第74話 ウチの幼馴染はダンベル持てない

「ほれ、ご所望の品を持ってきたぞ」

「おー、待ってました!」


 俺が運搬用バッグを床に下ろすと、唯花ゆいかはノリノリで拍手をした。

 今日の唯花の格好は三本ラインの赤いジャージ姿だ。頭には『がんばりゅ!』と書かれたハチマキをしている。何事も形から入る唯花らしい。


 ちなみに例のごとく中学の頃のジャージなので、胸元がすごいことになっている。Fカップがぎゅーぎゅーに詰め込まれ、ジッパーが今にも弾けそうだ。


 しかし今の俺に凝視する余裕はない。クソ重いバッグをここまで持ってきて疲労困憊なのだ。


「あ、おっぱい見てる。今日のチラ見カウント1ね」

「…………おう」


 ……すまん、前言撤回。

 疲労困憊でも見るものは見てしまうらしい。哀しい男のさがだった。


「ねえ、ねえ、それより早く出して。あたし、今日からめっちゃ鍛えるんだから!」

「へいへい。どうぞ思う存分、鍛えてくれ」


 わくわく顔の唯花に促され、運搬用バッグを開く。

 クッション材に包まれて収まっているのは、ダンベルのセットだ。

 1キロ、3キロ、5キロ、10キロ。各2本ずつで計38キロ。

 ここまで運んでくるのは結構な重労働だったぞ、マジで。


 まあ、その甲斐もあったというか、カラフルなオシャレ仕様のダンベルセットを見た途端、唯花は歓声を上げた。


「わー、すごいっ。それに可愛い! 奏太そうたにしてはグッドなセンスっ」

「してはってなんだ、してはって。ってか、借り物だから俺のセンスじゃないぞ」


 さて、説明しよう。

 昨日、この部屋から帰る時、俺は唯花から『ダンベル欲しいの!』とおねだりされた。

 またアニメか何かに影響されたんだろうが……まあ、引きこもりで運動不足だろうし、体を鍛えるのは良いことだ。


 正規のダンベルはなかなか値が張るし、唯花のことだから三日坊主で終わる可能性も高い。最初はペットボトルに水でも詰めて持ってこようかとも思ったんだが、幸か不幸か、俺にはちょっとした当てがあった。


 バイト先のオネエの店長が極度の筋トレマニアなのだ。

 帰り道で電話してみると、店長は二つ返事でオーケーしてくれた。


『なるへそちゃん。唯花ちゃんって例の奏太キュンの幼馴染ちゃんね? いいわよ、いいわよ。アタシの花柄ダンベルセット貸してあげるから、どんどん持っていきなさい。オネエさん、マッチョな意気込みの女の子は大好きよ。ばりばりマッチョにしてあげて』


