アナザーワールドプレイヤー ~異世界に迷い込んだ刑事と弱虫少女が歩む未知の世界~

コロコロ

プロローグ

プロローグ

 

 東京都内某所。とあるアパート。木造二階建ての、古めかしい建物。一見すると、何てことはない、近代化が進む中では少し珍しいかもしれない程度でしかないこの建物。


 太陽が真上に上る時刻、その周辺に、普段は集まらない程の大勢の人々がいる。半径数m離れた位置には、4台ものパトカーを盾にするかのように集まった警察官たちと、硬化プラスチックシールドを携えた機動隊。そして彼らの背後には、大勢の野次馬とテレビカメラを構えたテレビ局の人間。


 何故、彼らがここに集まっているのか。その答えは、アパートの二階の一室のドアの前にある。


「動くなぁぁぁぁぁ! テメェら離れろぉぉぉぉぉぉ!!」


 紫色のジャンパーを羽織った、くすんだ色の金髪をした若い男が、アパートを取り囲む警察官たちに向かって叫ぶ。目の焦点は合ってなく、叫ぶ口から飛び出す唾にも気にも留めない。その顔は怒り、焦り、苛立ちが混ぜられて醜く歪んでいる。


 何より目立つ物。それは、その右手に持った、鈍く光る包丁。何てことはない、ホームセンターにでも行けば普通に買える代物である。それを男は前方に突き出して警察官たちを威嚇するかのように振り回す。


 さらに、左脇に抱えている物。いや、物ではなく、人。妙齢の女性が、男に首を絞められているかのように拘束され、恐怖の程を表情が物語っている。どう見ても男の片割れには見えない。


「やめろ山川! お前はもう包囲されている! そんなことをして罪を重ねたところで意味はないだろう! 人質を離して投降しろ!!」


 パトカーの扉を盾にして、一人の刑事が拡声器を口に当てて叫ぶ。それに対し、山川と呼ばれた男の返答は、


「うっせぇぇぇぇぇぇ!! お前らどっか行けぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 怒声と共に、包丁を人質となっている女性の目の前に向ける。ありふれているはずの道具も、今のこの状況では何よりも恐ろしい凶器となる。切っ先するどい刃物を向けられ、女性は小さな悲鳴を上げた。


「おい! テメェら一歩でもこっちに近づいてみろ! こいつ刺すぞぉ!!」


 包丁を女性にさらに押し付け、それが脅しでないことを見せつける。一触即発の空気。警察もこの状況では成すすべがない。


 そんな中、アパートの前に停まっているパトカーの一台の傍で、苦々しそうに山川を見つめる、スーツを着た若い男性刑事がいた。黒い髪をポマードで逆立てて整えた髪を、苛立ち紛れにクシャクシャに乱す。


「日下部先輩!」


 そんな日下部と呼ばれた男性刑事に、日下部よりも若く見える男性刑事が駆け寄る。そんな彼に目もくれず、日下部はアパートから動かない山川を睨みながら応えた。


「配置はどうなっている?」


「もうすぐだそうです。5分もしないうちに配置完了とのことです」


「そうか……クソ、まさかここまで大騒ぎになるなんてな」


 後輩の報告に、舌打ち紛れに毒づく日下部。今現在、人質を取っている山川は、日下部が何日もかけて張り込み、尻尾を掴もうとしていた。


 山川の罪は、殺人、強盗。長い捜査の末に、彼が行った犯行の証拠をとうとう掴み、やっと踏み込めると思った矢先のこと。功を焦った別の後輩がミスをしでかし、山川にこちらの動きがバレてしまった。そして彼は根城にしている安アパートに立てこもり、住人である人質の女性を捕え、今に至っている。


「アパートの住人の避難は?」


「突然のことだったので、まだ何人かは部屋に……」


「ったく、そうなるとアパートの中にいる人間全員が人質のようなもんじゃねぇか」


 騒ぎを聞きつけて部屋から顔を出した数人の住人は、事態を察知して避難はできたが、避難した住人からまだ部屋に人がいるという情報を聞いた。下手に突入すれば、人質の女性だけではなく、焦った山川が住人の住まう部屋に押し入ってしまう可能性が出てくる。住人が騒ぎを聞いて扉の鍵をかけているのを祈るしかない以上、無理矢理突入するのは危険すぎた。


