こんにちは、あなたのお名前は?


 ──東洋の魔女。

 誰に教えられるわけでもなく、私はこの単語を知っていた。その単語に強く心惹かれていた。

 両親が言うには、私は物心付く前からバレーボールに興味を持ち、2歳のクリスマスのプレゼントにはバレーボールを所望していたらしい。


 そんなわけで幼少の頃からジュニアクラブでバレーに慣れ親しみ、すくすくと育った私は、この度ジュニア大会の地区予選に出場することになり、開催地である隣市までやってきた。

 気力体力共に万全の私は全国大会を目指してとても燃えていた。 


 開催場所である体育館の傍には大きな公園があって、そこには緑がたくさんあった。花壇には色とりどりの花が植えられており、とても綺麗だ。移動のバスの中で通過している時にちらっと見えただけなのだが、なぜだか妙に気になった。 

 少々時間があるとのことだったので、緊張をほぐすためにその公園まで足を伸ばすことにした。引率の先生に一言ことわってから体育館外に出ると、緑の香りが鼻いっぱいに広がった。見上げれば空はとても綺麗な青空。いい天気だ。

 公園内の遊歩道に連なる木々の間に等間隔で花壇がある。そこには季節の花が植えられているようだ。どの花もとてもきれい。

 緑がたくさんあっていい気持ちだ。息を吸って、植物から元気を与えてもらおう。緊張していたのが嘘みたいにリラックスできた。


 私はもっと強くなるんだ。強くなって、今度こそオリンピック選手になるんだ…… 

 そこで私は「あれ?」と首を傾げた。自分で考えておいて“今度こそ”ってどういう意味だ?

 ……疑問には思ったけど、バレー選手になりたい気持ちは変わらないので、気にしないことにした。



 私は更に歩を進めて公園の奥に進んでいく。この辺は遊歩道ではなく、芝エリアに差し掛かっており、人気が少なくなっている。

 天気が良ければ寝転がりたいところだが、昨晩雨が降ったせいで芝が湿っているかも…


「うっ…ヒック……うぅ…」

 

 手のひらで芝の湿り具合を確認していた私の耳に、誰かのくぐもった声が入ってきた。…これは泣き声?

 私は辺りを見渡す。…しかし見た感じ誰もいない。


 …まさか、公園で死んだ人の幽霊?

 この間クラスメイトから学校の七不思議の噂を聞かされた私は急に怖くなってバッと立ち上がった。

 怖いから逃げようかな。

 そう思って引き返そうとしたら、奥の方にある花壇の向こう側で誰かの頭がぴょっこり飛び出しているのが見えた。…草花に隠れていて見えなかったのか。

 泣いている相手は長い髪の毛をハーフアップにしており、白いリボンを付けた……同い年くらいの女の子だ。女の子はセーラー服みたいな制服を着ていた。…小学生なのに制服を着ているのか…。

 あ、私立の小学校に通っている子かな? 

 私は彼女に興味が湧いた。それ以前に何故泣いているのかが気になってしまって、脅かさないようにそっと後ろから近づいた。


「…どうしたの?」

 

 私が恐る恐る声をかけると、女の子はハッとした様子で顔を上げた。

 ……とっても、可愛い女の子だった。

 小学校の同じクラスに居る可愛い子よりもその何十倍も何千倍も可愛い女の子で、私はものすごい衝撃を受けてしまった。

 ──この世にこんな可愛い女の子が存在したのか…! お人形さんみたいでほんま可愛い……。


 彼女は涙に濡れた頬を手で拭っていたが、涙が止まらないらしい。

 どうしたんだろう、なにか悲しいことでもあったのかな?


「お腹痛い? …嫌なことがあったの?」


 目線を合わせるために、同じように私もしゃがみこんだ。彼女はビクッと肩を震わせてこちらを怯えた目で見ていた。

 私は彼女を焦らせないよう黙って返事を待った。彼女は目元をゴシゴシと手の甲で拭いながら、小さな唇を開いてゆっくり説明を始めた。


「……クラスメイトに、私の名前の花言葉が孤独とか寂しさと意味合いがあって、不吉だし可哀想だと言われたの……それが悲しくて…」

「なにそれひどいね! …あなたのお名前がお花の名前なの?」

「…エリカ、っていうの。そこに咲いているお花と同じ名前なのよ」


 エリカちゃんが指し示した先には、筒状の花が束になって咲いている花があった。シロとピンクが混じっている小さくて可愛らしい花だ。なのにそんな悲しい花言葉があるのか。

 エリカか……んー。でも確かもっとすごい意味を含んだ花だった気がする。確か、誰かが教えてくれたんだ……

 ……あ、そうだ。 


「でもね、エリカの花はなにもない荒野に咲くんだよ。外国での名前の由来には大勝利者って意味を持つの。だから、孤独に打ち勝つ強さがあるんだよ!」


 私の言葉にエリカちゃんはびっくりした顔をしていたが、ちょっとだけ笑ってくれた。

 良かった、涙は止まったみたい。…笑ってくれて嬉しいな。


「モノ知りなのね」

「私も人に教えてもらったの…あれ? 誰に教えてもらったんだっけ?」


 …確か、誰かに教えてもらったはずなのに、誰に教えられたのかが思い出せない。


「素敵な名前じゃん! 心無い人の言うことなんて気にしちゃだめだよ!」


 思い出せないけど、教えてくれたその人も“エリカ”という名前にはすごいパワーが有ると言っていたもの! もっと胸を張っていいと思うな!

