第20話 げっそりなう
ベッドの選定を終えた俺とクレマンはアスラン商会を後にして、次なる目的地へと向かっていた。
ミッテラン地区は商店・問屋の集まる地区。そしてこれから向かう先のボヌフォア地区は飲食店やカフェの集まる地区だ。
目的は勿論、地区に集まる様々なレストラン。ひいてはそこで働くシェフだ。
当初は俺のイメージした、居酒屋風のレストランを食事処として作る予定でいたのだが、実現するにはランニングコストがかかりすぎるということであえなく断念。
そこで、既に帝都でオープンしているレストランや酒場の支店を温泉旅館の中に新しく開こう、という形に落ち着いたのである。
既に様々な店から「是非我が店に任せていただきたい」という応募が俺の元に届けられており、イーナとクレマンと連日連夜頭を突き合わせて協議した結果、何とか三店舗まで絞り込むことが出来た。
今日はその三店舗を実際に訪れて、俺自らの目と舌で確かめよう、ということなのである。
……で、まぁそんなわけでクレマンの案内を受けながらボヌフォア地区に向かっているわけなのだが。
「はっはっは、特定の分野に特化した鑑定スキルを保有する者は数多くいるが、温泉に特化した鑑定スキルと深部探知のダブル保有とはなぁ!
オオゼキ殿も稀有な星の下に生まれたものよな!」
呵々と笑いながら俺の肩を叩く、大柄でもっふもふな獅子の
これからボヌフォア地区のレストランを視察に行くのだと話したら、何故か付いてきてしまったのだ。
「まぁまぁマコト殿、ジョルジュはこう見えても美食家でございますから」とクレマンに推薦されたせいもある。
で、ボヌフォア地区に入ったことを示す看板の横を通った辺りで、ジョルジュが飾り毛を弄びながらにやりと口角を上げた。
「しかし、これはいよいよ元の世界には
「……はい?」
唐突な発言に、きょとんとしつつ首を傾げる俺。俺を挟んでジョルジュと反対側を歩いていたクレマンが、小さく肩をすくめる。
「先日からマコト殿がお住まいになられている、レイヨン市のご自宅がありますでしょう。ルルーシュ通りの。
あの家は、実は帝国からマコト殿へと送られたものなのですよ」
「へ!?……いや確かに、魔導省とかなんとか、言っていた気はしましたけど!?」
クレマンの暴露に、俺は目を剥いた。
いや、確かに引き渡しの時にイーナが読み上げた書状に、皇帝家の紋章が刻印されていたが。
読み上げた文面の最後に「神聖クラリス帝国 魔導省長官」と言っていたが。長官の名前は忘れた。
メイドに使用人も既に雇用済み、彼らの給与は俺は支払わなくていいという、破格の待遇だったことも記憶しているが。
その時はこれで宿代を払い続けなくてよくなると、浮かれていたものだが。そんな場合じゃなかった。俺はまんまと神聖クラリス帝国に
「俺、出来れば早く元の世界に帰りたいんですけど……」
「帰ることが叶わん、とまでは言いきれんが、なにぶん異世界に渡る術は我々も持ち合わせていない故にな」
「異世界からの転移そのものは古くから発生しておりましたが、異世界を捕捉することすらまだまだ研究段階に留まっておりますからな。
がっくりと肩を落とす俺の両脇で、ジョルジュもクレマンもなんとも申し訳なさそうだ。
まぁ、二人に文句を言ってもしょうがない。俺が
ただ、やっぱりこう、地球での俺の突然の失踪で、大学とか実家とかアパートの大家とか、迷惑をかけているだろうなぁと思うところはあるのだ。
既にこちらの世界で2ヶ月が経過している。それだけの長い期間、大学に姿を見せなかったとなったら、良くて留年、悪くて除籍だろう。
実家だって急に連絡が付かなくなって困っているだろうし、アパートも家賃滞納で引き払われてしまっているかもしれない。
いざ
落胆した俺を見かねてか、クレマンが背中をぽんぽんと叩きながら口を開いた。
「ただ、魔導省がマコト殿の住居を提供したということは、マコト殿の世界への帰還について、魔導省からの協力を受けられることも期待できますからなぁ。
魔導省には霊泉監督庁の他にも、世界間転移を専門に研究する部署がございます故に、悲観することはないと思いますぞ……おっと。
お二方とも、こちらが一店舗目です」
そう言いながら、クレマンが足を止める。スマホの翻訳アプリを起動させて看板にカメラを向けると、店名は「アナ・マリア」と翻訳された。
見るからに高級そうな、上質そうなレストランだ。店構えに威厳がある。
自然と緊張して腰が引けてしまう俺だが、ジョルジュがそれを押し止めた。俺の背中を、文字通り押してくる。
