最終章「ハッピーエンド」
第153話 OnYourMark-位置について-
俺は
理由があって、手には唯花の服を持っている。
あ、もちろん変な意味じゃないぞ?
部屋でのイチャイチャからエロい展開になったとかではなく、唯花自身から託されたのだ。
その辺りのことも含めて、
……と思っていたら、俺がリビングに入った途端、
「
飛び込むように抱き着いてきたので、「おっと」と受け止める。
「伊織?」
思わず目を瞬く。
伊織は泣きじゃくっていた。
俺のみぞおち辺りに額を押しつけ、声を上げて号泣している。
「おいおい、どうしたんだ一体?」
「だって! だって……っ」
本人は説明しようとしているようだが、嗚咽で言葉になっていない。
ワケが分からず、
「なあ、俺がいない間に何かあったのか?」
「いない間にというのは適当ではないかもしれない。中心人物は奏太君だからね」
意味ありげに笑ったのは誠司さん。
その横で撫子さんが口を開く。
「奏ちゃんがお姉ちゃんの部屋にいった後も私たちはちゃんと聞いていたのよ。二人の様子をね」
「え? 俺たちの様子?」
撫子さんの手にはスマホがあった。
伊織のスマホだ。
そういえば、決戦前に伊織が唯花に情報を流してたんだったな。
おかげで俺が唯花をキスで腰砕けにしようとしていたことが筒抜けになっていたのだ。
どんな方法で密告していたのか不思議だったんだが……どうやらスマホで通話でもしていたらしい。
それも唯花と伊織で。
となると、すごい進歩だ。
唯花の前身の兆しはすでに現れてたんだなぁ。
……って、いやいやちょっと待て。
「そのスマホ、一体いつの時点から繋がってたんだ?」
「僕と奏太君が腕相撲をしていた時にはすでに通話中だったみたいだね」
「ちなみについ五分前ぐらいまで通話中だったわよ。いおりんのスマホの充電が尽きて切れちゃったけど」
「五分前!? 直近も直近じゃねえか……っ」
盛大に顔が引きつった。
まさか……何から何まで聞かれてたのか? と思った矢先、唯花のファーザー&マーザーが良い顔でサムズアップ。
「グッジョブ、奏太君」
「グッジョブ、奏ちゃん」
「グッジョブじゃねえよーっ!? 俺、あんたらの娘と結構イチャコラしちゃってたぞ!? あれ全部聞かれてたのかよ!? 嘘だろ!? 嘘って言ってくれーっ!」
頭を抱えて悶絶した。
信じられない。信じたくない。
メイド姿の唯花に見惚れたり、壁ドンしたり、あごクイッしたり、恋人握りされて腰砕けになったり、過去に一回フッた話をされたり、完全に答えが分かった上で『あたし、奏太に嫌われてるのかなぁ』とか言われたり、ツインテールをツンツンしたり、イケメンっぽい口調で迫ったり、にゃんにゃんにゃんの三連撃でおでこにチューされたり、将来の夢が『唯花と海の見える家に住むこと』だと白状したり、極めて自然に『一生守る』とか言ったり、『一生守りまくってもらうつもりだからね』と言い返されたり、直球で『キスしないか?』とか言ったり、ハグしたり、キスしたり、唇ぺろりんされたり、舌入ったり、またキスしたり、膝枕したり、クシクシしたり、なでなでされたり、ちゅっちゅされたり――。
そんな一部始終をご両親に聞かれてただなんて、さすがの俺でも悶絶する。
「はっはっは、奏太君。今さら何を恥ずかしがっているんだい?」
「そうよ、奏ちゃん。ウチのお姉ちゃんに舌入れて腰砕けにするって宣言してたのは、奏ちゃんの方じゃない」
「ぐわぁぁぁ、そうだったーっ! 我に返ってみると、頭おかし過ぎて気を失いそうになる! 何言ってたんだ、俺!? どうかし過ぎだろ、俺!? 穴があったら入って地球のコアまで突き進みたい!」
さらに頭を抱え、苦悶まみれで体をよじる。
伊織が縋りついてなかったら、床を転げまわっていたことだろう。
しかしその伊織が我慢の限界と言いたげにぺちぺちと胸を叩いてきた。
「もうーっ! 奏太兄ちゃんとお姉ちゃんの無差別砂糖マップ兵器のことなんて今さらどうでもいいよっ。それより大事なのはこれからのことでしょ!」
俺の胸の叩き方が唯花にそっくりで、おーこういうところは姉弟で似るんだなぁ、と思わずほっこりしそうになった。
しかし当の伊織はそんな場合じゃないとばかりに見上げてくる。
「お姉ちゃん……外に出るんでしょ?」
