第135話 部屋とあたしと奏太にゃん①

 ゴゴゴゴゴ……ッ!

 聞こえる、恐ろしげな効果音が確かに聞こえてくる。


 俺は床に尻もちをつき、唯花ゆいかの頭を撫でていた。


 何を思ったか、『強くなってくる』とか言い放って、唯花が廊下に飛び出し、階段をちょっと下りて帰ってきたからだ。


 ほんのわずかな間、唯花は半泣きで俺に撫でられていた。

 だがすぐに涙は引っ込み、四天王が覚醒するような効果音が聞こえ始めた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 ゆっくりと顔が上がっていく。

 キランッと瞳が輝いた。


「奏太、覚悟はいいかにゃー?」


 待て、覚悟なんてまったく出来てない。

 そもそもこれから何が起こるのかすら予測できてないんだぞ!?


 しかし必死の抗議は受け付けてもらえなかった。

 言葉として発するより早く、唯花が動いたからだ。


 素早く体を起こし、ネコさんパジャマのポケットに手が突っ込まれる。


奏太そうたを生贄にして特殊召喚!」

「俺を生贄にするのか!?」


「出でよ、イエローイヤーズ・レッドにゃおーん!」

「もう元ネタの原型がねえよ!?」


 ノリノリでポケットから取り出されたのは――ネコミミカチューシャ!?

 通常のカチューシャにモフモフな黄色のネコミミが付いている。


 唯花はそれを大きく振り上げて、


「融合!」


 俺の頭へセットした。


「なぜにっ!?」


 戸惑いの言葉は当然のように黙殺。

 唯花はシャキーンッと格好つけて解説する。


「奏太を生贄にしてイエローイヤーズ・レッドにゃおーん(ネコミミ)を特殊召喚、さらに両者を融合することにより誕生したのが汝なり。三千世界に名を轟かせ、そのかわゆさを後世に知らしめる者、汝の名は――『奏太にゃん』!」

「奏太にゃん!?」


 そんな名を三千世界に轟かせたくねえし、まかり間違っても後世に知らしめたくねえよ!?


「ふっ、油断していたわね、奏太にゃん。あたしは変身を二回残していると事前に通告しておいたはずなのだぜ?」


「変身って俺がするのかよ!? 勘弁してくれ、ショッカーに改造された1号のような気分だ……っ」


 ネコミミをパイルダーオンされた状態のまま、俺は羞恥心にやられて顔を覆う。

 一方、悪の大首領のごとき唯花にゃんは「くっくっく……」と笑いながら軽くよろめく。


「正直、ノリで融合させたけど、奏太にゃんめ、これほどの破壊力とは……っ。恥ずかしがってる姿がすごくかわゆい。かわゆさが膝にくる。油断すると倒れてしまいそうです。あたしはとんでもないものを創り上げてしまったのかもしれない……っ」


「お前今、ノリでって言ったか? 俺はノリでこんな辱めを受けているのか!? 謝罪と賠償を要求したい!」


「まあまあ、とりあえず『にゃー』って言ってみて。甘えた声で『にゃー』って。ぜったい可愛いよ?」

「誰が言うか、ぜったい可愛いわけあるか」

「にゃー♪」

「そりゃお前は可愛いけども!」


 ネコのように丸めた右手で頬をうりうりされて、思わず叫んだ。


 くっ、わざわざニクキュー手袋じゃない素手の方でやるところがポイント高い。

 手袋のモフモフに慣れてきた頃だったから人肌の感触が新鮮である。


 って、そんなことはどうでもいい!


「お前は一体何をどうしたいん――」

「設定を申し上げまーす!」


 ぬう、話してる途中でカットインされた。

 完全にペースを握られている。


 まだ床に座っている俺を見下ろし、ネコさんパジャマ姿の唯花は腰に手を当てた。


「唯花にゃんは奏太にゃんのお姉にゃんなのです!」

「お、お姉にゃん? え、なに……俺、弟なの?」

「なのです!」


 頷くと同時に再びしゃがみ込んできて、目の前にちょこんと正座。

 にっこり笑顔を浮かべ、両手を開く。


「だから好きに甘えていいんだよー?」

「な……っ」


 ほれ、ハグされに来い、とばかりに手をひらひらしてくる。


 なんという甘い誘惑。

 ネコさんパジャマだから可愛さも倍率ドンだ。


 正直、かなり心が惹かれる。

 だが俺が唯花にハグされるなんて、それこそ伊織いおりに心をやられた時くらいだ。


 逆に言えば、心がまともな時に出来ることじゃない。そんなことしたら恥ずかしくて恥死してしまう。


「今は奏太じゃなくて奏太にゃんだから気にしなくて大丈夫だよー?」

「ぐ……っ!?」


 まるで心を読んだように言い、袖をクイックイッと引っ張ってくる。

 なるほど、俺に心の言い訳を与えるための奏太にゃんだったわけか。


 しかしネコミミ付けて好きな女に甘えるとか、完全にどうかしている! 男として断じてありえん!


