第140話 誠司の帰還
――おっぱい揉む?
我々男子にとって、これほど魅惑的な言葉もないだろう。
二つ返事で頷きたい。なんならルパンダイブで押し倒したい。
しかしそれは惚れた女に言われた時の話だ。
惚れた女の母親に言われたら戸惑いしかねえですよ!
「な、ななななななに言ってんだよ、
俺は仰け反った。
しかしすぐにソファーの肘当てに背中が激突。逃げ場がない。
一方、セーター姿の撫子さんは前屈みで猫のようにしなやかに近づいてくる。
「だって
唯花を遥かに超える、超巨乳が揺れている。
前屈みになったことで見た目のボリュームは倍になり、右に左にバウンドしてすごいことになっていた。
しかも本人曰く、ノーブラだ。
もうワケが分からない。
「元気になんてならねえよ!? 我々男子をそんな即物的な生き物とは思わないで頂きたい!」
「あら、大きな声。やっぱり元気になってるじゃないの。安心して。撫子さんが奏ちゃんをもっと元気にしてあげる」
「話が通じねえ! 止めてくれ、朝ちゃん! 撫子さんのこういう暴走止めるのはきっと朝ちゃんの役目だろ!?」
「『……不本意だが、確かに学生時代から私の役目だった。コラ、撫子先輩! いい加減にしないと、私も怒りますよ!?』」
「ごめんね、朝ちゃん。今回は私も真面目に言ってるの。――通話、切るわね」
「『なっ!? ちょっと待って下さい! それに私の話はまだ終わってない! 実際のところ、唯花の真意は――』」
ピポン、と電子音が鳴り、通話が切られた。
撫子さんがテーブルに手を伸ばし、スマホの通話終了ボタンを押したのだ。
「邪魔者は消えたわ」
「言い方が怖い!」
撫子さんはすでに俺へ覆い被さりかけている。
大迫力の胸が目の前にあった。
あと数センチで俺の顔に触れてしまうほどだ。
「マ、マジで何考えてんだよ、撫子さん……っ」
無理やりソファーに沈み込み、おっぱいから距離を取ろうともがく。
そんな俺を撫子さんは見つめてくる。
「だって……今回はちょっと本当に奏ちゃんに悪いことしちゃったと思ってるの。だからちょっとぐらい、奏ちゃんに八つ当たりさせてあげなきゃ……って」
「ワケが分からんし、とりあえず撫子さんのなかで『三上奏太の八つ当たりがおっぱいを触ること』って図式は本気でどうにかしてくれ!」
「違うの? だって子供の頃はいつも触りたがってたじゃない」
「だから子供の頃の話だろ、それは!」
「……私にとっては奏ちゃんは今も子供よ」
ふいに頭を撫でられた。
美しい指が髪をかき分け、愛おしそうに撫でてくる。
「だからこそ……そうね、いつか朝ちゃんに言われた通りだわ。私はこんな子供に……重たいものを背負わせ過ぎたのかもしれない」
その一言が心の外壁をひっ掻いた。
胸に小さい痛みを感じ、乾いた声がもれる。
「……どういう意味だよ、それ」
「私はね……」
髪を撫でられ続ける。
なぜだろう。とても優しい手つきなのに、心がざわつく。
「……奏ちゃんに任せておけば、全部大丈夫だと思っていたの。唯花がどんなに道に迷っても、どれだけ部屋にこもっていても、奏ちゃんがそばにいれくれれば必ずまた前を向ける、って。私も奏ちゃんのことを……唯花のヒーローだと思っていたのよ」
長いまつ毛が揺れ、撫子さんは目を伏せる。
「……でも違ったのかもしれない。唯花の言うことも一理あると思うの。奏ちゃんはどこにでもいる普通の男の子だったのかもしれない。考えてみれば、ウチのお父さんのような人がそうそういるはずがないものね……」
……待ってくれ。
なんでそんなことを言うんだ。
なんでそんな哀しそうな顔をするんだ。
「最初はね、いつもと違う今日のあなたを見て、朝ちゃんに渇を入れてもらわなきゃと思ったの。でもさっきのあなたの表情を見て思い直したわ……」
さっきの俺の表情。
朝ちゃんから『唯花はもうヒーローじゃなくて大丈夫だよ、と言っている』と告げられた時の表情か。
俺はそんなにひどい顔をしていたのか……。
「奏ちゃん」
とても哀しそうに撫子さんは告げる。
「もしあなたがずっと無理をしていたのだとしたら、もう普通の男の子になっていい。唯花の言う通り――ヒーローなんて夢から醒めていいのよ」
