約束を果たすその時。


 あっという間に体育祭も終わり、5月下旬になった。…インターハイ予選試合の日がとうとうやってきたのだ。


 この日まで毎日欠かさずストレッチをしてきた私は、下半身中心の筋トレをしっかりこなしてきた。筋肉を増やして、靭帯を保護・カバーするのが目的である。

 体育祭後になってようやく部活の練習に参加できるようにはなったけど、やはり制限があった。ハードな練習をするとまた二の舞を踏む可能性があるからだ。

 勿論その前後のアイシング(冷却)や、テーピングでの圧迫もきっちりしているし、休める時はしっかり休養を取っている。

 ちょっと身体が鈍ってしまったので、焦ってはいるけど…こればかりは仕方がない…


 一旦は予選試合のレギュラー入りした私ではあるが、様子見で出場という形に決まった。初戦は名の通っていない高校との対戦。私はベンチに座ったまま応援していた。

 出たい…けど我慢…ゴーサインが出るまでは我慢…


 予選試合の対戦組み合わせはクジでの抽選になる。地域で英は誠心の次くらいに強い高校だからなのか、初戦で当たらないように仕組まれている気がしないでもない。

 初戦は余裕で勝ち抜いた。誠心の方も別の対戦校との対戦で難なく勝利をしていたようだ。このまま勝ち抜いたら、準決勝か決勝辺りで当たる気がするんだよね。

 うちの県のインターハイ出場枠は2校。予選大会優勝校、準優勝校がインターハイに出場することが出来るのだ。なんとかそこまで漕ぎ着けたら…なんとか出場できたら…

 私はやきもきしつつ、チームメイト達の活躍を眺めていた。




「あれ? …あんた、1月に小平と話していた子よね? …英学院の子だったっけ…」

「!」


 お手洗いで手を洗っていると、後ろから声を掛けられた。鏡に映るその姿に私は身構えてしまった。その相手が誠心高校元チームメイトの江頭さんだったからだ。

 彼女はジロジロと値踏みするようにこちらを眺めている。すごく嫌な視線を感じるぞ。


「あんた、どこのポジションなの?」

「……スパイカーですけど」


 私が1年で、春高大会予選のレギュラー入りした時から彼女は私を敵視していた。時折悪意を持って私に危害を加えようとしていたので、条件反射で警戒してしまう癖が抜けないのだ。

 彼女は私の返答に対して、鼻で笑っていた。


「…その身長で? 160もないでしょ? 精々リベロじゃないの。…英ってインターハイでは全然活躍しないし、大したことないね」

「……」


 この身長でスパイカーのポジであることを馬鹿にされるのは少し慣れてきたけど、英のバレー部を馬鹿にされるのは腹が立つな。

 だけど短気は損気。相手にしてはいけない。私は「話はそれだけなら失礼します」と話を切り上げて、彼女から離れた。


 依里に聞いたけど、江頭さんは今回もベンチ待機だそうだ。彼女は今年で3年だが、未だにレギュラー入りが出来ていない。

 彼女が伸びないのは、そういう部分があるからだ。人を妬んだりするのは良い。それが闘志に変わって、ますます頑張れるから。

 だけど相手を見下し、大したことない、自分が有利であると優越感に浸るような人はそこまでだ。そうして自分を甘やかして、それで終わってしまうだけだ。


 私はそうはなりたくない。この身長でも、私に残された時間がわずかでも、出来ることをやって見せたい。

 それが依里との約束。そして私の最後の望みなのだから。


 順調に試合に勝ち進み、試合日程が過ぎていく。そうしてあっという間に決勝戦に辿り着いた。

 決勝戦の対戦相手は、誠心高校だ。

 …私はこの時までずっとベンチ待機だった。決勝のメンバーにも入ることが出来ずに、もう半分出場を諦めていた。


 試合は誠心のリードが続いて、英は圧倒されていた。ていうかいつもそんな感じなんだよね。強豪誠心高校の名は伊達じゃないんだ。

 隣で顧問が「やっぱりなぁ…」と弱気なボヤキをしているし。春高の予選でもこんな流れだったもんね。例えここで負けても英学院のインターハイ出場決定は間違いないけど、諦めて負けるってのもね……


 2セット目が終わり、2−0で誠心がリードした状況。試合で3セット先取したほうが勝ちである。もう後がない。

 英のレギュラー選手たちは焦りを見せていた。そりゃそうだよな。英学院のバレー部は地区優勝をしたことがない。インターハイとは言わないが、地区優勝くらいは夢見たいだろう。


