第130話 如月家・家族会議!(父代理:朝ちゃん)Ⅰ

 さて前回に引き続き、コーヒーが美味い。

 俺と撫子なでしこさんは優雅にマグカップを傾けている。


 ちなみに伊織いおりは崩れるようにソファーへもたれかかり、しくしくと泣いていた。


「あああ、お母さんに知られちゃったぁ。いじられる、これからは奏太兄ちゃんみたいに木っ端微塵になるまでお母さんにいじられるぅ……っ」

「伊織。……飲むか?」


 慰めに飲みかけのコーヒーを差し出す。

 弟分は半泣きで首を振った。


「……いらない。僕、ブラック飲めないもん」

「まあ、そう言わず試しに飲んでみろ」


 促され、伊織はマグカップを受け取った。


 ちびりと少しだけ飲む。

 するとすぐに子犬みたいな雰囲気で顔をしかめた。


「……にがーい」

「それが大人の味だ」


 これから伊織には様々な苦難が訪れるだろう。主に撫子さんから。


 時には涙し、己の無力を嘆く日もくるかもしれない。主に撫子さんのせいで。


 それでも歯を食いしばって立ち向かっていくのだ。撫子さんの尋問に。


 ブラックなコーヒーは新たなステップに到達した大人の味である。

 伊織には是非とも噛みしめてほしい。


「お母さん、お砂糖ちょうだい。たっぷり、いっぱい、どばどばと」

「はいはい。たっぷり、いっぱい、どばどばー」


 角砂糖がどばどばと投入された。

 ……物の見事に台無しだな!


 哀しい気持ちで黄昏ていると、撫子さんが角砂糖の瓶を置いて「さて」と微笑んだ。

 なんかやべぇ笑みだった。


「それじゃあ、奏ちゃんの相談を聞きましょうか」

「なん、だと……?」


「最初から今日はそういうお話だったでしょう? 相談の内容はお姉ちゃんがあざとくなって困ってる、ってことだったかしら?」


「や、もういいんじゃないか? ほら、伊織と葵の件が発覚とかもあったし、俺の件はまた後日ということで……」

「駄目です」


 ギンッと視線を鋭くしたのは伊織。


「奏太兄ちゃん、さっき言ったよね? 僕が葵ちゃんとのおうちデートのこと話したら自分も何か話すって。今がその時だよっ」

「くっ、しまった……っ」


 確かに俺はそんな迂闊なことを口走っていた。

 

