第143話 二階のネコさんはお怒りである

 ドンッとテーブルに打突音が響いた。

 俺は誠司せいじさんの右手の甲をテーブルに触れさせていた。


 スマホの朝ちゃんが微笑の気配と共にジャッジする。


「『そこまで! WINNERウィナー――奏太そうた!』」

 

 リビングにわっと歓声が上がる。


「やったわね、奏ちゃん!」

「やったね、奏太兄ちゃん!」


 撫子なでしこさんと伊織いおりが左右から抱き着いてきて、両手に花状態。

 いやなんか色々おかしな花ではあるが、まあそんな感じだ。


 誠司さんも笑いながら腰を上げる。


「ふふ、負けてしまったかぁ。僕ももう歳かな」

「何言ってんだよ」


 母と子を両側に張り付かせ、俺は苦笑い。


「誠司さんは左利きだろ」

「おや、気づかれてたか」


「当然。しかもみんなが俺側について応援してくれた。こんな特盛のハンデをもらってようやく一勝だ。まだまだ敵わないって思い知ったよ」


 撫子さんが「あなたもお疲れさま♪」とハンカチで誠司さんの汗をぬぐい、如月家の大黒柱は目を細める。


「それでもこの一勝はまぎれもない君の新たな一歩だ。もう迷いはないね?」

「ああ」


 俺は大きく頷いた。


「唯花が何を考えているのかはなんとなく分かる。それを尊重してやるべきだとも思う。だがそれはそれとして――男は黙って『ドン、クイ、ドンッ』だ」


 誠司さんが我が意を得たりとばかりに頷き、撫子さんも恥ずかしそうに頬を染める。


「その通りだ。一皮剥けたね、奏太君」

「奏ちゃんたら立派になって……」


「『ん? いや……え? 大丈夫か? ちゃんと分かってるのか、奏太? なんか今の意味不明な会話から嫌な予感がするんだが……。如月夫婦がこういう顔をする時はロクな展開にならないんだぞ?』」


「先生! 僕もなんだか嫌な予感がひしひしとします! ウチの両親と奏太兄ちゃんがこういう顔をする時はロクな展開になりません……っ」


 俺はフ……ッと笑みを浮かべ、伊織の頭を撫でる。なでなでと撫でる。


「大丈夫だ。俺はもう迷わない。伊織、お前にも色々と心配かけたな」

「いやむしろ今も心配かけられてる最中なんだけど? 奏太兄ちゃん、本当に平気?」


「もちろんだ。思い出せ、今日の議題は『あざとくなった唯花にどう対抗すればいいか』だったろ? その答えを俺は得た」


「うわぁ……もうその前フリが嫌な感じだ。でも一応聞くよ。その答えってなに? ……って、あっ! ちょっと待って! まだスマホが繋がってるんだった……っ」


 なぜか伊織が手のなかのスマホを見て慌てだすが、俺の迸るパッションは止められない。

 宙に向かって熱く右手を振り上げる。


「――決戦だ。俺はこれから唯花ゆいかの部屋にいく。そして」


 キラッと瞳を輝かせて宣言。


「めちゃくちゃキスをする!」

「いやなんで!?」


 どんがらがっしゃーん!


「舌も入れる! これでもかと入れてやる!」

「いやどうして!?」


 どんがらがっしゃーん!


