エピローグ
1 アヤネ
彩音は、プラグキャラの『アヤネ』をシートにつかせて小さくため息をついた。
プライマリーキャラクターのアヤネでゲームするのは危険なのだが、かといってヒゲ面の親父のキャラクター『ナスタフ』っていうのも、あまりにも自分とかけ離れすぎているため、最近ではプライマリーのアヤネのデータをすこしいじって作ったゲーム用の『アヤネ』で『スター・カーニヴァル』にきている。
選択画面でちょっとややこしいので、ゲーム用のアヤネは髪の色をど派手な紫に変えてしまった。ちなみに、胸もすこし大きくしたのは、内緒である。
アヤネの顔はほぼ素顔だが、別に学校の友達とかとゲーム空間で会うわけではないので、構わないだろう。
というか、学校の友達で彩音がボイド宇宙でゲーム空間に接続しているのを知っている者はいない。
万が一ここで知り合いに会ったとしても、ゲームキャラのアヤネは、本当の彩音とちがって、紫に染めた髪を肩のところで切りそろえている。
顔はほとんどいじってないが、真紅のルージュにアイラインを引き、髪色がここまで違えば、われながら別人のようだ。
仲の良い友達に偶然会ったとしても、そうそうは気づかれまい。
いまアヤネがいるのは、ミッションが終了したためもうすぐ削除される十四番艦。
気の早いプレイヤーはすでに切断してデータの更新を終えている。
ほとんど人のいないロビーをぶらりと歩き、すみにあるデスクトップ・シートに腰をおろして画面をタッチし、アヤネは今回の特殊ミッションの情報を検索してみた。
やはり『銀色のトカゲ』を追って要塞内に突入したプレイヤーのほとんどが、要塞の崩壊に巻き込まれるエラーを起こしたらしい。
地中に埋まったカーニヴァル・エンジンが行動不能に陥り、300人ちかいプレイヤーが、機体およびプラグキャラの喪失という憂き目にあったようだ。
これに対して人形館はシステムにバグがあったことを認め、プラグキャラと喪失した機体の保障を約束している。
しかしそれでもオフィシャル側に対する不信感は消えないようで、特に今回、『ワイルド・ホイール』作戦中に大破したベルゼバブが逃走した際に、目に見えない敵の攻撃をうけて味方がつぎつぎと謎の行動不能におちいったことから、やはりベルゼバブはオフィシャルが用意した敵キャラであり、それを撃墜させないためにインチキくさい強制シナリオが組まれており、それゆえベルゼバブを追撃したカーニヴァル・エンジンがつぎつぎと謎の行動不能に陥ったのだという意見が一般的になっていた。
アヤネもこれについては同じ考えだ。
あのヨリトモがプレイヤーキラーに走ったとは思えないし、秘密裏にオフィシャル側から依頼を受けて、味方を苦しめる敵キャラとして活動しているというのが、やはり一番ありそうな話だと考えていた。
アヤネは情報画面を閉じると、シートの背もたれに身をあずけた。
ちょっとだけ目を閉じ、きちんとそろえた足を伸ばす。控えめに伸びをしてから、やおらクロノグラフを受光部にかざして自分のハンガー情報を呼び出す。
先ほどの戦闘で撃墜されたため、この十四番艦に持ってきていた赤い『フルクラム』は『大破』にされていた。
機体補修にかなりの時間とポイントが取られるだろう。正直これは痛い。
フルクラムはやっと溜めたポイントでどうにか手に入れた汎用機体で、アヤネとしてはこれでがんがん稼いで、強力な武器やカスタム・パーツを手に入れるつもりでいた。
八番艦の自分のハンガーには、あとは最初に手に入れたドラミトンしかない。
一時期使っていた『バーサス』はフルクラムを買うために売却してしまった。思えばあれはいい機体だったし、なんかもったいないことをしたものだと思う。無理して高価な機体のフルクラムを買ってしまい、すこし背伸びしすぎたかもしれない。
ムサシから『特殊ミッション』の裏情報を教えてもらい、かなり早い段階で参加したのも、そもそもがポイントのためだ。
1億ポイントをもし手に入れることができれば、かなり強力で高性能な機体を手に入れることができる。それだけあれば、憧れのフェンリル、グリフォンだって夢ではないのだ。
もっとも、グリフォンは出現率的に、激レアなのだが……。
ところがこの『特殊ミッション』。いざ蓋をあけてみると、とんでもないことが起こった。
惑星ナヴァロンに、ヨリトモがいたのだ。
脅威のプレイヤーキラーにしてバーサーカーの異名を持つハッカー。捏造機体ベルゼバブによってシステムを無視したチート技を駆使する最強の敵。
ナヴァロンの荒野で、彼のベルゼバブを見たとき、アヤネは通信を送るべきかと本気で悩んだ。
クロノグラフの画面をひらき、彼の名前を検索し、あとは通話ボタンを押すだけ。それだけで呼び出しを開始する。しかし、アヤネにはできなかった。どうしてもできなかった。
そりゃそうだ。
