第23話 深酒なう
深夜、温泉旅館「オオゼキ」のラウンジに誂えられた真新しいバーカウンターにて。
俺は
既にだいぶ米酒を飲んでしまっている俺の頬は紅潮し、目つきもどことなくとろーんとしている。そんな状態で唸る俺の姿は、いっそ異様なことだろう。
「う~~~ん……」
「どうしたんですかオオゼキさん、悩みごとですか?」
俺の背後から顔を覗き込むようにして、レストランで食事を済ませてきたイーナが、俺に声をかける。
カウンターの向こうで黄色い肌をしたエルフの男性が、目を細めながら俺の前に水のグラスを置いた。
「オーナーは、最近夜ごとここに来てはうーんうーん唸ってらっしゃいますね」
「夜ごと、ですか?一体なんでまた……あぁ、フォン、私にもマイシュを一杯いただけるかしら?」
エルフの男性に会釈をしながら、俺の隣の席に腰を下ろすと、イーナはカウンター向こうの男性に注文を出した。
それに微笑みを返しながらゆるりと頭を下げるこのエルフの男性はドミニク・フォン。大陸南方のアグロ連合国出身のバーテンダーだ。
米酒を取り扱うことが決まってから、次に俺が行ったのは米酒の取り扱いに詳しい人間を探すことだった。帝国全土だけでなく、大陸全土にまで目を広げて人材を募集し、応募してきた中で、突出して優秀だったのが彼だった。
ドミニクの他にも、既に雇用が決まってオオゼキで働き始めている従業員は多くいる。そして俺の悩みどころも、ここにあった。
「もう俺、経歴書を見飽きましたよ……来る日も来る日も応募が届いて、優秀な人がより取り見取りで、このままじゃオオゼキの中が従業員で埋まっちゃいますよ……」
「まだ応募が届くんですか!?だいぶ前に打ち切りましたよね!?」
「届くんですよ……募集終了の通達が各国に届くまでにも時間がかかるので、仕方ないんですけど……」
そう、オオゼキの従業員はラトゥール大陸全土から募集しており、大陸全土の国から応募が届いていた。
温泉旅館「オオゼキ」は国を挙げての一大事業である。
当初は近隣の村々や地域の大きな働き口として考えていたのだが、村人に仕事を与えるにしても、掃除やレストラン厨房での下ごしらえなどの軽作業が中心になってしまう。それだけでは旅館は運営できない。
受付業務やルームメイキング、レストランの接客など、専門的に高いレベルで働ける優秀な人材が相当に必要だったのだ。優秀な人材を探すには広く目を向けなければいけない。
そんなわけで神聖クラリス帝国の皇帝家の名前で世界各国に従業員募集の通達を出したところ、山のように応募が殺到したのだ。
ちなみにその応募書類は現在、俺とクレマンで捌いている。勿論、捌ききれない。
「
そりゃー働きたいという人が殺到しますよ。皆さん、何だかんだで温泉大好きですから」
イーナの前に陶器製の片口と、小振りなお猪口を並べて、ドミニクが小さく肩をすくめた。
米酒の瓶を取ると木製の栓を開けて、片口に注いでいく。とっとっという優しい水音を響かせながら、米酒が片口を満たしていった。
「アグロ連合国のナユキ島で作られる「
キリっとした辛さと仄かな酸味があり、食事の後に口をさっぱりさせるにはいいかと思います」
「ありがとう、マイシュは飲み慣れていないけれど、いいセレクトだわ」
米酒を注いだ片口を、ゆっくりと持ち上げてお猪口に注いでいくイーナ。慣れていないと言いながら、その手つきは洗練されていて迷いがない。
俺は手にしたお猪口の中に残っていた米酒をぐっと呷りながら、その注がれる様を見ていた。
空になったお猪口と片口をつついて、口を開く。
「こうして話を聞いていると、米酒ってほんとに日本酒みたいですよね。地方や使う米の種類で味わいが変わったり、冷やしたり温めたり」
「大昔に、ソレーアからアグロ連合国を訪れた
「なるほど……あ、ドミニクさん、これおかわりください」
「「
やはり、地球の日本人が関わっていたのか。一度話を聞いてみたいなぁと思いながら、俺はドミニクが俺の前にある片口に日本酒を注ぐのを見ていた。
注ぎ終わったのを確認して、とろんとした目をしたまま米酒をお猪口に注ぐ俺に、イーナが視線を投げる。
「よく飲まれますねオオゼキさん。お酒は普段から飲まれるのですか?」
「いや?全然ですよ。だって俺、20歳になったばかりですし。でもまぁ、日本酒は好きですかね。
あっち……
そんな時に、サークルのOBさんにいい居酒屋に連れていってもらって、そこで日本酒を教えてもらって……ってところですかね」
お猪口を一息に干して、その手をひらひらと動かす俺。その姿を見て、イーナは目をぱちくりとさせていた。
そういえば、チェルパの国々では大概、16歳から飲酒が認められているんだったか。その感覚からすると、20歳にならないと飲酒が認められない日本の制度は、窮屈に感じるのもあるかもしれない。
俺はドミニクが動き回るカウンターの奥の壁を眺めつつ、ふぅと息を吐いた。
日々、早く日本に帰りたいと思ってはいるものの、この国は何とも過ごしやすい。
料理は美味しいし、自然は豊かだし、人々は気持ちが良くて優しいし。
大学の課題に追われることもないし、バイトであくせく働かなくても食い扶持を稼げる手段を得られたし、何より温泉が身近にあるのがいい。
期せずしてこの世界に、この国に来てしまった俺なわけだが、だんだんとここでの暮らしを気に入っている自分が、確かにそこにいた。
お猪口の中の米酒を飲み終わり、再び片口から注ぎ始めるイーナが、小さく微笑んだ。
「オオゼキさん、なかなか
「帰れるもんなら帰りたいですよそりゃあ。でも手段が無いし、機会も無いですもん」
「確かに。あちらでの生活もあることでしょうが、こちらでの仕事もありますものね」
イーナがお猪口に口をつけると、俺はこっくりと頷いた。そう、帰れないし、まだ帰るわけにはいかないのだ。
そしてイーナの言葉に、俺は額を押さえて天井を見上げた。
「そうだ、仕事。応募書類の審査をしないとなぁ」
「ピアンターテさんと二人では回らない部分もあるでしょう、私も明日からお手伝いいたします」
「お二人とも、お疲れ様です。早く営業を始められるのを、私も楽しみにしていますよ」
ドミニクがにっこりと笑ったのに、俺とイーナもつられて笑う。
温泉旅館「オオゼキ」の営業開始まで、残す作業はあとちょっと。その事実に、俺は気持ちをぎゅっと引き締めるのだった。
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