「何とか人質だけでも救助する方法は……」


 アパートの住人は部屋に閉じこもっていれば大丈夫だとして、今の状況を打破するには、やはり山川が捕えている人質を、一刻も早く救助しなくてはならない。人質さえ手放せば、機動隊がアパートに突入して山川を確保することができるし、最悪の場合、五分後には展開されるであろう狙撃犯が誤射するリスクを消せる。


 ここはやはり、山川を説得し続けるしかない。日下部はそう判断した時だった。


「テメェらそこどけぇ! 俺が通る道を開けろやぁぁぁぁぁ!!」


「逃げたところで無駄だ! もうお前はどう足掻いたって逃げることはできない! 諦めて投降を」


「うるせぇっつってんだろぉぉぉぉ!! この女殺すぞぉぉぉぉぉぉ!!」


 山川の怒声が再び響き渡る。この場から離れて、自身の車で逃げる算段なのだろう。女性を引きずるように、アパートの廊下をじりじりと歩く。


 それを見て日下部は内心焦りだす。早くどうにかしなければ、人質を連れて逃げられてしまう。機動隊も人質がいる状況ではどうすることもできない。狙撃班もいまだ展開できていない。


 どうする、どうする、日下部が悔し気に山川を睨み続けていた。


「さっさとどけぇ! 俺の目の前から消え失」


 山川がそう言いかけた瞬間、扉が開いた。


 彼の、進行方向に位置する扉が。


「ぐぇっ!?」


 体の側面からの衝撃に、山川は思わず声を上げる。突然の出来事ゆえに衝撃を抑えきれず、たたらを踏む事となった。その瞬間、人質を拘束する腕の力が緩んだ。


「ひ、ひぃっ!」


 咄嗟の判断で、這う這うの体で逃げ出す女性。恐怖で足が竦むかと思いきや、自身の生存本能から来る力で逃走し、山川から離れる。


「て、テメェ待ちやがれ!!」


 どうにか体勢を整え、女性を追おうとする。だが、すでに女性は階段を駆け下り、警察の手で保護された後だった。


「クソがっ!!」


 女性が解放されたことで、後手に回っていた警察が勢いを取り戻す。間もなく山川を確保するために動くその前に、早く新しい人質を入手しなければならない。山川は混乱する頭からどうにかして最善の方法を探し出し、そして思いついた。


 先ほど開いた扉。開いたということは、住人が出てきたということだ。ならばそいつを人質にすればいい。ましてや自分に扉をぶつけた相手だ。その苛立ちもぶつけてやれる。


 そう考えた山川は、開いた扉へ目を向けた。そこにいたには、


「うぉ、すまん! まさか人がおるとは思わんかったわ!」


 と、扉の向こうから覗き込むような形で、慌てた様子で謝罪する壮年の男性。ベリーショートの黒髪を掻きながら、後ろ手で扉を閉める。180以上ある高い身長と、よれよれのカッターシャツの上からでもはっきりわかるガタイのよさと、威圧感を感じる顎髭を生やしたいかつい顔。


 そして、申し訳なさそうにしていながらも、顔に見合った鋭い目つき。


 そんななりを見て最初は一瞬戸惑った山川だったが、この状況も理解できていない男性の様子を見てすぐに侮蔑の笑みを浮かべて男性に向けて包丁を向ける。


「おいテメェ、こっち来やがれ! テメェが人質だ!!」


「は?」


 凶器を向けられ、普通ここは恐怖するところではあるはずなのだが、男性は状況が追い付いていないのか唖然とした。


「い、いやいや。人質? 一体何があって……」


 視線をアパートの外へ向ける。簡易的な鉄柵の向こう側では、数台のパトカーと、一部呆気に取られている大勢の警察官と機動隊、そしてそれらを見守るかのように、多くは興味本位で集まる野次馬の人々という物々しい雰囲気のこの状況。


「あぁ……そういうことなんか」


 今、何が起きているのか。それを全て理解した男性は、困ったように頭を掻いた。


「……テメェ、舐めてんのか?」


 狼狽えも、怯えもしない、まるでこの状況に慣れていると言わんばかりの男性に、山川はこめかみがヒクつくのを感じる。この場から逃げ出さないとという焦りと男性に対する苛立ちが、山川の理性を徐々に削っていく。


