


「じゃあ、今宵の唯花ちゃんは奏太に飢えておるのだー!」

「それは意味が違ってくるからな!?」


「でも間違ってないでしょう?」


 きゅるんっ、と可愛い顔で言われ、「間違ってない……のか!?」と俺、混乱。


 ちなみに唇に指を当てたぶりっ子顔。

 おのれ、あざといのに好きな子にやられると超可愛いとしか思えんぞ……っ!


「いい、奏太? 明日はあたしにとって、天下分け目の関ヶ原なんだよ?」

「例えが今度は戦国に……」


「だから今日の唯花ちゃんは腹ペコなの。エネルギーをこれでもかと吸収しなくちゃいけないの。具体的にはソウタニウムをフル充電フルチャージしなくちゃいけないのです!」

「ソウタニウムとは一体……宇宙を構成するダークマターの一種か何かか?」


「つまり――奏太はあたしにいっぱいチューして、ソウタニウムをいっぱい明け渡すのにゃー!」

「にゃにぃ!?」


 もこもこの萌え袖ぱんちで押し倒された。

 語尾からすると、猫ぱんち要素も入ってるのかもしれん。


 唯花は俺の上に陣取り、頬っぺたをすりすりしてくる。


「ふっふっふ、至福~♪」

「ぬう……っ」


 なんか俺の胸板に柔らかいものが当たっている。

 もこもこの柔らかさなのかFカップの柔らかさなのか分からなくて歯がゆい!


「奏太ぁ、ちゅー……」


 思いっきり甘えん坊の声で、唯花が顔を近づけてくる。


 しかしあと数センチ……いやあと5ミリというところで、唇に触れてこない。

 これは『奏太からして』というお達しだろう。


「ねえ、そうたぁ……」


 とろん、とした声でおねだりされた。


 ……くっ、是非も無し。


 考えてみれば、小次郎でも土方でも負けは確定なのであった。


「……仕方のないやつめ」


 照れ隠しをつぶやき、ちょん、と唇を当てた。


「はう……っ」


 ぴくっと反応し、飛び退いて離れる唯花。

 自分の唇に触れ、かぁーっと頬を赤らめる。


「……奏太があたしにチューした」

「お、お前がしろって言ったんだろーが」


「……えへへ、奏太があたしにチューした。チューしたっ、チューしたっ」

「や、やめろって。あんま大声で言うな。恥ずかしいだろっ」


「えっちー、奏太のえっちー」

「なんでえっちなんだよ!? おかしくね!? ええい、世迷言を言うのはこの口かっ」


 頬でもびよんと伸ばしてやろうかと手を上げる。

 しかし、途中ではたと気づいた。


 直前の自分のセリフがまるでキスの前振りのようであることに。


 唯花も同じことに気づいたらしい。

 俺の手が頬に触れると、小さく吐息をこぼした。


「あ……」


 バランスを崩し、こてん、とベッドに倒れてしまう。

 こっちも勢いのまま体勢を崩し、今度は俺が唯花を押し倒すような形になった。


「あう……」

「お、おお……」


 俺は目を泳がせる。


「あー、いや待て、これは……」


 とりあえず言い訳を試みようと思った。

 けれど、その前に唯花が口を開く。


 顔の横にある俺の腕、その袖を指先でちょこんと摘まみ、


「……世迷言を言う、あたしのお口」


 真っ赤な顔で、恥ずかしそうに視線をさ迷わせて。


「ひょっとして……奏太のチューで塞がれちゃうの?」


 疑問形は反則だろ!?

 あと表情がすげえいじめたくなる……!


 カッとなって、ついあごクイした。

 そのまま勢い任せで唇を奪う。


「あ……っ。あむぅぅぅっ」


 もこもこの手足が俺の体の下でジタバタする。

 しかし許さぬ。

 ソウタニウムとやらをこれでもかと注入する。


 すると唯花の指先は小刻みに震え、やがて……諦めたように俺のワイシャツをきゅっと握った。


「……ふっ、勝った」


 満足感に浸りながら、唯花を解放する。

 今のは以前に誠司せいじさんが撫子さんを負かしていた技だ。

 こんなところで役に立つとは思わなかったぜ。


 ……。

 ……。

 ……。


 ……いや何やってんだ俺はーっ!


