第91話 市民曰く、これは革命前夜である

 拝啓。

 三上みかみ家の父上様、母上様へ。

 お二人が子供を放ったらかして海外へいってしまってから、どれくらいの月日が流れたでしょうか。


 まあ、盆と正月には帰ってくるし、事前連絡無しの弾丸帰国もしょっちゅうなんで、実はわりとどうでもいいんだが、それはともかく。


 俺はそろそろお婿にいけない体になってしまいそうです。

 具体的には心がぼっきり折れそうです。


 これでも学校じゃそこそこ最強無敵で通っているのに……好きな子には手も足も出なかったよ。


「くくく、やっと大人しくなってきおったな。い奴め」

「うぅ、もう勘弁しておくんなまし……」


 唯花ゆいかが悪漢のようににやりと笑い、俺はさらわれた町娘のようにほろりと涙する。


 現在、唯花は俺に馬乗り中。

 で、俺はくんかくんかの刑に処されていた。


 抵抗することもできず、やられたい放題。こんな姿、両親はおろか学校の奴らには絶対に見せられない。


「まったくもう」


 唯花はぐったりしている俺の胸をぺちぺちと叩く。


「意地を張らずに素直に白状すればいいものを。あたしだって別に奏太が他の女の子に手を出した、なんて疑ってるわけじゃないのだぜ?」

「ないのだぜ、とか言われても……。最初は思いっきり疑ってただろーが。『一体どこの女よ』とか言ってたし」


「それは致し方なし。あんな状況でいつもと違う匂いがしたら、誰でも『なん、だと!?』ってなるのです」

「ぬう……」


 まあ、確かにさっきはエロいことする寸前だったからな。

 他の女子を連想させる匂いなんて、確かに御法度かもしれん。


 あといい加減、俺の上からどいてほしい。

 胸とウエストに続いて、そろそろお尻の柔らかさの良さに目覚めてしまいそうなのです。

 率直に言うと、ふにふにしてて、すごい気持ちいい。

 まあ、それはともかく。


「俺が他の女子に心を開いた匂い……だっけか? そんな匂いがするようなこと、本当に覚えがないぞ?」

「ほんとー?」


「ウソついてる匂いがするか?」

「くんか、くんか! ……んー、しない」


「だろ?」

「でもあたしの女の勘が外れるとも思えぬ。自分の胸に手を当ててよく考えてみるがよい」

「そう言われてもなぁ……」


 実際、昨日から今日にかけて、女子絡みで何か変わったことなんて起きてない。

 それこそ唯花とエロいことしそうになったくらいだ。


「じゃあほら、奏太ってば身内に甘々だし、そっち方面は? たとえば……あっ、三上家のおじさんとおばさんに子供ができたとか! 妹ちゃん爆誕! みたいな!」

「あほか! ウチの両親いくつだと思ってんだ!? 今さら子作りなんてされてたらグレるぞ、俺は!?」


「むむう、妹じゃないのかー」

「当たり前だ。妹なんていきなり出来るわけ……」


 ……んん? 

 待てよ……妹?


 ……。

 …………。

 ………………あー。


 やべえ、謎がすべて解けた。


「奏太? どったの? 顔が青白いぞよ。さては……何か心当たりがあったのね?」

「……や、待ってくれ。今、審議中」


 遅まきながら、俺はようやく気づいた。

 唯花の言っている、俺が心を開いた女子、それは――あおいだ。

 そうです、新たに爆誕した義妹いもうとです。


 この三上奏太、痛恨の極み。

 完全に義妹認定してたから、逆に気づけなかった。


 だが、ここまではいい。

 異端審問でひどい目にあったが、この際良しとしよう。

 問題はここからだ。


 俺が葵を義妹扱いし始めたことを唯花に話すのは……セーフなのか?

 もちろん、やましいことうんぬんの話じゃない。


 俺が『おはようからおやすみまで美少女の幼馴染なんちゃら教』の隠れ教皇なことは、唯花も実際のところ分かっている。

 だからこそ、異端審問がくんかくんかの刑ぐらいで済んだのだ。


 しかし真面目な話、葵の件には別の問題がある。

 以前、伊織が壁越しに『カノジョが出来ました』と伝えてきた時のこと。

 唯花は弟の成長をとても喜んでいたが……同時に淋しさも感じていた。


 この部屋の外ではちゃんと時が流れてて、いつの間にかみんなに置いていかれちゃうのかも――と、そう言って、淋しそうに笑っていた。


 おそらく唯花にはまだ『星川ほしかわ葵』という少女への実感はない。

 なんせ会ったこともなければ、姿を見たこともないからだ。壁越しの声を聞いて、伊織の一人二役だと思ってたくらいだしな。


 そんな状態で、俺が葵を義妹と思って心を開いたと話したら……ますます外の変化を感じてしまうかもしれない。唯花の淋しさをさらに深めてしまうかもしれない。


 マズいな。どうする? 唯花を傷つけずにこの場を乗り切るにはこれはどうすればいい……?


