今の私には恋とか愛とか必要ないのでやめてくれ。


 ポカーンとしていた私は、目の前でカッカと怒っている平井さんをただ見上げるしか出来なかった。

 私を睨みつけてくる平井さんの目にはうるうると涙が浮かんできて、今にも零れそうになっていた。


「私だって頑張ってるのに! どうして、どうしてあんたばかり……」

「…えぇと…平井さんもコーチに指導されたいんですか? お願いすれば指導してくれると思いますけど…」

「うるさいな! 後輩のくせに偉そうに言わないでよ!」

「はぁ…サーセン…」


 じゃあどうしろと。

 言っておくけど前提として、私はバレーがもっと上手になりたいし、強くなりたい。コーチの熱血指導はありがたいので、それを遠慮する気はない。

 指導してほしいなら割って入っていって指導してくれと言えば良いんだよ。


 涙声になりはじめた平井さん。なんでこんなに怒っているんだろうか……あ、そうか。


「平井さん大丈夫ですって〜私、恋愛には興味ないので〜」

「え…?」

「私はバレーに集中したいので、平井さんの恋の邪魔はしませんよ。バレーに関しては譲りませんけど」

「………」


 だってこれエリカちゃんの身体だもん。恋愛なんて出来るわけ無いでしょうが。それに今の私はバレーしか頭にないんだ。恋とか愛とかは邪魔な存在でしかない。

 私が明るくそう言うと、平井さんは私を疑うような目を向けてくる。


「この後の練習でコーチに指導してくださいってお願いしたら良いじゃないですか。コーチは一生懸命な部員には真摯に指導してくれますよ」

「……」


 邪魔はしないけど応援もしないよ私は。

 これはあくまで提案である。


「話は終わりでいいですよね? じゃあ私もう行きますね」


 はい解決。私は無理やり話を終わらせて踵を返した。試合前にしこりを残したくはない。 いざこざに巻き込むのはやめてくれよ。

 コーチはまだ20代で若いもんなぁ。フツメンだけど長身で性格は良いし。これがオッサンだったらこういう風に女子部員が恋心を寄せることはないんだろうけど……たまにあることだよね。身近な指導者に恋心を抱くって。

 ていうかコーチの鬼指導を目の前にして、平井さんは羨ましいとか感じるのか。まさに恋は盲目状態だな。暴力はないけど怒声は飛び交ってんだぞ。あの人の指導さり気なく厳しいからね。

 生徒とコーチの恋は障害が多いからどうなるかはわかんないけど、まぁ頑張れとしか。

 

 兎にも角にも私には関係のないことだ。とっとと教室に戻ろう。

 そう思っていたのだけど、階段から引き返していた私の前を塞ぐように、人の壁が進路を妨害していた。

 誰だ? 邪魔だな…と思っていた私は顔を上げてぎょっとした。


「!?」

「先輩に呼び出しされてるのを見かけたから…大丈夫? 強く背中をぶつけていたよね?」

「だ、大丈夫…」

「嫉妬にしては酷いことするね。…二階堂さんは本当に頑張ったのに…」

「…そうだね…」


 相手は上杉だ。

 違うクラスであるというのに、私が平井さんと共に人気のない階段に向かっていったのに気づいたらしい。どうして気づくんだよ。怖いよ。私の何処かに盗聴器でも仕掛けてんのか?

 後で制服に盗聴器がついてないか確認しようと考えながら、私は安全のためにこの場から立ち去る事を優先しようとした。


 こないだはカッとなっていたからコイツに殴りかかったけど、シラフの時は怖いんだよ。まさに蛇に睨まれた蛙状態。…その目だよその目。その目で見ないでくれよ。

 私は身の危険を感じて後ずさりをする。

 だけど相手の方が一枚上手だったようだ。


「怖かったでしょう…? よく頑張ったね…」

「…!?」


 上杉はサッとこちらに近づくと、絡め取るかのようにその腕で私を抱きしめてきた。

 その瞬間全身に鳥肌が立った。もう効果音は『ゾワッ』で間違いない。


「やめっ…! 離して!」

「強がらないで。……君のことを放っとけないんだよ」


 いえ、放っといてくださって構わないです。むしろその不埒な腕を解きなさい。エリカちゃんのきれいな体をけがすつもりか貴様は!!

 許さん! 笑さんは絶対に許さんぞ!!


「嫌だって言ってるでしょ! 離してよ!」


 ジタバタ暴れているつもりなのだが、上杉はがっしりホールドしてきていて、私の抵抗が全然効いていない様子。

 くっそ! 私の身体ならこんなぺらっぺらのガキンチョ、簡単に跳ね除けてくれたものを!

 エリカちゃん小柄だから、この時点で不利だわ!


 なんか「恥ずかしがらなくても良いんだよ」とか耳元で言ってくるんだけど、コイツ本当に頭大丈夫? 私は嫌がってるんですけど。

 おい、こいつ避けようにも寄ってくるぜ! どうしたら良いんだ? 解決法急募!

 藻掻けど藻掻けど、無駄に終わるそれ。私はパニック状態に陥っていた。

 エリカちゃんよりも人生経験が1年長いくらいで、私はバレーしか取り柄のないロンリーガールだったのよ! こういう時の回避方法なんて…!


「…なにしてるんだ?」

「はっ、慎悟ヘルプ! 猛烈にレスキュー! エマージェンシー!!」

「……上杉、離してやってくれ。…エリカはこういう事に慣れていないんだ」

「……‥」


 私の叫びが届いたのか、腕を組んだ状態の慎悟が呆れたように声を掛けてきた。私は藁にもすがる思いで慎悟にヘルプコールをかける。


 頼む、今すぐ助けてくれ! 秘密を共有する仲間だろ私達!

