緊急指令発動! サイコパスを回避せよ!

 

 ファーストダンスは基本的な振り付けで一曲踊り終えた。

 去年は一曲踊ったらそれでおしまいだったが、今年は曲が変わっても慎悟は私を解放しなかった。このままダンス続行するらしい。

 先程とは違うステップでリードされた私は目を輝かせた。


「あっ! このステップ習ったよ!」


 リードされるまでもなく、私は積極的に足を運ぶ。慎悟はそれに少し驚いていた。

 どうだすごいだろう。今年の私は一味違うのだよ!


「笑さんは覚えが早いとは思っていたけど、一回レッスンを受けただけでここまで踊れるのはすごいな」

「そうだ、すごいだろう。もっと褒めてくれてもいいのだよ!」

「調子に乗るなよ」


 だって今まで慎悟は私のことを貶すことのほうが多かったじゃない。その分褒めてくれてもいいと思うの。

 おしゃべりする余裕が生まれたので、私達は踊りながらお喋りをした。私はあまり気にせずに足を運んでいたが、周りの人とぶつからないのは慎悟が気を配ってくれているお陰である。


「慎悟はいつダンスを習ったの?」

「中等部に入った後。中等部でもダンスパーティがあったからな。カッコつけるためにって習わされた」

「本当聞けば聞くほど世界が違ったんだね、私と慎悟って」


 そもそも公立と私立の違いかな。

 せいぜい給食にクリスマスケーキが出た! 家でクリスマスパーティ! ってはしゃぐ程度だったよ私は。

 慎悟は思春期突入したばかりの頃からこうして異性とダンスしていたのか…


「女の子と密着して踊ってクラッとすることなかったの? てか今までにこの人とお付き合いしたいなと思ったことないの?」


 それが不思議で不思議でならなかった。なんたってこれだけの男だ。加納ガールズの妨害があったにしても、慎悟だって年頃の男の子であるはずなのに。


「習い事や学業で忙しかったから、そこまで意識が向かなかった。…大体それを言ったらあんたもだろ」

「私はバレーが恋人だったし、モテなかったもん。…それにあの頃はユキ兄ちゃんへの恋心に気づけていなかったもの」


 ユキ兄ちゃんを無意識に想っていたせいか、同じ年頃の男子は子どもに見えて興味がわかなかったんだよ。

 私は正直に答えたのに、慎悟は無表情になって私を見下ろしてきた。……ここにはいないユキ兄ちゃんへの嫉妬がビシビシ伝わってくる。


「過去の恋心に嫉妬されても、私困る。今だけを見なきゃ駄目だよ。目の前の私はあんたが好きなの」

「……」 


 慎悟の手にそっと乗せていた手を動かして、指を絡めた。それに釣られるように慎悟が握り返してきた。


「でも嫉妬焼きな慎悟も好きだよ?」


 私が笑ってみせると、慎悟はむず痒そうな顔をして目をそらしていた。照れるな照れるな。

 私達は小さな声でおしゃべりしながら、2曲めを踊り終えた。


「疲れてないか? 一旦休憩するか」

「大丈夫だけど、あんたまだ踊りたいの?」


 どんだけダンス好きなのあんた。踊りたいならいくらでも付き合うけども…

 私の言葉を受けた慎悟はなんとも言えない表情で見下ろしてくる。


「ダンスレッスンしてきたと言うから、あんたはお披露目したいのかと思っていた」

  

 私と彼の間で行き違いがあったようだ。確かにお披露目はしたかったが、踊り続けたいわけではない。私はシンデレラのように舞踏会に夢を持っているわけではないのでね。

 せっかくのクリスマスパーティだ。踊ってばかりじゃつまらないよ。 


 新しい曲が流れ始めた。踊る生徒たちを縫うように避けてダンスの輪から離れた。慎悟は手を掴んで人にぶつからないように誘導してくれた。

 今宵の慎悟はイケメンに拍車がかかっており、パートナーと踊っている女生徒がすれ違う慎悟を目で追っている。誰もがうっとりと見惚れているではないか。

 わかるぞ。この美男は罪な男、魅惑のA5ランク牛だからな。無意識に醸し出す色気に何度私がクラッとしたことか。けじめとして清く正しい交際を目標にしているのに、私が肉食系女子になって彼の喉笛に喰らいついてしまいそうで怖い。


「慎悟様! 私達と踊ってくださいませ!」

「ずっとお待ちしていましたのよ!」

「慎悟様のためにおめかししてきましたのよ? 女に恥をかかせたりしませんわよね?」


 ダンスを中断してフロアを離れるその機会を窺っていた加納ガールズたちが一斉に押し寄せてきた。通せんぼするように立ちはだかる彼女たちによって私達は足を止める。

 何度も慎悟から断られても、諦めずに鋼の精神でぶつかりに行く加納ガールズには敬服の念に堪えない。


「踊りたいなら私が相手してあげるよ」


 私は提案した。慎悟が踊らないのであれば、彼女たちは壁の花決定だ。踊りたいのに踊れないというのは可哀想だろう。なので私が相手になると言ったのだが……


「はぁ!? 何故私があなたなどと踊らねばなりませんの!? お断りですわ!」

「私が踊りたいのは慎悟様よっ!」

「2曲続けて踊るなんてこの、身の程知らず!」


 ひどい言われようである。このために男性パート覚えたのに。

 だけど私はここで慎悟に踊ってあげなよと言ってあげるほど心が広いわけじゃない。私が慎悟を独占するのだ。私の恋人だからな!