 なぜか伊織のツッコミと同時にどこからともなく騒音がした。


「……また近所のネコが騒いでるのか?」

「いや違うから! これ近所のネコじゃなくて、身内のお姉ちゃんネコ……ああ、ごめん、ウソ。なんでもない。言ったらどうなるか分からないから、やっぱり言わない……っ」


「『……如月。先生にはお前の苦労が分かるぞ。痛いほど分かるぞ』」

「先生ぇ……!」


 なぜか朝ちゃんと伊織が心を通わせているなか、俺は颯爽と身を翻す。

 向かうのはリビングの扉。その先に俺の戦場がある。


「じゃあ、いってくる」


 肩越しに背後を振り向いて。


「誠司さん、撫子さん……俺は今日、如月四天王・序列三位を倒す。いずれ一位と二位にも挑むから、首を洗って待っててくれよ」


 決戦に赴く戦士の気持ちで告げると、誠司さんは妻の肩を抱き寄せ、撫子さんも身を預け、二人は寄り添いながら見送ってくれる。


「その日を楽しみに待ってるよ、奏太君」

「頑張ってね、奏ちゃん。今のあなたならきっと唯花にも勝てるわ」


「いやおかしいよね!? お父さんもお母さんもなんでそんな『旅立つ主人公を見送る義理の両親』みたいな顔してるの!? あの人、今からウチのお姉ちゃんにすごいことするって宣言してるんだよ!? ……いやまぁ、僕も本心では『あー、うん、2人がイチャイチャするのはいつものことだし、好きにすればいいよ』とは思ってるけども!」

「『分かる、分かるぞ如月……!』」


 ああ、そうか。

 伊織は電話のためにリビングの外に出てたから、さっきの誠司さんと撫子さんのちゅぱムーブを見てなかったな。だったら俺の宣言に首を傾げるのも仕方ない。


 ここは一つ、分かりやすく伝えよう。

 俺は足を止めた。


「伊織」


 ぽんっとその頭を撫でて、笑みを向ける。


「今まで心配かけたな。ちょっくら今から――」


 すっと横を通りながら告げる。


「――ヒーローになってくる」

「あ……」


 その一言で、うるっと伊織の瞳に涙が浮かんだ。

 言葉ではなく、心が伝わったと分かった。


「ず、ずるいよ、奏太兄ちゃん。そんなこと言われたら、僕だって……もう見送るしかないじゃないか」


 ごしごしと目じりをぬぐい、伊織は俺の背中へ叫んでくる。


「……頑張れ、奏太兄ちゃーん! よく分かんないけど、僕も応援してる!」


 途端、伊織のスマホから誰かの声が響いた。


「『……ちょ、伊織!? ……なん……主人公を……送る……義理の弟……みたいなこと言っ……るのーっ!?』」


 はて? 妙に聞き慣れた声だ。なんか毎日聞いてるような気がする声だぞ。

 しかし距離があったのでちゃんとは聞き取れなかった。


 ともあれ、俺はいく。

 リビングを出て、そのまま二階の階段へ。


 唯花は今、気持ちが外へと向き始めている。

 そのなかで俺に頼り過ぎていると感じているのだろう。


 だから『奏太も人間なんだから』と言った。

 ヒーローじゃなくていい、自分のことを考えてもいいと言った。


 けどな。

 俺はお前のヒーローだ。

 どこへいこうと、何をしようと、めちゃくちゃ頼っていいんだよ。


 それを分からせる。

 誠司さんが撫子さんを腰砕けにしたように、徹底的に分からせるのだ。


 今の唯花はかつての力を取り戻し、さらなるパワーアップを果たして、アルティメットすら超えている。


 だが俺も覚醒した。

 この手が真っ赤に燃え、勝利を掴めと叫んでいる。

 今日、俺は唯花に勝利し、真のヒーローになる。


 つまり――決戦だ!




              ◇ ◆ ◆ ◇




 あたしは本日何度目かのどんがらがっしゃーんをやらかし、ベッドの下に倒れている。


 パジャマがよれよれになり、頭にはぬいぐるみがいくつも乗っかり、お布団も吹っ飛んでしまっていた。


「か、か、か、家族の前でなんてこと宣言してるの、あの男はーっ!」


 ゴロゴロ転がって羞恥に悶える。


 め、めちゃくしゃキスするって!

 し、しかも舌も入れるって!

 一体、どういうことなのーっ!?