 慎悟は面倒くさそうな顔をしながらも、ため息を吐いてこちらに歩み寄ってきた。そしてやや乱暴に私の制服の襟を引っ張ってきた。


「ぐぇっ」


 首がちょっと締まって苦しかったけど、救出のためだから仕方ない。でももうちょっとレディを優しく扱うべきだと思うよ?

 上杉の腕からようやく逃れられた私は慎悟を盾にして、上杉の視界から隠れた。


 うわぁぁぁ! めっちゃ怖かったァァァ!! まさかこんな手段に出てくるとは…上杉なに考えてんの!? マジで怖いよ!


「…邪魔しないでほしいな? 加納君には関係のないことだろう?」

「…エリカが嫌がっていたから引き剥がしたまでだ。…お前、ちょっとやり過ぎだぞ」


 慎悟の言葉に対して、上杉がどんな表情していたかはわからない。

 だけど、相手が軽く笑う声が聞こえたので多分あの…人の良い笑顔を浮かべているのだろう。想像したらゾゾッとしてきた。

 私は恐怖を感じていた。無意識のうちに盾にしていた慎悟の制服をギュウと握ってしまっていたので、その部分だけ不自然なシワができているかも。慎悟すまん。

 先程から心臓がドッドッドッと鳴り響いているのが慎悟にも伝わっているかもしれない。これは間違いなく恐怖である。


 わたしの身体は175cmあった。だから大体の男子は目線が同じくらいだった。だけどエリカちゃんは155cm。目線が20cm違うだけで、こんなにも怖く感じるだなんて。

 それに16歳の少年で部活をしてない子だと、筋肉もそうついていないから傍目から見たらペラペラしているのに…上杉は力が強くて…なんというか捕食されそうな恐怖感があった。




「…い……おい! 笑さんもう大丈夫だからしっかりしろ!」

「!」


 目の前に慎悟のおきれいな顔があったので目を丸くして彼の顔を見上げた。 

 どうやら私はしばらく茫然自失としていたらしい。慎悟に肩を揺さぶられて我に返った時には上杉の姿は無くなっていた。

 いつの間に追い払ったんだ。どうしたら追い払えたのか教えてくれないか。


「……“エリカの純潔は私にかかっている”とのたまってたくせに、あんたは何してるんだよ」

「…う……それは…」

 

 慎悟にチクリと嫌味を言われたが、反論もできない。面目ない。


「…ごめん、ありがと」

「俺がたまたま通りがかったから良かったけど、毎度は助けてやれないからな」

「…わかってる」


 上杉がいなくなったとわかった私は脱力した。…あー怖かったぁ…なんなの本当…


「そろそろあんたは部活に行かなきゃならないんじゃないのか? レギュラーになれたってはしゃいでたじゃないか。腑抜けてたら試合に負けるぞ」

「はぁ!? 負けるわけ無いじゃん! 勝つに決まってる!」


 恐怖に萎縮しきって意気消沈していた私に慎悟はバレーの話を持ち出してきた。

 それにはバレー馬鹿の私は即反応する。久々の試合なんだから絶対勝つし! 


「うん、あんたはバレーのこと考えてるほうが生き生きしてるよ」


 すると私の切り替えの早さががおかしかったのか、慎悟が笑った。

 …いつもの人を小馬鹿にした嫌味な笑い方ではなくて、年相応の少年が浮かべる素直な笑顔。

 女の私が言うのはおかしいが、とても綺麗な笑顔で思わず見惚れてしまった。


「…可愛く笑えるんじゃん。その方が良いと思うよ」

「…はぁ?」

「あんた綺麗な顔してんのに、いっつも口をへの字にさせて世間を斜に構えている部分あるからもったいないなとは思ってたけど…可愛く笑えるじゃん!」


 私は褒めたつもりだった。

 だってほら慎悟は私より年下だし、私には弟がいるからついつい年上目線で見てしまうというか…

 だけど慎悟は「可愛い」がお気に召さなかったらしい。ムスッとした表情で睨んできた。


「…余計なお世話だ」

「また口角下がってるし。ほらほら笑いなって。笑うのは良いことなんだよ?」

「男に可愛いとか褒め言葉じゃないし、俺は可愛くない」

「大丈夫大丈夫。あと2・3歳年取れば格好いいの域に入ると思うよ」

「そういう問題じゃない」


 急にイライラしだした慎悟のご機嫌取りをしてみたが、「もういい」と踵を返してさっさと教室に戻って行ってしまった。

 私はすかさず大きな声で彼に声を掛けた。


「ごめんて〜! 助けてくれた時はカッコよかったよ〜! ありがとね~」


 その言葉は無視されるだろうなと思ったけど、慎悟は軽く手を上げると、後ろ手に振って応答してくれた。


「フフッ…」


 ついつい笑いが漏れてしまった。

 普段は素直じゃなくて生意気なんだけど、たまに素直になるところが反抗期のうちの弟を思い出してしまって、あんなに憎たらしかった慎悟が可愛く見えてきたのだ。


 前言撤回するよ。

 嫌な奴なんかじゃない。慎悟あんたは良い奴だ。


 明日の文化祭の自由時間は慎悟のクラスでなにか買い物してやろうかなと考えながら、私も小走りで教室に戻って行ったのだった。

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