第08話 吟遊詩人の来訪Ⅳ

 朝食の準備を整え終わり、ゼンザックはドーの寝室へと向かう。

 昨夜は、早々に休んでしまった。旅に同行せず庵を護れというドーの言葉に納得ができず、逃げるように自室へとひきこもった。客人を迎えているというのに、歓待の宴どころか夕食すら供していない。頃合いを見て夜食でも差し入れようかと考えていたが、どの様な顔をして二人の前に立てば良いか解らず、躊躇ちゅうちょしている間にタイミングを見失ってしまった。

 何事もなかったかのように、いつもの朝を迎えれば良い……そう考えて、いつものように朝食の準備を整えてドーを起こしにむかう。寝室の前に立ち、いつものように三回ドアをノックする。

「ドー様、そろそろお目ざめを」

 いつもならば「もう少し寝かせろ」と文句が返ってくるところだが、今日は返事がない。耳をそばだてると、二人分の寝息が聞こえてくる。ドーだけが休んでいるのであればかまわずに寝室へ入るところだが、客人が一緒となると入室がはばかられる。しかし、ドア越しに起こすことができるほど、ドーの寝起きは良くはない。

「失礼いたします」

 ゼンザックは意を決し、寝室のドアを開ける。同時にむせ返るほど室内にこもる、酒の匂いに眉をひそめた。そして室内の惨状に、目を疑った。

 褐色の肌をあらわに寝乱れる、ドーの姿はいつもの風景。しかし、床の散らかりようが尋常じんじょうではない。床に転がるおびただしい数の空瓶、テーブルへ直に置かれた干し肉の残骸と、そこに突き立てられたナイフ……寝室で酒宴を催したことが見て取れる。空瓶が転がる他にも、床には紅玉ルビー色のワインのしみと、干し肉とおぼしき食べこぼし、さらには昨日のドーの着衣までもが、床のあちこちに散らばっている。

「ゼンザックか……早いな……」

 目覚めたドーが上体を起こし、白金プラチナブロンドの髪をかき上げながら気だるい声をあげる。

「またその様な格好でお休みになって……」

 下着姿のドーを見遣り、ゼンザックが溜息をつく。

「胸当を着けているだけ、マシだと思え」

「だいぶお飲みになられたようで……」

「あぁ、寝酒を少し……な」

 寝酒と呼べる量ではない……床に転がる酒瓶の数を見て、ゼンザックは再び溜息をついた。そして、サイドテーブルに在るティーカップに気づいて声をあげる。

「まさか、ティーカップでワインを召し上がったのですか!?」

「あぁ、ヘレスがな。ワタシは酒瓶から直飲みだ。心配するな」

 そんな心配はしていない……そう言おうと思ったが、声に出すことすら馬鹿らしくなって止めた。ゼンザックは右手をこめかみに添え、三度目の溜息をついた。

「おまえが先に不貞寝ふてねしたせいで、グラスの場所もわからず難儀なんぎしたぞ」

「それは申し訳ございませんでした」

 抑揚よくようのない調子で、ゼンザックが形ばかりの詫びをのべる。

「朝食の前に、湯浴ゆあみでもされてはいかがですか? 目が醒めますよ」

「そうだな……そうするか……」

 シーツの隙間から素脚を伸ばし立ち上がろうとした瞬間、ドーの動きが止まる。

「ニャー……」

 声のする方を見ればドーの腰に、シーツの中から伸びるヘレスチップの腕が絡みついていた。

「ヘレスちんも、湯浴み行くニャ……」

 目をこすりながら、ヘレスチップがシーツの隙間から眠そうな声をあげる。もそりもそりとベッドをはい出し、あくびをしながらドーと並んで腰をおろす。

「エルフには、寝間着を着てはならぬという決まりでもあるのですか……」

 キャミソール姿のヘレスチップから、思わずゼンザックが目をそらす。

「そんな決まり、ある訳がなかろう……」

「そうだニャ。ゼンちゃん、変なこと言うニャン」

 恥ずかしげもなく下着をさらす二人を、ゼンザックは再び見やる。体躯も大きくグラマラスなドーと並んでは、ヘレスチップはまるで子供のように見える。しかしそれは、比べる相手が悪いというもの。純白のフリルに飾られた下着と相まって、ヘレスチップの躰のラインからは清楚な印象を受ける。ドーを見なれたゼンザックの目には、とても新鮮にうつった。

