君の名は。我が名は…紫の上である。


「…君、名前は?」


 慎悟の従兄であるヤスヒロさんは私を見て、なんだかぼんやり夢心地の様子。紫の上なエリカちゃんに見惚れているのであろうか。

 名前を聞かれたので恐らく初対面のはずだが…。一応名乗ったほうがいいのかな。


「えぇと…私は」

「…彼女になにか? 俺の恋人ですが」


 だけど私が自己紹介をしようとすると、慎悟が遮るようにして止めた。それに気分を害した様子のヤスヒロさんは、忌々しそうに慎悟を睨みつけていた。


「へぇ、慎悟の彼女か……こいつ愛想悪くてつまんなくない? 顔は良いかもしれないけど、面白みないだろ?」

「……そんな事はありませんが。慎悟さんはとても素敵な人ですよ?」


 何なんだこの人。出会い頭に人の彼氏を貶してんじゃないよ。

 この一瞬で色々難ありな人なんだろうなと察してしまった私はお嬢様の仮面を被った。…ここがどこだかわかった上での発言か? 人が通っている学校に乱入してきて、なに出会い頭に喧嘩売ってくれちゃってんの?


「そうかなぁ…君が苦労するだけだと思うけど。こいつ昔っから可愛げのないクソ生意気なやつでさ、従兄弟連中で相手してやっても全く懐かなくて。最終的には泣きべそかいて親に泣きついていたんだよ?」

「…なにが言いたいんです」


 慎悟が硬い声で尋ねると、ヤスヒロさんは小馬鹿にするように鼻で笑っていた。

 あー…その笑い方、慎悟と一緒だなぁ…変な部分が似てどうするのあんた達…


「なに怒ってんだよ慎悟。本当のことじゃないか」


 うーわぁ…幼い頃の話を引き合いに出して、印象操作か……子供の頃なら誰だって泣くことはあるし、親に甘えることもある。それのなにが恥ずかしいのか。

 大体、慎悟が泣いたのは、彼らがなにかをしでかしたからじゃないのか? 慎悟は従兄弟の話をしたがらないので、あくまで私の想像だけど……彼らにいじめられていたんじゃないだろうか? この人の言葉の裏にはそういう意味が含まれている気がする。

 加納のおばさんも、お姉さんと仲が悪いみたいだし、加納家にも色々事情があるのだろう…。


 だがいつまでも慎悟のことを悪く言われっぱなしも許せないな。ここには他の人もいる、二階堂のお祖父さんもいる。このような形で慎悟の印象が悪くなるのは避けたい。


「…営業妨害です。帰って頂けませんか…!」

「おいおい、俺は客だぞ? そんな言い方していいのか?」


 言ってることがチンピラじゃないか。客でもして良いことと悪いことがあるでしょうが…

 慎悟はヤスヒロさんを追い払おうとしているが、徐々にイラつき始めている。待て、待て。私みたいに短気を起こすでないよ。落ち着け慎悟。

 私はそんな彼を落ち着かせようと、慎悟の腕にそっと抱きついた。それに気づいた慎悟が私を見下ろす。ここは私に任せなさい。


「慎悟さんは、辛口で嫌味なところもあるリアルハーレム野郎です」


 私が口を開くと、世界から音が無くなった気がした。


 みんなが私を注目している。遠くにいるぴかりんや阿南さんが「嘘やろ、お前」と言いたげな顔でこっちを見てきた。

 待ってくれ、まだ続きがあるんだ。そこで止まったらただ彼氏の悪口を堂々と公開発表しているだけになるだろう。

 私はお嬢様の仮面を被り直し、慎悟の従兄に笑顔を向けた。


「…ですが辛口で嫌味な部分は、彼の優しさと誠実さの裏返しなんです。実際にはとても優しくて、一途に“私”だけをしっかり見つめてくれる素敵な男性なんです。彼は以前と比べたら表情豊かになりましたし、思いっきり嫉妬することもあって……私のこと大好きなんだなって、可愛く見えちゃうんですよね」