「あぁ、すまんすまん。で、ワシはどないすればええんや? 人質になりゃええんか?」


 相も変わらず、包丁を向けられているのに飄々とした男性の態度に、山川の怒りは頂点に達した。


「……っふざけんじゃねえぞおおおおおおおおお!!」


 怒りに身を任せ、山川は包丁を男性の腹部目掛けて突き出さんと、腕を大きく引いた。その道のプロならばともかく、山川の動きは素人のそれである。だが、明確な殺意と狂気に充てられてしまえば、一般人ならば恐怖に動きが止まり、その刃が迫るのを見つめるしかできないだろう。


 男性もまた、山川の持つ包丁が迫るのを何もせず見つめ、そして、


 身を捻り、躱し、懐に潜り込んで包丁を持つ手首と山川の肘の下を掴み上げ、


「っふんっ!!」


 一気に背負い上げて、その勢いのままで床に叩きつけた。鉄製の廊下の床に思い切り叩きつけられた山川は、混乱する前に全身に走る痛みに悶えるしかない。男性は投げた後も拘束を解かず、いまだ包丁を握っていた手を捻り上げて、強引に力を抜かせて包丁を取り上げた。


「ほい、確保」


 山川を投げ飛ばした男性は、軽く仕事をしたような風にそう呟いた。


 その光景を一部始終見ていた警察官と機動隊、野次馬は、ただただ唖然とするしかなかった。それもそうだろう、突然アパートから出てきた男性が、先ほどまで暴れて猛威を振るっていた凶悪な犯罪者を、まさか一本背負いで倒してしまったのだ。誰もが驚き、しばらくその場には静寂が響いていた。


「……か、確保ぉぉ!!」


 ようやく我に返った機動隊隊長が怒号を発し、機動隊が突入。アパートは再び騒然となる。数分後、機動隊員に両脇を抱えられ、抵抗してわめき声をまき散らしながらも連行されていく山川がパトカーに押し込められた。


「いやぁやりましたね先輩! 事件解決ですよ!」


 それを見つめる日下部に、後輩刑事が興奮を隠せない面持ちで話しかける。だが、日下部はそれには応えず、やがて俯きつつ顔を手で覆ってため息をついた。


「……せ、先輩? どうしたんスか?」


「……どうしたもこうしたもねぇよ……」


 先ほどまで、卑劣な犯罪者に対する怒りを見せていた日下部は、今や完全燃焼したかのような気のない声で顔を上げた。声と同様、心底疲れたと言わんばかりの表情、それと何故か呆れているかのようなうんざりした感情も見て取れる。


(事件が解決して、安心して疲れたのかな? いや、それにしては……)


 何に対して呆れているのか後輩刑事は理解できずに考える後輩刑事。そして、そんな二人に向かって歩み寄ってくる人物がいた。


「おぉ、誰かと思えば」


 右手を上げて旧友に会ったかのように声をかけてくる男性。それは、先ほど山川を一本背負いでブン投げた、この事件の解決の立役者であった。


「あ、あなたはさっきの! 事件解決のご協力、感謝いたします!」


 男性に気付いた後輩刑事は、活躍した男性に向かって恭しさを感じさせながら敬礼をする。男性も敬礼を返し、それに応えた。


「あぁいやいや、大したことはしてへんわ。それよっか」


「いやぁしかしすごかったですねぇ先ほどの一本背負い!」


 話を続けようとした男性を遮り、後輩刑事は先ほどまでの恭しさはどこへやら。日下部に向けていたような興奮した面持ちを男性に向け、語りだす。


「どこかの柔道家か何かですか!? 刃物持った相手に怯えずに立ち向かうなんて、並大抵のことじゃできませんよね!! もしかしてプロとか!?」


「お、おう、というよりワシは」


「あ、でもですよ!? 一般人が無茶なんかしたら危ないから、今後ああいった行動はやめてくださいよ!? 今回はあなたのおかげで助かりましたけど、もし万が一のことがあったら危ないんですからね!? ああいう出来事に巻き込まれたら、相手に立ち向かおうとするんじゃなくて、我々警察が」


 男性を説教する流れとなったところで、話すのをやめない後輩刑事の肩に手を置かれる。手の主は、日下部。その顔には、先ほどまでの疲労と呆れではない、ありありとした苛立ちの感情が露わとなっていた。