 そう、必死に考えていると。


「奏太」


 突然、頬を両手で挟まれた。


「なんか過保護な匂いがするよ」

「え?」

「あたしのために何かウソつこうとしてるでしょ?」

「く……っ」


 先回りして気づかれてしまった。

 厄介だな、女の勘!


「あんまりあたしを舐めないよーに」


 そう言って、唯花はやおら立ち上がった。

 黒髪をひるがえし、俺と対峙するように距離を取る。


「あたしだってずっと奏太におんぶにだっこされてるだけじゃないんだからね!」


 だって、と部屋の隅を手で示す。


「筋トレしてるし!」

「1キロのダンベルでな?」


 シリアス空気を無視して思わずツッコんでしまった。

 いや今のは唯花のフリが悪いだろ?

 だって部屋の隅のダンベルは1キロだし、それすら1日目で動けくなったし。

 

 しかし唯花は何やら自信ありげに豪語する。


「あたし、地道に強くなってるから! 奏太が何を隠そうとしてるのかは知らないけど、大概のことにはもう耐えられるから! たとえば、今の話の流れを鑑みて……」


 唯花はぐぐっと拳を握り締める。


「実は妹爆誕がウチの如月きさらぎ家だったなんてことでも驚かない! 今でもお父さんとお母さんが夜中にギシギシアンアンしてる気配はよくあるし!」

「おおい!? 後半の情報いらないだろ!? 日常的にお前の両親と会ってる俺の気持ちも考えてくれ! これからどんな顔して親父さんとお袋さんに会えばいいんだ!?」


「大丈夫! 奏太のコミュ力ならなんとかなる!」

「ならねえよ!? 一方的な気まずさ大爆発だよ!?」


「とにかく! それぐらいあたしは大丈夫ってこと! 何かあるのなら話して!」

「いや微塵も説得力が感じられないんだが……っ」


 俺は頭を抱えながら立ち上がる。

 確かに如月家に第三子爆誕なんて話に耐えられるなら、葵の件も余裕だろう。しかしこっちも伊達に長年幼馴染をやってない。


 唯花が強がってるのが手に取るように分かる。

 俺の様子から、これが外の変化に関する話だと気づいているのだ。


 葵の件を聞いたら、もちろん喜びはするだろう。『葵ちゃんって、あたしの義妹にもなるよね!?』ってテンション爆上がりするのは間違いない。

 でも心の隅では……外にまた一つ変化があったことに落ち込むはずだ。


 確かに俺も多少過保護かもしれない。

 けれどやはり話すのはまだ早い。


 決めた。

 絶対に話さん。そしてシリアス空気にもさせん。


「唯花」


 俺は顔の前で手のひらを開き、ビシッと格好いいポーズ。


「この話はお前にはまだ早い! 俺は全力で誤魔化していくことをここに誓う!」

「なん、ですって……!? 」


 唯花は戦慄。


「あたしに甘々の奏太がここまで頑なに……!? そこまでのことなの!?」


 だがすぐにはっと気づいた顔をして、ぐぬぬとうなる。


「いや違う……っ。これはただの過保護! あたしがその隠し事に耐えきれないと思っているんだ。つまりはあたしの筋トレの成果を舐めているんだ! ――ならば!」


 人差し指を突きつけ、唯花は不思議なバランスの格好いいポーズ。


「ぜったいに言わせる! どんな手段を使ってでも、何を隠してるのか言わせてみせるんだからーっ!」


 両者の視線が火花を散らす。


 葵を義妹認定したことを話さないと誓った、俺。

 その秘密を白状させようとする、唯花。


 ここに異端審問の時代は終わりを告げた。虐げられていた民は立ち上がり、革命の時代が訪れる――!



 

 そして。

 この革命を遠因として、俺の弟分・如月伊織の人生は大きく変わることになった。

 後年、伊織の中学で語り継がれることになる、修学旅行の義妹いもうと革命――如月姉弟の怒涛の数日間――の幕開けである。

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