「…よし、野中。二階堂の膝をテーピング固定してやれ」

「はい!」

「…え?」


 ハーフタイムにコーチと出場選手たちが作戦会議をしているその側でそれを眺めていた私だったが、コーチがマネージャーの野中さんにそう指示した。

 テーピング? 何故に? と困惑する私の手を引いて椅子に座らせると、野中さんが手慣れた様子で膝…膝蓋腱炎と診断された方の利き足をテーピングで固定し始めた。そして、サポーターをしっかり装着される。

 私がぽかんとコーチを見上げると、彼は爽やかに笑った。


「……出たいんだろ。思う存分暴れてこい。…だけどな、足に少しでも異変を感じたらすぐに止めるんだぞ」 

「…はい!」


 最後の最後に私の望みを汲み取ってくれたのだとすぐに気づいた。

 私は立ち上がり、膝の動作具合を確認すると、膝をそっと撫でる。

 最後の戦いになるかもしれないんだ、頑張ってくれよ。

 エリカちゃんの身体にそうお願いすると、私も作戦会議をしている輪の中へと入った。


 程なくして3セット目の試合が開始された。私は対戦相手である誠心高校出場メンバーの依里とネット越しに目が合った。言葉はなくとも、伝わったと思う。


 正々堂々、悔いなく戦おうって。


 サーブポジションに立っていた私は深呼吸しながら、バレーボールを手になじませるようにドリブルする。

 私が着用しているユニフォームはリベロの色ではない。私のポジションはスパイカーだ。


【ピッ!】


 試合開始の笛の音が響き渡る。

 私は勢いよくコートに向かって駆け出すと、ボールを空中に投げてジャンプサーブを相手コートに送った。

 私はリハビリ期間中、上半身の筋トレも強化していた。腕力も以前よりも増したはずだ。

 家ではバレーの試合映像を沢山見てイメージトレーニングをした。生前の自分がどうやってプレイしていたか。客観的に見て、自分のフォームはどうだったかを研究した。


『そう! そのフォームを忘れないで!』


 依里との新しい約束。

 

『あたしと違ってあんたは背が高い。きっとバレーで活かせるよ』


 バレーの楽しさを教えてくれた祖母。


 私はもう私じゃなくなったけど、それでも私はバレーが好きだ。私の世界の中心はバレー。それは何が起きても変わらない。

 どんなにキツくても苦しくても哀しくても、やっぱり私はバレーボールが好き。

 たとえ自分の身体じゃなくて、別の人の小さな体だとしても諦めることは出来ない。

 

 コートにいる時は自分は生きていると実感できるから。


 ズバン!


 ジャンプして相手コートに渾身のスパイクを叩きつけるが、簡単に拾われてしまう。腕力がついたとしても、あっちのほうが一枚上手なのだ。…どうしたら……

 考えた私は隣にいたセッターである3年の桐堂とうどうさんに小声で、あるお願いをしてみた。


「桐堂さん…あの、次トスじゃなくて私の頭上めがけてスパイクしてくれません?」

「えっ? …何言ってるのよエリカ」

「平井さんのスパイクも向こうの選手が拾ってるじゃないですか。このまま負け戦を続けたくないじゃないですか! …一か八かです!」


 フェイントしてもバックアタックしても軽々拾われてしまうのだ。博打になるが、あれを試すしかない。クラスマッチでの偶然の産物だったスパイク×スパイク攻撃をこの試合で実践しようと思ったのだ。

 このまま普通に戦っても今の英の実力じゃ負けるだけだ。やってみて損はないはず。

 桐堂さんは引き攣った顔していたけど、負け試合になっているのを分かっていたのか、半ばやけくそ気味に「分かったよ!」と了解してくれた。


 何度かラリーが続いた後、守備のリベロが拾ったボールを、桐堂さんは姿勢を低くして私に向けてスパイクしてきた。


「エリカ!」


 桐堂さんがスパイクしたボールが、ジャンプして宙を舞う私の顔面めがけてやってきた。よし、このまま身体を引いて…


「うらぁぁぁー!」


 あの時はヤケクソで打ち込んだが、今回もちょっとヤケクソである。

 だってだってようやく出場できたのに! このまま負けっぱなしなのも悔しいじゃないか!


