第85話 我が手はブラジャーのその先へ
現在、
こぼれかけたFカップを押さえ、微動だにできない状態だ。
俺はその背後でブラ紐を引っ張っている。
……なんかこれだけ聞くと、俺がとんでもない変態行為もしくは痴漢行為をしているように聞こえるが、無論そんなわけはない。
我は倫理と道徳の化身、
筋肉痛で動けない唯花に代わり、ピンクのブラジャーをつけ直そうとしているのだ。
しかし事態は難航していた。
紐が変に伸びるので、狙いが定まらず、上手くホックをつけられない。
それどころか紐を引っ張る度、ものすごく柔らかい感触が間接的に伝わってきて、頭がおかしくなりそうだった。
右手の紐を引っ張ると、ふよんっ。
少し戻すと、ふよよんっ。
左手の紐も引っ張ると、ふよんっ。
少し戻すと、ふよよんっ。
試しに両方の手を引っ張ると、ふにゅう。
同時に戻すと、ふるるんっ!
で、その度に唯花が我慢しきれないというような甘い声で「んン……っ」と吐息をこぼす。
正直に言おう。
誰か助けて!
今にも暴走してしまいそうです!
脳内で絶叫しながらも、理性さんを火あぶり鞭打ちで働かせ、俺はどうにか踏み止まっている。
が、そこに唯花のこのセリフである。
「すっごい焦ってる……奏太、なんか可愛い♪」
思いっきり顔が引きつった。
だ、誰のために苦労してると思ってんですかね、こやつはーっ!
これは目にもの見せてやらねばならん。
俺は歯をギリギリさせ、わざと紐を強めに引っ張った。
「天誅!」
「やん……っ」
ピクンッと唯花の体が反応した。
どうだこやつめ、思い知ったか!
唯花が肩越しに振り返る。
しかしその表情はまだ余裕をキープしていた。
「……やだもう、優しくないなぁ。照れちゃったの?」
「く……っ」
「お、悔しそうな顔。こんなことで唯花お姉ちゃんを慌てさせられると思ったのかな?」
「お姉ちゃんモード発動中か。なんて厄介な……っ」
これはマズい。
慌てさせてやろうと思ったのに、むしろこっちがさらに追いつめられそうだ。
というのも引っ張り続けている紐がとてつもない感触なのだ。
胸がブラのカップに合わせて、窮屈そうにムニムニしている。その反動が指先へダイレクトに伝わってくる。
「ひ、卑怯なり、如月唯花! 我が軍は決死の覚悟でブラ紐を強めに引っ張ったのだぞ!? 驚いて『キャーッ』とか『エッチっ』とか叫ぶのが人情であろうが!」
「あ、とうとうワケの分からないこと言い始めた。これは相当追いつめられてる時の奏太だね」
「冷静に分析するんじゃねえよ!? こっちが武士口調で喋ってんだからちょっとは乗ってきて頂きたい!」
「えー、だってぇ。慌ててる奏太、可愛いんだもん。もっといじめてあげたくなっちゃう♪」
「Sか! お前、Мだって言ってなかったか!? あれは偽りだったのか!?」
「可愛い奏太があたしのSを呼び起こしたのかもしれませぬ。時にMはSとなり。時にSはМとなる。そうやって世界はまわっているのです。そうやって宇宙世紀は始まったのです」
「МとかSで世界を語り始めたーっ!? あと宇宙世紀関係ない! MとSのモビルスーツで言いたくなっただけだろ、絶対!」
「そういえばブラつけ直す前にジェル塗った方がよくない? 一度つけちゃったら、背中塗ってもらえなくて背筋痛いまんまになるよ?」
「そういやそうだなーっ! 出来れば早めにそれ言ってほしかったな! 額からキュピーンってテレパシー出して、瞬時に教えてほしかったな!」
颯爽とブラ紐から手を離し、俺はバックステップ。押さえつけられていたFカップが解放され、唯花が「おわっと」と胸を慌てて支える。
そんな仕草に内心さらに追いつめられながら、「無心無心……」とつぶやき、俺は壁際のスプレー缶を拾う。さっき唯花に飛ばされていたのだ。
ジェルを手のひらに出し、再び唯花の後ろで床に座る。
「塗るぞ。冷やっとするかもだけど、声出すなよ?」
「冷やっとしないように塗ってほしー」
「無茶言うなや」
深呼吸して心を落ち着かせ、パジャマの裾に手を突っ込む。
細くて薄い背中にジェルを塗っていくと……ああ、くそっ、柔らかい! 触ってるだけですげえ気持ちいい!