 この家は防音レベルがあちこちおかしい。

 伊織の部屋からは会話が筒抜けだし、リビングで大声を出すと、あたしの部屋まで響いてきたりする。


 今日も何度かそんなことがあった。


 最初は奏太がいきなり『俺は唯花とお家デートしたんだ!』と叫んでいた。

 当然、あたしはどんがらがっしゃん。

 あの男はそんな宣言を、誰に、なぜしているのかと。


 次は伊織が『僕は葵ちゃんの家でお家デートしたことがあるんだよ!』と叫んだ。

 当然、あたしはどんがらがっしゃん。

 何それいつの間に!? お姉ちゃん、詳しく細かく聞きたいよ!


 そんなわけで、さんざん迷ったけど、勇気を出して伊織にお電話してみた。

 

 おかげで知った、驚愕の真実。

 リビングでは何やら奏太があたしに勝つため、伊織やお母さんに相談をしていたらしい。

 

 ふふふ、愚かな奴め。

 アルティメットすら超えた現在の唯花ちゃんに奏太が勝てるわけがないのです。


 ……とは思いつつ、軍師は石橋も叩いて渡るもの。

 通話状態のまま、伊織をスパイとしてリビングに送り込んでみた。


 スピーカーモードじゃなかったから、みんなの会話はあんまり聞こえなかった。

 でも奏太の謎の宣言だけはよく聞こえたよ!


 一体、なんなのかね、あれは!

 キスしたり、舌入れたりするって!


 しかも止めようとしてた伊織もなんかコロッと寝返っちゃたし!

 『主人公を見送る義理の弟』みたいなこと言って、なんか奏太を応援してたし!


 ……くっ、でもしょうがない。


「伊織は序列四位。奴は所詮、四天王のなかでも最弱……奏太の不思議時空に巻き込まれても致し方なし」


 あたしは気持ちを切り替え、颯爽と立ち上がる。


「くくく、奏太め。せっかくお家デートの時は見逃してあげたというのに、命知らずな奴なのです」


 そう、奏太には万に一つも勝機はない。

 なぜならお家デートで寝ちゃった時、あたしは奏太にキスしちゃう寸前までいった。


 それを寛大な心で見逃してあげたというのに、今さらあたしに勝とうなんて、周回遅れ。そんな状況、こっちは4000年前に通過している。


 何やらウチの家族にキス宣言したようだけど、あたしと奏太ではレベルが月とすっぽーんなの。


 そう、家族の前で宣言したからって……。

 うん、家族の前で……。


「う、うにゅう……」


 かぁぁぁっと頬が熱くなってきた。

 やっぱり床にゴロゴローっ!


「もーっ! なんでお父さんやお母さんに言っちゃうの!? あんなこと言ったら普段から部屋でそういうことしてるみたいじゃない! もーっ! もーっ! もーっ!」


 もう許さない!

 再び立ち上がって、しゃきーんっと決意する。


「トサカにきた! そっちがその気なら――」


 ギラッと瞳を輝かせて。


「――あたしの方から滅茶苦茶チュウしてやるんだから! 奏太にはぜったいさせない! あたしがする! 唇ペロリとかもしちゃうんだからーっ!」


 奏太が何考えてるのかは知らないけど、格の違いというものを見せつけてやる。

 つまり――決戦なのです!




              ◇ ◆ ◆ ◇




 奏太は二階への階段を上り始め、唯花は部屋で待ち構えている。


 かくして戦いの火蓋は切られた。

 これより始まるのは勝利以外は許されぬ、非情な戦い。


 勝者は相手の唇を手に入れ、敗者は容赦なく唇を奪われてしまう。


 長き眠りより目覚めしヒーロー、三上奏太。

 アルティメットを超えた完全体の美少女ヒロイン、如月唯花。


 互いに自身の殻を破り、その戦闘力はこれまでの人生で最強の状態。

 もはや待ったなし。


 17年の幼馴染生活史上、最大の決戦が今、始まる――!




                       次回更新:3/6(金)予定

                       書籍1巻:絶賛発売中!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る