 我に返って頭を抱えた。

 今日は防御に徹しようと思っていたのに、唯花のいじめたくなるような表情のせいでつい攻めてしまった。くそう、いかん、いかんぞ、俺。


 一方、当の唯花はと言うと、


「そ、奏太にガツガツされちゃった……」


 ぽっと頬を染め、満更でもなさそうな顔。


 ……可愛いなこんちくしょう。もう一度、誠司スペシャルをお見舞いしたくなってしまうぞ。


「……いやいや違う違う、落ち着け、俺」


 深く深呼吸し、自分を律しようと試みる。


 実を言うと、今日この部屋にきてから、俺たちはずっとこんなことをしている。


 唯花がキスをねだり、俺がなんとなく躱そうとし、でも結局キスしてしまう。

 その繰り返しだ。


 キスの回数はこれまでの4回と合わせ、通算60回を超えている。

 正確には今の誠司スペシャルで67回目だ。


 明日、唯花は登校する。

 表面上は平気な顔をしているが、不安なのは見て分かる。


 だから今日はめいっぱい甘やかしてやろうと思っていた。

 思っていたのはいいんだが……まさか数時間で60回オーバーになるとは思わなかったぞ。


「ね、ね、奏太ー。もっかいしよ、もっかい♪」


 物思いに耽っていると、唯花が寝っ転がったまま俺の膝をツンツンしてきた。


「まだやるというのか。もう十分であろう?」

「まだじゃ、まだ足りぬ……!」


 侍呼びは端折って、さっきと同じ会話が展開。

 ちなみにこのやり取りも十数回目だったりする。


 そしてまたエンドレス……になりそうになったが、ふと俺は窓の外に気づいた。


「あれ、もう日が暮れてるな」


 いつの間にか外には夜の帳が降りていた。

 すると突然、唯花が両手で俺のワイシャツをぎゅーっと掴んだ。


「やっ!」


 俺は目を瞬く。


「? やって……何がだ?」

「奏太、もう帰る気なの?」


「あー、そうだなぁ……」

「やっ!」


 さらにワイシャツが握り締められる。


「今日は……」


 唯花は拗ねた甘えん坊の表情し、潤んだ瞳で見上げてきた。

 そして囁く。

 吹けば消えるような小声で。


「……帰っちゃ、やだ」

「なん、だと……?」


 俺、戦慄。


「今日は一緒のお布団で寝てっ」

「なん、だと……っ」


「それで一晩中、ずっーとずーっとチューして!」

「なん、だと!?」


「でもチュー以上のことは絶対せずに我慢して!」

「なん、だ――いや本当になんだそれ!? 新手の拷問にしても過酷過ぎるだろ!?」


 恐ろしい話だ。

 今日の俺が防御に徹しようとしていたのは、キスし過ぎてさすがに我慢が天元突破しそうだったからである。


 俺は唯花を好き放題に甘えさせつつ、己が限界を踏み外さない、ギリギリの一線をタイトロープし続けていたのだ。


 そこへきてのお泊り。

 しかも一晩中キス。

 なのにルパンダイブ禁止。


 ……死んでしまうぞ?


 だがこっちの絶望感なぞ、まったく気にする様子もなく、唯花は当たり前の顔で言う。


「だってー、付き合ってもない男の子と女の子がえっちしちゃダメでしょ?」

「ぐっ、それはそうだが……っ」


 正論過ぎて反論の余地もない。


「けどな、いきなり泊まろうとしたって、お前のご家族の許可というものがな」


「チミは一体、何年ウチの家族と接しているのかね? あたしの勘だと二つ返事で許してくれるよ。訊いてみ訊いてみ?」


 訊いてみた。

 秒でスマホに返信がきた。


『許可!』

『了承♪』

『……僕、今日リビングで寝るから』


 見事に満場一致だった。

 俺は本気で頭を抱える。


「そうだったな、こういう家族だったな……!」


 いやまあ今回は事が事だし、俺だって実のところ、唯花が望めば朝まで一緒にいようとは思っていた。


 だがしかし!

 数時間で60回オーバーは想定外だったのだ。


 一晩中ともなれば、おそらく100を超え、煩悩の数すら追い越すだろう。

 その間、唯花の無意識の誘惑……いやぜんぜん無意識じゃないな。


 完全に意識した上、容赦ゼロの誘惑に俺は耐え続けなくてはならない。何度でも言うが……死んでしまうぞ?


 苦悶していると、唯花が黒髪を揺らして小首を傾げる。


「そんな深刻な顔しなくても奏太がお泊りするのなんて、初めてじゃないでしょ?」

「気楽に言いよるわい……」


 確かに以前も泊まったことはあるが、あの時は唯花が風邪で熱を出していた。

 さらには迂闊なことをしたら唯花が外への興味を失くしてしまう危険もあった。


 しかし今回はそんな心配が一切ない。

 となれば……。


「……唯花さんや、1,2回のルパンダイブはお許し頂けますでしょうか?」

「だめー。あたしがぜったい拒めないからだめー」

「ちくしょう……!」


 かくして、三上奏太の試練の夜が始まった。

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