二階堂翁の忘れえぬ人【二階堂巌視点】
会社を1から立ち上げるその前から、自分を支えてくれていた女性がいた。
同じ大学に通っていた女性で、彼女と私は自然と馬が合った。当時はまだ女性の社会進出が盛んではなく、大学に通う女性はまだまだ少なかった頃だ。
彼女は可憐でとてもきれいな人だった。そのため、大学内外でとても目立っていた。自分よりも条件のいい男に言い寄られることもあったが、彼女は決して揺れたりしなかった。その頃からずっと隣にいてくれた。
見た目は儚げなのにどこか負けん気の強さがあった。多分彼女が見た目だけの女であれば自分の会社はここまで大きくならなかったと思う。いつだって自分の少し後ろで支え続けてくれた。
彼女と結婚して、3人の子宝にも恵まれ、自分は幸せだった。家族を持つことが出来たことで自分は更に頑張れたのだ。
会社の経営が軌道に乗って安定したら、そしたらゆっくり夫婦水入らずで旅行でも行こう、今まで苦労させた分妻孝行をしよう。
そう思っていた矢先のことだった。
彼女が病院に運ばれたとの連絡を受け、病院に駆けつけると、深刻な顔をした医師に言われた。
彼女は進行性の難病だと診断されたのだ。
『…
発見したときにはもう末期だった。進行スピードも早く、あっという間に彼女の全身を病魔が蝕んだ。
元の容貌は病と薬の副作用によってひどく衰え、彼女はそれを見られたくないと人と会うのを厭うようになった。
あんなにも美しかった妻は、骸骨のように様変わりしてしまった。自慢だった黒髪は全て抜け落ち、まるで老人のようになってしまった彼女は最期まで、3人の子供のことを心配していた。
そして悔いていた。
『…あの子達が成長する姿をもっと見たかった』
それが、彼女の最期の言葉だった。
彼女は死んだ。死因は病気じゃない。投与していた薬の副作用による合併症で亡くなったのだ。
30代の若さで、彼女は逝ってしまった。
彼女を失った私は悲しみを忘れるために仕事に打ち込んだ。
周りに勧められるがまま再婚しても、自分の胸にポッカリ穴が空いた気持ちは埋まらなかった。大事な半身を失ってしまった気持ちは何年、何十年経っても変わらなかった。それを忘れたくて必死に仕事に没頭した。
亡くなった彼女と比べるのは後妻に失礼だとはわかっていたが、私にとって彼女は特別な存在で…。
時折、元気だった頃の美しい姿で夢に出てくる彼女。目覚めた時にはいつも虚しい気持ちに陥っていた。
彼女はもういないとわかっていたのに、彼女の面影を探してしまうのだ。
子どもは皆大きくなり、今では会社の一部を任せている。孫もたくさんいて、その一部は既に結婚している。ひ孫の顔が見られるのも時間の問題であろう。
…そろそろ全てを彼らに任せて、一線を退こうかと思ってはいるが、自分には気がかりなことがあった。
「家の会社経営は順調、年々右肩上がり。裏社会との接点はゼロ、法に触れることも一切なし。学校での成績は優秀で、素行も問題なし。浮気もなし…ただし、複数の女生徒に言い寄られていると」
「…お父さん、まだ調べているんですか? 何件目ですか興信所使うの」
「…2度目の失敗はありえない。慎重に行かなくては」
「楽しそうにデートしているじゃないですか。俺は宝生の息子とエリカがこんなに楽しそうにしている姿を見たことはありませんよ?」
長男・武雄の言葉に、自分はむっと眉間にシワを寄せてしまった。
気がかりなのは次男・政文の一人娘・エリカのことだ。先方の身勝手な理由からの婚約破棄の直後、痛ましい事件に巻き込まれた哀れな孫娘。…彼女に生き写しのエリカのことが心配であった。
前向きに生きようとしている孫娘のことは報告を受けていた。大人しく消極的だったエリカはあの事件を機に色々と考えが変わったようだ。
その姿がまるで生き急いでいるようにも思えてそれが心配だった。事件で庇って亡くなった女の子のことを気に病んで、精神的にまだ落ち着かないのであろう。
まだまだ精神的に不安定な年頃のエリカのメンタルケアに力を入れるようにと次男に釘を差しておこう。
