第4話 男避けの指輪

ごく小さめの噴水を囲むこげ茶色のレンガに腰をかけながら、大人の女性はまた小鳥遊(たかなし)から視線を外した。

小鳥遊の事を、その辺にウロつく土鳩のごとくどうでもいい存在だと言わんばかりの態度だった。


「お姉様、彼氏と何かあったのですか?」


「…………」


無視されて当たり前だ。彼女の反応は妥当なところだろう。

だが小鳥遊は不死鳥(フェニックス)という別名に恥じる事なく、また質問を繰り返した。


「何かおツライ事でもあったのでしょう」


「うるさいわね、坊や」


おお、反応が返ってきた。もうこれだけで大躍進である。


「社会人に話しかけるんだったらせめてその高校の制服を脱いでからにしたら? それとも坊やは中学生かしら?」


「おっと、これは失礼。お姉様みたいな素敵なレディに話かけるのに、こんな格好は合っていませんでしたね。僕がいけませんでした」


「「レディって……」」


女性と、後ろに隠れていた俺は同時に突っ込んだ。

『レディ』は無いだろ『レディ』は。

小鳥遊は「では上だけでも脱ぎましょう。これは高校生徒の特徴みたいな物ですからね」などと言ってエンブレム入りのブレザーを脱いだ。


そしてまた『攻略』の仕事にかかった。


「お姉様は、恋に悩んでいらっしゃるのではないですか」


「私がそんな物に悩むような歳に見える?」


そう言って彼女は左手をヒラヒラとさせた。

その薬指にはプラチナと見えるシンプルな結婚指輪が輝いていた。


それでも小鳥遊は食い下がる。


「ええ。充分」


「面白い子ね」


彼女はちっとも面白くなさそうに言った。


「子どももいるのよ。私は今夜の夕食を何にしようかと考えていただけよ」


「それは、嘘ですね」


おい、否定にかかるのがお前の『勉強』の成果なのか。


「もし仮に御結婚されているにしても、そのよくお似合いなスーツ姿からして専業主婦ではないはずだ。通勤されている会社の中で、何か恋に関するお悩みがお有りになるんじゃないですか」


「いい加減、うるさいわよ。坊や。いいえ、クソガキ」


いつものように逆鱗に触れてしまったようであった。


「私に何があろうとアンタみたいな何処の馬の骨とも分からないクソガキにどうして話さなければいけないの? いいからあっちへ行って」


女性は、シッシッとするように小鳥遊を手で追い払う仕草を見せた。

いつもの事とは言え、俺は小鳥遊が可哀想で見ていられなくなった。


ーーだがしかし、ここで俺の方は気が付いてしまった。


そんなに小鳥遊が邪魔なら、自分から席を立ってしまえばいいのに、と。

そうできない理由があるのか。

例えば誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。旦那さんとかと。


でも彼女は『ここに居るのは夕食の準備を考えていただけ』と言っていたし。

俺が考えあぐねていると、小鳥遊は何物かを取り出すべくスクールバッグのサイドポケットに手を突っ込んでいた。

取り出されたのはピンク色の名刺入れ。ピンクかよ!



「僕の名前は小鳥遊勇一。これ、僕の名刺です」


そう言って小鳥遊はクリーム色の小さなカードを女性に手渡した。

名刺入れじゃなくてカードの方こそピンク色にすべきだろう。


女性はそのカードを受け取ってビリビリにひっちゃぶいた。

もう一度同じカードを渡す小鳥遊。

女性はそのカードを受け取ってビリビリにひっちゃぶいた。

もう一度同じカードを渡す小鳥遊。

女性はそのカードを受け取ってビリビリにひっちゃぶい(略)。


「メアドを載せてあります」


小鳥遊はもう一度同じカードを女性に手渡した。

彼女はそれを受け取り、地面に放り投げた。

噴水の中に投げるよりは温情があるな、と俺は思った。

こんな事を考えるなんて俺も小鳥遊に毒されてきたようだな、とも思った。


然(しか)してカードは風に舞ってどこかへ消えていってしまった。


「何か悲しい事があったら、またここでお会いしましょう」


小鳥遊は俺にこっそり目線を送り、2人して噴水を去った。



「どうだった? 僕のナンパのテクニックは」


ブレザーに腕を通しながら俺に感想を聞く小鳥遊。


「どうだったも何も……。いきなり失礼な質問から入ってて俺止めに入ろうかと思っちゃったよ。っていうかまず最初に指輪に気付け」


「君ほどの観察眼を持ってしてもあの女性の本心を見抜けないとはな! 彼女ーー『噴水の君』とでも呼ぶかなーーきっとまた噴水に来るぜ」


俺と小鳥遊はそれじゃあまた、とそれぞれの家路についた。



「……あら」


その『噴水の君』こと古戸派(ことのは)彩葉(あやは)が一人暮らしのアパートに向かって歩いていたその時、クリーム色の紙っきれが彼女が履くパンプスの爪先にコツンと当たった。


小鳥遊勇一の名刺だった。

風に飛ばされてやって来たその名刺と、もの凄い偶然で彼女は再会を果たしたのだった。


「…………」


彩葉氏はじいっとそのカードを見つめ、やがてカードを拾い上げ、小さめのバッグの中にしまい込んだ。


結婚しているというのも嘘。

子どもがいるというのも嘘。

指輪は男避(よ)けに自分で購入した品物であった。


「……変なガキだったわ」


彼女は心の奥底にある鉛のような物が少し軽くなったような気がしていたという。


だが、小鳥遊の方はと言えば、もうあの『最近、噴水がどうとか変なメールを送ってくる謎のおばちゃま』の事は忘れていた。


「返事が来ないわね」


彩葉氏は数日間、あの噴水に通い続けたが、小鳥遊が来る事は無かったという。


……可哀想に。

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