第89話 姫様曰く、カードがないなら理性を捨てればいいじゃない

 さて、ファミレスを出て、俺は如月きさらぎ家にやってきた。

 伊織いおりあおいは駅前の商店街をぶらぶらしてから帰るそうだ。放課後デートってやつだな。まったく、若い奴らは羨ましい。


 で、如月家の階段を上り、廊下を歩いていると、スマホにメッセージがきた。

 表示を見ると、葵だった。

 ファミレスでパフェを食べ終わった後、メッセージアプリのアドレスを交換したのだ。


『奏太兄ちゃんさん。今日はごちそうさまでした』


 おー、律儀な奴だな。

 そう思い、メッセージを返そうとしたところでふと気づいた。

 

 今、葵は伊織と一緒にいるはずだ。

 たぶんベンチで一休みでもしてる時に、俺にお礼を言っておこう、という話にでもなったのだろう。


 が、わざわざ伊織がそばにいる状態でメッセージを送ってきたということは、これはもう葵からのフリである。


「ふっふっふ、なるほど、そういうことか。やれやれ、義妹想いのお兄ちゃんに感謝するがいいぞ」


 意図に気づき、俺は素早くメッセージを返した。

 ちなみに三人でアプリ内のグループを作っておいたので、会話は伊織にも表示される。


『いいってことよ。そういや隣町のファミレスにリバーブロー・パフェってのがあるらしいぞ』

『えっ、リバーブロー・パフェ!? すごく肝臓に効きそう!』


 思った通り、即座に葵は乗ってきた。

 俺がでまかせで言ったリバーブロー・パフェなんてワケ分からんものにもノーツッコミである。


『興味あるか?』

『あります! でも……きっとお高いんでしょう?』


『馬鹿言うな。財布の心配なんてしなくていい。俺のおごりに決まってんだろ』

『え~、どうしよう。でもリバーブローは見てみたいし、じゃあ……おごられちゃおう、かな?』


 と、葵がいきそうな気配を見せた途端、伊織が瞬時にカットインしてきた。

 我慢して成り行きを見守っていたが、とうとう堪え切れなくなったという雰囲気だ。


『僕がおごるからーっ! 奏太そうた兄ちゃんなんかに頼まなくていいよっ! 葵ちゃんには――彼氏の僕がおごります!』


 ズキューンッ!

 はい、『彼氏の僕』頂きましたーっ!


 俺は廊下の真ん中で身悶える。

 葵も今ごろ最高に身悶えているだろう。隣に伊織本人がいるはずだから、その威力は倍率ドンだ。


 ……いやぁ、本当いいな、これは。

 それに新しい感覚だ。伊織から『奏太兄ちゃんなんか』なんて言われたら、以前の俺なら三日は立ち直れなかっただろうに、今はまったくノーダメージ。むしろもっと伊織をからかいたい。


 ま、いきなりやり過ぎても可哀そうだしな。

 今日はこんなところだろう。

 

 俺はさっきのファミレスで手に入れた『コークスクリューちゃん』のスタンプを送って会話を終了する。パフェに挑戦した客限定でもらえるスタンプだ。


 俺が送ったのは、判定負けしたコークスクリューちゃんの『致し方なし……』というスタンプ。


 すぐに葵が返してきたのは、コークスクリューちゃんが夕日に歩いていく『いずれ再戦を』というスタンプ。


 伊織が間髪を容れず送ってきたのは、ファイティングポーズのコークスクリューちゃんの『むっきーっ!』というスタンプ。


 ……今さらだが、コークスクリューちゃんってなんなんだ、一体?


