今年もこの時期が来た。


 白いチョークで体育祭の出場種目がズラッと黒板に書き出されていた。書かれた文字を見て、私は呟いた。


「体育祭、かぁ」


 そうか、もうそんな時期か。そういえばもうすぐGWだもんな…。

 私の脳裏に2年前の惨劇が鮮明に蘇ったが、軽く頭を振って考えを振り払った。

 過去に足を引っ張られぬように前を向いて未来を見るようにはしているものの、ふと思い出してしまうと暗い感情に襲われてしまう。…私は軽くため息を吐いた。


 それはそうと体育祭だ。出場競技は何でもいい。言ってしまえば、インターハイ予選前だからあまり無茶はしたくないという本音はある。去年怪我を負った膝は完治したわけじゃなくて、現状維持しているだけなのでね。


「では、移動式玉入れの出場者は、二階堂さん、櫻木さん、瑞沢さん……」


 去年出場した移動式玉入れは楽しかったし、リベンジがしたいと思った私は立候補して出場が決定した。

 …何故か巻き毛がしたり顔で私を見てくるが、また競技中に何かしてくるつもりなのかな…あぁ怖い怖い。

 他の競技も次々出場枠が埋まり、話し合いは無事終了した。


「今年は仮装リレーには出ないんだね、慎悟」

「今年はもういい。また変な衣装に当たりそうだし」

「でも女の子たちはカッコいいって叫んでいたよ? …私は面白かったけど」


 今年の高校最後の体育祭で慎悟は障害物競走に出場することにしたようだ。無難だな、仮装リレーは着替えるのが面倒くさそうだったもん。

 慎悟はイケメンだけど、それでもルイ十六世のようなあの衣装はないと思うんだ。慎悟を好きになった今、アレを着られても…絶対に私は笑う。その自信がある。

 私の言葉を受けた慎悟は半眼になって私を見返してきた。


「…だろうな」

「逆に考えてみてよ、私がマリー・アントワネットの仮装したら笑うでしょ? 髪型めっちゃ盛ってさ、白塗りおばけになったら笑うでしょ?」


 ドレスアップした私を想像してみたらしい慎悟は鼻で笑っていた。ほら面白いだろうが。頬紅でオカメみたいになるだけだって。

 しかし…慎悟の素直な笑い方はやっぱりレアだな。慎悟のきれいな笑顔を見た加納ガールズは発狂していたし、今まで見たことがなかったかのような彼女たちの反応に私は驚いたよ…。

 なんとなく慎悟の頬を突いてみたら、しかめっ面になってしまった。もっと笑えばいいのに…


 友人のぴかりんはブロック対抗リレー、阿南さんは台風の目競争、幹さんは去年と同じくクイズリレーに出場する。


「二階堂さぁん、一緒に頑張ろうね♪」


 キャッキャッキャと1人楽しそうに声を掛けてきた瑞沢嬢は体育祭がとても楽しみなようだ。

 体育祭に燃える性格でもなさそうなのにやけに楽しそうだな。私が玉入れ競技に立候補したのに続いて彼女も手を上げていたようにも思えるが…まぁ…いいか。


「二階堂さん、せいぜい足を引っ張らないでちょうだいね?」

「…そっちも人に玉を当てて妨害する真似はよしてね」


 私は去年のことを忘れていないからな。私の頭に何度も玉をぶつけてきたこと忘れていないんだからな…!

 今年もなにかしてきそうだな巻き毛…ニヤニヤとして嫌な感じである。…意地悪そうな顔をしているから絶対になにかしてくるに決まっている…。


「大丈夫よぉ櫻木さん♪二階堂さんは運動神経がいいもの」


 この雰囲気が読めないのか、瑞沢嬢は呑気に口出ししてきた。そういう問題じゃなくて、巻き毛は嫌味を言いに来ただけだよ。

 瑞沢嬢の言葉に巻き毛は顔を歪めていた。


「…ふん、調子に乗っているのも今のうちですわよ」

「はいはいご忠告ありがとう」


 気が抜けたのか、巻き毛は捨て台詞を吐き捨てて私から離れた。

 同じクラスになってから…巻き毛の監視は以前にも増して厳しくなった。慎悟とおしゃべりしていると割って入ってくることもあるし、私が友人たちといるところに乱入して嫌味を言いに来ることもある。ぴかりんと相性が悪いのか、時折口論しているところも見かける。

 セレブ生はそれが普通だと言わんばかりにスルーしているし、一般生は触らぬ神に祟り無しとばかりに距離をおいている。 

 セレブ生のスルー能力がすごいと感じる以前に、ずっと前から巻き毛はこんな感じだったのだろうか。巻き毛…元のスペックは高いのに、色々と損をしている気がするのは私だけなのだろうか。

 

