マニエルのお散歩

 マニエルはすっかり日課になった、猫姿でのお散歩を楽しんでいた。ふさふさの尻尾を揺らしながら向かう目的地はただ一つ。愛しの婚約者──ルーエンの元だ。

 ルーエンは平日の昼間、王宮内の魔術研究所で働いている。マニエル王宮内の庭園から魔術研究所へ向かったので、その途中に薬草園と併設された花畑を通った。チラリと視線を向けると、いつもならこの時間にいるピンク色の髪の少女──スーリアは今日もいなかった。もう何日見かけていないだろう。

 マニエルは花畑に近づいた。いつもスーリアが丹精込めて世話をしている花々は、今日も美しく咲き乱れている。


──最近、あの子はどうしたのかしら?


 マニエルは気にはなったものの、スーリアとは直接の知り合いではないので、確認のしようもない。しばらくすると、赤茶色の髪の少女──ミリーがやって来て、その花畑に水を撒き始めた。二回ほど水場と花畑を往復しており、とても大変そうだ。


「はぁ。リアちゃん、まだ来ないのかな……」


 ミリーが独りごちる。ミリーは少しの間、座って花畑を眺めていたが、やがて立ち上がって薬草園へ魔術研究所から発注のあった薬草類を摘みにいった。


 マニエルが魔術研究所に着いたとき、愛しの婚約者はマニエルを見て表情を綻ばせた。少し屈み、手を差し出すポーズをする。


「エル、おいで」


 『エル』とは、ルーエンが猫姿のマニエルを呼ぶときの呼び名だ。偶然だがマニエルの『エル』でもあるので、マニエルはこの呼び名が気に入っていた。


「ニャー」


 『ご機嫌よう、ルーエン様』と言ってから、マニエルはルーエンの胸に飛び込んだ。ルーエンはマニエルを抱きあげ、優しく体を撫でた。

 マニエルはルーエンと過ごす、この時間が好きだった。屋敷に会いに来てくれるのも嬉しいが、この姿でルーエンの膝に乗せられたまま、仕事の様子を眺めているのもなかなかよい。それに、ルーエンは仕事の合間にマニエルをわしゃわしゃ撫で回して嬉しそうに笑うのだ。

 マニエルはチラリと見上げた。真剣な表情で仕事に取り組むルーエンがいて、マニエルの胸はトクンと跳ねる。


──か、かっこいいわ!


 そんなこんなで、マニエルは今日もうっとりとしながら、ルーエンの膝の上で過ごすのだ。

 しばらくすると、ルーエンのところに来客があり、マニエルは膝から下ろされた。見上げると、エクリード第二王子殿下とアルフォーク魔法騎士団長がいた。

 マニエルは何度かこの二人を夜会などで見かけたことがあるが、近くで見ると二人とも噂に違わぬ美丈夫だ。切れ長の目できりっと上がった眉の、凛々しいエクリード殿下。男ながら『美しい』という言葉がぴったりの、中性的な見た目のアルフォーク魔法騎士団長。しかし、この二人に比べてもやっぱり愛しの婚約者が一番かっこいい。マニエルは妙な満足感を感じてフフンと鼻を鳴らした。

 そうこうするうちに三人が動き始めた。これからどこかで、何かの話し合いをするようだ。マニエルは慌ててその後を追いかけた。


「あ、エル。こっちは駄目だよ」


 マニエルがついてきたことに気づいたルーエンは、マニエルに来てはいけないと諭してきた。マニエルは納得がいかず、ルーエンに抗議した。


「ニャー」


 『私も行きたいですわ』と言ったつもりだ。ルーエンは困ったように眉尻を下げ、マニエルを抱き上げた。


「今日は駄目だよ」

「ニャー」

「だーめ。また明日おいで、可愛いエル」


 尚も不平不満を訴えていると、大好きな人の顔が近づき、鼻の頭にふにっと唇が触れる。マニエルはまたもやキスされて、「フニャアー!」と悶絶した。頭を撫でられて、ストンと床に降ろされる。