宝生家との縁談は完全に次男夫婦へ任せていたが、こんなことなら自分もしっかり吟味しておくべきだった。今更後悔しても遅いことだが。
今度こそは孫娘を大事にしてくれる男をと、家柄もよく気の優しい青年との縁談を持ちかけてはみたが、エリカはそれを受け入れなかった。
性格が合わなかったのか、どんな男が好きなのかと尋ねようとするも、エリカは「命令なら縁談を受け入れる」と返してくる。
そうじゃない、エリカの希望を聞きたいのだと伝えたかったが、多分本音を教えてくれることはないだろうなと一旦は諦めたのだが、エリカがある人物と親しげにしていたという報告を受けた。
あの正月の集まりの場で相手から堂々と好意を打ち明けられ、エリカもまんざらじゃない反応をしていたとの報告に衝撃を受けたのだ。
加納家の息子か…! 全くの盲点であった。
同じ学校、同じ学年、同じクラスで特別親しいとわかった後に秘密裏に少年のことを調べ始めた。
出てくるのは全て白。報告結果は見事同じ内容で返ってきたのだ。
唯一気になるのは、彼が複数の女性から熱烈なアプローチを受けているということだ。
エリカだけを見てくれる一途な男でなくてはならん。その辺の女にうつつを抜かす男など…宝生の小僧と同じ結末になるのが目に見えておる。
加納家の息子も、あちこち叩いてみたらホコリが出るかと思えば、本当にまっさらのクリーンであった。他所からの縁談話も受け入れることなく、女性関係も問題ない。周りに女性を侍らしているかと思えば、随分硬派な性格のようである。
そうこうしているうちに2人が交際を始めたとの報告が入ってきた。
長女・玲香の息子の嫁も加納家の出身だが、エリカが加納家に嫁ぐことでパワーバランスが崩れるわけでもない。より強固な関係になる事間違いなしである。年齢も家柄も条件が釣り合っている。
以前はエリカとは全く仲が良くなかったとの報告も受けたが……多分、彼のほうが婚約者を持つ女性と親しくしないようにしていたのだろう。その判断は間違っていない。
…悪くはない。
だがしかしだ、人間というものはわからないものだ。正月の集まりなどで挨拶する姿はしっかりした青年という印象だが、それが上辺だけという可能性もあるのだ。
孫娘に害を与えるような男なら……エリカに恨まれることになろうと、力ずくで引き剥がすことになるだろう。
あの人によく似たエリカが不幸になるのをこれ以上私が許せないのだ。
『
写真の中で孫娘が笑っていた。
エリカが笑った顔はあの人によく似ている。エリカは加納の息子の前ではこんな風に笑うのだな。
エリカの笑顔をみていると、彼女が陽だまりのような笑顔で私に笑いかけていたあの頃を思い出した。ジンと目元が熱くなったのを手で覆って隠す。
報告書に紛れていた孫娘とその恋人の隠し撮り写真を見た私は、懐かしいあの人を、手の届かない場所にいる彼女を思い出していた。
「そうだ、父さん。こんなものが届いていたんですけど…開けても大丈夫ですか?」
「…封書? …相手は……」
届いた封書に書かれた差出人名を見て、私は訝しんだ。その相手の名前を知っていたものの、深いつながりがある相手というわけではない。
中身は紙…厚い紙が何枚も入っているようだ。レターオープナーで開封して、中身を取り出した私は呆然と呟いた。
「…なんだ、これは……」
数枚ある写真の中で複数の女性と一緒に映るのは、彼だ。今しがた睨んでいた報告書に載っていた人物。
恐らく学校内で隠し撮りされたものであろう。
なぜこのようなものを送りつけてきたのか……相手の意図を疑った。
懸想しているからか、単なる嫌がらせなのか、確かなことはここではわからない。
だが、孫娘が再び傷つくような事があってはならない。きちんと見極めなければ。
これが不貞の現場だろうと、偶然の瞬間であろうと、どっちにせよ孫娘の恋人の人となりをこの目で1度確認したほうがいいのかも知れない。
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