会話を聞いていたということは、唯花が俺に『この部屋から連れ出して』と言ったことも当然聞いていたのだろう。
なるほどと思い、俺はゆっくりと頷く。
「ああ、そう言ってる。唯花は外に出るってさ」
途端、また伊織の目じりが潤みだした。
「う、うぅ……っ」
「泣くなよ、伊織。男だろ?」
「泣くよ! こんなの、男の子だって女の子だって泣くよ!」
珍しく大声で言い返し、伊織は俺の胸に思いっきり額を擦りつける。
「言っとくけど、家族のなかでお姉ちゃんのこと一番心配してたのは僕なんだからね? 僕は奏太兄ちゃんみたいに支えてあげることなんて出来ないし、お父さんやお母さんみたいに平然と見守るなんてことも出来ないし、ずっとずっとお姉ちゃんが心配で仕方なかったんだから……っ」
ああ、分かってる。
唯花が引きこもった時、俺たちのなかで一番胸を痛めたのは、他ならぬ伊織だ。
泣きじゃくる弟の頭を、俺は髪を梳くように撫でてやる。
「わりぃな。今まで心配かけた」
「本当だよ! まったく……!」
一見すると、実の弟の伊織が姉のことで俺に文句を言うのはお門違いに見えるかもしれない。
けど、伊織のこの行動はとても正しい。
なぜなら伊織は唯花に『心配してたんだからね』なんて文句は決して言わない。
そんな責任を姉に背負わせたりはしない。伊織はそういう弟だ。
代わりに泣き言は兄貴分の俺が受け止める。
それが兄貴分と弟分というものだ。
伊織を撫でつつ、俺は持っていた唯花の服を差し出した。
「撫子さん。これ、クリーニングに出しといてくれるか?」
「? 何かのお洗濯ものかしら……?」
服を受け取り、直後、撫子さんは息をのんだ。
「これ……」
滅多に見られない、撫子さんの本気の驚き顔。
それもそのはず、俺が手渡したのはこの一年半、誰も目にしていなかった服。
唯花の――高校の制服だ。
いつか俺に着て見せた、中学の頃のものじゃない。
正真正銘、俺と通っていた高校の制服である。
「奏ちゃん、どうしてこれを……クリーニングするの?」
「決まってるだろ? 唯花が着るためさ」
言いながらつい頬が緩んだ。
皆がさすがに唖然とするなか、俺は笑って言う。
「行けちゃいそうだから、勢いに乗って行けるとこまで行ってみたいんだってさ。実は唯花のやつ、俺と一緒に階段の下まで降りてきてたんだよ。さっきまでそこにいたんだ」
「階段の下!? じゃあお姉ちゃん、一階まで来てたってこと!? リビングの扉の向こうにいたの……!?」
涙も引っ込み、伊織が弾かれたように扉の方を見る。
「ああ、来てた。もう部屋に戻ったけどな。顔色も良かったし、一階まできても震えるような様子はなかった」
唯花の部屋で『連れ出して』と言われた、すぐ後のことだ。
俺は文字通り、唯花の手を取って、部屋の外へと連れ出した。
廊下に出ても青ざめず、階段に差し掛かってもまだまだ行けそうな気配。
ごくりと喉を鳴らし、未開の洞窟に入っていく探検隊のような気分で二人一緒に階段を下り始め、これもクリア。
一階に来て、リビングの扉の向こうに家族の気配を感じ、それでも大丈夫だったことで、唯花は『これ行けちゃうかもしれない』と大きな自信を手に入れたようだった。
さすがに無理は禁物なので一旦部屋に戻ることにし、そこで託されたのがこの制服だ。
お母さんに渡して、と。
この時点ですでにスマホの通話は切れていたのだろう。
俺の話を聞き、伊織、撫子さん、誠司さん……全員が驚いた顔をしている。
そんなみんなへ、俺は唯花の考えを伝える。
「制服がクリーニングから戻ってきたら、その翌日の朝、唯花は制服を着て、俺と一緒に学校に行く。もちろんたどり着けるかは分からないし、倒れそうになったら俺がすぐに連れ帰ってくるよ。でもとにかく唯花は決めたんだ。――部屋を出て、行けるとこまで行って、そのゴールを学校にするって」
「お姉ちゃんが学校に……」
呆然とする伊織に、俺は視線を向ける。
「伊織、お前も一緒に登校してくれ。その方が唯花も安心する」
「……っ。う、うん。分かった! もちろん一緒に行くよ!」
「あ、その時は泣くんじゃないぞ? 俺は唯花で手いっぱいだからな?」
「な、泣かないよ! 僕、そんな泣き虫じゃなってばっ」
わざと意地悪く言ってやると、伊織はゴシゴシと目じりを拭った。
「それから
「お姉ちゃんが……葵ちゃんに!?」