 エヘッと可愛子ぶりっ子した私は、慎悟の肩にしな垂れかかるようにして頭を預けた。仲良しアピールである。


「慎悟って性格はビターなくせに甘いチョコレート好きって可愛いギャップがあるんですよ。涼しい顔して何でもこなすけど実は努力家で、すごいんです。笑顔がほんっとうに綺麗で可愛いし。なのに、ふとした瞬間いきなりカッコよくなるんですよ。私の心臓がもたなくなるから、カッコよくなりすぎるのは抑えていてほしいんですけどね。今日の夕霧の格好だって、本当にカッコよくて惚れ直しちゃいました」


 精神年齢は私のほうがひとつ上のはずなのに頼りがいがあって、ファビュラスでマーベラスで、最高級A5ランク牛のような素敵な恋人。

 私をこんなにも想ってくれて、大切にしてくれる男は他にはいないはずだ。

 私はそんな慎悟が世界で一番大好きなんだ。


「私には彼しかいません。彼以外の人は考えられないんです。…ずっと一緒にいたいんです。…なのでご心配には及びません。私達は好き合っていますし、彼が血迷っても、私がしっかり舵取りしますので!」


 これは私からの警告を含めた牽制である。

 いくら慎悟の従兄であっても、私の大切な人に牙を剥く存在があるなら、相手が誰であろうと……お嬢様の仮面を捨て去って、脳筋な私が迎え撃ってやる。 

 大体君はもうちょっとよく考えてみたまえ。好みの美少女の前で、その子の恋人の悪口言って心を射止められるわけがなかろうが。もっと自分のセールスポイントをアピールしてみないか。

 …まぁ、それでも私の心は揺るがないと思うけど。


 言ってやったぞ。どうだ、私と慎悟のラブラブオーラに圧倒されたろう? 私達はラブラブアツアツなんだぞ!

 その証拠にヤスヒロは唖然としており、言葉が出ない様子だ。


「うぅんっ…エリカ、仲がいいのはいいことだが、場所を考えなさい」


 静寂を破ったのはお祖父さんの咳払いだ。お祖父さんは生暖かい目で私を見てきた。

 …ちょっとした牽制のつもりだったが、少々やりすぎたであろうか。はしたなかったかな。ごめんなさい。私のお嬢様の仮面は容易く破けるんです…


「すみませんつい…」

「…加納君が耐えきれないみたいだぞ」

「えっ…うわ!? ちょっと、また熱がぶり返したんじゃないの大丈夫!?」


 お祖父さんに言われて、慎悟の顔を見ると、彼の顔が見事に紅葉していた。慎悟のおでこに触れて熱を測っていると、弱々しい声で文句を言われた。


「……誰のせいだと思ってるんだ…」

「だって、慎悟のこと悪く言おうとするから! いくら慎悟の従兄でも許せることと許せないことがある! こんなの我慢する義理はない! なんたって慎悟はファビュラスでマーベラスな私のウルトラスーパー可愛カッコイイ彼氏なの!」

「だから…」


 慎悟はなにか言いたそうにしていたが、脱力した様子で黙り込んてしまった。どうした?

 しかし何なんだ。

 同じ従兄だって言うのに、ユキ兄ちゃんや、二階堂の従兄さん達とはぜんぜん違うな! 絶対にこの2人仲良くないよね? それなのに何で文化祭に来たの? わざわざディスりに来たの? どこからそんな労力湧いてくるの?

 ヤスヒロは暇なの? 馬鹿なの?


 慎悟は赤面したまま俯いてしまっている。どうした、泣くか。ハグしてやろうか。私がバッと両手を広げると、その腕を元に戻された。

 なんてことだ、ハグを拒否されてしまった。


「ぷっ…ふぐぅっ…! あ、相変わらず奇特な行動してるねぇーエリカちゃんってば」


 聞き覚えのある声。この場に似つかわしくない笑い声。私はその声の持ち主を見上げた。

 卒業式以来の再会である。


「…招待試合を見に来たんですか? 二宮さん」

「うんそう、俺バレー部OBだからね。坊っちゃん久しぶり! エリカちゃんと仲良くしているようで何よりだ……教室のど真ん中で突然いちゃつき始めるとか想像すらしなかったよ」


