狂い始める歯車

 その話を聞いたとき、アルフォークは思わず眉を顰めた。聞いた内容があまりにも予想外だったからだ。


「殿下。今、なんと?」

「だから、近々陛下からアルに褒章の話がある。伯爵位だ。今朝そう言っていたから、アルに伝えられるのは恐らく次回の謁見の時だな」


 アルフォークは無言でエクリードを見つめた。褒章の話があるかもしれないと言うのは、舞踏会の日にプリリア王女から聞いた。しかし、その内容が予想外だ。


「伯爵位? 男爵や子爵ではなくてですか?」


 アルフォークが訝しむのも無理はなかった。褒章に爵位を賜ることは時々ある。しかし、あったとしても男爵、せいぜい子爵位だ。元々爵位を持っていた人間の爵位が上がるならまだしも、突如爵位を持たない人間が伯爵位を賜るなど異例だ。


「そう穿うがった見方をするな。それだけ陛下がアルを高く買っていると言うことだ。しかし、リアが心配だな。お前が爵位を賜ったら、きっと自分が降嫁したいと言い出すだろう」


 エクリードの言葉に、アルフォークは頭が痛くなるのを感じた。

 先日の舞踏会でプリリア王女をエスコートしたせいで、既に貴族連中の間ではアルフォークとプリリア王女が主従関係を越えた禁断の恋仲であると誠しやかに囁かれている。そこで更にアルフォークが伯爵位を賜ったら? きっと、プリリア王女を降嫁させるための下準備だと邪推されることは目に見えている。

 アルフォークはハァッとため息をついた。


「俺はプリリア王女殿下とは結婚出来ません。伯爵位はありがたいですが、王女殿下を娶るにはやや見劣りしますし、そもそも王女殿下を男女関係の相手として見たことはありません。それに、俺は──」

「スーリアを愛している?」


 言おうとした台詞を先にエクリードに言われ、アルフォークは驚いて目を見開いた。エクリードは口元に微笑みを浮かべ、アルフォークを見ていた。


「あの舞踏会の日、スーリアに会った。無用心に一人で庭園にいたから、あの場で隠れて待つように言ったんだ。彼女は舞踏会の会場を眩しそうにみつめていた。それに、ドレスに憧れていると言っていた。だから、ドレスを着せてお前とルーエンを驚かそうと思ったんだ。ダンスは踊れないと言っていたが、足を痛めたと言えばなんとでもなるしな。ところが、手筈を整えて戻ったらスーリアには先客がいた」

「……ご覧になっていたのですか?」

「まぁな。あんなに楽しそうにダンスを踊るアルは初めて見た。だから、きっとアルは彼女に惹かれているのだろうと思った」


 アルフォークは視線を少し彷徨わせる。庭園の奥だったし、まさか見られているとは思っていなかった。 


「なに。責めているわけてはない。ルーが心配していたとおり、アルには今まで良縁がなかった。あの子は平民だが、この世にまたとない聖なる力を持つ娘だ。悪くない話だ」


 エクリードは口の端を持ち上げてニヤリとしたが、すぐに真顔に戻った。


「アル。父上にスーリアの話をした」

「陛下はなんと?」

「王国に近い場所に彼女を捕まえておけと。意味がわかるか?」

 

 アルフォークは首を横に振った。 


「つまり、彼女に安全かつこの国のために力を貸したくなる立場を与えて繋ぎ止めろということだ。例えば、俺の妻だな。兄上は次期国王の立場上、隣国の王女を娶るのが望ましいが、俺は隣国の王女である必要はない。だが、国益に繋がる妻を娶る駒にはなる」


 アルフォークは信じられない思いでエクリードを見た。エクリード殿下の妻にスーリアをなど、全くもって予想外だ。


「……承服致しかねます」


 アルフォークの低い声色に、エクリードは苦笑する。


「アルの気持ちは分かっている。それに、スーリアもアルに惚れているのだろう? お前達の様子を見れば分かる。父上はこの件を俺に任せて下さると言った。俺は彼女を繋ぎ止める枷は、アルでもいいと思っているんだ。だが、きちんと繋ぎ止めろ。お前がダメなら俺が行く。なぜなら、俺はこの国の王子だからだ」

「分かりました。ただ、枷という言い方はいかがなものかと」

「ものの例えだ。そう怒るな」


 エクリードはそう言うと、憮然とした表情のアルフォークの肩をポンと叩いた。


 

 ***



 アルフォークが薬草園に併設された花畑を訪ねてきた時、スーリアはちょうど水遣りを終えたところだった。

 花畑の草花に残る水滴が夕陽を浴びてきらきらと輝く。これまではバケツを持って何回も水場と花畑を往復していたが、最近はアルフォークに貰った水属性の魔法石のお陰で、すぐに水遣りを終えることが出来る。

 

「スー」

「アル!」


 優しい呼び声に振り返ると、アルフォークが花畑の入り口でこちらを見ながら頬笑んでいた。スーリアはパッと表情を明るくしてアルフォークの元に駆け寄った。


「今日もルーエンさんのところに?」

「いや、今日は第二王子殿下に呼び出されたんだ」

「第二王子殿下?」


 スーリアは少し顔をかしげる。少しアルフォークの元気が無いように見えたのだ。


「スー。もしかすると、俺は爵位を賜るかも知れない」

「爵位……」

「伯爵位らしいんだが、まだ分からない」


 アルフォークは言葉を切り、スーリアを見つめた。


「スーは以前、俺が貴族であることを気にしていた。だが、俺は爵位があろうがなかろうが、スーが好きだ」


 突然『好きだ』と言われて、スーリアの頬はバラ色に色づいた。アルフォークは真剣な顔をしてスーリアを見つめている。


「うん、私もアルのことがすごく好き。爵位があろうがなかろうが変わらないよ」


 照れながらも伝えると、アルフォークは嬉しそうに笑みを浮かべてスーリアを抱き寄せた。スーリアはおずおずとアルフォークの背に腕を回す。とても広い背中だ。黒い騎士服越しに、体温の温かさを感じた。


 ──私、すごく幸せ者だな。


 スーリアは抱きしめられたまま、そっと目を閉じる。服越しに、アルフォークの規則正しい胸の音が聞こえた。近くにアルフォークがいて、自分を好きだと言って抱きしめてくれる。

 それだけで、まるで世界がバラ色になったかのような幸福感に包まれた。


 幸せな二人は宮殿のテラスに人影があったことにも、そして、その人影が自分達をじっと見ていたことにも気付かなかった。

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