第6話

「さあ、自分の顔を見たらきっとびっくりするよ。姫華様そっくりになったからな。ひ~っひっひっひ」

 ここは花鳥院家の地下室で、誘拐されたとき目を覚ました、例のSFの宇宙船の中のような部屋だ。

 瓢一郎はここでわけのわからない手術をされた。そのあと一週間、自分の部屋を与えられたが、監禁状態で地上には出してもらえない。きょうは手術の成果を確認する日で、この忌まわしい部屋に戻ってきている。例の三人組と姫華も一緒だ。

 瓢一郎は今、壁に掛かった鏡の前に立っていた。全身が映る大きな鏡。

 その中には例のコルセットで腰を締め上げ、特殊素材で作った脚型を嵌め、胸には特性パット入りのブラをした瓢一郎が映っている。ただしその顔は包帯で覆われていた。さらにその後ろで、白衣を着た四谷がじつに嬉しそうな顔で包帯を外しているところが見える。

 はらりと包帯が落ちた。そこに映った顔はたしかに前の顔とは微妙に違っていた。

 じゃっかん、傲慢な感じになったかな? ついでに色気が出たかも。

 それが最初の感想だった。

 どこがどう違ったか、説明しろといわれても上手くできないほどの差だ。しかしそれでも男と女の顔ではやはり根本的になにかが違うのだろう。瓢一郎の顔がそのまま女の顔になったように見える。ちょっときつくなった気がするのは、たぶん目尻を少し上げたせいだろう。

 だけど姫華の顔とは少し違わないか?

「ぜんぜん違いますわ。わたくしがこんな不細工なはずがないでしょう?」

 姫華の声が、足下にいたフィオリーナのクビにかかった鈴型のスピーカーから発せられた。姫華の思いが瓢一郎にしかわからないのは不便だということで、姫華の思念を受信し、解析して音声にする装置を四谷がこの一週間掛けて開発したのだ。発声はごく自然で、事情を知らない人が見たなら、猫が喋っているようにしか思えないはず。

 さらに姫華は猫の体を完全に自分のものにしたらしく、シャム猫の黒い顔につんとした女の子の表情を浮かべそっぽを向く。

「ワシにもあまり似てないように見えるぞ」

 そばにいた佐久間が心配そうな顔になる。

「あ~ら、だいじょうぶですよぉ。変身するのはこれからこれから」

 葉桜がじつに嬉しそうにいう。いつもにこにこ笑っている女だが、きょうの笑顔は特べつに蕩けきっている。

「まずは鬘よ」

 葉桜の手には、艶光りする長い黒髪の鬘。それを瓢一郎に被せた。

「ほうら、似合う似合う」

 手を叩きながら、きゃっきゃとはしゃぐ。

 たしかに鬘を被っただけでだいぶ感じが変わった。いきなり姫華度アップだ。

「あとはちょっとお化粧すれば完璧よ」

 葉桜は今度は化粧品一式をどんとテーブルに並べた。

「まずはその太い眉毛をなんとかしなくっちゃね」

 カミソリを取り出すと、ちゃちゃっと瓢一郎の眉に手を入れる。そのあとさらさらと眉を描き込んだ。鏡の中の顔は眉が細くなり、上がり気味になったため、さらにきつい感じが増す。それだけでずいぶん姫華っぽくなった。

 葉桜は今度は顔全体にファンデーションを塗り、白っぽくきめ細かい肌を作っていく。最後に唇に薄いピンクの口紅を塗った。

「ほうら、そっくり」

 たしかにこれなら、少なくとも顔は本物と見分けが付かない。

「次に瓢一郎くん、その男物のパンツを脱いでぇ」

 満面の笑顔で、葉桜は平然とそんなことをいった。

「な、な、なんで?」

 瓢一郎の喉から発せられた声は、姫華の声。整形手術と同時に喉に埋め込まれた人工声帯のせいだ。

「だってそこだけ男物は変でしょう?」

 たしかに鏡に映った姿で、トランクスだけが妙に浮いている。脚と胸は人工皮膚のようなもので覆われてはいるが、継ぎ目に特殊なパテをすり込んであるために、ちょっと見にはわからない。若干肩がいかっているところを除けば、体は年ごろの女の子そのもの。いや、もっとはっきりいえば、ミサイルおっぱいを持つ姫華の色っぽい体そのものだった。それがトランクスを履いているのはたしかにおかしい。

