第08話 吟遊詩人の来訪Ⅳ
朝食の準備を整え終わり、ゼンザックはドーの寝室へと向かう。
昨夜は、早々に休んでしまった。旅に同行せず庵を護れというドーの言葉に納得ができず、逃げるように自室へとひきこもった。客人を迎えているというのに、歓待の宴どころか夕食すら供していない。頃合いを見て夜食でも差し入れようかと考えていたが、どの様な顔をして二人の前に立てば良いか解らず、
何事もなかったかのように、いつもの朝を迎えれば良い……そう考えて、いつものように朝食の準備を整えてドーを起こしにむかう。寝室の前に立ち、いつものように三回ドアをノックする。
「ドー様、そろそろお目ざめを」
いつもならば「もう少し寝かせろ」と文句が返ってくるところだが、今日は返事がない。耳をそばだてると、二人分の寝息が聞こえてくる。ドーだけが休んでいるのであればかまわずに寝室へ入るところだが、客人が一緒となると入室がはばかられる。しかし、ドア越しに起こすことができるほど、ドーの寝起きは良くはない。
「失礼いたします」
ゼンザックは意を決し、寝室のドアを開ける。同時にむせ返るほど室内にこもる、酒の匂いに眉をひそめた。そして室内の惨状に、目を疑った。
褐色の肌をあらわに寝乱れる、ドーの姿はいつもの風景。しかし、床の散らかりようが
「ゼンザックか……早いな……」
目覚めたドーが上体を起こし、
「またその様な格好でお休みになって……」
下着姿のドーを見遣り、ゼンザックが溜息をつく。
「胸当を着けているだけ、マシだと思え」
「だいぶお飲みになられたようで……」
「あぁ、寝酒を少し……な」
寝酒と呼べる量ではない……床に転がる酒瓶の数を見て、ゼンザックは再び溜息をついた。そして、サイドテーブルに在るティーカップに気づいて声をあげる。
「まさか、ティーカップでワインを召し上がったのですか!?」
「あぁ、ヘレスがな。ワタシは酒瓶から直飲みだ。心配するな」
そんな心配はしていない……そう言おうと思ったが、声に出すことすら馬鹿らしくなって止めた。ゼンザックは右手をこめかみに添え、三度目の溜息をついた。
「おまえが先に
「それは申し訳ございませんでした」
「朝食の前に、
「そうだな……そうするか……」
シーツの隙間から素脚を伸ばし立ち上がろうとした瞬間、ドーの動きが止まる。
「ニャー……」
声のする方を見ればドーの腰に、シーツの中から伸びるヘレスチップの腕が絡みついていた。
「ヘレスちんも、湯浴み行くニャ……」
目をこすりながら、ヘレスチップがシーツの隙間から眠そうな声をあげる。もそりもそりとベッドをはい出し、あくびをしながらドーと並んで腰をおろす。
「エルフには、寝間着を着てはならぬという決まりでもあるのですか……」
キャミソール姿のヘレスチップから、思わずゼンザックが目をそらす。
「そんな決まり、ある訳がなかろう……」
「そうだニャ。ゼンちゃん、変なこと言うニャン」
恥ずかしげもなく下着をさらす二人を、ゼンザックは再び見やる。体躯も大きくグラマラスなドーと並んでは、ヘレスチップはまるで子供のように見える。しかしそれは、比べる相手が悪いというもの。純白のフリルに飾られた下着と相まって、ヘレスチップの躰のラインからは清楚な印象を受ける。ドーを見なれたゼンザックの目には、とても新鮮にうつった。
「と、とにかく、湯浴みに行かれるのであればお早く……」
思わず動揺が声にでた。そして、それを聞き逃すドーではなかった。
「おや? ヘレスの下着姿に、ゼンザックが照れているぞ」
「ニャー! 嬉しいニャン!」
ヘレスチップが勢いよく飛びつき、ゼンザックはその場へ尻餅をつく。
「ゼンちゃん、可愛いニャン。一緒に湯浴みするニャ。三人で仲良く、湯浴みニャン!」
スリスリと頬擦りをしながら、ヘレスチップが湯浴みに誘う。