 まあ、それはともかく。

 俺もそろそろ目の前の問題に向かい合わねば。


 視線の先には唯花ゆいかの部屋。

 深呼吸を一つして、扉をノック。


「唯花。き、来たぞー」


 やべえ、初っ端から噛んでしまった。

 プチへこみしつつ、俺は部屋に入る。


「……い、いらっしゃい、奏太」


 唯花も噛んだ。

 なんかお互いの緊張感が相乗効果を出してしまっている気がする。


「えと、今日は遅かったね?」

「ああ、わりぃ。ちょっと寄り道してて」


 唯花は珍しく勉強机に座っていた。ノートパソコンが置いてあるから、ゲームか小説を書いていたんだろう。


 しかしなぜか窓の方を向いている。

 思いっきり腰を捻って、体全体で俺から目を逸らしていた。


 ……なんで明後日の方を向いてるんだ、って言ってみるか? いやそれも藪蛇になりそうだな……。


 ここは慎重になるべきところだ。

 というのも昨日、俺と唯花はついに胸に触れる寸前までいった。……のだが、途中で伊織が帰ってきて、中断。以後、気まずさ大爆発になっている。


 唯花が挙動不審になるのも無理はない。

 むしろ変につついたら、気まずさが連鎖爆発しかねない。ここは詰将棋のように慎重に事を進め、いつもの空気を取り戻さねば。


 唯花も同じことを考えているのだろう。

 思いっきり後頭部を見せたままだが、いつも通りっぽい会話をしようとする。


「寄り道って、ひょっとして唯花ちゃんに何かお土産があるのか……にゃー?」


 にゃーの語尾がやたら甲高い。

 子猫属性の唯花にゃんらしからぬ無理やり感だった。


 で、ひっそり頭を抱える俺。

 うん、そうだよな、ここでお土産の課金カードがあったらなんとかなるよな。


 でも、ないのだ。

 そのお金はコークスクリューのねじれの渦に飲み込まれてしまったのです。


「……あ、わりぃ。お土産は……ない」

「え、ないのっ? 寄り道は?」

「……伊織とパフェ食ってただけ」

「使えぬ奴め」

「面目なし」


 お土産がないだけで『使えぬ奴』扱いとはなかなか理不尽。

 だが今回は事が事なので全面的に仰る通りだった。


 俺はうな垂れながら通学鞄を置き、ブレザーを俺用ハンガーに掛ける。

 すると。


「だ、だったら……しょうがないなぁ」


 唯花がやや仰々しく、ため息をついた。

 相変わらず体の向きは窓の方を向いたまま、肩をすくめる。


「じゃあ、罰としてあたしの肩揉んで」

「カタモンデ……? ガイコツ魔人なんかが封じられてる地下の墓所か?」

「それカタコンベ。『罰としてあたしの地下の墓所』って意味分からないでしょーが」


「いや課金カードを買ってこなかったペナルティで、埴輪として埋められてしまうのかと」

「奏太埴輪は面白そうだから悪くはないやも。けど古墳のなかってWifi通ってなさそうだから、あたしのお墓としてはノーさんきゅー」

「自分が王族扱いで埋葬されることに疑問はないんだな……」


 さすがワガママお姫様である。

 しかしニート・オブ・ニートの唯花はコリとは無縁の生き物である。


 以前にマッサージしようとした時なんか、全身ふにゃふにゃで戦慄させられた程だ。

 

「あ。奏太が『お前、肩凝ってないだろ』って顔してる。失礼な」

「いや顔は見えてないだろ。お前、こっち見てないんだから」

「見なくても分かるもん」


 うん、俺も頬っぺた膨らませてるのが分かる。

 見なくてもハムスターみたいになってるのが一目瞭然だ。

 唯花はぺちぺちぺちーっと机を叩く。


「今日は机で小説書いてたら肩凝ったのっ。凝り過ぎてコリッコリで岩清水みたいなのっ」

「岩みたいに凝ってるって言いたいんだろうけど、岩清水は『岩の間から出てる水』だからな? それだとコリが無さ過ぎて、むしろ液状化しちゃってるからな?」


「もういいから、はーやーくー!」

「へいへい」


 ツッコみも程々に俺は勉強机の方へいく。

 何を考えているのかは分からんが、とりあえずパジャマの肩に手を掛けた。


 気持ちいいくらい、ふにゃっとしている。

 やっぱり微塵も凝ってない。


 だがそんなことは、もはやどうでもよかった。

 どうでもよくなるくらい、俺が触れた瞬間、唯花の体がビクンッと跳ねたのだ。


「にゃうん――っ!?」

「はっ!? 唯花っ!?」


 俺は驚いて覗き込む。

 そしてさらに驚愕した。


 パジャマの胸元が第二ボタンまで空いている。

 おかげでふるっふるの谷間が丸見えだった。


 しかもビクンッと跳ねた影響で、Fカップの巨乳が右に左にむにゅんむにゅんっと揺れまくっていた。


 脳内のスーパーコンピューターが瞬時に事態を把握する。

 ノーブラだ!

 しかも第二ボタンまでオープンのノーブラなんて初めてだ!