「し、しかしなぁ……」

「何を躊躇ってるのさ。お姉ちゃんとのおうちデートの件はノリノリで語ってたよね?」

「いやあれとは違うんだよ、なんつーか……」


 どうにも歯切れ悪く口ごもる。


 普段の唯花ゆいかの可愛さならいくらでも喋れる。

 さすがに母親の撫子さん相手には抵抗があるが、伊織にだったら一晩中語って聞かせることもやぶさかではない。


 しかしここ数日の唯花は違うのだ。

 なんか主導権取られっ放しで、その上……。


「最近の唯花は妙にお姉ちゃんパワーが増してるというか、もういっそ唯花の部屋にずっと住んでいたくなるほどの包容力があるというか……」


 伊織が「結局、またノロケ……」とげんなりした――と同時、突然、撫子さんが向かいの椅子から乗り出してきて、俺の肩をガシッと掴んだ。


「ちょっと待ちなさい。奏ちゃん、今、自分が何を言ったか分かってるの?」

「へ?」


 意味が分からず、俺はぽかんとする。

 一方、撫子さんは――真顔だった。今まで見たことがないくらい、真剣な顔だ。


「……今日の奏ちゃんは最初から少しおかしかったわ。まさかとは思っていたけど……今の言葉で確信した」


 すると伊織が「……あ」と小さく声を上げる。


「奏太兄ちゃんがお姉ちゃんの部屋に住むって……それ、お姉ちゃんがもう部屋から出てこなくてよくなっちゃうってこと?」


「そうよ。普段の奏ちゃんなら間違っても口にしない言葉だわ」

「は? いやいや待て待て」


 俺はそんなつもりで言ったわけじゃない。

 しかし口にする前に撫子さんが言葉をかぶせてくる。

 なんかものすげえ真剣な顔で、ものすげえ謎だらけの言葉を。


「奏ちゃん、あなた今、唯花に腑抜ふぬけにされかけてるわ!」

「はあ!?」


 分からん、撫子さんのテンションがさっぱり分からん。


 しかしこんなに焦った女王は見たことがない。

 やおら立ち上がったかと思うと、撫子さんはテーブルに置いてあった自分のスマホを掴む。


「私じゃ適切な対処ができない。お父さん……はまだ仕事中よね。だったら朝ちゃんに頼るしかないわ。――二人ともそこに座って待ってなさい」


 俺たちにそう言い渡し、撫子さんは窓際へ移動して、何やら電話を掛け始める。

 まったくワケが分からないが、どうやら朝ちゃんに連絡を取るようだ。


 伊織がソファーの隣で目を瞬く。


「えっと……奏太兄ちゃん、お母さんが言ってる『朝ちゃんさん』ってだれ?」


 もっともな疑問だった。

 伊織が生まれた頃には朝ちゃんはもう如月家や三上家に出入りしてなかったからな。


「お前の担任の朝ちゃん先生のことだ」

「え? なんで今お母さんが朝倉先生に電話するの?」

「や、それは俺にも意味不明だが……」


 とりあえず京都で朝ちゃん本人に教えてもらったことを口にする。


「撫子さんと、お前の親父さんの誠司せいじさん、それから朝ちゃんは――学生の頃からの付き合いで、幼馴染みたいなもんなんだと。俺や唯花のオムツも変えてくれたことがあるらしい」

「な、なにそれ!? 僕、知らないよ!?」


「無理もない。俺もついこないだまで忘れてたくらいだ。それにお前が生まれた頃ぐらいに朝ちゃんが今の中学に赴任することになって、『いつか子供たちが入学した時、ちゃんと教師として接せられるように』ってあんまり家には顔を出さないことにしたそうだ」


 あの人はサバサバしているようで、その実、すごく情が深いからな。

 子供たちをちゃんと導くために『知り合いの美人のお姉さん』ではなく、教師としての顔を選んでくれたのだろう。


 今思えば、俺だけではなく朝ちゃんの陰からのサポートがあったからこそ、中学時代の唯花は無事に学生生活を過ごすことができたのだと思う。


 俺は朝ちゃんには一生頭が上がらない。

 本当に良い人だから、早く誰か嫁にもらってやってくれねえかな……!


 それはさておき。

 なんで撫子さんがこのタイミングで朝ちゃんに連絡を取るのか、意味が分からない。


 京都帰りにもかかわらず、朝ちゃんはちゃんと電話に出たらしく、今も窓側では深刻なムードで会話が続いている。


「……ええ、そう……そうなの……あの時と同じみたい……でも奏ちゃんは朝ちゃんと違って男の子だから………ああ、やっぱりそうよね……」


 チラッとこっちを見て、何やら頷いている。

 そして撫子さんが固い表情で戻ってきた。


「朝ちゃんよ。直接、話してくれるって」

「……? あー、うん、分かった」


 通話中のスマホが差し出されたので、とりあえず受け取った。

 耳に当てると、伊織も反対側から身を寄せてきて、密着状態でスマホに耳をそば立てる。


「もしもし、朝ちゃんか? なんなんだ、一体?」

「『三上、よく聞け。単刀直入に言う。お前は今――如月姉に去勢されかかっている』」


「…………」

「…………」

 

 俺と伊織、二人分の無言が空気を氷漬けにした。


 今、なんて?

 脳がまったくついていかないぞ。


 しかし朝ちゃんの声は真剣そのものだ。


「『いいか? 如月家の女性は魔性の女だ。それが良い方向に働けば、人を飛躍的に成長させる。だが悪い方向に働けば、ただただ甘やかし、可愛がり、ぐっだぐだなダメ人間の出来上がりだ』」

「えーと……」


「『事実、これはここだけの話だが……誠司先輩と出逢う前、撫子先輩が私に興味津々の時期があった』」

「あー……」


 確か、昔は小中高一貫の女子高で、朝ちゃんが撫子さんのことを『お姉さま』とか呼ぶ仲だったんだっけか?


「『その時、私は撫子先輩無しではひとりで風呂もトイレもいけないようなダメ人間になっていた』」


「あの朝ちゃんが!?」

「あの朝倉先生が!?」


「『――!? 今、如月弟の声がしなかったか!?』」

「あ、わりぃ。俺の横でがっつり聞いている」


「……ご、ごめんなさい、先生」

「『~~っ』」


 電話の向こうで悶絶してる気配が伝わってくる。

 そうだよな、卒業した俺と違って、伊織とはこれからも毎日学校で会うもんな。


 すまん、朝ちゃん。

 まさかこんな爆弾発言が出るとは思わなかったんだ……。


「『と、とにかく……すでに前兆は出始めている。お前は如月姉によって、ダメ人間街道を進み始めてしまっているんだ』」


「待ってくれ。そんなことにはなってないぞ。俺はいつも通りだし、唯花だってちょっとあざとくなっただけだ。だから――」


「『判断はこちらでする! まずは話せ。ここ数日、お前たちがどんなふうに過ごしているかを』」

「どんなって……」


 参った。

 生徒の前で朝ちゃん先生に謎の暴露をさせてしまったし、もう話さなくては収まらない雰囲気だ。


「……本当にそこまで大したことは起こってないぞ?」


 そう前置きし、俺は最近のあざとくなった唯花の様子を話し始める――。



                         次回更新:1/27(月)予定

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