 私の気迫にびびったのか、誠心のブロッカーがビクリとしていた。だからかブロックのタイミングが合わずに、スパイクボールが後ろに流れていく。

 攻撃ボールを更に攻撃して放ったボールを、誠心のリベロが滑り込んで拾おうとしていたが、勢いがよすぎたようだ。

 そのボールは選手の腕に一度当たりはしたが、コントロールできずに場外に吹っ飛んでいった。


 その瞬間英に得点が入る。


「よっし! エリカよくやった!」

「その調子その調子!」


 チームメイトが頭をワシャワシャ撫でてくるが髪が乱れるからやめて。あと身長が縮みそうだからやめてくれ。上からぎゅっぎゅっと押すな。

 桐堂さんと私のコンビネーションアタックで得点を取れたことで、こっちの士気が増したようだ。皆改めて気合を入れ直した。


 向こうも負けてはいられない。誠心の監督のげきが飛んでくる。それが会場に響き渡り、向こうの選手たちに緊張感が走っていた。

 おいそこの誠心の監督。「あんな小さいスパイカーに」とか暴言吐くなよ。泣くよ?

 そりゃ背が高いほうが有利だけどさ! 小さくても可能性はあるんだよ!


 私は頬を叩いて気分を引き締めると、次の攻撃に向けて構える。

 よっしゃ来い。また攻撃をお見舞いしてやるわ。

 対戦相手に目を向けた時、依里とまた目が合った。…依里は好戦的な笑みを浮かべて、楽しそうだった。

 それを見た私も何だか楽しくなってきた。



■□■



 奮闘したが、3−1で誠心の勝利という結果で終わってしまった。あとちょっとの差でもう1セット取れたんだけどね。残念だが、やはり英はまだ誠心を追い越すほどの実力に至ってはいないのであろう。


「二階堂、膝はどうだ?」

「大丈夫です!」

「そうか、よく頑張ったな」


 ワシャワシャとコーチまで頭を撫でてくる。なんだよ身長縮むだろー。

 ていうかコーチに好意を寄せている平井さんが嫉妬の眼差しを送ってくるからやめてコーチ。背中にチクチク嫉妬の視線が刺さってくるよ…


 膝は平気だけど、手が痛い。攻撃ボール叩きすぎてじんじんする。こんなにボールを叩いたのは久々な気がするよ。ひとまず膝をしっかりケアだ。アイシングしておこう。

 私達は準優勝だったが、英学院のメンバーは表情が晴れやかだった。

 うんうん。バレーは楽しいのが一番だよ、私も楽しく戦えてよかった。


 一方、優勝となった誠心高だが、レギュラーメンバー達が監督に叱責されていた。勝ったのに叱ってくるんだよね〜。誠心の監督たち。勝って当然って思われているから、選手たちを褒めることがないんだよ。

 私はそれが普通だと思っていたけど、英でバレーするようになってから、あれが異常なんだって気づいたわ。慣れって怖いね。


「あ、そーだ! 今日打ち上げ行ける人いません? 焼肉食べにいきましょー!」


 決勝出場祝いに二階堂パパがとっておきのお肉を提供してくれるんだって!

 イエーイ焼肉ー! とテンションが上がっている部員たちが撤収する準備をはじめた。おい、顧問。コーチにビール飲もうぜとお誘いしているが、酒は実費だ。忘れるな。

 私もアイシング終わったら準備しないとと。


「ねぇ」

 

 椅子に座ったまま膝を冷やしていた私に声を掛けてきたのは依里だった。

 

「…依里」

「…次はインターハイで戦えたら良いね」


 インターハイ…インターハイか。

 私の一番の望みは依里と戦うこと、もうこの時点で望みは叶っていた。

 駄目だな。ようやく叶えたのに、新たな欲が出てきてしまったらしい。


「…なら…まだ成仏できないね」


 私は今度こそエリカちゃんに身体を返すと決めたのにそんな事言われたら、気持ちが揺らぐじゃないの。

 私の顔はきっと泣き笑いのようになっていだろう。だって、依里が泣き笑いみたいな顔で私を見ていたから。

 依里は目をごし、と手の甲で擦ると、私に向かってスッと手を差し出した。


「…楽しかった。あんたと戦えて」

「うん、私も」


 依里の手を握って彼女を見上げたけど、視界が涙で歪んで依里の顔が見えない。依里は身を屈めて私を軽くハグしてきた。「またね」と一言告げると、誠心高校のチームメイト達の元へと戻っていった。


 ……また、新しい約束をしてしまった。



 エリカちゃん、もう少しだけ、後もう少しだけ私に時間をちょうだい。

 私はまだ、したいことをやりきっていないの。


 でも絶対に返す。それは約束するから。


 私にもう少しだけバレーをさせて。



 私と依里のやり取りを少し離れた場所で意味深に眺めていた英学院女子バレー関係者の視線に気づいた私は、目元を手のひらで拭うと、ゆっくり立ち上がった。

 そしてみんなに心配掛けさせないように笑顔を作ったのだった。




 


  

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