第21話 ヤンデレお嬢様は神様を信じる
木枯らしは吹いていなかったが、だんだんと寒くなってきたその年の晩秋。
俺と小鳥遊(たかなし)、取り巻き2号と3号とで昼食をとっている時(委員長は男として意識していた小鳥遊のナンパ話を聞くのがつらくて一緒に遊ぶ事が少なくなったのだ)に……。
「実は、前に話した神様がどうとかいう不気味なメールがまだ届き続けているんだよ」
小鳥遊がほとほと困った、というような表情を浮かべて愚痴をこぼした。
ヤツはすっかり忘れているが、それは明らかに田園調布のお嬢様からのメールだ。
カトリック系の女子高に通うお嬢様に、「貴女は本当は神を信じていないでしょう」とか何とか言ってナンパをし、それにまんまと反応してしまった彼女がまだメールを送り続けているらしい。
「イタズラじゃないのか?」
事情を知らない取り巻き2号がジャムパンを齧りながら応える。
「ところが、そのメールの主は名前ーー本名だか何だか分からないんだがーーと、それに住所まで書いて送ってきてるんだ。毎回『どうぞいつでもいらっしゃってください』なんてコメントをつけて。ちょっと怖くないかい?」
「面白そうじゃないか」
取り巻き3号が乗り気になっていた。
「小鳥遊、その相手は女の子なんだろ?」
「どうもそうらしい。田園調布に住んでいるって話だ」
「それが本当ならいいとこのお嬢ちゃんじゃん。怖いんならメールをやめさせる為にも直接確かめに行ってみようぜ!!」
「おい、よしとけよ」
俺は慌てて止めに入る。
お嬢様が小鳥遊に気があるのは明らかだが、俺達が彼女に会ったのはその時から数えてもう2ヶ月も前の事だった。
その間、ずっとメールを送り続けているなんて尋常じゃない。
メールの内容もおかしいらしいし、マンガやライト小説なんかで言う、いわゆる『ヤンデレ』ってやつなんじゃないのか。
上流の家に束縛されて、それが小鳥遊の質問で何かに目覚め、小鳥遊を神聖視するようになったとか。
やめておいた方が懸命だと俺は判断したのだが、
「いや、雪村。ここはやっぱり確かめに行った方が良さそうだ。もうウンザリなんだよ。『4時には大抵家にいます』と書いてあった。大勢で行けば怖くないし、彼女にも考え直してもらいたい」
「お前って、度胸が座ってると思ってたが結構怖がりだったんだな……」
ヤンキーとかには強気で出るくせに、心の防衛本能も発達している。
まあだからこそ色々な女の子達を忘れていっているんだが……。
こうして俺達4人は、田園調布のお嬢様の家を訪問する事になってしまったのであった。
電車に揺られること数10分。
俺達ははしゃいでいた。
怖くはあるが、このちょっとした『冒険』が全然楽しくないと言ったら嘘になる。
これが俺達の青春の1ページと言えなくもない。そう感じた。
※※※
「いらっしゃってくださったんですね!
待ってましたわ。あああ……、どうぞおあがりください!」
メールに記載されていた住所まで行ってみると、豪邸の玄関にいきなりあのお嬢様がいたので驚いた。
お嬢様はいつ小鳥遊が来ても迎え入れられるように、毎日制服姿のままで待っていたという。
怖い。
これは確かに、4人で来て正解だったと思う俺。
しかし、お嬢様は相変わらず透けるように色の白い美少女であった。
おでこを出して長い髪を1本に縛ったヘアスタイルも、セーラー服も記憶と違わない。
2ヶ月前と違っていたのは、寒くなってきたからだろう、素足にソックスではなく肌色のストッキングを履いていた事くらいだ。
俺もよくそんな細かい所に気付いたなと自分で思うが、決してスケベな目でではない。
そう言い聞かせる。
彼女の『本名』は渡辺露西亜(わたなべろしあ)といった。
ーー何か、この家の親御さんはどういう趣味をしているんだろう。
それとも、ハーフなのか?
いや、純日本風の顔立ちだからそうは見えないんだけど。
お手伝いさんがいるのに、露西亜ちゃん手ずからが淹れてくれた温かい紅茶を飲みながら。
彼女はその薔薇色の唇を開いた。
「しつこくメールをしてごめんなさい」
お、意外にも常識はあるのか。
でも名前も含めて異常な女の子である事は確かなので俺は警戒心を解かなかった。
「私は、小鳥遊さんに直接お会いしてお伝えしたい事があったんです」
「ふむ。それはどんな用件かな」
小鳥遊は内心の恐怖を隠して余裕あるポーズを見せる。
「私、私……! た、小鳥遊さんに、私の、か、か、神様になって頂きたいんですう!!!」
俺と取り巻きとの3人は、揃って紅茶を吹き出すところであった。
彼女、やっぱりヤバイ。
小鳥遊だけが悠然としたポーズを隠さずに、
「それは、一体どういった意味かな?」
とロシアお嬢に問うた。
「小鳥遊さんに、『貴女は本当は神を信じていないんでしょう』と言われた時、心の中の何かが弾けたようなショックを受けたんです!!」
「うん、それで?」
小鳥遊は覚えていないなりに話を合わせていた。
「確かに、私の通っている学校では敬虔な精神を強要してきます。でも、小鳥遊さん、私はおかげで気付いたんです。私が学校で学ばされている教科は、信仰にホコリがつかないよう香紙で包まれている古臭い偽物だったんだって。本当の神じゃなかったんだって!!」
「それから?」
「何か自分に救いを差し伸べる存在が『神』なのだとしたら、小鳥遊さんーー、貴方こそが、私の『神』なのです!!」
