ホシガミ。

大葉スウグ

第1章

忘れ去られた古文書

第1話 始まりの依頼 /1

何度も繰り返す、暗い水の中でもがく夢。


苦しいのか苦しくないのかわからないまま、頭上の光に照らされた気泡が落ちては消えていく様を眺めている。

ぼんやり聞こえる声も、遠くに見える白い影もどこか他人事のように感じられる中、肌に触れる冷たい水の感触だけが“まだ生きている”と教えてくれるようだった。



――ふと、視界が一気に白で塗りかえられる。

次いでじわじわと明度を落とす世界に、暖かな木目の色と晴れた空。

まるで別の世界……いや、実際夢から覚めて現実に帰ってきたのだが。


外は清々しい天気なのに、夢のせいか汗でまとわりつくシャツが寝起きの気分を台無しにしている。

「あー……起きよう……」

白髪頭の少年はその頭を乱雑に掻き、ベッドから身体を起こした。


廊下を抜けると吹き抜けを通じて入り込んだ小麦の香りが鼻をくすぐってくる。恐らく家主がパンでも焼いているのだろう

「おはよう!ビリー」

階下から響く明るい少女の声は、久々の主人の帰宅にはしゃぐ子犬のようで元気がすぎる。二つに結んだ栗色の頭がぴょんと跳ねた。ついでにアホ毛も。

「ちゃんと眠れた?」

「そこそこ」

彼女の問いに短く返したビリーの視線はテーブルへ。なにやらはりきって料理をしていたらしい、朝食の割にはやたら量が多いプレートが数枚並んでいる。


「宿代払ってもう出るから、パンは要らないしデザートなんてもっての外……」

「食べきれないの」

「……チェイネルが?」

「そう、私が」

チェイネルはフライ返し片手に無邪気な笑顔でそう答えた。『健康は食事から』がモットーの彼女にとって、どうやら食べないという選択肢は用意されていない。

しかしビリーの起床がもう少し遅ければ更に品数が増えていたかもしれないのだ、まだマシな方だと思っておくべきか。

「それにせっかく依頼で町に来てくれたんだから、おもてなしさせてほしいな。この前が確か年末だったから、えーっと……もう数カ月ぶりでしょ?」


ビリーは賞金稼ぎだ。安定しない職業柄、こうして知り合いの家に泊まりこむなんて事は珍しくない。ただ彼にはそういった知人が殆どいなかった。つまるところ宿屋のない小さな町、此処セスルームニルではこの世話焼きな少女に頭が上がらない。

「……仕方ねーな」

小言を流しながらも、ビリーは大人しく席に着き食事に向き合う。


「そうそう、隣街のカシスさんから依頼を貰ってるの」

食前の祈りを済ませたチェイネルが口を開いた。

「誰だそりゃ」

「うん、知らないかな?酒場を経営してるオーナーの娘さん。数日でいいから閉店後に泥棒が入らないか店の見張りをしてほしいんだって……そうそう!お昼はお酒以外にも美味しいご飯をたくさん出しててねー、近くに寄った時はよく食べに行くんだけど、お客さんいっぱいだからなかなか人気メニューが食べれな……あ、ごめんごめん。はいこれ、依頼書」

彼女の長話に何か言いたげな視線を送っていたビリーは、ようやく手渡された依頼書に目を通す。身元を保証するでもない賞金稼ぎ、それもベテランとは言い難い青二才の彼に店を預けるメリットが果たしてあるのか――と怪しく見えるらしく、小さく書かれた不利な事項でもないかと目を凝らす。

「保安にでも頼めばいいだろ」

同じ金を払うならそちらの方が適任かもしれない。しかし少女は首を振る。

「私も同じこと思って訊いてみたんだけど、そうもいかないみたいなの。他の事件に当たってて手が回らないんだってさ」

チェイネルが取り出した一枚の張り紙。ギルドに貼り出されていたものと思われるその紙には、性別や年齢、職業もバラバラな人物の情報が記されていた。

「他の?」

「行方不明者が最近多いでしょ。ギルドにもこういう依頼が回ってるの、多分見たと思うけど……それを調べてるとかで」

話の筋は通っている。起こるかわからない状況は同じにせよ、個人経営の酒場と街全体とを天秤にかければ保安官が優先すべきと判断するのは後者だ。消去法で賞金稼ぎに依頼する事になったのだろう。

便利屋もいいところだ、と皮肉を噛みながら、ビリーは薄切りベーコンにフォークを突き刺した。口へ運ぶまでの挙動がやたらゆっくりなのは、出来るだけ食事の量を減らしたいからか。


「ふうん、まあそういう事なら……――にしても見張りの割に随分と太っ腹だな」

報酬額の欄に書かれた額は銀貨15枚。安宿ならひと月泊まれる程もある。魔物討伐は対象によって命の危険が多い故に、高額な金額を提示される。しかし、依頼にある酒場はさほど治安の悪くない街の、それもど真ん中。

まだ疑念の晴れないビリーの視線が追及しようと持ち上がって。対するチェイネルはそれを受けて口角を上げた。

「泥棒を捕まえた場合の成功報酬も入ってるし……へへへ、あとねえ…2人分の報酬だから、だよ!」

「……ええと。それはつまり?」

嫌な予感を感じ取った少年の眉間に皺が寄る。恐らく、彼の予感は的中で。


「私も行くってこと!」

いつの間にか食事を終えたチェイネルが勢いよく立ちあがり、

ヒーローじみた決めポーズ。


金属のぶつかる硬い音が、リビングに空しく響いた。

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