「慎悟様、体育祭当日は私の想いが貴方様に届くように精一杯応援いたしますわね! あの憎き二階堂エリカよりも大きな声で応援してみせますわ!」

「そうだねー、1位でゴール出来るといいよねー。お互いに頑張ろうねー」


 巻き毛が慎悟に猫撫で声で話しかけていたので、私はその場に割って入った。

 堂々と人の彼氏の腕に抱きつくんじゃないよ、全くはしたない巻き毛だな。


「邪魔よ! 私と慎悟様の邪魔をしないで頂戴!」


 なんか文句があるらしい巻き毛にギャーピーと騒がれたが、左から右に聞き流しておいた。

 荒々しく鼻息を立てた巻き毛から、玉入れで数多く入れたほうが慎悟を想っている証明になるという勝負を吹っかけられたが、そんな勝負して何になるというのであろうか。そもそもカウントする余裕ないよ。

 面倒くさいからやんないよ。



■□■



「今年も行くのか?」

「何に?」

「…バス停」


 帰りのHRが終わり、今日も部活に向かうべく、階段を降りていた私に慎悟が横から問いかけてきた。

 “バス停”

 その単語だけで何を指しているのか私にはわかった。


「…うん、行ってこようと思う…大丈夫、去年よりは落ち着いたから」


 とはいえ、完全に克服できたわけじゃないので、現場でトラウマ爆発しちゃう可能性もあるけど…。

 人の心はそんなに単純じゃないんだなぁと痛感する。ショックな記憶が綺麗サッパリ消えて無くなる医療技術があればいいのになぁ。そしたらPTSDに苦しむ人はだいぶ楽になれるのに。


 私は今、他人の体で生きている。だけどあの日私が殺されたのは確か。そしてその瞬間を間近で目撃してしまったエリカちゃん自身もきっと心の一部を殺されたに違いない。

 …これは自己満足なのだけど、命日にはあの事件現場に行っておきたいのだ。


 私が過去に思いを馳せていると、いつの間にか下駄箱前に到着していた。ここでお別れだ。明日までサヨナラである。

 私が帰りの挨拶をしようと隣にいた彼を見上げると、彼は眉間にシワを寄せて私をじっと見つめていた。


「…俺も行っていいか?」

「……私、情緒不安定になっちゃうかもしれないけど…それでもいいの?」

「いいよ」


 慎悟の気遣いと優しさが嬉しくて、私は慎悟の手を掴むと、小さく「ありがと」と告げた。握ったその手を慎悟がしっかり握り返すことで返事をもらえた気がする。

 それだけで私は心強くなった。慎悟は被害者当人じゃない。私やエリカちゃんが感じた恐怖を完全には理解できない。

 …だけどこうして寄り添ってくれるだけで私はとても嬉しいんだ。


「…部活、怪我しないように頑張れよ」

「ん、ちゃんとストレッチするから。慎悟は今日家庭教師の先生が来るの?」


 部活に行かなきゃいけないのはわかっているけど、離れるのが惜しい。明日また学校で会えるというのはわかっているんだけど、まだ一緒にいたいな。

 私はこんなにも恋愛脳だっただろうか。頭の中8割位バレーだった私に彼氏ができて、こんなに相手のことを考えるようになるだなんて…柄じゃないなぁ…。

 慎悟のことが好きで好きで仕方がないんだ。以前は彼の気持ちを受け取らずにブンブン振り回していたくせに、想いを自覚してしまえばこうだ。

 ……こんな私を見て、慎悟は引いていないだろうか。彼は呆れてはいないだろうか?


「…邪魔なんだけど、どいてくれないかな?」


 念の為に言っておくけど、私達は決して道を塞いでいたわけじゃない。邪魔にならない場所で立って話していただけだ。

 嫌味ったらしく「邪魔だ、どけ」と言ってきたのは上杉だ。私はムッとしたが、邪魔と言われたなら仕方がない、ササッと避けて差し上げた。 


「…もうすぐ2年だね」

「…え?」


 せっかく避けてあげたのに上杉が通過する気配がない。邪魔だからどかしたいんじゃないのか。


「宝生君と二階堂さんの婚約破棄があった日から」

「うん…?」


 そうだね、私は完全に部外者なんだけど…

 早いもんだね。もう2年だよ。事件や憑依で忙しかったけど、時間というのは待ってくれない。人の心を置いてけぼりにして時間は流れていくんだ。私にとってはまだまだ昨日の出来事のような心境なのだけど…もう、過去なのだ。

 私はしんみりした気持ちになっていたのだが、上杉が目を細めてこちらに視線を向けてきたので、すぐさま身構えた。


「それに、君が殺された日から2年だ」

「…なにが言いたいの?」


 上杉の言葉に反応した慎悟が口を開こうとしたが、私がそれを止めた。

 ここは私に任せて欲しい。

 上杉の声はそう大きいものではなかったけど、他の生徒も行き交っているのだ。ここでの不用意は発言はやめて欲しい。変な噂が流れるじゃないか。

 私が睨みつけると上杉はニコニコと笑っていた。


「君ってどこか大人びているよね。本当に高校生だったの?」

「ババアって言いたいのかこの野郎」


 確かに私は1個上だけども、それは見逃してやらんぞ。小学生からババアと言われるのと、1個下から言われるのは捉え方が違うんだよ。

 だが、上杉が言いたいことはそういう意味じゃないらしく、苦笑いして首を横に振っていた。


「いいや? …ただ、あんな目に遭って、よくぞここまでしぶとく生きられるもんだなぁと。高校生にしては冷静だと思ったんだよ」

「……はいはい、私はか弱くないし、お淑やかでもない、脳筋ガサツ女ですからね」


 しぶとくて悪かったな。

 全く人を鉄の女みたいな言い方しやがって…私だって精神的に追い詰められてた事もあるさ。…いつまでも塞ぎ込んでてもどうにもならないから頑張って前を向いているだけだよ。