「せ……先輩?」


 興奮も冷め、明らか怒っている日下部に後輩刑事は萎縮する。それに気にも留めず、日下部は男性に向かって口を開いた。


「……アンタって人は、またこんな事しでかして。これで何回目なんですか?」


「いやいや、今回はっていうか、今までのもほとんどが偶然やねんけど……」


「偶然にしても何にしても、これは我々の事件です。そっちが首を突っ込んでいい案件じゃないでしょう」


「う、すまんって……まぁ、事件解決したことやし、結果オーライってことでええんちゃう?」


「現場はよくても上が納得しませんよ!」


「……せやなぁ」


 後輩にとっては恐ろしい日下部の怒りだが、男性は平然と、しかしそれでいて申し訳なさそうに返す。そのやり取りは、一般人を叱る刑事というよりも、慣れ親しんだ間柄というような、距離の近さを感じられるような物。


「え、えっと先輩? この人、知り合いなんスか?」


 後輩刑事が日下部と男性の会話の間に入り、問う。疑問に思っている後輩に、日下部は頭を掻きむしりながら苛立ち紛れに応えた。


「……この人は、俺らの同業者だ。それで、俺の先輩でもある」


「へ?」


 素っ頓狂な声を上げる後輩刑事に、男性はポンと掌を叩いた。


「せやせや、見せた方が早いわな」


 ズボンのポケットを漁り、そこから取り出したのは黒革で装丁された一冊の掌サイズの手帳。その手帳に書かれた文字を見て、後輩刑事は驚く。


「け、警察手帳……!?」


 そして、男性は手帳を開き、上面の写真を見せて身分を明かす。


「ワシは尭宮署(たかみやしょ)刑事一課所属の警部補、大久間祐樹(おおくまゆうき)や。一つ、よろしゅうな」


 男性、祐樹は、唖然とする後輩刑事にそう言い、いたずらっぽく笑った。





 後日。


「お前は何やっとるんだぁぁぁぁぁぁ!!」


 尭宮警察署。警視庁が管轄する警察署であり、尭宮町という東京都内にある町の安全を守っている刑事たちが所属している。今日も警察官や署内に用事のある人間が出入りし、署内では職員が仕事の為に行きかう中、尭宮署には怒声が響き渡った。


 発声源は、強盗、殺人といった凶悪事件の取り締まりを専門とする警察官たちが集まる刑事課のオフィス。そしてその怒声の主は、深い皺が幾つも刻まれた、祐樹よりも年上の男性である、尭宮署刑事課の課長。階級は警部。


 その課長が、事務所の奥まった場所にあるスチール製の机を叩きながら、目の前で立つ祐樹に向かって吠えていた。周りで仕事している刑事一課の刑事たちは、関係ないはずなのにその怒声と机を叩く衝撃音で思わず肩を震わせた。


 祐樹はというと、さすがに申し訳ないと思って、大きな体を縮こませていた。その腕には、いつも羽織っているコートを掛けるように持っている。


「よもや本庁が取り扱っていた事件に首突っ込んだ挙句、手柄を横取りするような事をしでかすなんて、何やってんだお前はぁ!?」


「い、いやぁ、その、あれは偶然だったっちゅーか……」


「お前が言う偶然は説得力がねぇんだよ!? これで何回目だ!? 他の署が捜査していた事件にも関係ないはずのお前が出しゃばったりするから、こっちに来る苦情が半端ねぇんだよ!!」


「いやそれらもこっちが意図せずに巻き込まれたっちゅーか……まぁ、無事解決したからええんちゃうかなーって」


「いやよくねぇよ全然よくねぇよ!! 手柄横取りだよ相手の面目丸つぶれだよ、しかも今回は本庁の事件にまで思いっきり首突っ込むどころか全力全開でヘッドバットかましに行ってんだよ!!」


 よくわからない例えを持ち出す課長に、祐樹は小さく「すんません……」と謝罪した。ますます体が小さくなっていくかのようだった。


「大体あそこで何してたんだ!? お前はあの日非番だっただろ!! 何の用事があってあんなボロアパートにいた!?」


「あぁ、あれは……えっと……」


 頬を指で掻き、視線を彷徨わせる祐樹。その煮え切らない態度に、課長は苛立ち紛れに机を指で叩いて話を促す。


「……あそこの田中さんっちゅう昔から仲のええ住人がチェスに嵌ってもうたらしく、その対戦相手がおらんかったんでワシが代わりに、と……」


「……で?」


「そんで、田中さんが、対局中? いやこれは将棋に使うんやったっけ? そこんとこどないでっしゃろ課長?」


「知るかさっさと説明しろ!」


「田中さんが途中で酒買いに行くことんなってその留守番する羽目んなった挙句にうたた寝してる間に外が騒がしいと思って扉を開けたら容疑者に扉がぶつかって今回このような結果となりました!!」