 だがこれを脱げばもっと変だろうが。だってあれが……女の体で、あれが……丸出し。

 あ、……妖しすぎる。

「じょ、じょ、冗談じゃないですわ。わたくしの外見でそんなおぞましい姿を晒されては堪りませんわ」

 姫華が前足を振り上げながら地団駄踏んだ。

「平気平気。ほんの一瞬だから。瓢一郎くんにはこれを履いてもらわないとね」

 葉桜の手に握られているものは、パンティーだった。

「え、いや、そんなものを履いたら……」

 妙にもっこりするだろうが。それはそれでかなり変態チック。

「うにゃにゃにゃん」

 姫華がテレパシーで心を読んだのか、パニックになって猫そのもの化している。

「だいいちスカートの中身なんか、誰も見ないからこれでいいだろ?」

「あら、うちの制服のスカートは短いから、なんかの拍子にめくれることだってあるのよ。そのときは姫華様は男物のトランクスをはいているって噂があっという間に……」

「だめよ。だめですわ、そんなこと。で、でも……あそこがもっこりはもっとまずいですわぁああ」

「ひ~っひっひっひ。心配いらん。もっこりなんかせんよ。これは表面こそ普通のパンティーだが、その中身は今おまえの脚を覆っている人工皮膚でなにをしっかり締め付ける。だから形なんかわからん」

「そ、たとえいやらしいことを考えて、瓢一郎くんの分身が起っきしてもだいじょうぶ。ね、博士」

「ひ~っひっひっひ」

 天使のような顔で下品なことを平気でいう葉桜と、不気味な笑いを垂れ流す四谷。いいコンビだ。

「というわけで、さっさと脱ぐ」

 葉桜は有無をいわせず、トランクスに手を掛けるとずり下ろす。

 正面の鏡には衝撃的な姿が映った。

 下半身裸の姫華から、△□○が生えている。

 そう思った瞬間、その異物はピンコ立ち。

「し、信じられませんわ、この変態男ぉおお!」

「わ、だったら見るな、この恥女」

「きゃっきゃ」

「ひ~っひっひ」

「わははははは」

 とっさに両手で隠すが、それはそれで妙にエロい姿だ。不覚にも胸が高鳴る。

「な、なんですの。なんかとっても恥ずかしいですわ」

 姫華の羞恥心はすさまじいらしく、シャム猫の黒い顔を強引に赤くした。

 そりゃそうだろう。姫華にしてみれば、パンツ脱がされて真っ赤になって股間を隠す自分の姿を見せつけられてしまったのだから。

 もっとも恥ずかしいのは瓢一郎も変わらない。

 笑い狂っていた葉桜から、その特殊パンティーを奪い取ると、大急ぎで履いた。

「あら、そのショーツはただ履くだけじゃだめなのよ。こうやって引き絞らないと」

 葉桜は後ろからパンティーの中に指を突っ込むと、競泳用パンツの紐を縛るように、中を通っている紐を引き絞る。その瞬間、なにを包んだゴム状のものが全体的に引き締まる。

「うおっ」

 妙な圧迫感とともに、パンティーの中で自己主張していたものはいったいどこへ行ってしまったのか? とばかりに存在感がなくなった。

「ほうら。こうすればまるで女の子」

 たしかに鏡に映っているのは、もはやおぞましい変態などではなく、下着姿をした魅力的な女の子でしかあり得なかった。

 この得体のしれない仕掛けをした下着も、こうやってみるとレースの模様ごしに下がかすかに透けてけっこうエロい。もちろん透けて見えるのは、中の人工皮膚なのだが、そうと知っていてもこの中に男のものが隠れているとはとうてい思えない。

「じゃあ、どんどん着ていきましょう」

 葉桜は用意していた着替え一式から、まずストッキングを手渡した。真っ白なそのストッキングを履くと、下の人工皮膚の型どりが透けて見える。これを履くまでは、よく観察すれば継ぎ目があることがわかったが、これを履くことでもはや至近距離から観察しようとも、生身の脚にしか見えなくなった。