 病んで塞ぎ込むことは出来たけど、私は事情が違ったの。時間がなかったんだもの。

 …まぁこんな事を上杉に訴えても仕方がないから何も言わないけど。


「生命力が強くて、僕はいいと思うけど」

「褒められている気が全くしないのは何故だろうね」


 私は抜いても抜いても生える雑草か何かか。またボールをぶつけられたいのかなこのサイコパスは。

 絡んできたかと思えば嫌味が言いたかっただだけなのか。


 私のことも気に入っているとか言いながら、貶してくるよね。今流行りのモラハラ野郎になるんじゃないの。

 それとも暇なのか? 笛をピッピと鳴らすオモチャのような私をからかって遊んでいるのかな?


「…ねぇ知ってる? 育ちが違うカップルって長続きしないんだよ」


 急になんだ。エリカちゃんもとい私人形化計画のために慎悟との間を引き裂くべく揺さぶりをかけているのか?

 そんなの承知の上だよ。育ち以前に、私に慎悟はもったいない男だと今でも思っている。

 だからこそ、隣に立てるくらいにはなろうと今頑張っている最中なんだ。上杉に口出しされる謂れはない。


「……それで?」

「加納君と君じゃ不釣り合いだよ。現実を見たほうがいいんじゃないかな? 今は交際初期で舞い上がっているだけ。…そのうち現実に直面するよ」

「おい、上杉…!」


 上杉の煽りにとうとう慎悟が口を開いたが、私は慎悟の腕を掴んで止めた。

 …それはわかっている。

 私は人生初の彼氏に舞い上がっている時期なので、脳内お花畑な自覚はあるさ。まだまだセレブに馴染めていないし、ポンコツお嬢様な現状では慎悟に相応しくないという自覚はある。


「…上杉…あんた全然わかっていない」


 私は…慎悟が慎悟であるから好きなの。不釣り合いという真実をわかっていても慎悟じゃなきゃ駄目なんだよ。

 辛かった時に支えてくれた相手を、気持ちを真っ直ぐにぶつけてくれた相手を好きにならない理由はないし、同じ思いを返したいと思うのは間違っていないと思う。


「私は慎悟が好きなの。…私の本気を舐めて貰ったら困るね。…どちらかの寿命を迎える日まで、慎悟と一緒にいると約束したんだ。だから私はそのために努力するよ」


 私が幸せになるためには慎悟が隣にいないと意味がない。

 迷っても挫けそうになっても……私は私らしく、前向きにエリカちゃんの身体で生きようと決めた。私は慎悟と共に生きていくのだと決めたんだ。

 

 上杉に反論の余地を与えないように言ってみたけど、上杉は無表情でこっちを見てきて…とても不気味。なにか言ってくれないかな。私一人で滑っているみたいじゃない。


「…興ざめだな。でもそのうち音を上げると思うよ? 早めに引き下がったほうが君のためだと思うけど」

「余計なお世話だよ。なんせ私はしぶといからね。私と慎悟の絆は誰にも引き裂かせないよ。ねっ慎悟!」


 私は上杉を睨みつけると、慎悟の意志を確認しようと斜め上を見上げた。

 見上げたのだが、そこには赤面した顔を手のひらで隠す慎悟の姿があった。


「…どうしたの…?」

「あんた…本当…なんなんだよ」

「え、なに? 私また失言した? でもね私も本気なんだよ? 私はあんたと生きていきたいの」


 慎悟の顔を覗き込むと、彼は恥じらった顔でこちらを見下ろしてきた。私がにっこり笑いかけると、慎悟は両手で私の頭を掴んでグッシャグシャと頭を撫で回してきた。


「何すんの、髪がボサボサになるでしょ!」


 私もお返しで背伸びして慎悟の髪を乱そうとしていたが、両手首を掴まれてしまった。身長さえあればラクラクだったのに! 

 慎悟の頬は赤味が抜けていない。この紅顔の美少年め、さては照れ隠しか? 可愛いな、もっと愛でさせなさいよ!


「そこのバカップル、イチャついてるとこ悪いけど、部活のこと忘れてない?」


 じゃれ合う私達を練習着姿のぴかりんが冷やかして来たことで、私はハッと我に返った。


「あっ部活行かなきゃだ! 慎悟、じゃあまた明日ね!」


 気づけば下校中の生徒たちの視線を集めていたらしく、私達は注目の的となっていた。公衆の面前でついついイチャついてしまっていたらしい。ごめん遊ばせ。

 慎悟に別れを告げると、足早に部室へと向かったのであった。



 上杉のその後は知らない。どうでもいいもん。

 


 

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