「信じられるかバカ野郎ぉぉぉぉぉぉ!!」


「説明したのにそれはひどないですか!?」


 祐樹としては真実を話したのに罵倒されるのは理不尽の極みだった。


 久方振りの休みで久方ぶりに商店街でもブラつこうと思って出掛けようとした矢先に連絡を受け、緊急事態ということで仕方なしにアパートにお邪魔して、よくわからないチェスのルールを説明されて『やっぱ帰る』と言って帰ろうとしたら本気でお願いされたので仕方なしに対戦し、途中で酒とツマミが欲しいからと家に呼んでおきながら留守番を頼まれて、勝手知ったる他人の部屋でゴロゴロしていたところを外の喧騒が気になって扉を開けたら、そこに凶悪犯罪の犯人が人質とってたなんて、誰も思わないだろう。


 というより、仲のいい人が住んでるアパートにそんな人間が住んでたなんて、それこそどれだけの確立だというのか。


 これまでの事件だって自分から首を突っ込んだわけでもないのに、結果的に巻き込まれてしまった出来事ばかりだ。


 うまいラーメン屋がある町まで出かけたら強盗事件に巻き込まれて、日帰り温泉旅行へ行ったら殺人事件を捜査してるところに出くわしてなし崩し的に、大学時代の友人に誘われて登山をしにいったら潜伏中の殺人犯を捕まえるために奔走する羽目になったり……どこのサスペンスドラマか、或いは某少年探偵アニメの見た目は子供で頭脳は大人な主人公だと言うのか。


 しかも結果的に全部祐樹がその場の中心になってしまったりしてしまったからさぁ大変。その場にいた警察官は、祐樹を協力者みたいな扱い方だったからいいとして、県警のお偉いさん方はカンカンだった。


 偶然だと言っても誰も信じてくれないし、せっかくの休日もおじゃんになってしまったし、挙句課長には現在進行形でボロッカスに言われているし、厄日だと祐樹は内心嘆いた。


 因みに、チェスは10戦中10敗で、賭け金代わりの20円で売られているチョコを全部田中さんに取られた。思い出してまた泣けてきた。


「まぁ百歩譲ってアパートの友人に遊びに行ったのは別にいいとして、何でお前はそういった他所のでかい事件に出くわすんだ、あぁ!?」


「もうある意味才能ですわ」


「うっせぇよそんな才能なんかブレーンバスターかけた上でドブに捨てちまえバカ! このバカ! お前って奴はいっつもいっつも……あーもう、胃が痛い! 胃薬胃薬」


「ほい」


「お、ありがとう……って胃痛の原因が何で胃薬持ってんだよ!?」


「いやぁ課の皆が説教されるんならこれ持っとけって言うもんやから」


「嬉しくねぇよそんな気遣い!! ていうか何!? 俺そんな心配されてんの!? どうなってんだよここ!! 俺慕われてんのかバカにされてんのかわっかんねぇよ滅茶苦茶不安になっちまうだろうが!!」


「……えーっと……」


「悩むなよぉそこで悩むなよぉ! 言うか言わないか悩むなよ!! それだけでどう思われてんのか察しちゃうだろ!! ってか周りの奴ら目すら合わせてくんねぇよ!!?」


「……ドンマイっスわ」


「サムズアップしていい笑顔で言ってんじゃねぇよバカ! ホントバカ! バカバカバァァァァァカ!!!」


「ちょ、バカバカ言いすぎやないですかねぇ……」


 だんだん罵倒が子供っぽくなったところで、課長はやがて倒れ込むように回転椅子を軋ませながら深く座り込み、ぜぇぜぇと肩で息をした。


「……まぁ、事件解決に貢献したってことで大目に見るが、そう何度も何度も庇いきれないんだからな。反省しろよホントに」


「いつもお世話んなっとります」


「反省してねぇだろお前ホントぶっ飛ばすぞ」


「本当に申し訳ありませんでした。以後はこのようなことがないよう、細心の注意を払って日々に取り組んでいく所存です」


「真面目なこと言ってるのに全く信用できねぇんだよテメェはよ」


 課長からの信用は奈落の底より下だった。


「もういい。本当にこれ以上面倒事増やすんじゃねえぞ」


「了解! 失礼します!」


 しっしっと手で払うように机に戻るよう促され、祐樹は敬礼をして踵を返した。扱われ方はぞんざいではあるが、事実課長には迷惑をかけてしまっているため、この態度は妥当であると言わざるをえない。


