第二章 瓢一郎の姫華、殺し屋と戦う

第7話

 朝、リンカーンが校舎の昇降口前に止まり、佐久間が運転席から降りると瓢一郎の座席側のドアを開け、一礼した。瓢一郎は気品溢れる優雅な動きで地面に足を下ろすと、艶光りする黒髪を指でかき上げ、風にたなびかせる。姫華としてはじめての通学だ。

「退院おめでとうございます、姫華様」

 待っていたらしく、瓢一郎の姿を見るなり伊集院が深々と頭を下げる。手には布袋に入れた木刀。この前のことから手放さないつもりなのだろう。

「お帰りなさいませ」

 伊集院に続いて、後ろから頭を下げる者がいる。生徒会書記の佐藤理恵子。それに同じクラスの郷山に鬼塚だった。おなじみの姫華親衛隊の面々。あまり大げさな出迎えはまずいと思ったのか、親衛隊の中でも有象無象の連中は引き連れてはいない。

「出迎えご苦労様」

 瓢一郎は意識して冷たい目のまま、口元だけの笑みを浮かべていった。

「姫華様、その猫は?」

 伊集院は車から姫華の後をつけてくるシャム猫に不審を抱いたようだ。

「わたくしの猫ですわ。フィオリーナといいます。可愛がってあげてください」

「え? でも、姫華様は猫がお嫌いだったのでは……」

 難癖を付けてきたのは、意外にも一番おとなしそうな理恵子だった。

「黙れ、佐藤。そんなことは姫華様の勝手だ。そんなこともわからないのか?」

「す、すみません」

 伊集院の有無をいわせぬ叱責に、理恵子はおどおどと頭を下げた。

「姫華様、お鞄を」

 郷山が一歩前に出て手を差し出した。瓢一郎は無表情のままいう。

「そんな心配してもらわなくても鞄くらいは自分で持ちますわ。そんなことより郷山、質問があります」

「なんでしょう?」

 郷山のえびす顔にかすかな緊張が走った。

「わたくしが襲われた日、鬼塚とふたりで瓢一郎をリンチにしたというのは本当ですか?」 郷山と鬼塚の目を交互に見据える。ふたりとも顔に焦りが出た。

 あれが姫華の命令でないことは、姫華本人から聞いて知っていた。つまり、あれはこのふたりの暴走ということになる。

 口ごもる郷山に代わって、鬼塚が口を開いた。

「申し訳ありません。担任教師を味方に付けていい気になっていたようなので、少し脅しておこうと思いまして」

 もっとも反対に自分たちがやられたのだが、それを報告する気はなさそうだ。

「お黙りなさい。あなたたちが勝手にそんなことをすれば、まるでわたくしが気に入らない者を陰で暴力を使って従わせているように思われてしまいますわ。わたくし気に入らない相手には面と向かってそういいますし、自分で対決します。陰で汚いことをするつもりは一切ございませんの」

 どぼぉお!

 鈍い音を立て、伊集院の木剣が鬼塚のみぞおちに突き刺さる。次にその切っ先は郷山の顎に向かって跳ね上がった。

 苦悶の表情で地面に崩れ落ちるふたりに向かって、伊集院は怒鳴る。

「おまえたち、勝手な判断で姫華様の顔に泥を塗るつもりか?」

『いいんだろ、これで?』

 瓢一郎はテレパシーで姫華に話しかける。

『けっこうですわ。この男たちはたびたびわたくしの威光を使って、好き勝ってやっていたようですから』

「もうよろしいですわ、伊集院」

 倒れたふたりになおも執拗に剣先で攻撃を加える伊集院を制した。

「この際ですからはっきりいっておきます。わたくしの威光を笠に着て好き勝ってやることはもちろん問題外ですが、わたくしの顔色をうかがって、気を利かせようと勝手なことをする必要は一切ありません。わたくし目で人を使っておきながら、『それは彼らが勝手にやったこと』と責任逃れをするような、やくざの親分のようなやり方は大嫌いですの。なにかことを起こすときは、すべてわたくしの責任でおこないますから」

