第70話 幼馴染たちの告白大戦争 伊織side2


 僕は今、今世紀最大級に慌てている。

 奏太そうた兄ちゃんが壁の向こうでお姉ちゃんになんかすごい告白をして、それを僕が言ったものだとあおいちゃんに勘違いされちゃったからだ。


 ちょっと別の生き物を見てるような視線が痛い。

 痛すぎて泣いちゃいそう。


「か、確認だけど……伊織いおりくんはそういうのが好きなの? その……女の子におも、おも……させるような?」

「落ち着いて、葵ちゃん。そしてよく聞いてほしい。あれは、奏太兄ちゃんの、趣味です。僕は、無関係、です」


 一言ずつ区切って、アメリカ映画の説得シーンのように言う。

 葵ちゃんはまだ怯えたような顔をしている。


「でも、さっき天の次元すら突破しそうな勢いで叫んでた気が……」

「あれは、奏太兄ちゃんの、声です。ほら、さっきの『あたしに告白しなさい』って声もウチのお姉ちゃんだったでしょう?」

「あ、ああ……」


 ようやく葵ちゃんの表情に理解の色が灯り始めた。

 考えをまとめるようにしばらく視線をさ迷わせ、やがて頷いてくれた。


「伊織くん……すごい大変な環境で日々を過ごしてるんだね」

「……ありがとう。この環境を正しく理解してくれた人は葵ちゃんが初めてかも……」


 ほろり、と思わず泣きそうになってしまった。

 ハンカチを取り出し、葵ちゃんが気遣うように手渡してくれた。


「あの……強く生きて?」

「重ねてありがとう。なんだか人の心の温かさを思い出した気がします……」


 薔薇の柄のハンカチで目元をぬぐう。

 真っ赤な薔薇の柄がすごくきれいだった。

 葵ちゃんはちょっと伺うような視線で僕を見つめる。


「じゃあ、伊織くんには変な趣味はないの?」

「ないよ。ぜんぜんない」

「そっか。……本当は?」

「えっ」


 よく見たら、葵ちゃんの目が興味全開のモードになっていた。

 奏太兄ちゃんと僕のことで盛り上がってる時の目だ。

 

 ……え? あれ? そのカップリング好きって隠れ蓑とかじゃなかったの? こう、本当の気持ちを隠すための演技的なやつじゃ……。


「伊織くんって奏太兄ちゃんさんに憧れてるんだよね? だったら奏太兄ちゃんさんを目指して遥かな地平を目指したりとか……」

「ないない、しないよっ。いくら憧れてても性癖まで真似したりとかしないから!」

「そこをどうにか!」

「どうにかならないよ!? っていうか、僕は何をお願いされてるの!?」

「だ、だって……」


 葵ちゃんは見る見る肩をすぼめて小さくなる。


「……誰だって人に言えない変なところはあるものだと思うから。伊織くんに本当に何もないと、ちょっと……不安っていうか」


 あ、と思った。

 これはつまり葵ちゃんにも奏太兄ちゃんみたいな……何かがあるってことだ。

 そしてこれは僕にとって話題を軌道修正する大きなチャンスだ。


 奏太兄ちゃんとお姉ちゃんはお付き合いしてないのに、かなりえっちな話をしている。

 貞操観念が乱れているし、人として絶対真似しちゃいけないことだとは思うけど……そのおかげで2人の間には恋人同然の雰囲気が出来上がっている。


 もしも今のチャンスを生かすことができれば、僕も葵ちゃんに自然に向き合ってもらえるような空気ができるかもしれない。


「僕は漫画の『ToRoveる』が好きなんだ。葵ちゃんは?」

「えっ」

「葵ちゃんは?」


 先手必勝。

 先にこっちが情報開示してしまえば、相手も言いやすくなる。

 ……うん、女の子にえっちな漫画が好きっていうのはかなり恥ずかしいけども。


 でもその甲斐あって、葵ちゃんも答えてくれた。

 俯き加減でぽつりと。


「…………伊織くん」

「えっ」

「…………の女装」

「えええっ!?」

「伊織くんがわたしの作った服を着て、えっちなことされちゃうところを想像すると、すごくドキドキします! 変な人間でごめんなさーい!」


 顔を隠してしゃがみ込んでしまう、葵ちゃん。

 ど、どうしよう。とっさにフォローが出来なかった。わりと濃いのが出てきて反応出来なかったっていうのもあるけど、何よりショックなのは――。


 ……僕、えっちなことされちゃう側なんだぁ。


 なんだろう、男の子としてすごく立つ瀬がない気がする。

 でもショックを受けてる場合じゃない。しゃがみ込んでしまった葵ちゃんにフォローしないと。


「あ、あの……大丈夫だよ? 誰だって人に言えない変なところはあるものだと思うし」

「やっぱり変だよね? 憧れてる人の女装にトキめくなんておかしいよね!?」

「あっ! いやいや、おかしくないっ、おかしくないよ!」

「やっぱりおかしいんだ! こんなわたしが伊織くんと今以上の関係になれるわけないよーっ!」

「だ、大丈夫!」


 とうとう泣きそうになってしまった葵ちゃんの手を――僕はぎゅっと握った。


「――っ。い、伊織くん……っ」

「なんにも心配いらない! 葵ちゃんがどんなに自分のこと変だって言っても大丈夫だよっ。だって僕――耳かきでえっち同然の空気になっちゃうような変なカップルの声をいつも聞いてるからーっ!」


 葵ちゃんは稲妻に打たれたように目を見開く。


「……っ!? な、なにこれ……っ。耳かきでそんなことになるカップルなんているわけないのに、なんだか圧倒的な説得力を感じる……っ! 言葉よりも心で真実だって伝わってくる! そんな凄みがある……っ」


 ふっ、と僕は切なく微笑む。

 そういえば、まだ耳かきの話は葵ちゃんに聞いてもらってなかった。こんな話、到底信じてもらえるはずないと思っていたから。


 でもおかげで僕も自分の言葉に凄みが宿っているのを感じた。

 無駄じゃなかったんだ。奏太兄ちゃんとお姉ちゃんにメンタルを鍛えられ続けた一年半はこの時のためにあったんだ。


 葵ちゃんは再び俯く。

 それでもまだ不安が拭えないというように。


「……で、でもやっぱり怖いよ。こんなこと伊織くんに言っちゃって、もうまともに恋人らしいこと出来るはずないし……っ」


 僕は握った手に力を込める。

 そして言い切った。



「だったら! 僕が女の子の格好するから、葵ちゃんは男の子の格好でえっちすればいいよーっ!」



 …………と、言い切ってから、はっと我に返った。

 ぼ、僕は何言ってるんだろう……っ。


 葵ちゃんは俯いたまま、ずっと無言。

 胃が軋むのを感じた。顔がどんどん熱くなってくる。やらかした。完全にやらかしてしまった。


 あっ、これアレだ……お姉ちゃんが自爆する時のやつと、奏太兄ちゃんがテンションで乗り切ろうとして失敗する時のやつ、その合体バージョンだ。

 2人の特徴を受け継いで、2人以上の大ポカをしてしまったみたい。


 もう消えちゃいたい……。

 僕は灰になりそうな勢いでうな垂れる。

 すると、ずっと黙っていた葵ちゃんがふいに小さく噴き出した。


「…………伊織くん、変なの」


 呆れてるとかじゃない。自然にこぼれたような『変なの』だった。

 その一言でふっと肩の力が抜けた。

 僕は崩れるように床に腰を下ろす。そして葵ちゃんと同じように笑った。


「…………そうだね、変だね」


 俯いていた顔が上がる。

 葵ちゃんは笑ってくれていた。


「変だよ」

「うん、変だ」

「ふふ」

「はは」


 2人で笑い合った。

 小さな声で。

 まるで秘密のイタズラでも相談してるみたいに。


 いつしか窓の向こうには一番星が輝いていた。

 まだ夕焼けと夜のヴェールが半分ずつくらいの空に、明るい星が瞬いている。


 自然な空気でそれを見つめていると、葵ちゃんがぽつりと言った。

 ナイショ話のような落ち着いた口調で。


「あのね、ここだけの話……」

「うん」

「わたし、伊織くんのことずっと好きだったの」

「……うん」


 カーテンが揺れる。ほんのわずかに。

 僕のこぼした吐息で。


「でも伊織くんはわたしのこと好きじゃない」

「そんなこと、ないよ」

「あるよ。伊織くんは好きだっていうかもしれないけど、それは友達としての好き」

「そうなの……かな」

「そうだよ。今はわたしの気持ちを知っちゃって、びっくりしてるだけ」


 だから、と言って、葵ちゃんは星に手を伸ばした。


「ここから始めてもいいかな?」

「ここから?」

「うん、伊織くんとわたし……友達以上、恋人未満のところから」

「それはお付き合い……でいいの?」


 葵ちゃんは返事をしなかった。

 ただ、星に伸ばしていた手を下ろし、膝を抱える。


 だから僕は手を握った。

 星を目指していた、葵ちゃんの手を。

 そして言う。


「僕とお付き合いして下さい」

「……どうして?」

「2人で一緒に歩いていきたいから。友達以上、恋人未満のところから、2人で一緒に」


 もしかしたら葵ちゃんの言うように、僕の今の気持ちはまだ本当の『好き』じゃないのかもしれない。

 でもいつかこの『好き』が本物になるのなら、その向かう先は葵ちゃんがいい。

 今の僕は心からそう思ってる。


 葵ちゃんはしばらく黙っていた。

 でも空の色が夜に染まり、一番星のそばに小さな星がもう一つ輝く頃、囁くように返事をくれた。


「伊織くんの告白……嬉しかった。わたしも……一緒に進みたい。これからよろしくお願いします」


 それは事前に決めていた演技の告白と似たような返事。

 でもそこから少しだけ前に進でいる返事。

 これが今の僕たちにちょうどいいんだと思う。


 こちらこそと僕が頷くと、葵ちゃんは赤くなりながら手を握り返してくれた。

 そして僕は壁の方を向く。大きく息を吸い込んで、ご報告。


「奏太にいちゃーん! お姉ちゃーん!」


 葵ちゃんと手を繋いで。

 少し照れながら言葉にする。

 


「僕、彼女ができましたーっ!」



 壁の向こうからどんがらがっしゃーんっと盛大な音が響いた。

 わー……、ケガしてないといいけど。


 結局のところ、奏太兄ちゃんとお姉ちゃんをくっつける僕の作戦は成功しなかった。

 でもまあいっか、と思う。考えてみたら2人は僕より大人だし、あっちはあっちで本人たちに頑張ってもらおう。うん、じゃあこれにて――僕の反抗期は終了ですっ。

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