 二宮さんの笑いのポイントに引っかかったらしい。1人で腹を抱えて笑っているが、彼は前からこんな感じなので放置しておいても大丈夫である。


「…坊っちゃんという呼び方は止めてもらえませんかね」

「ごめんごめんつい。そうだ、エリカちゃん聞いたよー。合宿中1年男子に絡まれて大変だったって?」


 何でそんな事をこの人は知っているんだ。確かに周りをチョロチョロしている1年はいたが、それよりもズッコケ探偵のほうが鬱陶しかったからそんなには…


「…1年男子に?」

「ただお世辞言われて親切にされただけ。なんともなかったよ。」


 慎悟の紅葉していた顔が一瞬で元に戻った。実害はなかったから言わなかったんだよなぁ。どうせ逆玉の輿狙いとか、セレブな美少女に惹かれて寄ってきただけだろうし。

 ズッコケ探偵とか三浦君の件もあったから、あれ以上無駄に慎悟に心労を与えたくなかったんだ。


「エリカちゃんはどこか無防備なところがあるから、在学中は俺が防波堤になってあげていたんだよー? 坊っちゃんはもう少し俺に感謝すべきだと思うんだ」


 その件は感謝している。

 憑依したての頃は本当に余裕がなかった。これだけの美少女がいて、ひと夏の恋に誘おうとするふしだらな男は1人くらいいるはずなのに、私はこれまで無傷でいられたのだ。陰ながら二宮さんがガードしてくれていたと聞かされると納得である。

 いつもは人のことからかうけど、二宮さんはこういう後輩想いなところがあるので嫌いになれないんだよ。あ、部活仲間としてね?


「…まずあなたは人の名前を呼ぶことから覚えましょうか」

「坊っちゃんはもうちょっとゆるく生きたほうがいいと思うよ?」

「余計なお世話です」


 まさか二宮さん、慎悟の名字知らないとか…私と加納ガールズみたいな感じなの? そんな事ないよね、二宮さんは慎悟に友好的だもの…


「もう我慢なりませんわ! 二階堂エリカァァ! いい加減に慎悟様から離れなさいよぉぉ!」

「ぎゃあ!」


 慎悟に言われて接触を控えていた、弘徽殿の女御扮する巻き毛がとうとう我慢の限界を突破したらしい。

 私に飛びつくと、背後から首を締めてきた。あんたそのキャラじゃないでしょ! 呪い殺す系はどっちかって言うと六条御息所の役割!

 ねぇ待って巻き毛、同じ慎悟好きならわかるでしょ、私は慎悟の名誉を守ったの。悪いのはヤスヒロ、その敵対心をヤスヒロに向けよう…今こそ一致団結して……!

 私は諸悪の根源に視線を向けたが、先程までいたはずのヤスヒロの姿が綺麗サッパリ消えていた。


「あれっ!? あの人は!?」


 おい! 都合が悪くなったから逃げたのか!? ヤスヒロめ!


「…あんたらは全く…お客さんの前なんだからイチャつくのも大概にしなさいよ」

「惚気っていうか、あのヤスヒロが慎悟のこと悪く言うから…! ぐぇっ」


 ぴかりんに注意されたから弁解をしようとしていると、巻き毛の指に力が入った。

 あかん、それアカンて巻き毛…!


「よくも慎悟様にベタベタして! 私だってずっと衝動を堪えていましたのに!」

「櫻木やめろ!」

「我慢してましたのよ! 憎き恋敵と愛しい方の仲睦まじい姿を見ながら私は心張り裂けそうでしたのよ!」


 突如始まった巻き毛によるサスペンス劇場は、お客さんの目にはいびつな三角関係に見えたらしい。

 ちょっと、お客様…携帯電話、スマホでの撮影は……困ります、とても困ります。


 夕霧を巡る、弘徽殿の女御(義祖母にあたる)と紫の上(義母にあたる)のドロドロ不倫劇! とはしゃぐ女の子の声が聞こえてきた。

 違うんだ、私は昼ドラ属性なんてないんだ……なにその設定、そんなん恐いわ。


 いつまでも私の首から手を剥がさない巻き毛を慎悟が諌めるも、余計にヒートアップする修羅場に。

 慎悟に加え、ぴかりんと阿南さんの3人がかりで引き剥がしてもらって、ようやく解放されたのであった。


 

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