 マニエルは今日も幸せに悶えながら、魔術研究所を後にしたのだった。


 帰り道、マニエルはまた薬草園に併設された花畑の横を通った。その時、話し声が聞こえてそちらに目を向けた。


「これが例の花畑? ただ花が植えられているだけで、なんだか地味ね」


 憮然とした表情でその花畑を眺めていたのは金の髪を結いあげた、少しだけキツそうな印象の華やかな美女。マニエルは花の影に寄ると、隠れて様子をうかがった。


「聖なる力なんて、出鱈目よ。女神シュウユの祝福を受けたのは初代国王よ。もし聖なる力があるならば、それはきっと私だわ。現に、今も聖魔術は王族に強く発現する。今まで花を育てたことがなかったからわからなかっただけよ」


 ツンと澄ましたままそう言った美女を、マニエルはよく見た。大きなアーモンド型の瞳はぱっちりとして睫毛が長く、肌は透けるように白い。頬はピンク色に色づき、信じられない程の美しさだ。

 マニエルはこの美女を知っている。プリリア王女殿下だ。ルーエンとともに参加した先日の舞踏会で、アルフォーク魔法騎士団長と一緒にいるところを見かけた。


 『聖なる力』とはどんな力だろうか。マニエルはその後も暫くプリリア王女達を眺めていたが、結局分からず終いだった。



 ***



 エクリードはいつになく厳しい表情をしていた。不機嫌さが現れたかのように、手に持っていたティーカップはソーサーと当たってカツンと鳴った。


「リアがスーリアの花はまやかしだと大騒ぎしている。困ったものだ」

「陛下はなんと?」


 アルフォークが聞くと、エクリードははぁっと息を吐いた。


「陛下にはあの花がまやかしでないことをしっかり説明して、ご納得されている。実際にルーエンが攻撃魔法で実演して見せたからな。あのような摩訶不思議な花が存在することにとても驚いていた。だが、一緒に見たはずのリアは納得していない」

「まぁ、プリリア王女殿下からすれば、アルとリアちゃんが親しくしているのがもともと気に入らなかったところに、この不思議な花の話が出たからね。いちゃもんつけて花畑管理人を辞めさせようとしていたのに、陛下と殿下に一蹴されて、ムキになってる」


 まるで子どもだな、とルーエンは思った。ルーエンもはぁっと息を吐くと、真剣な表情でエクリードとアルフォークを見た。


「ここ数日、リアちゃんの花の効果がまた弱まってる。理由は分からない」


 それを聞いたアルフォークは眉間に深い皺を寄せた。


「スーの様子を見にいく」

「駄目だよ」とルーエンは止めた。

「今リアちゃんに会いに行ったら、リアちゃんがますますプリリア王女に目をつけられる。只でさえ不思議な花を育てるってことで気に入らないと思われているのに、アルが会いに行ってみろ。きっと、リアちゃんが嫌がらせされる。それに、あれ」


 ルーエンはチラリと目配せした。

 今、アルフォーク達はルーエンの作った遮像壁、遮音壁の中にいる。外には白い近衛騎士の姿がちらついている。エクリードの近衛騎士ではないから、プリリア王女の近衛騎士だろう。

 アルフォークはぐっと言葉に詰まった。キャロルの件があり、アルフォーク達は相談してスーリアを暫く王宮から遠ざける事にした。今、スーリアの花は花畑に残っているものを利用したり、スーリアの自宅までキャロルが取りに行っている。


──スーはどうしているだろう。


 考えれば考えるほど、会いたいと思った。あの屈託のない笑顔で笑いかけられれば、どんな疲れも吹き飛ぶ。


「ルー。スーに手紙を書きたいから、転移属性の魔法石を作ってくれないか?」


 ルーエンはアルフォークの言葉に意外そうに片眉を上げたが、「もちろん」と笑顔で頷いた。



 

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