「…何度も言っているけど、お前たちとは踊らない」


 何度目かになる断り文句だ。

 慎悟も最初は本当に申し訳無さそうに断っていたが、今になるともう面倒くさいという態度が出てしまっている。だって何度も何度も、同じやり取りを繰り返しているもの。態度に出しても慎悟は悪くないと思う。

 加納ガールズは口々に「ひどいわ、ずるいわ」とキィキィ騒いでいるが、いつまでも彼女たちの相手をしているわけには行かない。


「慎悟、ご飯食べに行こうよ」


 慎悟の腕に抱きついて、オードブルの並んだテーブルに行こうと促し、加納ガールズを置いてけぼりにするようにして離れた。

 加納ガールズの金切り声が聞こえてきたが、敢えて聞こえないふりをしておいた。


「何食べよう。ごちそう楽しみにしていたんだ。この学校のケータリングって美味しいよね」


 初めて参加した時は、何も考えずにお皿山盛りに盛っていたが、今の私はちょっとずつ盛って、足りなくなったら追加するようになった。見栄えが悪いから、山盛りは止めたほうがいいと指摘されたんだ。

 ローストビーフをお皿に数枚盛って、名前がお気に入りのピンチョスを乗せる。何かのパスタもちょっとだけ盛る。ざっと見渡すと去年とは少し内容が変わっているな。だけど美味しそうだ。


「飲み物もらってくる。なにがいい?」

「じゃあお茶をお願い」


 近くに飲み物を配膳しているウエイターさんがいなかったので、慎悟がドリンクバーに足を向けて貰いに行ってくれるらしい。お茶を頼んだ私は食べずに待っていた。


 ……この時を狙って出没するとわかっていたら、慎悟について行ったのにな。──奴は音もなく私の背後に迫ってきたのだ。


「こんばんは、いい夜だね」


 今正にいい夜が台無しになりかけてますがね。


「……いい夜に水を差すのはどうかと思うな」

「黄色よりも白やピンクのドレスのほうが二階堂さんには似合うんじゃないかな?」

 

 私の嫌味が聞こえないのか、奴は私が着用しているドレスにケチつけ始めた。警戒していなかったわけじゃない。毎年食事している時に寄ってきたから、今年もどこかで隙を窺っていたのであろうか。

 私はクリームイエローのスカートの端を持ってニヤリと笑顔を浮かべた。ドレスの布地はクレープ・ジョーゼット、縮緬ちりめんの一種でシボのある織物のことだ。布の表面に細かい凸凹があり柔らかい。シルエットをより優美に見せてくれる。

 

「このドレス、慎悟が選んでくれたの。元気な私には明るい色が似合うって」


 ふふんとドヤ顔で笑ってやるが、奴は人の良さそうな笑顔を浮かべたままだ。丁寧に説明してあげたのに「ふぅん?」と気のない返事をされた。


「…そのネックレスは?」

「これ? ドレス購入時にママに買ってもらったの」


 上杉が指したのは、首を飾るビジュー付きのパールネックレスだ。高校生がつけるものとして背伸びはせずに、ドレスとのバランスを考えて選んだものだ。

 これがどうかしたのかと訝しんでいると、上杉は嘲笑していた。


「加納君は恋人にアクセサリーのひとつも贈らないんだね?」


 その言葉に私は眉間にシワを寄せた。

 なにそれ、なにその言い方。

 慎悟がアクセサリーを贈ろうかと言ってくれたのを私が辞退したんだよ。

 私はセレブの仲間入りをしてしまったが、庶民としての金銭感覚は忘れたくない。金は有限だ。親の金は親の金であって、子どもは使わせてもらっている立場。加納夫妻の稼いだお金で慎悟からアクセサリーを贈られても嬉しくないんだよ、私は。

  

「世間一般の平均的な高校生は高価なアクセサリーなんて贈らないよ。第一、親の稼いだお金でもらっても嬉しくない。慎悟が働くようになったら買ってもらうからいいの」


 あいにく私は、アクセサリーを贈り贈られることが愛情のバロメーターだとは思っていないんだ。ここぞって時に贈られるものだから貴重なんだよ。そもそも私はまだ光り物の良し悪しがわからないので、興味も湧いていない。必要ないのだ。