言ってる事がよく分からないが、偶然ナンパしてきたよく分からん小鳥遊に心酔しているという事だけは伝わってきた。
「小鳥遊、帰ろう」
俺は『神』とやらを促した。
しかし神は腕組みをして何事かを考えている。
悠長に考えてる場合じゃないぞ、さっさと逃げるんだ。
だが小鳥遊の返答は意外なものであった。
「渡辺ーー露西亜さんと言ったよね」
「はい、神様」
「僕は世界の平和を願っている。そういう意味では、神と近い存在かもしれない」
「はい、神様」
「でも、もしも君が本気で僕を神だと思ってくれているのだとしたら、それなりに証拠を見せて貰わないとな」
「はい、神様。私は貴方の仔羊になる為に何でもいたします。どうしたらよろしいでしょう」
「……え? ……う〜ん……ええと……」
肝心な所を考えてなかったのかよ。
だめなヤツだな。
いいから、「神は今忙しいから金輪際メールするな」とだけ伝えて帰ろう。
俺が小鳥遊にそう耳打ちしようとしたら、取り巻き3号がとんでもなくアホな事を提案した。
「何でもするんだったらさ、恥ずかしい事だってできるよな。小鳥遊にそのスカートの中身を見せてやったら?」
「何を言ってるんだお前!!?」
ロシア嬢は取り巻き3号の要求を聞き、ハッとした顔を見せ、白い陶磁器のような肌を林檎のように真っ赤に染めた。
いくらお嬢様でも、3号の言った言葉の意味くらいは通じたのだろうーー。
小鳥遊に、パンツを見せろ、と。
「おい小鳥遊、お前はそんな失礼なもん見たくないよな?」
俺は話をなあなあにしようとした。
人の家で、しかも娘に国名を付ける異常なご家庭で何をやってるんだ俺達は。
よりにもよって、その家のお嬢様にパンツを見せろとは。
だが小鳥遊は腕組みをしたまま目を瞑り、こう答えた。
「そうだね。何でもしてくれるという誓いの言葉は守ってほしい。君達2人は後ろを向いて、僕と雪村の前でだけそっとスカートの裾をあげてみてくれ」
「何で俺まで!!? スケベなシーンを見せられなくちゃいけないんだ!?」
「君は僕の右腕だろう?」
「え、いつ俺がお前の右腕に!? 全く覚えが無いんだが?」
「美由起と付き合ってるじゃないか」
「それとこれとは関係ないだろ……」
しかし、ロシアお嬢は取り巻き2人が後ろを向いたのを確かめると。
これ以上ないくらい真っ赤な顔でおずおずとスカートのすそをつまみ、ゆっくりと掬い上げた。
顔面赤面症の麻里沙を超えるほどに赤く染まっていた。
恥辱と、神に身を捧げる感動の涙も滲んでいたかもしれない。
「露西亜ちゃ……ん、いや、マジでそんな事しなくていいから」
「雪村、止めるな。彼女の、僕への信仰心を確かめるためだ」
男2人で止めろ止めるな止めろ止めるなで争っていたその瞬間、
貞淑なお嬢は、思い切ったように一気にスカートをたくし上げた。
すると。
肌色のストッキングの下にはいている、水色のシンプルかつ可愛らしいハート柄付きパンツが目に入ってしまった。
「……良かったら……。後ろもお見せしますね……」
そう言って哀れな仔羊は後ろを向き、水色と肌色に包まれた丸い2つの丘陵を露わにした。
ストッキングには、シームというのだろうか、丘陵の真ん中に縫い目があって、それがやけに生々しくて。
パンツだけってのよりもいやらしくて。
しかもお嬢様学校の制服で、だ。
俺は必死で、親父とお袋の顔を頭に思い浮かべる事にした。
美由起の顔? 美由起にかえって失礼だ。
俺の頭の中にイメージされた親父とお袋は、笑顔で手を振ってくれている。
何とか大丈夫そうだ。
ロシアお嬢は恥ずかしそうに尻をモゾモゾさせていた。
もう充分だろう。
「おい、小鳥遊よ、露西亜ちゃんのスカートを閉じさせるんだーー!? 小鳥遊!?
おーい、小鳥遊!!?」
小鳥遊は、驚いた事に立ったまま気絶していた。
腕組みをしたまま、目を閉じて。
多分こいつーー。
ロシアお嬢が、本気でやるとは思ってなかったんじゃないのか。
俺と取り巻き2人は見よう見まねで小鳥遊に心臓マッサージを施し、何とか意識を回復させる事ができた。
心配のあまり「神よ、お許しください」と言いながら小鳥遊に人工呼吸をーーつまり唇と唇を重ねたロシアお嬢が、爆弾ヤンデレ娘とはいえ無性に可哀想であった。
しかしもうこれで小鳥遊のファーストキスはおしまいだ。
人工呼吸を数に入れていいのかどうかは1つの重要な問題だが。
「げえほ!! げほ、げほ、げほ、げほ!!」
「大丈夫か、小鳥遊……」
「ああ、大丈夫だ……。でも彼女、まさか本当にやるとは……」
「やっぱり予想してなかったんだな……」
麻里沙のブラジャーやパンツには平気だった不死鳥フェニックスも、生身の女が付いているとダメだったらしい。
小鳥遊は、まだ泣いているロシアお嬢に顔を向けて、おもむろに話しかけた。
「露西亜さん、すまなかった」
「神様……」
「でも、おかげで君の事を思い出した。君がただのイタズラメール娘じゃなかったって事。そもそもは僕が君に名刺を渡したのが悪かったんだ、傷付けて苦しめて本当にすまなかったよ」
「ーーーー!?」
まん丸の丘陵を見たあまりの精神的ショックにより、小鳥遊はロシアお嬢様の事を、あの日の事をーー。
思い出したのであった。
これはもう、一歩進んだ事件である。
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