「さすが姫華様、ご立派な考えです」

 伊集院が深々と一礼する。

「伊集院、あなたの責任において、このふたりを含め、すべての親衛隊員を監視しなさい」

「は!」

「では教室に行きます」

 もういうことはいったとばかりにすたすたと下足箱に向かった。姫華がしっぽを立て、しゃなりしゃなりとした歩調で足下までくると、瓢一郎を見上げた。

『いっておきますが、わたくしのイメージを損ねるようなことは一切御法度ですわよ。わたくしはそのための監視に付いていくのですから』

『わかってるって。さっき伊集院にいったこともまずかったか? もっともあの件に関しては俺も譲るつもりはないけど』

『……いいえ。あれでけっこうですわ。わたくし自身、つねづね同じようなことを思ってましたの』

 瓢一郎たちがふたりだけの交信をしている間に、理恵子は姫華の下駄箱にぱたぱたと走ると、上履きを取り出した。

「あれ? 変です。靴が違います」

 瓢一郎の足下に靴をそろえつつも、子供のような顔に怪訝な表情を浮かべていった。

「そんなことありませんわ」

「で、でも……」

「いいのです」

 瓢一郎演ずる姫華の威厳に、理恵子はそれ以上なにもいわなかったが、納得している顔ではない。だが、強引にでも押し通すしかなかった。

 ほんとうは別の靴だ。上履きは皆同じデザインで、姫華といえどそれは変わらない。ただしサイズが微妙に違った。瓢一郎の方がすこしだけ大きかったのだ。だから葉桜がこっそり入れ替えておいたのだが、それを認めるわけにはいかない。

 瓢一郎は強引に上履きに足を入れ、この話題を終わらせようとした。

「姫華様、そのストッキングおしゃれですね」

 理恵子はさらに意表を突いてきた。

「あら、似合わないとでもおっしゃりたいの?」

「いえ、とんでもありません。とってもよくお似合いですよ」

 理恵子は謎めいた微笑を浮かべる。

「でも、あれだけきれいなおみ足なんですから、わざわざ隠すのはもったいないなって思っただけです」

「……」

『なあ、姫華。こいつって、ひょっとしてめちゃめちゃ鋭い?』

『さ、さあ? たしかに好奇心は人並みはずれて旺盛ですけど?』

 いやな予感がした。このおとなしそうな二年生が、どこまで変に思っているかはわからないが、用心するに越したことはない。

 だが、理恵子の表情は疑っているというより、むしろ嬉しそうだ。目なんかなぜかきらきら輝いている。

「そんなことよりも姫華様、報告しておくことがあります」

 伊集院が、おまえは邪魔だとばかりに理恵子を押しのけ、前に出てきた。

「担任の葉桜のことです」

 伊集院は、気を遣ってか、他の者に聞こえないように耳元でささやいた。

「ご命令の通り、ここ一週間、葉桜を監視しました」

『え? 姫華、おまえそんなことを頼んでいたのか?』

『あ? 完璧に忘れてましたわ、そんなこと』

「姫華様の疑ったとおり、あの女、理事長のスパイでした」

「え?」

「あの女、学校では不審な動きはしておりませんでしたが、夜になると、必ず姫華様のお屋敷に出入りしていたのです。姫華様が知らない以上、あの女は理事長、つまりお父様のスパイであるのは間違いないでしょう」

 う~む。じつは彼女はスパイというより、陰から姫華を守っていた護衛なのだが。

「心配なさらなくとも、私はあなたの味方です。家の思惑など関係ありません。私が尊敬しているのは、花鳥院家ではなく、姫華様個人なのですから」

 伊集院はそういうと、一歩下がった。若干顔が赤らんでいる。

 なんかややこしいことになってきたと思った。しかし伊集院があくまでも味方に付くというならそれに越したことはない。

「あ、それから伊集院。わたくしを襲った犯人のことですけど、もし心当たりがあったら……」

「残念ながらまだ判明してはおりません。しかし、とうぜんやつを見つけるためすでに動いております。警察などにまかせてはおけませんからね」

 伊集院の目がぎらりと光った。そういえばこの男、犯人にはさんざんな目に合わされている。個人的にも恨みがつもっているはず。犯人を見つけるため、力を借りることを頼もうとする前に、すでにやる気満々だ。

「犯人はこの学園の生徒に間違いないと思っています。中には姫華様の力を疎ましく思っている不満分子もいますからね。この伊集院、必ずや見つけ出し、姫華様の前に差し出してご覧にいれます」

「わかりましたわ。その話は放課後にでも。とりあえず、そろそろご自分の教室に向かわれたらいかが?」

 そういい残すと、すたすたと教室に向かう。

「なにをやっている。姫華様のすぐ後ろについて、お守りするのがおまえらの役目だ」

 伊集院の郷山、鬼塚に対する叱責が後ろから鳴り響いた。

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