 その辺は私達の事情だ、外野が口出ししないでくれないか。


「僕からなにか贈ろうか」

「いりません」


 だから要らないって言っているのに、何なのだ。あんたから贈られたネックレスって…なにそれ首輪? アレでしょ、犬の首輪みたいなの贈るんでしょ。

 普通のネックレスだったとしても、受取拒否するよ。そんな呪いのアイテムみたいな……こわい。


 私がゾッとして両腕を擦っていると、目の前が陰った。

 慌ててパッと顔を上げると、いつの間にか上杉が至近距離まで接近していた。恐怖に震えていたせいで反応が遅れてしまった。

 嫌な予感を察知した私はすぐさま身を引こうとしたが、首筋を舐めるように手の平で撫でられてピシリと固まってしまった。


「…キレイな肌だね。白くて、ホクロひとつないキレイな肌だ」


 うっとりした声で肩を撫で擦られ、私はか細く「ヒッ…」と悲鳴を漏らした。

 ゾ、ゾ、ゾ、と全身を悪寒が駆け巡る。頭の中で緊急指令が放たれた。今すぐに回避せよと脳から命令が放たれた。


「このっ変態!」

「おっと」


 場所がパーティ会場だとか、周りに人がいるとか、ここがお食事する場所だとか、私は今ドレスアップしているとか、そんな事を気にして我慢している場合ではない。

 これは緊急回避だ。男性の急所を蹴りつけても正当防衛なのだ。ためらいなく足を振り上げた。

 …だけど、私の足技は既のところで避けられてしまい、私ははしたなくも舌打ちをしてしまった。


「使い物にならなくなったら責任とってもらうよ」

「やだよ! 私は自分の身を守っただけです!」


 なんて恐ろしいことを言うんだこいつは!

 我慢しても地獄で、抵抗しても地獄が待ってるって何だそりゃ! 私はあんたの愛玩人形じゃないんだよ!


「おい、上杉! お前この人に一体何をした!?」


 慌ててやってきた慎悟が私を背中に庇ってくれた。

 どうやら彼は、私が上杉に蹴りを入れるシーンからしか見ていないようだ。だけど私が訳もなく暴力を振るうはずがないと慎悟はわかっているから、真っ先に上杉を疑ってかかった。

 上杉はヤレヤレとでも言いたげに、首をゆるく振ると、半笑いを浮かべた。


「見てのとおり、彼女が僕を蹴りつけようとしたんだよ。本当ガサツだよねぇ?」

「はぁぁ!? あんたがセクハラ働いてきたからでしょ!? 人の身体にベタベタ触ってよくもいけしゃあしゃあと!」


 慎悟の背中から顔だけを出して反論するも、やはり上杉は上杉であった。ネットリとした笑顔を浮かべて、性犯罪者みたいなことを言ってきたのだ。


「触りたいと思ったから触っただけだよ。他意はない」

「その理論は痴漢の暴論のようなものです! 許されるわけがないだろうが!」


 上杉は困った風に笑って首を傾げていた。

 ……だめだ、こいつの脳内は一般人とは異なる。なんたってサイコパスなんだ。罪悪感を感じない性質なので、私がなんと文句を言おうと伝わらないはずだ。


「加納君、彼女はじゃじゃ馬すぎるから、君の手には負えないんじゃないかな?」 

「お気遣いどうも。心配しなくとも、手綱はしっかり握っておくよ。だから彼女のことは安心して任せてくれ」

「ねぇちょっと、馬扱いしないで? 私人間なの。Do you understand?」


 二人して私を馬扱いする。ひでぇや。睨み合いを始めそうだったので、私は慎悟の腕を引っ張った。……振り返った彼の顔は険しかった。 

 慎悟が不機嫌な顔になってしまっているのはだいたい上杉のせい。今宵は楽しいパーティなんだぞ、そんな顔しないで。

 クリスマスパーティなのに、上杉にその時間を奪われるのは嫌だ。私は慎悟と楽しいパーティを過ごしたいのだ。


「ねぇ、慎悟。上杉ばかり見ないでよ、私だけを見て」


 この華やかなパーティ会場、綺麗に着飾った彼女を放置して、男を見つめるなど言語道断である。私を見なさい!

 こいつ無視してご馳走食べちゃおうよ、今度また上杉が不埒な真似を働いたら今度こそ外さずに、急所を蹴りつけるから。


 私の意志が通じたのか、慎悟は私の手を取って歩き始めた。

 ……てっきり私は、上杉から離れた場所で食べるのかと思ったのだが、慎悟は出入り口方面に歩を進めていた。


「あれっ!? ご馳走が!!」


 だけど慎悟は無言で手を引っ張っていく。

 お皿に盛ったまま手を付けていないご馳走と、慎悟が持ってきた飲み物をあの場に放置したまま、私は慎悟によってどこかへと連れさらわれてしまったのであった。


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