「奏太、呼吸があらーい」
「え、うそ!?」
「ふふふ、うそー」
「なっ!? おま……っ」
「息止めてるでしょー? 緊張し過ぎだよ」
「……っ。緊張ぐらい……するだろ。こんなの、どうしたって」
「そう? 普通に楽しんでくれたらいいな、ってあたしは思うけど」
「楽しむって、お前なぁ……」
どういう意味で言ってるんですかね、この娘は……。
半ば呆れながら手を動かしていると、何気ない口調で「んー、だってねー」と唯花が言う。
「このジェル見た時ね、あれみたいだなーと思ったの。ほら、海で塗ってもらうやつ」
「海で? ……ああ、サンオイルか」
「そう、それそれ。アニメとか漫画の水着回でさ、海にいって、ヒロインが主人公に『塗って』ってお願いするじゃない? ……ああいうの、きっと奏太もしたいだろうなって思ってたの……ずっと」
ストレートの黒髪がさらりと揺れる。
「でも今のあたしはまだ海にいったり出来ないから、だから……せめて似たようなことさせてあげたいなって」
「…………それで俺に塗れって言ったのか」
「……うみゅ」
小さく頷く。
俺の手も思わず止まり、そして……苦笑がこぼれた。
まったく、こいつは……そんないじらしいこと考えてたのかよ。
しかも。
しかも、だ。
唯花は『今のあたしはまだ』と言った。
以前は『一生、部屋から出ない』とまで言っていた引きこもり娘が『今のあたし』は『まだ』と。
それは未来を見据えた言葉だ。
嬉しくなった。どうしようもなく嬉しくなってしまった。
視界に入るのはノートパソコンやダンベル。今日も唯花はちゃんと小説を書いていて、筋肉痛になるまでトレーニングもしていた。
――強くなりたい。
弟に彼女ができて生まれた変化は本物だったようだ。
唯花は確実に前を向き始めている。
「……まったく、本当にこいつは」
「ほえ?」
俺は背中に触れていた手を唯花のウエスト側にまわした。そのまま素肌に触れながら――抱き締める。
パジャマの肩が驚いたように跳ね上がった。
「……え、奏太? えっと、なんか……触っちゃってるよ?」
「腹筋にも塗らなきゃだろ?」
「いやそれは……そうかもだけど、なんか突然、雰囲気がマジっぽいので戸惑ってしまいます」
「お姉ちゃんモードが崩れたか?」
「崩れたかもしれにゃい……」
「良きかな。じゃあ今度は俺のターンだ」
ぎゅっと腕に力を込める。
唯花は落ち着かなげに身じろぎした。
俺の苦笑が深まる。
「いやか?」
「いやじゃないけど、なんか……すごくえっちなことされてる気分」
「なんで?」
「だって……奏太、女の子のお腹に興奮するし」
「バレてたか」
以前に唯花から『ぽんぽん触っていいよ』と言われ、饅頭になって逃げたことがあった。
唯花の細くて白いウエストを見て、大変エロい気持ちになってしまったからだ。
バレてないといいなぁ、と淡い期待を抱いていたんだが、さすがにそう上手くはいかなかったらしい。
でもこうなったらもういいか、と思う。
俺は足を開き、その間に引き込む形で、唯花を完全に抱き寄せた。
「あう……」
「お、可愛い声」
「うぅ、いつの間に形勢逆転されてる……」
「ふっふっふ、隙を見せたお前が悪い」
「あたし、いつ隙なんて見せた? 奏太のスイッチが入っちゃうようなこと、言った覚えないよ……?」
「いや、言ったよ。フルスロットルでスイッチ入るようなことを唯花は言ってくれた」
俺の理性さんは今もちゃんと働いている。
その上でエロい気持ちも湧き起こっていた。
言わば、理性と本能が手を取り合った無敵状態だ。
唯花の黒髪に顔を寄せて、俺は言う。
「いつか一緒に海にいこうな。砂浜でオイル塗ってやるから」
「あ……」
小さな吐息と共に、唯花は理解した。
自分が無意識に未来を口にしていたことを。
俺たちが恋人にならないのは、唯花を立ち止まらせないためだ。