 カムバック、久々の理性さん!

 全力稼働で俺の心を支えてくれ!


「とぉーっ!」

「え、奏太が立った!? いや跳んだーっ!?」


 俺はネコ型怪人になった気分で素早く離脱した。

 華麗なジャンプで床を蹴り、ベッドに着地。同時に断固として告げる。


「そう思い通りにはいかないぜ、唯花にゃん! お前が俺に甘えるのは良し! だがその逆は断じてありえぬ!」

「なるほど、緊急離脱で物理的に距離を取ってきたか。やるわね、奏太にゃん。でもだったら……」


 鈴をチリンと鳴らして、すっと立ち上がる。


「……お遊びはここまでよ」

「なんだと?」


 全力で警戒する俺へ、唯花はフッ……と笑う。


「唯花にゃんと奏太にゃんで対峙すれば、状況が拮抗するのは分かっていたわ」

「……? だったらなぜ俺を奏太にゃんに改造した!?」


「決まっているでしょう? この先に本命の作戦があるからよ」

「本命の作戦……っ?」


 ゾワッと背筋に悪寒が走った。

 久々に聞く、唯花の頭良さげなキャラっぽい喋り方。


 かつて唯花が学校で猛威を振るっていた頃、撫子なでしこさんにも似ているこの口調が出る度、俺は大抵窮地に追い詰められた。


 だからこそ戦慄する。

 本当に今以上に恐ろしい作戦を用意しているというのか……!?


 チリンチリンと鈴が音を立て、唯花は自身のパジャマに手を掛けた。


「残していた二回の変身のうち、一回は奏太にゃんに。そして最後の一回はアルティメット唯花にゃんに。この変身によってあたしは――」


 すっぽり被るタイプだったネコさんパジャマがいきなり脱ぎ捨てられた。


「――如月唯花に戻る」


 バサァッとパジャマが宙を舞った。

 その下から出てきたのは。


 ノースリーブのブラウス。

 短めのミニスカート。

 しましまのニーソックス。

 首にはワンポイントのチョーカー。


 それは唯花の私服姿だった。


 メイドさんや巫女さんのようなコスプレではない。

 幼妻のようなキャラを入れ込んだものでもない。


 ありのまま、あるがままの如月唯花の姿だった。


「ゆい、か……」


 脳がぐわんぐわんと揺れる。

 投げ捨てられたパジャマが俺に当たり、受け止められることなくベッドへ落ちた。


 脳はまだ揺れている。

 私服姿の唯花から目が離せない。


 懐かしい姿。

 なんのキャラ付けもされていない、当たり前の格好に心が鷲掴みにされた。


 そうだ。

 今でこそ唯花と、パジャマと、この部屋が不可分になっているが、もっと以前、引きこもっていない幼馴染に会いに来ていた頃、唯花は俺の前でこういう格好をしていた。


 ……ちくしょう、完全にやられた。これなら下着姿でも出てきた方がまだマシだった。


 濁流のような感傷にやられて口を開けないでいると、唯花がナイショ話のように設定を語る。


「奏太にゃんはあたしが飼っているネコさんです」


 スカートを揺らし、自分の唇に人差し指を当てる。

 ネコだから喋れないんだよ、と念押しするように。


「この部屋には今、人間さんはあたししかおりません」


 ふと窓から陽射しが差し込んだ。


 光が幼馴染を照らす。

 まるで空から祝福されているように、きらきらと。


 思い出すのは、唯花が初めて小説を書き上げた時のこと。

 あの時、彼女を照らしていたのは月の光だった。


 けれど今度は明るい陽の光。

 唯花の心は確実に太陽の下へと向かっている。


「今日は奏太にゃんにだけ、あたしのヒミツを教えてあげるね?」


 そうして唯花は言った。

 かつての中学時代のように、俺がどう対処したらいいか分からず大混乱になるようなことを。

 

 陽の光をスポットライトのように浴びて。

 両手を背中側で組んでちょっと前屈みになり。

 花が咲くように微笑んで。



「あたしね、好きな人がいるの!」



 反射的に「……っ」と息をのんだ。

 だがこっちのリアクションなんてお構いなし。

 唯花は小首を傾げ、顔を覗き込んでくる。


「……ねえ、誰だと思う?」


 文字通り言葉もない。

 奏太にゃんは顔を真っ赤にして狼狽えた――。



                        次回更新:2/11(火)予定

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