 自身の机に戻ると、回転椅子の背もたれにコートを掛け、疲れたように天井を仰ぎながら回転椅子に座る。


「はぁ……わざとじゃないにせよ、課長にはホンマ頭が上がらんわ……」


 呟き、祐樹はため息一つこぼした。


「お疲れ様っス、先輩。相変わらず課長の説教はきついっスねぇ」


 祐樹の隣のデスクに座る、短い茶髪を逆立てた、一見すると軽そうな性格にも見える青年が、苦笑交じりに祐樹を労った。


「……何ならワシのこの不運を分けてやってもええんやぞ、北本?」


「いえ、御免被るっス」


「コンマ1秒で返すとはさすがやな。八つ当たりしたろかこの野郎」


 即答した青年こと祐樹の後輩、北本を祐樹はジト目で睨んだ。


 本来であれば処分を下されるところではあるが、事件解決に貢献していることは事実であるゆえ、厳重注意で済ましているのだから、課長には本当に感謝している。でもやはりそう何度も庇ってもらっては申し訳ないし、相手の面子も立たない。今後は気を付けなければいけない。


 と、そう思う祐樹ではあるが。


(ホンマ、何か憑かれてるんちゃうかワシ……)


 自分から関わりに行こうとしているのではなく、向こうから祐樹を巻き込んでいくのだから、どう防げと言うのだろうか。祐樹はそう自問自答し、今度お祓いでもしに行こうかと本気で思い始めていた。


「……そういや、日下部の奴にも迷惑かけてもうたなぁ。今度奢るか」


 ポツリ、そう呟く。


 日下部が今回の事件に力を入れていたと聞き、祐樹は罪悪感が湧いた。職場は違えど、今でもたまに連絡を取り合っている間柄でもある後輩。今はエリート刑事として警視庁では大活躍していると聞くが、後輩の頑張りにどこか嬉しく感じる祐樹。


 そんな彼の邪魔をしてしまったのだから、今度うまい焼き鳥屋にでも行こうかと思い、懐から携帯端末(機械には弱いため、通話機能とメール機能しか使っていない)を取り出して、日下部に連絡を取ろうとする。


 だが、その前に課長のデスクの上に置かれた電話がコールを鳴らした直後、すかさず課長の手が動き、受話器がその手に握られる。


「はい、こちら尭宮署刑事課……はい……はい……」


 受話器に耳を当てた瞬間、先ほどまで祐樹を怒鳴りつけていたような怒りの形相から一転し、真剣な物へと変わる課長。受話器の向こうからの話を聞いていくうちに、その表情はさらに真剣味を帯びていく。


「わかりました、すぐに現場に急行します」


 受話器を置くと、課長はデスクから立ち上がった。


「尭宮町4丁目のコンビニで強盗事件発生! 犯人は銃を所持したまま逃走中!」


 事件。その言葉を聞き、普段の剽軽(ひょうきん)な態度から、事件を解決するために尽力する刑事の顔へと切り替えた祐樹は、デスクから立ち上がった。


「課長、他の情報は?」


「幸い、ケガ人はいない。だが時間をかけると被害が出る恐れがある」


 そう言い、課長は黒いコートを羽織った。


「奴の逃走経路を洗い出すぞ! 全員迅速に動け!!」


「はい!!」


 課に所属する全員の声が揃う。祐樹は携帯をポケットに戻し、背もたれにかけていたコートを広げ、羽織った。


 いつもの鼠色のスーツと青いネクタイ、そして愛用の焦げ茶色の少しくたびれたトレンチコートという、刑事としての服装となり、祐樹は襟を整えた。


「んじゃ行くで、北本!」


「はい!」


 北本を連れたって、祐樹は歩き出した。


 刑事として、一人の人間として、世に蔓延る悪を許さない姿勢を崩さず、正義を執行するために、大久間祐樹は進む。力を持たない人間のために、自らの手が届く限りの犯罪を取り締まる刑事として。





 その信念を胸に抱いたまま、彼は世界から姿を消す。




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