だって彩音はヨリトモのカード端末の番号だって知っているのだ。かけようと思えばいつだって彼に個人的に電話をかけられる。それを今までしなかったのは、ただ自分に勇気がないからであって、それ以外になんの理由もない。
ヨリトモは、一度要塞攻略で一緒になっただけのあたしを、覚えていてくれるだろうか? 通話を繋いでみて、「はあ? どなた?」とか言われたらどうしよう。
そんなことばかり考えて、どうしても彼に連絡をとることができずにいた。そしてそれは、ナヴァロンの荒野であのベルゼバブと再会したときも、やはり同じだった。
通話ボタンを押せばいいだけ。でもたったそれだけが、どうしてもできない。そのための勇気が湧いてこない。
神様お願い、あたしにほんの少しだけ勇気をください。
そう祈るアヤネの指は、いつものように通話ボタンをおすことができなかった。
そして、逡巡するアヤネは、その直後、心底驚かされたのである。
ベルゼバブとは、味方にするととても心強いが、敵に回すと、こうまで恐ろしいのか。ヨリトモとは、ここまでのパイロットであったのか。
惑星ナヴァロンの砂漠で、アヤネは痛感した。
彼女は離れた場所から、ベルゼバブが味方のカーニヴァル・エンジンをつぎつぎと屠る様を眺め、呆然とし、そして恐怖に震える。彼女は結局、その日は要塞攻略に参加せず、ただベルゼバブの戦闘を見守るだけだった。
そして心底うらやましいと思った。
強い憧れと、それ以上に強い、強い強い、燃えるような嫉妬を感じたのだ。
あそこまでカーニヴァル・エンジンを操れるヨリトモがうらやましい。いったいどんなトレーニングをすれば、カーニヴァル・エンジンがああいった風な動きをできるのだろう。
アヤネは羨望のまなざしでベルゼバブを見つめた。
「奴には、あんた以外に守りたい人がいるんじゃないの?」
ムサシのそんな言葉が甦る。あたし以外の誰かのために、ヨリトモは戦っているのだろうか? だれか別の、あたしじゃない、……女の子のために。
そういう風に考えると、なにか自分でもよく分からないめらめらと燃える炎のような感情が湧き起こる。
ミッション2日目にワイルドストーン小隊の『ワイルド・ホイール』作戦に参加したときは、ベルゼバブの攻撃はアヤネのいる位置の反対側だったために、やはり出会うことができなかった。
作戦は成功し、ベルゼバブは大破したが、辛うじて逃走することに成功したらしい。
もしかしたら、本当に彼があそこで撃墜されそうになったとき、あたしが助けにいってあげてもよかったかも。彩音はそう考えて、ちょっとほくそえむ。
ぎりぎりのところであたしが助けてあげたら、ヨリトモはあたしのことをどう思うだろう? 感謝してくれるだろうか? あの要塞攻略のときに一緒だったナスタフだと知ったら驚くだろうか? そしてあたしの手を握って一緒に戦ってくれって、頼んできたりして……。
しかし3日目の最終日。本日。
アヤネは赤の三銃士の小隊に属して要塞攻略に参加し、そこでベルゼバブに一瞬のうちに撃墜された。強烈な加速と運動性。鮮やかな空力旋回。そして地上で水蒸気を吹きながら行う超音速のコメットターン!
え?と思ったときには、撃墜されていた。
自分も努力すればあんな操縦ができるようになるのだろうか? もしかしてヨリトモのように地上であんな、超音速でコメットターンを連発して旋回を続けるようなことができたりするのだろうか?
それくらい上手くなったら、ヨリトモも一目置いてくれて、味方として、いや敵としてでも構わない。あたしに夢中になってくれるだろうか?
ピーン!という音とともにハンガー情報画面に、新着通知のマーカーが点る。なにか新しい情報だろうか? もしかしたらこの時間だとムサシからのメッセージじゃないだろうか。
アヤネがめんどくさげに指を伸ばして画面をタッチすると、
『新機体を手に入れました』
と表示された。
は?と首を傾げる。
新機体を手に入れた? いま? なんで?
機体とは、ポイントを消費して購入するものだ。
そして購入できる機体はショップ画面で確認するのだ。新しく出現した機体はそのショップ画面に表示されるものであり、その出現はいちいち新着情報として来たりしない。
だから、いきなりハンガー画面に機体入手のメッセージが出ることはない……、と思う。
アヤネは首をかしげ、『OK』のボタンを押してみる。
画面にいま自分が入手したらしい機体の情報が表示される。
機体名 アスタロト
シリーズ デーモン
パワー SS
モビリティー D
アーマー SS
スタビリティー S
アキュラシー S
スピード D
アクセル A
固定武装 アスタロト・レーザー
カテゴリー ユニーク
出現度 0
アヤネは眉間に皺をよせ、かすれた声でつぶやいた。
「なにこれ……?」
第3巻 完
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