消えた娘【二階堂知世視点】


『二階堂エリカさんの保護者の方ですか?』


 一人娘のエリカが事件に巻き込まれたと警察から電話がかかってきた時、私は身が凍る思いがした。

 電話の向こうで娘は無傷で無事だと説明を受けたものの、実際に無事な姿を見ないと私は安心できなかった。

 夫と共に、娘が搬送された病院に駆けつけると、病院前には大勢の報道陣の姿があった。「心肺停止の2人、死亡確認! 被害者は女子高生と会社員男性!」と騒いでいるのが聞こえてきた。それを耳にした私は気が気じゃなかった。急いで病院に入ると、娘の病室の場所を受付に聞きに行った。


 病室で寝かされた娘は眠っていた。娘のセーラー服には沢山の血がついており、それを見た私は息を呑んだ。看護師によるとこれは別の被害者の血であると話された。

 娘は目の前で人が殺される瞬間を目撃したショックで気絶したのであろうと説明され、私は言葉を失う。大の大人でもそんな惨劇を見るのに耐えられないのに何故この子が…娘が不憫に思えた。

 眠る娘の頬を撫でると暖かい。静かに呼吸をしているのを確認すると私はホッとした。娘が無事で良かったと胸を撫でおろしたのだ。

 …しかし、何故エリカは隣市の病院に搬送されたのであろうか? …一体どこで事件に巻き込まれたのであろうか…?


 夫が病院の入院手続きしている間、私は娘のそばに付添いしていた。病院に到着して30分ほど経過した頃にコンコンと病室の扉が叩かれた。

 

「はいどうぞ」


 お医者様がいらっしゃったのだと思ったのだが、扉を開けたのはスーツ姿の男性と女性の複数人だった。

 医者ではない、硬くピリピリした雰囲気を持つ彼らを見て私は訝しんだのだが、向こうから「警察のものです」と身分を明かされたので納得した。事件の目撃者として事情聴取をしに来たのであろうかと。

 娘が目覚めて、心身ともに回復してからにして欲しい。心の傷だってあるのだ。そう訴えたのだが…彼らの口から受けた説明に私は顔面蒼白してしまった。


「お母様のお気持ちも理解できるのですが、関係者の方全員に聞いていることなので。お嬢さんを庇って亡くなった女子高生が殺害された時のことを、今後の捜査のために伺いたいのです」

「……え?」


 娘が生きているのは、誰かが庇ったから。その人物は亡くなってしまったという事実を知ってしまった私は呆然としてしまった。

 その人物がエリカを庇わなければ、娘は死んでいた。…娘の代わりに他の人間が死んでしまったのだ。



 その日の晩から連日、事件はマスメディアに取り沙汰され、関係者の身内ということで私達も報道陣に追いかけ回される羽目になった。

 弁護士を通じてお断りしたものの、私達被害者側のプライバシーなんてお構いなしであった。…犯人である未成年者は実名も写真も報道されないのに、被害者の会社員男性と、エリカと1歳しか年の変わらない女子高生は実名顔写真つきでその生い立ちから殺されるまでを扇動的に全国放送されていた。

 松戸笑さん。…エリカを庇って亡くなってしまった女の子だ。彼女の遺体はひどい状態だったらしい。目撃者によるとエリカが刺されそうになった時、彼女が飛び込んでエリカを庇っていたという。

 バレーボールの選手として将来を期待されていたという活発な女の子。エリカとは縁もゆかりもない彼女は、犯人の身勝手すぎる凶行によってその人生を強制終了されてしまったのだ。