「と、とにかく、湯浴みに行かれるのであればお早く……」

 思わず動揺が声にでた。そして、それを聞き逃すドーではなかった。

「おや? ヘレスの下着姿に、ゼンザックが照れているぞ」

「ニャー! 嬉しいニャン!」

 ヘレスチップが勢いよく飛びつき、ゼンザックはその場へ尻餅をつく。

「ゼンちゃん、可愛いニャン。一緒に湯浴みするニャ。三人で仲良く、湯浴みニャン!」

 スリスリと頬擦りをしながら、ヘレスチップが湯浴みに誘う。

「ば、馬鹿なことを……。ドー様、た、助けてください……」

 ドーを見やれば、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら二人を見おろしている。

「ワタシは一向にかまわんぞ……おまえが一緒でもな」

「そんなのだめですよ! もう、許してください!!」

 遅い朝を迎えたウェイの森に、ゼンザックの悲鳴がこだました。


「お茶はいかがですか?」

 空になった食器を下げながら、ゼンザックが尋ねる。

「もらおうか」

 食後のいつものやり取り。湯浴みを済ませた二人は、広間で朝食を終えていた。

「ゼンちゃんも来ればよかったニャ……湯浴み……」

 茶の準備に向かうゼンザックの背に、ヘレスチップが残念そうに声をかける。おびえるように肩を震わせた後、ゼンザックは引きつる笑顔を残して奥へと消えた。

 寝室でゼンザックにまとわりつき、しつこく湯浴みに誘うヘレスチップを、結局はドーが引きはがして浴室へ連れさった。

「ヘレス、あまりからかってやるな」

「からかってないニャ。可愛がってるニャよ」

「おまえはクシードのことも、よくからかっていたな」

「クッシーも可愛いニャ。でも、生きていたとは驚きニャよ」

 昨夜ゼンザックが部屋へ下がった後、ウエイの街でのできごとを話して聞かせた。クシードが生きているという知らせに、ヘレスチップは瞳を潤ませて喜んでいた。

「言い忘れていたが、昨日の戦闘でクラーケンが盟約を履行したぞ」

「え? マジで? ドーちゃん、力が戻ったの!?」

「おい……お前、ニャを忘れてるぞ」

「あ、力が戻ったのかニャ?」

 思い返してみれば昨晩、クシードの話を聞かせたときもニャを付け忘れていた。しかも、再三に渡ってだ。

「ずっと思ってたんだが……おまえ、その喋り方、無理してるだろ」

「そ、そんなことはないニャ。生まれついてこのしゃべり方ニャよ」

 いぶかしげに見つめるドーから、ヘレスチップが視線をそらす。もちろん、生まれついてなどということはない。しゃべり方など、合うたびに違っている。

「まぁ、お前のしゃべり方など、今はどうでも良い……。話を戻すが、残念ながら力が戻った訳ではないようだ」

「でも、今のドーちゃんの力では、精霊王に盟約履行してもらうのは無理でしょ? ……あ、無理だニャ?」

「だが、あの場ではオドが満ちた。いくらでもマナを集めることができた。おかげで、クラーケンまでしゅが届いた……」

 しばしの思案の後、ヘレスチップがゆっくりと口を開く。

四貴石フォージェムス……かな?」

「おそらくは……」

 真剣な眼差しで見つめ合う二人の脇へ、ゼンザックがワゴンを寄せる。

「何なのですか……四貴石フォージェムスとは」

 ポットに湯を注ぎながら、ゼンザックが尋ねる。

「お前も持っているであろう。トライアンフ家に伝わる貴石を」

「あの緑玉エメラルドのことでございますか?」

「聞いたことがないか? 旧家に伝わる四貴石フォージェムスの名を」

 二人に茶を供しながら、ゼンザックが首を横に振る。

「この世に存在する数多あまたの貴石の中で、特に強い力を持つ四つの貴石を四貴石フォージェムスと呼ぶのだ。その内の一つが、おまえの持つ勝利の緑玉トライアンフ・エメラルドなのだよ」

「四散したドーちゃんのオドは、四貴石フォージェムスに固定されているというのがアタシの仮説。ゼンちゃんの勝利の緑玉トライアンフ・エメラルドでドーちゃんのオドが少し戻って、仮説が正しい可能性が高まった……」

「おそらくバフガーは、峻厳の紅玉スターネス・ルビーから力を得ている。ならば、あの体術のキレも納得ができよう。そして共に居た奴がクシードならば……当然持っておったのであろう、慈悲の青玉メルシー・サファイアを」

「……では、あの場に在った二つの貴石から力を得て、金剛細氷刃ダイヤモンド・ダストを発動したという訳ですか?」

 ゼンザックの問いに、ドーがうなづく。

「まったく情けない。貴石ジェムがなくては、精霊王にすらしゅが届かぬのだからな」

「でもこれで、ドーちゃんのオドが四貴石フォージェムスに固定されている仮説が証明できたんじゃない? だったら良かったよ。四貴石フォージェムスを集めれば、元の力を取り戻せるんだからさ」

 ヘレスチップの碧い瞳が、希望に輝く。

「持ち主が問題だがな。しかもワタシの栄光の金剛石グローリー・ダイヤモンドは、教皇庁に奪われたままだ」

「でも、取り戻すんでしょ?」

「そうだな。バフガーとクシードから貴石を得て、教皇庁に殴り込んで貴石を奪い返して、ついでに奴等の目論見をつぶせば目的達成といったところか……」

 他愛もないことのように言ってはみたものの、教皇庁を相手に立ち回るのだから容易にことは運ばないだろう。ヘレスチップも同じ思いなのか、その表情は険しいものとなっていた。

「ところでヘレスよ……」

「ん? なに?」

「忘れてるぞ……ニャを」

「!!」

 驚きに息を飲むヘレスチップを横目に、ゼンザックが笑いを噛み殺して肩を震わせていた。


(つづく)

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