12月24日(月) -8 days to the last day-
クリスマス・イヴ 1/2
一説によると、日本におけるクリスマスの市場規模は七千億円にも達するらしい。
今日はクリスマス・イヴ。
僕らはその莫大な市場のほんの一部を担うことになる。サンタ衣装を身にまといクリスマスを演出する役者となるのだ。初めての舞台に胸が躍る。
現在時刻は七時四十五分。僕はいま『クロワッサン』のテーブル席に部長と向き合って座っている。マスターが「朝食に」と用意してくれたクロワッサンを食べて、珈琲をすすっているところだ。そのマスターは、さっきからカウンターで食器をしきりに磨いている。
集合時間は八時となっていたが、昨晩ぐっすり眠って早起きした僕は七時半には着いていた。『クロワッサン』の扉を開くと、中でマスターと部長がなにやら話し込んでいた。僕とは違う理由で部長も気がはやっているのだろうか。
「ときに楠少年」
クロワッサンを食べ終えたとたんに部長が話し出した。
「なんですか?」
紙ナプキンで口元を拭いながら答える。
「ずいぶんと入れ込んでいるそうじゃないか」
部長は珈琲を一口すすって深い笑みをたたえた。
「……マスターに聞いたのですか?」
「うむ。部員の素行調査は部長の仕事だからな」
「そうですか……」
僕は珈琲の残りをぐいと飲み干した。別に部長に知られたからと言って、どうということもない。そもそも、部長に知られるのは時間の問題だったし、じゅうぶんに織り込み済みでもあった。
「これ以上の詮索はしないから安心してくれ。部長としてはどちらかに肩入れしすぎるわけにもいかんのでな。ただ、ひとつだけ協力してやろう」
「どちらかに?」
部長の発言に首を傾げていると、ドアベルがカランカランと鳴った。扉を見やると千見寺と遥と天川の三人が揃って入ってくるところだった。
「「「おはようございます!」」」
三人の元気な声が店内に響く。
「おはようさん。今日はよろしくな。空いてる席に座ってくれ。いまモーニングセットを用意する」
カップを磨く手を止めたマスターが三人に向かって声をかけた。三人はそれぞれお礼を言いながら、僕らの隣のテーブル席へ座った。
「おはよう諸君。昨晩はじゅうぶんに眠れたかい?」
「おはようございます部長。正直あまり寝つけませんでしたね」
遥が手に持った大きめの袋に視線をやりながら答えた。おそらく僕の家から持っていったサンタ衣装が中に入っているのだろう。何を選んだのか楽しみだ。
「遥はクリスマス気分を味わえるんだから良いじゃねーか。俺なんて奥でずっと皿洗いだぞ?」
いまだに納得していないのか千見寺が不満を漏らす。
「私の采配に物言いでも?」
部長が千見寺を鋭い視線で射抜いた。
「いいえっ! すみません! 『ディッシュウォッシャー義男』は万全です!」
「そうか。期待しているぞ?」
「は、はいぃっ!」
千見寺は涙をこらえるように顔をくしゃくしゃにしながら、部長へ敬礼している。部長専属の『自動食器洗い人』として任命されたとしても、泣いて喜びそうな勢いだ。
「楠先輩、あたらしいバイトの方はまだいらっしゃってないのです? 女の子って聞いたので会うのが楽しみで」
天川が期待を込めたまなざしで僕を見ている。
「あーじつはいま、」
サンタ衣装に着替えているんだ、と言いかけたところで、カウンターの裏手のドアがカチャリと開いた。全員が音のした方を向いた。
「ようやくおでましだな。ほら嬢ちゃん、隠れてないでさっさと出てきな」
マスターがにやりと笑って、ドアの隙間からちょこんと顔を覗かせている楓を呼んだ。
「だ、だって……この服恥ずかしい……。いま着ているのわたしだけだし……」
楓の目が泳いで僕の視線とぶつかった。僕が頷くと、楓は諦めたように深く息を吐いて、そろりと姿を現した。あまりの似合いっぷりに、全員の口から感嘆の吐息がもれた。楓はぎこちない足取りでカウンターをぐるりと廻ってホールに降り立つと、全員の視線を一身に浴びながら真っ赤な顔をしてうつむいた。
「ほ、ほれ。あいさつだ」
マスターが歯切れの悪い口調でうながした。さすがのマスターも見惚れていたらしい。
「初めまして…水無月楓です。光葉とおなじ高校二年生です。文芸部のみなさん、よろしくおねがいします」
