第24話 スタッフ教育なう

 ある晴れた昼下がり。従業員の採用の作業に一区切りをつけた俺は、5人の従業員と5台のベッドを挟んで向かい合っていた。

 手に握ったスマホでタイマー機能を表示させながら、俺はなるべく威厳を保って声を張る。


「いいですか、聞くまでもないかもしれませんが確認です。

 順番はメイキングシーツ、アッパーシーツ、羽毛ベッドカバー、ベッドスローです。メイキングシーツとアッパーシーツを間違えないように。

 時間のかけ過ぎはよくないですが、丁寧に確実に、です。いいですね?」

「「はいっ!」」


 揃った返事を元気よく返してくる従業員たち。俺は小さく頷いて、スマホのタイマーを作動させた。


「それでは、制限時間5分です。はじめ!」


 号令と共に、すぐさま作業に取り掛かる5人。その作業はテキパキとして、一切迷いがない。

 彼らは皆、ルームメイキング要員としてこの旅館に雇われた従業員だ。いずれも大陸各国の宿屋で経験を積んできたプロである。

 そんなプロ集団に上から目線で確認するのも申し訳が無いが、ただの宿屋とは勝手が違うゆえ、赦してもらいたい。

 3分ほど経過した頃には、制限時間終了を待たずして5人全員がベッドメイキングを終えてみせた。チェックを入れたが一部の隙も無い、完璧な仕上がりである。


「……うん、全員OKです。流石ですね皆さん」

「「ありがとうございます!」」


 背筋をびしっと伸ばして、これまた声を揃えて礼を述べる従業員たち。この元気な挨拶があれば、オープン後も活気があっていいことだろう。

 勿論、これがずっと続くのが理想だが、そうそううまく物事が運ぶとは限らない。トラブルなども発生していくことだろう。

 その際にも可能な限り、クオリティを維持していくのがプロの仕事だ。自分の仕事も、挨拶などの雑事も。

 特に挨拶は怠られることが多いし、頑張って啓蒙していかなくては。




 そう、挨拶と言えば。


「マコトさん、お疲れ様ですっ!」


 廊下を歩く俺の後方から明るい声色の、聞き慣れた声が聞こえた。俺はそちらに顔を向けると、可能な限り自然になるように微笑みを返す。


「お疲れ様です、アリシアさん。ユニフォームには慣れましたか?」

「何とか、一人で着られるようにはなりましたー」


 俺の隣についたアリシアが、着物の裾をふわりとはためかせながら頭を掻いた。

 アリシア・ヴォコレは華麗に転職を果たし、ヴェノ特区市の冒険者ギルドの受付嬢から温泉旅館「オオゼキ」のフロントスタッフの一員になった。タサック村にも引っ越してきて、準備は万端である。

 元々接客の仕事をしていた彼女のこと、フロントスタッフの業務は手慣れたものである。あるのだが。


「それはよかった。で、朝は起きれるようになりました?」

「あう……それは……」


 いっそわざとらしいくらいににっこりと、笑みの形を作る俺の顔をちらちら見ながら、アリシアの視線が宙を彷徨った。

 そう、こうして一緒に働くようになって分かったのだが、彼女、朝に死ぬほど弱いのだ。

 夜更かししている様子はないし、酒もやらないのに、なんでか朝は全然起きてこない。おかげでいつも出勤時間ギリギリに駆け込んでくる始末である。


「いつも夜の五時には寝ているんですよ……ベッドから出るの朝の四時とかで……」

「朝に弱い……というよりは動き出しに時間がかかる、って具合ですかね」


 チェルパの世界は一日12時間。地球の時間に換算すると、彼女は夜の10時に寝て、朝の8時に目が覚める計算になる。


 俺は、ふと思った。逆に寝過ぎなのでは?


「アリシアさん、随分長い時間寝ていますね?」

「そうですか?」

「俺の世界だと、成人の睡眠時間は7~8時間がちょうどいいとのことなので、こっちの世界だと4時間で十分だと思うんですが」

「そうなんですか?」


 アリシアが目をぱちくりさせた。俺は苦笑して小さく息を吐く。


「夜寝る時間はそのままでもいいですから、朝の三時に起きるようにするといいかもしれませんね」

「なるほどー、ありがとうございます!」


 表情をぱぁっと明るくさせるアリシアの姿を見て、俺はそっとまなじりを下げた。

 思えば3ヶ月ほど前に、いやそろそろ4ヶ月前になるかもしれないが、ヴェノの路地でアリシアと出会った時は、まさかここまでこちらの世界に馴染むことになるとは考えてもみなかった。

 陰キャでコミュ障で引っ込み思案でオタクだった俺が、今はこうしてちゃんと仕事をこなし、人とも会話が出来ている。笑顔についてはまだまだだと思っているけれど。

 あの時、アリシアが俺の手を引っ張ってくれたおかげだと、今は素直にそう思う。


 ともあれ、廊下を進んでラウンジまで。そこにはアリシア以外のフロントスタッフと、ベルパーソンが集まっていた。


「オーナー、お疲れ様です!」

「「お疲れ様です!」」

「お疲れ様です、皆さん」


 フロントリーダーの男性従業員の挨拶に続いて、投げかけられる従業員から俺への挨拶。

 やはり挨拶は大事だ。もし地球に戻って就活することになったら、挨拶は徹底していきたい。

 とは言ったものの、そもそも戻れるか、戻って就活をすることが出来るか、という不安や心配はどうしてもある。

 ならば、いっそのこと――と脳内に浮かんだ考えを振り払って、俺はその場の従業員を見つめた。

 真剣な眼差しで、言葉を紡ぐ。


「皆さん、もうすぐ、ほんとにもうすぐ、オープンの日はやってきます。

 温泉旅館「オオゼキ」の顔として、皆さんに働いてもらう日も近いです。その日のために、俺達はしっかり準備をしなくてはいけません。

 ここで確認です。皆さんの仕事とは?」

「「『全てのお客様に喜んでいただくこと』です!」」


 俺の問いかけに対し、すぐさまフロント、ベルパーソンの全員から答えが飛んできた。よし。


「皆さんのお客様とは?」

「「『王侯貴族からスラムの民まで、温泉を求める人々全てがお客様』です!」」


 二つ目の標語も無事にクリア。よしよし。


「それでは最後に。我々スタッフの目標とは?」

「「『タサックから世界へ、沈み風呂ヴァン・エヴィエの普及と啓発を!』」」

「OKです皆さん、完璧です!」


 俺はぐっと拳を握って胸を叩いた。温泉旅館「オオゼキ」の従業員に向けて提示した三理念、しっかりと浸透しているようで嬉しい限り。

 あとでレストランスタッフやラウンジスタッフにも確認をしておこう。

 そうして後ろを振り返ったところで、ロビーの階段からコツコツと足音を立てて、イーナとクレマンが降りてきた。

 二人ともにこやかな笑みを浮かべて、俺のところへとやってくる。その場で二人を迎えると、イーナが眼鏡の奥の目を細めて口を開いた。


「準備は整いましたね、オオゼキさん」


 柔らかく微笑むイーナの隣で、クレマンもにっこりと笑う。


「あとは、報せを出すだけですなぁ」


 俺は二人に、しっかりと頷いた。まっすぐに二人を見据えて、力強く告げる。


「皇帝家と各国の首脳陣に、案内を出しましょう。温泉旅館「オオゼキ」のオープンセレモニーを、大々的に行うんです!」

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