「ば、馬鹿なことを……。ドー様、た、助けてください……」
ドーを見やれば、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら二人を見おろしている。
「ワタシは一向にかまわんぞ……おまえが一緒でもな」
「そんなのだめですよ! もう、許してください!!」
遅い朝を迎えたウェイの森に、ゼンザックの悲鳴がこだました。
「お茶はいかがですか?」
空になった食器を下げながら、ゼンザックが尋ねる。
「もらおうか」
食後のいつものやり取り。湯浴みを済ませた二人は、広間で朝食を終えていた。
「ゼンちゃんも来ればよかったニャ……湯浴み……」
茶の準備に向かうゼンザックの背に、ヘレスチップが残念そうに声をかける。
寝室でゼンザックにまとわりつき、しつこく湯浴みに誘うヘレスチップを、結局はドーが引きはがして浴室へ連れさった。
「ヘレス、あまりからかってやるな」
「からかってないニャ。可愛がってるニャよ」
「おまえはクシードのことも、よくからかっていたな」
「クッシーも可愛いニャ。でも、生きていたとは驚きニャよ」
昨夜ゼンザックが部屋へ下がった後、ウエイの街でのできごとを話して聞かせた。クシードが生きているという知らせに、ヘレスチップは瞳を潤ませて喜んでいた。
「言い忘れていたが、昨日の戦闘でクラーケンが盟約を履行したぞ」
「え? マジで? ドーちゃん、力が戻ったの!?」
「おい……お前、ニャを忘れてるぞ」
「あ、力が戻ったのかニャ?」
思い返してみれば昨晩、クシードの話を聞かせたときもニャを付け忘れていた。しかも、再三に渡ってだ。
「ずっと思ってたんだが……おまえ、その喋り方、無理してるだろ」
「そ、そんなことはないニャ。生まれついてこのしゃべり方ニャよ」
いぶかしげに見つめるドーから、ヘレスチップが視線をそらす。もちろん、生まれついてなどということはない。しゃべり方など、合うたびに違っている。
「まぁ、お前のしゃべり方など、今はどうでも良い……。話を戻すが、残念ながら力が戻った訳ではないようだ」
「でも、今のドーちゃんの力では、精霊王に盟約履行してもらうのは無理でしょ? ……あ、無理だニャ?」
「だが、あの場ではオドが満ちた。いくらでもマナを集めることができた。おかげで、クラーケンまで
しばしの思案の後、ヘレスチップがゆっくりと口を開く。
「
「おそらくは……」
真剣な眼差しで見つめ合う二人の脇へ、ゼンザックがワゴンを寄せる。
「何なのですか……
ポットに湯を注ぎながら、ゼンザックが尋ねる。
「お前も持っているであろう。トライアンフ家に伝わる貴石を」
「あの
「聞いたことがないか? 旧家に伝わる
二人に茶を供しながら、ゼンザックが首を横に振る。
「この世に存在する
「四散したドーちゃんのオドは、
「おそらくバフガーは、
「……では、あの場に在った二つの貴石から力を得て、
ゼンザックの問いに、ドーがうなづく。
「まったく情けない。
「でもこれで、ドーちゃんのオドが
ヘレスチップの碧い瞳が、希望に輝く。
「持ち主が問題だがな。しかもワタシの
「でも、取り戻すんでしょ?」
「そうだな。バフガーとクシードから貴石を得て、教皇庁に殴り込んで貴石を奪い返して、ついでに奴等の目論見をつぶせば目的達成といったところか……」
他愛もないことのように言ってはみたものの、教皇庁を相手に立ち回るのだから容易にことは運ばないだろう。ヘレスチップも同じ思いなのか、その表情は険しいものとなっていた。
「ところでヘレスよ……」
「ん? なに?」
「忘れてるぞ……ニャを」
「!!」
驚きに息を飲むヘレスチップを横目に、ゼンザックが笑いを噛み殺して肩を震わせていた。
(つづく)
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