「なんだ、腰が引けているぞオオゼキ殿。お主は見定める立場なのだ、どんと構えておれ」
「は、はぃぃ……」
そうしてぐいぐいと背中を物理的に押されながら、俺は店のドアをくぐったのであった。
二店舗目までのチェックを終えて、俺は若干げっそりしていた。
先を歩くジョルジュとクレマンの後を、俯き気味になりながら着いていく俺を、振り返った二人が難しい顔をする。
「うーむ、「マルジョリー」も悪い店ではないのだが……マコト殿のお眼鏡には適わなかったようだ」
「「アナ・マリア」も「マルジョリー」も名店なのだがなぁ。料理も酒も一級品、何がオオゼキ殿には気に入らないのやら」
前を歩きながら、顔を見合わせる壮年の男性二名だった。
最初に訪れた「アナ・マリア」も二番目に訪れた「マルジョリー」も、確かに凄く、凄く良いお店だった。店員さんのサービスも素晴らしいし、品揃えもいい。
料理の味と酒の味は、緊張のせいかちっとも分からなかったけれど。
正直、ああいう店では駄目なのだ。俺の理想とする温泉旅館の食事処は、もっとこう、肩肘張らずに、気軽で、難しいことを考えずに「美味しい!」と感じられるお店がいいのだ。
イーナにもクレマンにも、散々そのことを説明したはずなのだが、どうにも理解してもらえない。国を挙げて作るいい旅館なのだから、それに見合う良い店を、と考えられているようだ。
俺は深い溜息を吐きながら、先を歩く二人の背中に視線を向けた。最後の店もきっとあんな具合に、格調高い店なんだろう。そう思うと気が重い。
どうしたものか、そう思案しながら「マルジョリー」の並びであるアンクタン通りをぼんやり眺めた時。俺はふと足を止めた。
「あれ?あの店……」
俺の視線の先にあるのは、通りに面したところに入り口を持つ小綺麗なレストランだ。店構えこそ先の二店舗よりはカジュアルだが非常に洗練されたたたずまいをしており、店の屋根が淡いピンクとグリーンでストライプに塗り分けられていて、優しい雰囲気を出している。
そしてその特徴的なストライプ模様に塗られた屋根。俺には見覚えがあった。
急いで先を行くクレマンとジョルジュを呼び止める。
「クレマンさん、クレマンさん。あそこにあるあの店って、応募してきた中にありましたよね?」
「む?どれどれ……あぁ、「アルジャーノン」ですな。確か、最終選考の一つ手前まで残った店でしたか」
「「アルジャーノン」だと?確かにあそこのシチューは美味であるし、ヴァインもなかなか小気味よい品揃えだが……一段落ちるのではないかね?」
やはりと言うか、街の店を知り尽くしているジョルジュには店のランクが気にかかるようだ。
俺が参加した選考の際も、最終選考一歩手前で「事業展開の際に若干の不安がある」との理由で落選となっていた。実際、先の二店舗と比べると、少々小ぢんまりとしている。
だが、俺は強く首を振った。ジョルジュの瞳をまっすぐ見据えて口を開く。
「あのくらいの規模の方が、俺としてはいいくらいです。店の雰囲気も程よくカジュアルですし、気軽に食事をして欲しいというコンセプトにもマッチします。
俺、旅館で美味しいものを食べて欲しいというのはその通りですけれど、緊張して食事してほしいわけじゃないですし。
さっきのお店も良いお店でしたけど、あの温泉旅館にはああいうお店の方がいいです」
「ふむ、オオゼキ殿がそこまで言うのなら……最終的な決定権はオオゼキ殿にあるのだし、な」
ジョルジュの口元が興味深げに持ち上げられた。それと共にゆらり揺られる尻尾。
俺はクレマンへと向き直った。
「ということでクレマンさん、最終選考手前まで行ったのは確かですし、もう一度チャンスを与えてあげたい、んですが……」
「そうですねぇ……」
提言しながらも若干トーンダウンしてしまった俺の言葉に、何度か頷くクレマン。その目が低く伏せられる。
反応を待つこと、しばし。その間も俺達を避けるようにアンクタン通りの人の波は流れていく。
そしてクレマンが視線を上げて、俺をまっすぐと見た。
「よろしいでしょう。選考の際もマコト殿が推されていたお店ですし、直接確認するのは必要かと思います」
「ありがとうございます……」
了承を得られたことに、俺はほっと胸を撫でおろした。よかった。
「では、参るとするか」
一足先に店の前へと移動し、扉に手をかけるジョルジュが俺とクレマンを見やる。
それに応えるように、俺は人の流れを横切るようにして「アルジャーノン」の扉へと歩を進めるのであった。
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