それは伊織にとっても特別なことなのだろう。
泣き虫な弟の表情が見る間に男らしいものへと変わっていく。
返ってきた頷きは、とても頼もしいものだった。
「分かった。葵ちゃんには僕から話をしておくね」
葵が関わると、伊織は男の顔になる。
さすが葵のヒーローだ。
そして俺はもう一人のヒーローの方を向く。
「で、次は誠司さん」
「なんだい? なんでも言ってくれ」
「誠司さんはいつも朝早く出社していくけど、その日だけは遅めにしてほしいんだ。唯花が登校するところを見届けてやってほしい。唯花もそう望んでる。構わないか?」
「もちろんさ。なんなら急な仕事が舞い込んできたりないように、会社を乗っ取っておいてもいい。愛する娘のためならそれぐらい造作もないよ」
「いくらなんでもそりゃやり過ぎだよ」
でも誠司さんなら本当にそれぐらいやりそうで、思わず笑ってしまった。
朝ちゃんには後で俺から連絡するとして……とりあえずはこんなところか。
そう思っていたら、撫子さんがどこか遠慮がちに口を開いた。
「ねえ、奏ちゃん……この制服、すぐにクリーニングに出しちゃっていいの?」
「え、なんでだ?」
「だって……」
お茶菓子を勧める時みたいな、当然という感じの口調だった。
「一晩ぐらい、奏ちゃんが持って帰って、楽しみたいんじゃないかと思って」
「楽しむか! あんた、俺をなんだと思ってんだ、マジで!?」
「え、密室なのをいいことにウチの娘にアレコレしちゃう、年頃の男の子だと思ってるけど?」
「ちくしょうぉぉっ! さっきの今だと言い返す言葉がねえ!」
相変わらずの撫子さん節が炸裂だった。
……かと思ったが、ふいに俺は気づいてしまった。
撫子さんはいつものイタズラ顔をしている。
しかし唯花の制服を胸に抱きしめているその手が……小さく震えていた。
まるで泣くのを堪えているみたいに。
撫子さんが気にしているのは……ああ、そうか、伊織だ。
……そうだよな。
娘が部屋に引きこもって、一年半。
親として心配じゃないなんてこと、あるはずない。
でも不安がっている
その緊張の糸が今、切れた。
唯花の確かな前進を感じたことで。
きっとこの後、撫子さんは泣くのだろう。
夜中、伊織が寝た後にでもこっそりと。
妻の様子を悟って、誠司さんがさりげなく撫子さんの肩を抱く。
親ってのも大変なんだな。
そう思い、俺はあえて胸を張った。
「俺はいいから、その制服は撫子さんが噛み締めてくれ。なんせ俺にはさっきまで抱き締めたりキスしたりしまくってた唯花本人の感触があるからな!」
「…………奏太兄ちゃん、家族の前でそういうこと言うの、本当にやめてくれない? お願いだからやめてくれない? さすがの僕も真剣に引くよ?」
……ぐぬう、弟分のジト目が辛い。
だが伊織の視線をこっちに引き付けることができた。
息子は母親の様子に気づいていない。
撫子さんが「……ありがとね、奏ちゃん」と小声で微笑んだ。
さて。
とにもかくにも、これで如月家への報告はできた。
あとは朝ちゃんと、生徒会長や番長たち……唯花を応援してくれる俺の仲間たちに連絡し、計画を立てるだけだ。
正直、唯花との決戦は俺の敗北だった。
完膚なきまでにやられてしまったと言っていい。
だからここは大逆転の一つでもしてみせなきゃ立つ瀬がないというものだ。
当然、やることは決まっている。
このために俺たちは待ち続けていたんだから。
如月家からの帰り道、俺はスマホにメッセージを打ち込んだ。
内容は至ってシンプル。
『唯花が学校に戻る。みんな、力を貸してくれ』
直後、数十数百の返信が嵐のように返ってきた。
怒涛の勢いで、見る間にアプリのメッセージ欄が埋まっていく。
頼もしくて嬉しくして、自然に笑みがこぼれた。
今日、唯花は部屋で言った。『怖くても恐ろしくても、それ以上に希望が溢れてるって、今はもう信じられる』と。
正直に言う。
俺にとってこんなに嬉しい言葉はなかった。
だってさ、その希望は確かにあるって、俺はずっと以前から知っていたから。
さあ見てろよ、唯花。
俺が、いや俺たちが証明してやる。
お前が信じると言ってくれた、希望。
それは確かにあるんだって、お前の心に伝えてやるからな――!
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