楓はいつもの綺麗なお辞儀を披露した。仕事モードに切り替わったのか、顔を上げた楓はリンゴのような顔をしながらもしっかりと前を見据えていた。
「ほう…」
「み、光葉って…」
「わぁ、すっごくかわいい…」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとおおおおおお、光葉くうううぅん!?」
文芸部の部員たちが思い思いの反応を示した。二人ばかり僕に突き刺すような視線を向けているのはなぜだろうか……。
「お、おい光葉! こんなカワイイ子をなぜ隠していた!? くぅ――さては独り占めしていたな!?」
「お、おい、落ち着けって。別に隠してたわけじゃないってば」
勢いよく立ち上がった千見寺が僕に詰め寄ってきた。とっさに目線で「部長がいるぞ」と伝える。頼む。伝わってくれ。
辛うじて理性を保っていたらしい千見寺がはっとした顔をして、
「ま、まあそうだな……うん。よく誘ってくれた! これで今日の成功は間違いなしだ! あっはっは!」
千見寺からなんとか逃れてほっとしていると、
「光葉? あんたの家に行ったとき、こんなカワイイ衣装なかったんだけど?」
コスプレにあまり乗り気でなかった遥までもが静かにボルテージを上げていた。楓のサンタ姿はそれだけ破壊力があったということか。
「い、いや、衣装は母さんに任せてたからさ。僕は知らない」
僕がなぜしているのか分からない言い訳をしていると、天川が、
「すっっっっっごく、似合ってます! 水無月先輩! 写真撮ってもいいですか!?」
楓の返事を待たずにパシャパシャとスマホで写真を撮り始めていた。まずい。収集がつかなくなってきた。あ、そうだ。あとでこっそり転送してもらおう。
「水無月――と言ったか?」
妙な熱気に包まれたホールを、部長のクールな一言がぴしゃりと冷ました。
「は、はい。水無月楓です」
天川にポーズを取らされていた楓が、気をつけの姿勢をとって答えた。
「――ふむ」
部長はすこし考え込むような仕草をして、
「カエデ…ではなく?」
楓を探るような視線を向けた。
「はい、そうです。えっと…よく漢字までわかりましたね?」
楓は何を問われたのかを理解したようで、部長に笑いかけた。
「――なに。似合いそうな漢字をあてただけだよ」
部長は「ふっ」と笑い返す。
「ふふっ、そんな風に言われたの初めてです」
部長は「そうか」と笑って、
「よし、皆も着替えてこよう! わが文芸部も負けてはいられないからな!」
「「「おお!!」」」
興奮した三人が我先にとカウンター奥のドアを目指した。途中で遥が「あんたは違うでしょ!」と千見寺に蹴りを入れていた。
楓はわざとらしく痛がる千見寺を見てくすくすと笑った。僕は思わずクリスマス衣装を着た楓をじっと見つめてしまう。
楓が着ているサンタ衣装は、赤を基調としたタータンチェックのふわふわとしたワンピースタイプで、ハートがあしらわれた白いベルトが細い腰回りの位置を教えてくれていた。少し広めに開いた襟ぐりには質の良さそうな真っ白なファーが付いていて、ほっそりとした首には鈴の付いた赤いチョーカーが巻かれている。そして、なんとお尻には思わずもふりたくなるような尻尾まで生えていて、ワンピースと同じ素材で作られた帽子には、当然のように真っ白な獣耳がちょこんと付いていた。半袖ではあるものの、ところどころに赤と白のラインが入った真っ黒なロンググローブをはめていてとても暖かそうだ。足元は真っ白なニーソックスを真っ赤に輝くパンプスが包んでいる。店に着いていきなり渡したものだったので心配していたが、サイズもピッタリで物凄く似合っていた。
――母さん、本当にありがとうございます。
心の中で土下座をして家の方向へ感謝の念を思いっきり飛ばしていると、ふいに部長に後ろから声をかけられた。
「……楠少年よ。見惚れているところ悪いのだが、ひとつ忠告だ」
「へ? ああ、なんでしょう…?」
間抜け面のまま振り向いた。
「純度100%のメイプルシロップはとても苦いんだ」
部長はそれだけ言って立ち上がると、僕の肩をぽんっと優しく叩いてそのままカウンターの奥へ消えていった。
僕は間抜け面のままその後ろ姿を見送った。
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