『いやマッチョにはさせねえですけど。絶対させねえですけど。ありがとうございます。んじゃ明日店に寄りますね』


 というわけで学校が終わった後、まずはバイト先に寄り、店長がポージングしながら接客して今日も大人気になっている横を通ってダンベルを借り、この部屋にきた。

 ちなみに伊織いおりはまだ帰宅していない。可愛い彼女と寄り道でもしてるんだろう。


「しかし、なんでまたダンベルなんだ?」


 ダンベルをバッグから出し、床に並べながら尋ねると、唯花がジャージの胸を張って答える。


「もちろん超面白いアニメがやってるから!」

「それは分かってる。皆まで聞かずに理解している。でも普段の唯花なら体を鍛え始めるまではしないだろ。お前、自堕落お姫様なんだから」


「失敬な。唯花ちゃんは勤勉アスリートに決まってるじゃない。デイリー任務の消化と曜日クエストの周回は毎日欠かしたことがないのだから!」

「ゲームに興じることを勤勉とは言わんし、アスリートとも言わんからな?」


 と、疲れが抜けきれないままツッコむ俺。

 一方、唯花はジャージのポケットからゴムを取り出し、いそいそと髪を結う。


「まあ、そんなこんなで理由は色々あるんだけど、結局のところ、一番の理由は――強い精神は強い肉体に宿るものかなって思って」

「ああ……」


 そういうことか、と納得した。

 まあ、なんとなく予想はしていたが。

 出来上がったポニーテールを揺らし、唯花は可愛らしくグッと拳を握る。


「いっぱい鍛えて、心も体も強くなって、伊織に会いにいくの。『彼女できておめでとう、お姉ちゃん嬉しい!』って言うために」


 俺は肩の力を抜いて苦笑する。

 これは真っ当な理由だ。クソ重いダンベルを持ってきた甲斐もある。


「そりゃ頑張らないとな」

「うみゅ!」

「一応、念のため聞いとくが、小説は?」

「ちゃんと今日の分書いてアップしといたよ。怖いから閲覧数のページとかは一切見てないけどね!」

「えーと、それだと他者と関わるってお前の目的をまったく果たせないわけだが……まあ継続的にアップしてるだけでも、とりあえず進歩か」


 それじゃあ、と俺は並べたダンベルを指し示す。


「どれでも好きなやつから持ってみ」

「よーし、じゃあ100キロからいこうか!」

「ねえよ!? んなもん持ってきてたら俺の腕千切れてるわ!」

「え、ないの?」

「ない。初心者は3キロぐらいからにしときなさい」

「えー」


 なんとも不服そうな顔をしつつも、唯花は大人しく黄色い3キロのダンベルを手にする。しかし。


「ぬー! ……あ、あれ? ぬー! あれ? にゅぅぅぅぅ!」


 へっぴり腰でダンベルを持ったまま、驚愕の顔でぐりんっとこっちを向く。


「奏太、大変っ。これ、1トンはあるよ!?」

「ないないない。……うーむ、やっぱ3キロでも無理だったか」


 念のため、1キロのダンベルも借りてきて正解だったな。自堕落を極めているお姫様には最軽量からのトレーニングが適切のようだ。


 とりあえず1キロ以外のダンベルは当分使わないだろう。床に置いといて唯花がつまづいてもいけないので、とっととバッグにしまっていく。

 すると、「ほへー……」と感心したようなつぶやきが聞こえてきた。


「なんかひょいひょい持ち上げてる……。10トンとか100トンとかありそうなのに」

「いやそんなにあったらこの床抜けて、下のお袋さんのとこまで貫通してるからな?」

「それはそうなんだけど…………」


 じっと見つめられる。

 唯花の視線が追っているのは、俺のワイシャツの二の腕辺り。

 重いものを持ち上げているせいで、筋肉の存在感が増している。


「奏太って、ひょっとして……鍛えてる人?」

「ん? あー、まあ……少しだけな」


 バイト先には店長の趣味のトレーニングマシンが揃っている。学校でも部活組の連中が気さくで、朝や休み時間に筋トレ道具を借り放題。

 おかげで俺の体はそこそこ鍛えられている。


「え、本当に鍛えてるの? なんで? 奏太、部活も入ってないし、鍛える理由とかなくない?」

「いやまあ、そうなんだけどさ……」


 やべえ、答えづらい。

 というか、あんまり言いたくない。

 こういうのは言わぬが花なんだよ。


 俺が鍛えている理由はごくごくシンプルだ。

 学校の生徒会長には『単純なところが実に三上らしいな』と笑われたし、バイト先の後輩ギャルには『男子の直情系あほあほ感がパナイっす』と呆れられた。


 いや俺も分かってんだよ、単細胞な理由だって。

 でもしょうがないだろ。


 一生守るって誓ったからには、何があっても守ってやれるぐらいの力が欲しいんだ。


 もちろん本人にはそんなこと言わん。言ってたまるものか。ガチ過ぎて、さすがに恥ずかし過ぎる。


 が、恐るべきは幼馴染同士の以心伝心。

 曖昧に言葉を濁しているうちに、ピンと来られてしまった。

 唯花は「あ」と気づいた声を上げ、目を伏せる。頬がちょっと赤い。


「……あたしのため、なのね」


 俺は無言。

 わざわざ言葉にするんじゃない、と羞恥の抗議を込めた無言。

 しかし唯花は黙ってくれない。あっちはあっちで気恥ずかしそうに抗議の視線を向けてくる。


「なんで奏太はいつも……不意打ちでキュンキュンさせるかな」

「……知らんて。今回はお前がどうでもいいこと聞いてくるのが悪い」

「どうでもよくないし、とっても大事なことだし」


 そう言うと、二の腕にぎゅっと抱き着いてきた。

 目を逸らし、頬を赤らめて唯花はつぶやく。



「……ありがと。いつもあたしのこと考えてくれて」



 俺も明後日の方を向いて頷く。


「……おう」

「……トレーニング、あたしも頑張るから」

「ああ。頑張ろうな」


 いつの間にか大変気恥ずかしい空気になってしまった。

 もうついでだから、あと一つだけ、はっきりと申し上げておきたい。


 黒髪ポニーテールに赤いジャージ、額には女の子らしい文字で『がんばりゅ!』と書かれたハチマキ。そしてぴったりと俺の二の腕に寄り添っている。


 ウチの幼馴染は、今日も大変可愛らしい。

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