その唯花が前に進むのならば――。
はっきり言おう。
俺は微塵も躊躇しない。
俺自身の意思と責任で、色んなことをがっつんがっつん解禁していくぞ。
「このまま手を上に持っていってもいいか?」
「ふえっ!? それって……だ、大胸筋にもジェルを塗るっていうこと?」
「違う」
耳元すれすれで囁く。
「唯花の胸を触るってことだ。はっきり言う。俺はお前の胸に触りたい。だから触っていいか?」
「ふえええっ!?」
可愛い悲鳴を上げ、唯花は見る見る赤くなっていく。
「な、なんでそんないきなり!?」
「いきなりじゃないだろ。いつもチラ見カウント取られてるんだから」
「そ、そうだけどぉ……っ」
身じろぎしながら動揺し、直後に唯花ははっとする。
「そ、そっか……! いつもなんだかんだ結局我慢してくれるから草食系に見えるけど、奏太って性格的には――すっごく肉食系男子だ! これ、眠れる獅子をあたしが呼び起こしちゃったってこと……!?」
「ふははは! 理解したようだな、ミス赤ずきん! 君はすでにオオカミの手のひらの上だ。いつかも言っただろう? お前が外に出たら、俺は秒で童貞を卒業すると!」
「あ、あうう……」
真っ赤になって震え上がる、唯花こと赤ずきんちゃん。
だが俺ことオオカミさんがしっかりと抱き締めているので逃げ場はない。
もはや抵抗は無意味と悟ったのだろう。
やがて、ぷるぷるしながら唯花は言った。
「さ、最後までしてもらっちゃったら、やっぱりあたし、何もかも満足しちゃうと思うので、あの……」
肩越しに振り返ってきて。
潤んだ瞳でお願いされる。
「今日のところは、おっぱいだけで許してくれたら嬉しいです……」
支えていた手が観念したように離れ、パジャマ越しにFカップの胸が大きく弾んだ。
ピンクのブラジャーがずり落ちて、俺の手元に降ってくる。
問題ない。
俺も唯花の成長に合わせてて、ゆっくり進んでいきたいと思ってる。
「分かった。その申し出を飲もう」
「うぅ、ありがとうございます……」
「礼には及ばぬ。じゃあ、触るぞ」
「はい、観念致しました……」
健気に頷き、目をつぶる。
俺の両手は白いお腹をなぞり始める。
上へ向かって、ゆっくり、ゆっくりと。
指先がみぞおちのくぼみに届き、そして柔らかな丘の膨らみ始めに触……ったかどうかという、その瞬間である。
隣の部屋から声が響いた。
「『うん、今帰ったよ! ただいまっ』」
「「はわーっ!?」」
俺と唯花は反射的に飛び退いた。
それはもう音速……いや光速といってもいい速度だった。
俺は瞬時にパジャマから手を抜いて、壁際で無意味にラジオ体操を始める。
唯花は瞬時にブラをつけて、直後に床へぶっ倒れ、筋肉痛に苦しみだした。
響くのは隣の部屋の伊織の声だけ。
「『
……どうやら電話をしながら帰ってきたらしい。相手は葵ちゃんのようだ。
で、お互い自分の部屋に入ったので、電話越しにおかえりとただいまを言い合った、といったところか。2人の交際は順調のようだな。
なんというリア充。
そしてなんとジャストなタイミング。
俺は『体を横に曲げる運動』をしながら、床に倒れている唯花の方を見る。
唯花もぐでっとしながらこっちを見た。
目が合う。
しかしお互い猛烈に恥ずかしくなって、同時に目を逸らした。
これはだいぶ尾を引きそうだな……。
エロいことしようとして邪魔が入った時というのは、こんなにも気まずさ大爆発になるものなのか。
そういや昔、
「あー……」
「えっと……」
どうにか声を出しつつも、俺は唯花の方を見ることができない。
たぶん唯花も同じだろう。
大人の階段を上りかけて踏み外し、人生の苦みを知った俺たちでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます