第17話 月の夜、花が唯一願うのは、あなたへ祈りが届くこと。
陽の高いうちからベッドで寝ていたので、部屋の明かりはつけていない。
カーテンの隙間からの光は少なく、スマホの液晶の明かりが揺らめいていて、まるでアクアリウムのようだった。
検索欄にタイトルを入れ、リンクから該当のページへ飛ぶ。
唯花が書いた小説のページだ。
「……な、中身は読んじゃダメだからね? もし読んだら
「銘じる、銘じる。小説の中身は読まないって」
幼馴染から一生他人行儀な話し方をされるなんて嫌すぎる。
検索のためにタイトルは教えてくれたものの、本人からの意向で本文へのリンクは無視。ぱっと見の数字が多い方がいいだろうと思い、すぐにアクセス数のページに飛んだ。
しかし表示と同時に、俺は唇を噛んだ。これは……。
累計PV数―― 5 PV
サイトのなかにはン十万PVという小説が山のようにある。
そのなかで、5PV。12時間経って、たったの5人しか唯花のページを見ていなかった。俺でもこれが無念な結果だというのはさすがに分かる。
「……唯花、元気出せ。その、こういうこともあるって……、――唯花?」
慰めようとして横を向き、あっけに取られた。
腕に引っ付いている幼馴染。その瞳に涙のしずくが浮かんでいたからだ。
でも哀しみからくるものじゃない。唯花が浮かべているのは、溢れて決壊しそうなほどの――喜びだった。
「……読んでくれた人がいた」
細い指がスマホの輪郭を恐る恐る撫でる。
「あたしの書いた物語を、読んでくれた人がいた……っ」
月灯かりがカーテンの隙間から差し込んだ。
柔らかな光が涙のしずくを照らしていく。
「届いたんだ……っ。あたしの大好きなものを詰め込んだ物語が、あたしの全部をつぎ込んだ物語が、ちゃんと受け止めてもらえたんだ……っ。ねえ、奏太! 見てよ、ほら! ちゃんと読んでもらえたよ! あた、あたしの、こんなあたしの書いたものがちゃんと誰かに届いたんだ……っ!」
スマホを持った俺の手を握り、唯花は嗚咽をこぼす。月灯かりに照らされたその横顔を見て……俺はようやく気づけた。
俺のまわりにはたくさんの人がいてくれる。
学校には悪ノリしがちなクラスメートがいて、家には自由奔放な家族がいて、バイト先には無駄に個性的な店長やバイト仲間がいて、如月家の親父さんお袋さん、唯花の弟も親しくしてくれている。
だから俺は5人という人数を少ないと感じてしまった。
でも唯花は違う。
俺の幼馴染は一日のほとんどをこの部屋で過ごしている。話すのは俺だけ。たった一人だけ。他には誰もいない。
そんななかで怯え、震えながら、やっと紡いだ物語。
大好きなものを詰め込んだ物語が――ちゃんと届いた。読んでもらえた。
ただの5人じゃない。
ネットの海のなかから小説を見つけてくれた、この人たちのおかげで。
一年半、ずっと引きこもっていた如月唯花は。
今、ようやく。
世界と繋がったんだ。
気づいた瞬間、俺は細い肩を抱き寄せていた。
道理で怖がっていたはずだ。道理で怯えていたはずだ。
小説をアップすることで、唯花は世界に手を伸ばしたんだ。引きこもりの唯花にとって、それは外への扉を開くのと同じことだ。
怖かっただろう。恐ろしかっただろう。でも勇気を振り絞って手を伸ばし、こうして応えてもらえた。世界と繋がることができた。
考えるだけで胸がいっぱいになった。俺は喜びや誇らしさ、そのほかめいっぱいの気持ちを込めて言う。
「唯花」
こっちまで泣きそうになりながら。
「頑張ったな……っ」
その瞬間、唯花の瞳から涙がこぼれた。
大馬鹿野郎な幼馴染が周回遅れでようやく自分の頑張りに気づいた、と分かったのだ。
「遅いよ、奏太ぁ……っ」
「ごめん、ごめんな。でもお前頑張ったな。すげえ頑張ったな!」
「もっとぉ! もっと言って……っ!」
「よく頑張った! 偉いぞ、唯花! お前はすげえ頑張った!」
唯花はスマホを抱き締めて頷く。
とても誇らしく胸を張って
「うんっ。あたし、頑張った……っ」
涙のしずくがきらきらと宙に舞った。
一年半もの間止まっていた時間は、きっとここから動き出す。
他ならぬ唯花自身の意思によって。
月灯かりのスポットライトを浴びながら。
アクアリウムのような部屋のなかで。
唯花は囁く。
スマホを胸に抱き、ネットの海の向こうにいる、誰かへ向けて。
「……ありがとう。あたしを見つけてくれて……」
祈るようなその声を聞きながら、俺は唯花の髪を撫でる。
とても穏やかな気持ちだった。
……まあ若干、器の小さいことを言わせてもらえれば。
唯花があんまり必死にスマホを抱いているので、まるでネットの向こうの誰かへ胸をぎゅーぎゅー押しつけている感じがして、若干モヤッとするのだが、野暮なので言わない。言わないぞ、俺は。
ダメな自分に胸中でため息をつき、唯花の髪を撫で続ける。
幼馴染は甘える子犬のように頬をすり寄せてきた。
そうして。
ゆっくりゆっくりと時は過ぎ、やがて夜は――まぶしい朝へと向かっていく。
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