「唯花っ、お前、なにゆえにそんな無防備な格好を……っ!?」


 上擦った声で訊きつつ、スーパーコンピューターは動き続ける。

 明後日の方を向いていたのは、胸がこの状態だったからだろう。

 窓の向こうは空しかないので、ご近所的にも問題はない。


 しかも唯花の顔はすでに上気していた。

 真っ白な肌に朱が差して、どうしようもなく色っぽい。


「だって、しょうがないじゃない……奏太が課金カード買ってきてくれないんだもん」


 肩に置いた俺の手に、手を重ねてくる。

 思わず生唾を飲んでしまいそうになった。


 そうか、つまり……唯花も気まずさ大爆発をどうにかする方法を考えていたのだろう。


 その方法とは、昨日伊織の帰宅で中断したことを――再開すること。


 俺が課金カードを買ってきていたらそれで良し。背中を向けたまま、ボタンをつけて何食わぬ顔をすればいい。


 けれど俺はパフェを食べたせいでカードを買ってこなかった。ゆえに……こうなった。


「……い、いいのか?」

「何を?」

「何って……そんな胸元開けてたら、さ、触るぞ?」

「……好きにすればいいじゃない。……奏太のえっち」


 照れた様子でぷいっと顔を背ける。

 やばい、最高に可愛い。コークスクリューを打つまでもなく世界一だ。


 だが……さっき伊織をからかったせいだろうか。

 イタズラ心がむくむくと首を上げ、言わなくていいことを言いたくなってきた。


「なあ、唯花。もしかして……」


 触れ合った手がとても熱い。

 まるで微熱に浮かされるようなこの体温は、俺が入ってきたこの2,3分で生まれるようなものじゃない。


「……お前、昨日からずっと俺に触られること考えてた?」

「――っ!」


 ただでさえ朱に染まっていた頬が、さらにボォッと赤くなる。図星のようだ。

 もはや涙目。唯花は「うぅ~っ」とイヤイヤをする。


「もうっ、それは言わない約束っ」

「残念ながら、拙者、そのような約束をした覚えはない」

「しょ、しょうがないでしょー! だって、だって……っ」


 唯花は空いてる方の手で自分の体をかき抱く。

 無防備な胸がさらにむにゅうと押し上げられる。


「昨日は本気の奏太にやっと触ってもらえるかもと思って、心臓壊れちゃいそうなくらいドキドキしたのっ。でも途中で寸止めされちゃって……そんなの、もう寝れるわけじゃないじゃないっ。今日だって朝からずっと頭のなかぐるぐるしちゃって、どうしようもなくって……っ」

 

 もう聞いてるだけでクラクラしてきた。

 しかし唯花の言葉は続く。

 だって、とさらに体をかき抱いて。


「あたし、えっちなことはぜんぶ奏太に任せるって決めてるんだもん! だから自分じゃどうしようもできなくて……っ」

「唯花……っ」

「朝からずっとおかしくなっちゃいそうだったんだよ……?」


 俺の手をきゅっと握り締めて、唯花はこちらを見上げた。

 そして上目遣いでお願いしてくる。


 もう限界の限界というような潤みきった瞳で。

 すがりつくように。



「体が熱いの。助けて、奏太ぁ……っ」



 スーパーコンピューターは大爆発した。

 見事に木っ端微塵だ。


 ああ、もう無理だ。

 好きな女にこんなエロ可愛いこと言われて、我慢なんぞできるか。

 いやむしろ我慢などする気はない。


 燃え盛る炎のなかで、理性さんが手を差し伸べる。

 もうゴールしてもいいよ、と。


 俺のなかに昨日の奇跡が再び舞い降りる。

 天に昇りかけている理性さんと、檻に封じられている本能が手を取り合った。

 理性と本能が一体となり、俺にウイニングロードを指し示す。


 決めた。

 スーパー押し倒す。


「唯花ーっ!」


 赤ずきんちゃんは目の前。

 もはやダイブをする必要もない。もうメチャクチャにしてやろうと決め、オオカミさんは腕を伸ばす。


 今までありがとう、理性さん。

 待たせたな、本能。

 それから……ちゃんとハッピーエンドの背中を見せてやるぞ、葵。


「――あ」


 だが次の瞬間、予想だにしないことが起きた。

 唯花が一瞬で真顔になったのだ。


「奏太から他の女の子の匂いがする」

「へ? や、お前何を言って――ぷぎゅるぅ!?」


 キス寸前だったところへ、盾のようにかざされたノートパソコン。

 勢いがついたまま、俺は見事に激突。そのままずりずりと床に崩れ落ちる。


 は、鼻がぺしゃんこになった気がする……が、それどころではない。

 本能が告げていた。

 

 何かとてつもない方向に……流れが変わった、と。


「奏太~?」

「な、なんでせうか……?」

「今から異端審問ね♪」


 ものすげえ怖い笑顔。

 いや異端審問って極刑確定じゃねえか!

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