第129話 初めてのカノジョとお家デート

 ごふっ、と俺は心で吐血した。

 同様に撫子なでしこさんはキッチンで笑い過ぎて屍になっている。


 近所のネコに至ってはトリガーハッピーになってしまったのだろう。音が天井の方から聞こえていたから、獲物を求めてこの家の屋根に上ったに違いない。


 如月きさらぎは戦場と化していた。

 完膚なきまでに死屍累々だった。


 原因は言うまでもない。

 あおいの部屋でおうちデートをしたことがある、という伊織いおりの遊星爆弾発言のせいである。


 このままでは地球の海が蒸発してしまうぞ。

 イスカンダルへいって地球を浄化しなくては。


「い、伊織……」


 俺は残された力を振り絞って立ち上がり、リビングのテーブルをぺちぺち叩く。


「詳しく」

「え?」


 目をぱちくりする我らの弟分。

 こちらは無表情でテーブルをぺちぺち。


「葵とのおうちデートの内容を詳しく」

「なんで!? な、なんで詳しく語らないといけないのさ……っ」


「そうしないと『僕らの青い地球』が蘇らないからに決まってるだろ!」

「意味が分からないよ!? 僕が遊星爆弾でも落としたっていうの!?」


 分かってるじゃないか。

 さすが俺の弟分だ。


 しかし伊織は根本的なことに気づいていない。


 ……今のおうちデート発言はすでに撫子さんに聞かれてしまっている。


 このままではすぐに根掘り葉掘りの撫子祭りが始まってしまうだろう。

 防ぐ手段は一つだけ。致命傷になる前にこちらからある程度、情報を開示することだ。


 そう、これは伊織のためなのである。

 決して俺が『マジか!? 嘘だろ!? どういうことだよ!? 詳しく! 詳細を詳しく!』と思っているわけではない。決してない。まったくないぞ?


「ほれ、きりきり白状しろ。お前が言ったら俺もなんか話してやるから」

「いや奏太兄ちゃんの話はもう十分聞いたよ……」


 伊織はぽてっとソファーに座り直す。

 俺もその横に座ると、弟分は宙を見ながら口を開いた。


「んー、でも本当に大したことは何も起こってないよ? 修学旅行前で、まだお互いふわふわしてた頃だし」


 ほー、現在はもうふわふわせず、ぴったりしっくりくる関係だと?

 からかいたい気持ちがむくむくと湧いてきたが、グッと堪えて先を促す。


「それでそれで?」

「しいて言えば、部屋に入った時にわたわたしちゃったことくらいかな。ちょうど僕も葵ちゃんも学校が帰りだったんだけど……」


 伊織は何か思い出したのか、ちょっと赤くなって話し出す――。



              ◇ ◆ ◆ ◇



 葵ちゃんのおうちは手芸屋さんをやってる。

 その日はお父さんが店番をしていて、お母さんは買い物中。


 僕は小学校の頃からお店に通っているから、お父さんにご挨拶をして二階に上がらせてもらった。


 制服姿の葵ちゃんが階段を上り、僕もその後に続く。


「な、なんかごめんね? いきなりお邪魔することになっちゃって……」

「ううん。わ、わたしも分からない問題あったし、宿題は二人でやった方がはかどると思うし……」


 お互いなんだかぎこちない。

 僕らはクラスが違うけど、今日はたまたま数学で同じ宿題が出た。


 帰り道でそれが分かり、じゃあ一緒にやろうという話になったのだけど……。


「僕の家があんな環境じゃなきゃ、ウチでやるっていう選択肢もあったのに……本当ごめんね」

「それは伊織くんのせいじゃないよ……」


 二人で遠い目になった。

 ウチは落ち着いて宿題のできる環境じゃない。


 なぜなら隣の部屋から絶えず不可視の砂糖が投下されてくるから。

 僕はもう慣れたけど、普通の神経だったらぜったい宿題なんて進まない。葵ちゃんをそんな地雷原に連れていくわけにはいかなかった。


 というわけで、こうして葵ちゃんのお部屋にお邪魔させてもらうことになった。

 

 もちろん清く正しく宿題をするつもりだよ。

 僕は奏太兄ちゃんとは違うからね!


 ただ、やっぱり緊張はしてしまう。


「えっと……ここがわたしの部屋」


 階段を上りきると、止まったのはすぐ正面の扉の前。


 葵ちゃんが肩越しにチラッと振り向く。

 頬っぺたが少し赤い。そしてぽつりと。


「今日は……おうちデートだね」


 そう言われた瞬間、心臓が飛び出しそうになった。


「う、うんっ!」


 声が裏返りそうになったけど、なんとかすぐに返事ができた。

 葵ちゃんは「あは」と照れたように笑い、ドアノブに手を掛ける。


「少し待っててもらってもいい? 部屋片づけたいの」

「も、もちろん! いくらでも待つよ!」

「ごめんね、すぐ済ませるから」


 葵ちゃんが足早に部屋のなかへ入り、扉が閉じた。

 僕はドキドキが鳴りやまない心臓を押さえる。


 びっくりした……いきなりあんなこと言うなんて。


 おうちデート。

 その通り、今日は僕と葵ちゃんの初めてのおうちデートだ。


「しっかりしよう。彼氏の僕がしっかりしなきゃ。楽しいムードを作って、きちんと宿題もして、それから……奏太兄ちゃんとお姉ちゃんみたいな非道徳的な感じにはならない。よし、頑張るぞ」