 私が彼女のお葬式に参列させてもらった時、葬儀場には沢山のお友達が参列していた。皆、彼女のことを悼み、深く悲しんでいた。

 当然のことながら一番悲しんでいたのは彼女の家族で、お母様は棺の傍でずっと泣いていらっしゃった。

 それはそうである。お腹を痛めて産んだ娘が、大切に育ててきた娘がどこの誰かも知らない少年に無差別に殺されたのである。人目憚らずに泣くのは致し方ないことで。

 その上、笑さんの遺体は司法解剖をされて更に身体を傷つけられる事になったと聞いた。捜査のためとはいえ、遺族の悲しみは計り知れないものである。


 私はそれが自分の事のように悲しくなってきて、つられて泣いてしまった。




 事件から1週間経過したが、娘は未だに目覚めない。

 精神的ショックによるものだろうとはお医者様に説明を受けたが、娘はこれからどうして生きていくのであろう。自分の代わりに誰かが死んだという事実を受け止められるのであろうか…


 義父から引き継いだ会社を経営する夫。私も彼のパートナーとして結婚当初から奔走してきた。そのため娘のことはシッターやお手伝いさんに任せっきりになってしまって…私達は娘とちゃんと向き合う機会を作れなかった。

 幼稚園でもお友達が出来ずにずっと絵本を読んで過ごすようなおとなしい娘で、ちょっと心配だった。私達が娘に寂しい思いをさせて来たせいで、娘を消極的な子にさせてしまったのであろうか?

 5歳で婚約者が出来て、娘は彼に夢中になった。彼と一緒に遊ぶようになって、娘には笑顔が増えた。だから私はそれに安心していた。

 習い事も勉強も真面目に取り組み、親の私が言うのは何だが、娘はとてもよく出来た手のかからない子に成長した。弱音も吐かないで、婚約者の倫也君のために努力する娘を私は応援していた。それがエリカの幸せに繋がるのだと信じて、私は陰ながら応援していたのだ。

 …しかし、エリカの想いは彼には重すぎたようだ。ふたりの間にはすれ違いが生まれ、ついに亀裂が走ってしまった。…あの事件の日、エリカは学校で倫也君に婚約破棄を叩きつけられたという。

 …そうなってしまえば、もう取り返しがつかない。けじめとして、娘に恥をかかせた相手の親には然るべき対応を取らせてもらった。

 娘にはもっといい相手を見繕ってあげよう。エリカだけを愛してくれるいいお相手を…失恋には新しい恋だという。新しい相手が見つかればエリカも元気になるはず。


 今日も目覚めないかもしれないが、時間を作ってエリカの病室を見舞う。点滴で栄養補給はしているが、点滴だけでは心許ない。早く目覚めてほしい。早く元気になって、心のケアをして…そしてこれからはもっと娘との時間を作りたい。

 エリカが物分りのいい子だからと、私はそれに甘えて、娘には今まで寂しい思いをさせ続けていた。それを反省して、もっとエリカと話す機会を作ろうと決めていたのだ。

 今度こそいい母親になろうと決心していた。


 扉を開けた先に、鏡を眺める娘の姿があった。やっと目覚めてくれたことが嬉しくて、娘に声を掛けたのだけど……


「……誰ですか?」


 他人を見るかのような目で私を見てくるエリカ。

 娘は、娘じゃなくなっていた。



■□■



 1年以上もの間、娘の姿をしているのに娘じゃない彼女との生活を送ってきた。

 そりゃあ私だって色々複雑であるし、当初は疑ってはいたけども、しばらく過ごしていたら全くの別人が娘に憑依しているのだと理解した。

 それが娘を庇って亡くなった松戸笑さんだということも。


 彼女は自分のしたかったことをするために、娘として復学した。バレーに熱中していた彼女だけど、それ以外にも色々と動いてくれた。外でもない娘のエリカのために。

 自分のことでいっぱいいっぱいだろうに、娘の婚約破棄騒動の顛末を突き止めたり、娘に悪意を持つ人間の存在を報告してくれたり。…犯人と会うのは怖いだろうに娘として、刑事裁判にも出廷してくれた。


 友達をたくさん作って、学校でも楽しそうに過ごしていた。いつも元気で笑顔の彼女を私は憎めなくなった。彼女は一日一日を大切に、精一杯に生きていた。

 …もしもエリカの傍にえっちゃんのようなお友達がいたら、エリカはもっと楽しく過ごせたのかしら。 


 …どうしたらあの時に時間を戻せるのかしら…?