 さらにブラウス、スカートと身につけていくと、鏡の中の姿は女子高生以外のなにものでもなくなっていく。

 首に真っ赤なリボンを付け、紺のブレザーの上着を着ると変身完了だ。

「ほうら、見てみて。完璧よぉ」

 たしかにもはや瓢一郎から見ても、鏡の中に立っている女は姫華としか思えない。

「あとは仕草ね」

 葉桜は佐久間の方をちらっと見た。

「ふん。まかせろ。この一週間の特訓は伊達じゃない。おい、小僧、歩いてみろ。ただし姫華様としてだ」

 佐久間がえらそうに命令する。

 瓢一郎はこの一週間、佐久間に鞭片手で強要された特訓を思い出し、うんざりした。

 姫華の歩き方から、ご飯の食べ方などありとあらゆる動きを、ああでもないこうでもないといわれながら、たたき込まれた。

 もともと瓢一郎は他人の動きをトレースすることに掛けては天才的に上手かった。若くして猫の動きを完璧に真似ることができたのも、その才能あってのこと。だからこそ、学校での姫華の動きを思い出し、なんとか再現することに成功したが、他の者ならとうてい無理だっただろう。

 瓢一郎は胸を張り、鼻をツンと上げながら、腰を微妙に振ってすたすたと歩いた。ときおり長い髪をふぁさりとたなびかせる。

「きゃあああ、すごい。そっくりよぉ」

 葉桜大拍手。大受け。

「わ、わたくし、こんなナルシストじゃありませんわ」

 姫華がしっぽをぶんぶん振りながら怒る。

「なにをいわれます、姫華様。誰がどこから見ようと、姫華様以外のなにものでもないではありませんか」

 佐久間の自信満々の断言に、姫華はなおも「嘘ですわ、嘘ですわ」と抵抗した。

「お黙り。猫のくせにこのわたくしのやることに難癖付けるなんてとんでもないことですわ。それ以上文句があるのなら、三味線にしてしまうからそう思いなさい」

 瓢一郎は、意識して目をつり上げ、大げさな動きで姫華を指さし叫ぶ。

「わ、わたくしが、そんなに傲慢だとでも」

 だが悔しそうな姫華を尻目に、葉桜たちは腹を抱えて笑い出す。

「わ~はっはっは。見ろ。ワシの特訓の成果を」

「ひ~っひっひっひ」

「きゃはは~っ。もう最高。そっくり。そっくりよぉ」

 とくに葉桜は涙を流し、大口を開けて笑い狂った。

 姫華はツンと顔を背けるが、ヒゲがぷるぷると震えていた。よっぽど悔しいらしい。

「とにかくこれで予定通り、あしたから姫華様として通学できるわぁ」

 葉桜は自信満々に断言する。

 とりあえず、このわけのわからない地下室に監禁されるのも今夜限り。あしたになれば学校には行けるらしい。

 それだけが瓢一郎の救いだった。

 そのかわり、姫華の影武者として囮になりつつ、敵の正体をあぶり出すことが条件だ。

「ところでほんとうに爆弾なんか仕掛けてないんだろうな」

 瓢一郎は四谷に問いかける。声帯を取り付ける手術のついでにそんなものを仕掛けられていては堪らない。

「ひ~っひひひ。信用しろ。そんな非人道的なことはしていない」

 それ以外のことは非人道的ではないとでも……。

「そんなことしなくても、協力してくれるって信じてるから。ほら、犯人は陽子さんを襲うかもしれないでしょう。心配じゃない?」

 葉桜は満面にいたずらっ子の笑みを浮かべていう。

「それにあなたの愛しい猫ちゃんの魂を救えるのは四谷博士だけだしね」

 なんだかんだいって葉桜のいうとおりなのだ。瓢一郎にしては姫華に吸収されたフィオリーナの魂を救済しなくてはいけない。そのためにはこの幽霊博士の協力がどうしても必要だった。それに陽子が心配なのもたしかで、自分が囮になることで犯人をあぶり出せるのなら協力しないでもない。

「これは貸しだからな。おまえら全員にいつか借りは返してもらう」

「またまたぁ、深刻ぶっちゃって。ほんとは楽しいくせに」

 葉桜の言葉に、極悪三人組は大笑いした。

 楽しい? それは考えてもいないことだったが、あるいは核心を突いているかもしれない。正直いって、猫柳流の修行にも飽き飽きしていたことだし、自分に敵対するクラスメイトとの学園生活もうんざりだった。姫華の間はまさに好き勝手にやれるではないか。

 まあ、いずれにしろ引き受けた以上は全力をつくすつもりだ。多少の楽しみがあっても罰は当たるまい。

「な、なんですの、その楽しそうな顔は? いいこと。わたくしの姿で、わたくしの品位を落とすことだけは許しませんからね」

 猫が必死になってなにかほざいていたが、気にしないことにした。

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