 そうして決意を固めていると、ふいに扉の向こうから葵ちゃんの声がした。


「お、お待たせしました。もういいよ?」


 僕はドキドキしながらドアを開ける。


「し、失礼しま――あ」


 その瞬間、息をのんだ。

 葵ちゃんが制服ではなくなっていたから。


 真っ白なワンピース。

 要所々々にレースの飾りがついていて、ひらひらしたスカートの感じも可愛い。

 肩にはオシャレなカーディガンも羽織っている。


 一目で分かった。

 これは葵ちゃんのとっておきのデート服だ。


 きっと手芸屋さんのお父さんとお母さんが作ってくれたんだろう。


 でも恥ずかしがり屋の葵ちゃんはなかなか外に着ていくことが出来なくて……今日、おうちデートをするってことになって、ついに袖を通して見せてくれたんだ。


 そんな事情が一瞬で分かるくらい、葵ちゃんの表情は期待と不安でいっぱいだった。


 柔らかそうなスカートを摘まみ、吹けば折れてしまいそうなほど、か細い声で言う。


「……どう、かな?」


 僕は――とっさに返事ができなかった。

 あまりにドキドキしてしまっていたから。


「あ、えっと……っ」


 言い淀んだ。

 その焦りが顔に出てしまった。


 途端、優しい葵ちゃんは、はっとした顔で背を向ける。


「ご、ごめんなさい! 変なこと訊いて……わたしちょっと舞い上がっちゃってたみたい。き、気にしないで。早く宿題しようっ」


 傷つけてしまった、と分かった。

 違う、違うんだよ。

 僕が言い淀んでしまったのは、変な意味じゃなくて……っ。


「葵ちゃん!」


 自分の通学鞄を投げ出す勢いで手を伸ばし、細い手首を掴んだ。


 手のひらを握るのはまだ恥ずかしくて。

 でもちゃんと伝えなきゃと思って。


「い、伊織くん……?」


 葵ちゃんが振り向く。

 その目じりは涙でわずかに光っていた。


 きっと奏太兄ちゃんだったら、当たり前のような顔で涙を拭ってあげられるんだと思う。

 でも僕にはまだできない。


 だからせめて――大きな声で正直に伝えたい。

 

「か、可愛いですっ!」

「ふぇ!?」


「すごく可愛くて心臓止まっちゃうかと思った! だ、だからすぐには言えなくてっ、でも本当に本当にすごく可愛いです! こんな可愛い彼女がいてくれて……ぼ、僕は彼氏として幸せですっ!」


 言った。

 ちゃんと言えた。


 葵ちゃんの頬っぺたが見る見る染まっていく。


「……あ……あ……」


 そして赤い顔で俯くと、


「ありがとう、わたしも嬉しい……」


 小さな声でそう言い、嬉しそうに笑ってくれた。

 僕も顔が熱くなってしまう。


「こ、こちらこそ、ありがとう。可愛い葵ちゃんを見せてくて……」

「わたしなんて、そんな……」


「可愛いよ。本当に、これはぜったい。僕、ここは譲りません」

「……ありがとう」


 そうして向かい合いながら、しばらくお互いにもじもじして動けなくなった。

 宿題に取り掛かったのはそれからだいぶ経ってから。


 恥ずかしいけど、でもとっても幸せな時間だと思いました――。



              ◇ ◆ ◆ ◇



「……ってことがあって。あ、もちろん宿題は終わらせたし、夕ご飯の前には帰ってきたよ? ……って、奏太兄ちゃん? 聞いてる?」


 伊織が怪訝な顔をするが、すぐには返事ができない。


 ……俺はソファーの背もたれで仰け反っていた。


 ガッテム。

 こやつめ、修学旅行の前からわりとイチャイチャムードじゃねえですか。

 それでなんであんな騒ぎになるんだってばよ……。


 ……まあ、伊織が一度フラれたのは、葵が他人の視線を気にし過ぎてたことが大きいからな。家のなかっていう密室だと自分を出しやすかったのだろう。


 しかし逆に考えると、このいちゃこらカップルが覚悟完了して今後は野に解き放たれるんだよな……やれ恐ろしい話じゃわい。


「はい、奏ちゃん。濃ーく淹れたブラックコーヒー。いるでしょう?」

「ありがとう、撫子さん。ちょうど欲しいところだった」

 

 撫子さんがすっと横に現れ、マグカップを手渡してくれた。

 助かった。これで我が軍はあと10分は戦える。


「あれ? お母さん、そのコーヒー、僕のだよね!?」

「伊織よ、今のお前にコーヒーを飲む資格はない」

「お母さんも今は奏ちゃんの味方かなー」


 恐ろしいほどのさりげなさでソファーの向かいの椅子に座る撫子さん。

 伊織も遅れて気づいたようだ。


「……え、あれ? え? え?」


 目を見開いて驚愕する。


「お母さん、今の話聞いてたのーっ!?」


 なぜか今回の叫びでは近所のネコは騒がなかった。

 不思議だ。まるで俺たちの驚きと連動してるかのようである。


 とりあえず。

 ……ふう、コーヒー美味い。



                         次回更新:1/24(金)予定

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