「……っ」
胸が軋んだ。
掻きむしりたいほど、心が痛んだ。
ショックだった。
撫子さんはいまだに俺が勝てない相手だ。
俺よりずっと強い人だ。
そんな撫子さんがまるで……俺を諦めるような物言いをした。
これが優しさなのは分かってる。
俺のことを思った上での言葉だってことも理解している。
それでも動揺した。
もしかして唯花も同じように思ってるのかもしれない。
撫子さんと同じように、俺への後ろめたさが生まれたのかもしれない。
だとしたら。
そうだとしたら俺は……っ。
視界の端でスマホが点灯しているのが見えた。
撫子さんのものではなく、俺のスマホだ。
朝ちゃんがアプリから連続でメッセージを送ってきていた。
「『奏太! 撫子先輩の言葉に耳を貸すな!』」
「『言ったろ!? 如月家の魔性が良い方に働けば、人を成長させ、悪い方に働けば、ダメ人間を製造する。お前は今、撫子先輩からそれを食らってるんだ!』」
……ああ、なるほど。
これが朝ちゃんの言ってた、如月家の魔性か。
確かに……これはキツい。
俺を想う撫子さんの気持ちが心をガリガリ削ってくる。
唯花が相手ならば、俺もなんとか拮抗できる。
でもより強大な撫子さんとなると……崖っぷちだ。
頭では駄目だと分かっているのに、精神がガラガラと崩れていく。
このまま撫子さんに優しく抱かれでもしたら、きっと俺は立てなくなる。
「『その場から離脱しろ! デコピンの一つや二つはやっていい! 私が許す! 今のお前では撫子先輩には太刀打ちできない! 急いで逃げるんだ……!』」
……わりぃ。無理だよ、朝ちゃん。
だって撫子さんの言葉は間違ってない。
俺はずっと『自分はヒーローじゃない』と言い続けてきた。
唯花や撫子さんの言葉はそれを肯定してるだけなんだ。
俺自身がずっと俺を否定し続けてきた。
そのツケが今、まわってきたんだ。
「撫子さん……」
「おいで、奏ちゃん。撫子さんが慰めてあげる」
めいっぱい手を広げて、女王が微笑む。
もう抵抗できなかった。
きっとその胸に包まれれば、何もかもどうでもよくなってしまうのだろう。
それはそれは甘美な感覚に違いない。
優しい手が俺の後頭部に触れ、ゆっくりと持ち上げていく。
そうして抱き寄せられながら、虚ろな目でつぶやく。
ああ、結局……。
「俺はヒーローになれなかったな……」
「――それはどうかな?」
突然、大人の男の声が響いた。
同時にリビングの扉が勢いよく開く。
春風のような爽やかな空気が一瞬にして吹き込んだ。
撫子さんが「えっ」と驚いて体を起こし、俺の目も釘付けになる。
そこに予想外の人物がいたから。
「僕が娘を託したのは、心に愛がある少年のはずだよ、奏太君」
思わず嗚咽がこぼれた。
「……っ」
まるで子供の頃のあの海のように、その人は颯爽と現れた。
まるで羽ばたきのように揺れめくのは、高級なビジネスコート。
颯爽と着こなしているのはオーダーメイド品のシングルスーツ。
整髪料で固められた髪は美しく波打ち、ネクタイはその心根を表すように真っ直ぐに伸びている。
「少し前に
朝ちゃんの下の名前を言い、スマホを軽く掲げてみせる。
慌てふためくのは撫子さん。
「そんな!? 一体、いつの間に連絡なんて……!?」
「『甘いですよ、撫子先輩。私が何年、あなたの相手をしてると思ってるんですか』」
スマホからは朝ちゃんの声が響いた。
「『こんな時のために私はスマホを二台持ちしている! 撫子先輩から電話がきた時、すでにメールでエマージェンシー・コールをしていたんです!』」
「そんな……っ!」
撫子さんが悲痛な声を上げ、同時にコートの裾が翻される。
「というわけだよ。撫子、君の暴走もここまでだ」
春風のような空気を身にまとい、「奏太君」と鮮やかに微笑む。
そしてもたらされるのは、あの日と同じ力強い言葉。
「もう大丈夫だよ」
「……っ」
冷え切っていた胸が熱くなった。
その人の名は、如月
如月四天王・序列一位にして。
俺の――子供の頃からのヒーローだ。
次回更新:2/26(水)予定
書籍1巻:3/1(日)発売
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