 エリカちゃんは目元を赤く腫らしていたが、もう悲しんではいないみたいだ。照れくさそうに「ありがとう」と言われた。

 多分そのクラスメイトは可愛いエリカちゃんに嫉妬して意地悪を言ったんだよ。そういう奴いるよね! 気にするだけ無駄だよ!


 彼女とは初めて会ったはずなのに、久々に再会できた相手のように懐かしく感じる。…こんな可愛い子、一度見たら二度と忘れられないのに何故だろうな。

 エリカちゃんは私の姿を見て、不思議そうに首を傾げていた。


「その格好はなに? 学校の体操服?」


 私の格好はジュニアクラブのユニフォームの上にジャージを羽織っている姿だ。その格好が物珍しく感じたのか、エリカちゃんはまじまじと見つめてきた。


「ここの近くの体育館でバレーボールの試合があるんだ。私はそれに出場するの」

「…バレーボール……」


 エリカちゃんはポツリと呟いて考え込んでいた。

 バレーボールを知らないのかな? 面白いのにな。一度観戦したら好きになってくれるかな?


「私ね、バレーが大好きなの。私は大きくなったら東洋の魔女になるんだ!」

「とうようのまじょ?」

「昔、世界からそう呼ばれていた日本のバレーボール選手たちの呼称なんだよ」


 遠い遠い昔の話だ。

 私は彼女たちのように世界をあっと驚かせるすごいバレー選手になりたいのだ。それが、私の使命のような気がしてならない。

 

「すごいね、あなた色んな事を知っているのね」


 エリカちゃんはそう言って私をじっと見上げてきた。彼女とは多分年の差はそうないと思うけど、私は年齢の割に背が高いので、頭一個分くらい身長差がある。

 お人形さんみたいに可愛らしいエリカちゃんに見つめられるとなんだか落ち着かない。同じ女の子なのになんでだろう……


「……あなたのお名前は?」


 彼女に名前を聞かれた私は目を丸くした。あっ、私の名前を名乗っていなかった。

 私は仕切り直しとばかりに、笑顔を浮かべて自己紹介をした。


「私の名前はね、笑顔で周りの人を幸せにできる子になりますようにってさきってお母さんが付けてくれたの。漢字はこう」


 土に指をなぞらせて自分の名前を書くと、エリカちゃんは訳がわからない、と言いたそうな顔をしていた。


「……なんで? 咲って漢字はお花が咲くって意味でしょ?」


 エリカちゃんの質問は、色んな人にされ続けた質問だ。聞かれるのは慣れっこである。

 どんな名前にも意味があるんだよ。


「咲という漢字には、元々『笑う』って意味があるんだよ」


 親にもらった大事な名前。

 その含められた意味を大切に、私はいつだって笑顔でいたい。


「そうなんだ……素敵な名前ね」


 褒められちゃった。嬉しくてニカッと笑うと、エリカちゃんはつられた様子ではにかみ笑いを浮かべていた。


「ねぇ、私とお友達になってくれる?」


 なんだか先程からなにか言いたそうにしていると思ったら、エリカちゃんは私に友達になろうとお誘いをしてきた。

 私とまだ出会って30分も経たないはずなのに……

 なのに、私は彼女の本当の笑顔をたくさん見たくて、仕方がなかった。


「私も同じこと言おうとしてた!」


 やっと、友だちになれたね、と心の奥底で何かが安心している気がした。

 …何故そんな感情がわいてきたのかはわからないけど、私も嬉しいから良しとしよう。

 えへ、友達か。エリカちゃんと友達。すごくすごく嬉しいな!


 私は彼女の手を掴むと、元気よく声を掛けた。


「時間があるなら、私の試合観て行ってよ! きっと楽しくなるよ!」


 花咲く公園の遊歩道に飛び出すと、私はエリカちゃんの手をしっかり握って体育館に向かって駆け出した。

 エリカちゃんは目を白黒させて驚いた様子だったけど、次第に笑顔に変わった。


 エリカちゃんは笑うと更に可愛い! きっと本当の彼女は、とても素敵な女の子に違いない。

 これからはもっともっとあなたの笑顔を見られるね!



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