 念願のインターハイに出場したえっちゃんが大会中に原因不明の不整脈を起こして緊急搬送されたと連絡が来た時、私は遠く離れた東南アジアに仕事のために滞在していた。それは夫も同様で、大事な取引の真っ最中だったのだ。

 義兄夫妻が色々面倒を見てくれると言うのでそれに甘えて、パソコンを使ってのテレビ電話でえっちゃんに声を掛けたら、液晶の向こうにいたのは捜し続けていた娘のエリカがいた。

 私は嬉しくて今すぐに日本に帰国してエリカに会いたかった。…だけど会社の今後を左右するかもしれない取引にその私情を挟むことが出来なかった。何故なら私達の下には幾人もの従業員が存在するのだ。これを捨ててしまえば、得るはずだった利益を失ってしまう…むしろ損するかもしれないからだ。

 終わり次第すぐに帰国するとエリカに約束したが、エリカは「私は大丈夫です、お母様」と返事をするだけであった。

 娘も事情を理解してくれているものだと思っていた。



 えっちゃんがいなくなってしまったことに寂しさを覚えたけども、彼女は前々からインターハイに出場できたら成仏するんだと口癖のように言っていたので、彼女はきっと後悔せずに逝けたのではないかと思う。

 これで元通り。

 これから元通りに…いいえ、今まで寂しい思いをさせてしまっていたから、これからはもっと娘との時間を大事にしようと思っていたのに……戻ってきた娘はあの頃よりも沈み込むようになった。いつも暗い表情をして…生きているのが辛そうだった。

 私は時間を見つけてはエリカに話しかけたり、気分転換になるものを提案したりしてみたけども…エリカと私の距離はなかなか縮まることはなかった。

 娘は完全に心を閉ざしていた。


 もう何もかもが遅すぎたのだ。

 エリカにとって関心があるのは元婚約者の倫也君だけ。だけどあんなことがあってからではもう復縁は不可能だ。エリカもそれが分かっていたから口には出さなかったけど…エリカはどんどん追い詰められていったのだ。

 母親である私は娘の支えにはなれないのだと痛感した。



 別れは急だった。

 学校から飛び出したところで車に轢かれそうになり、避けて転倒して頭をぶつけた娘はまた意識をなくしてしまった。命に関わるような外傷はないというのに、娘はいなくなってしまった。

 娘はまた、えっちゃんに身体を託して…今度こそ完全にこの世から消えてしまったのだ。…自分の意志で。


 再び憑依したえっちゃんを責めるなんてできなかった。彼女は巻き込まれたようなものだ。

 私は非科学的なことは信じないタチだけど、えっちゃんの話す不思議な話も私はすぐに受け入れることが出来た。

 私はずっと考えていた。えっちゃんが現世にいた間、エリカはどこにいたのであろうかと。なるほど、娘は地獄にいたのか。…あの子はこの世を捨てて、転生の輪に入ってしまったのか。その道を選んだのか。


 …あの子が転生の輪に入ったと言うならば…またどこかで生まれ変わったエリカと会えるだろうかと。

 生まれ変わったエリカはもう私の娘ではないけども…あの子にもう一度会いたかった。



 後悔してもしきれない。

 後悔するくらいならあの時から、あの子が生まれたときからちゃんといい母親をしていたら良かったのに。

 仕事なんか程々にセーブして、娘と一緒に過ごしていればよかった。きっとエリカは私の事を娘よりも仕事が大事な人間だと思っていたに違いない。

 

 悔しくて、そんな自分が情けない…

 どうして私はこんなやり方しか出来なかったのだろう。どうしてあの子に寂しい思いをさせていたのだろう。

 あの子を愛していたのにどうして。


 いいお母様じゃなくてごめんね、エリカ。



 ……私は永遠に娘を失ってしまった。


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