舞踏会②
ばらばらに散らばった装花を目にして、ミリーは顔を顰めた。この装花を用意するのに、どれだけの苦労をしたと思っているのか。こっちは朝からずっと働きづめなのだ。酒が入って両脇を抱えられながら休憩室へと運ばれていく若い男を見て、思わず花瓶を投げつけたい衝動に駆られる。
「ミリー、急いで片付けないと」
「分かってるわよ。あー、もう! 頭にくる!!」
ガシガシと頭をかきむしっていたミリーは、崩れて床に散らばった花を仕方なく拾い始めた。人けがないうちに作業を終わらせなければならない。貴族がこんなに行儀が悪いとはまったくもって知らなかった。なぜ美しく飾られた装花がこんなに至る所で崩れるのか不思議でならない。
口を尖らせるミリーに対し、スーリアは拾った花でまだ使えるものは花瓶へとさし直し、使えないものはストックのバケツから新しいものを出して加えるという作業を黙々と続けていた。
「バケツのお花が減ってきたから少し足した方がいいかも」
スーリアはバケツを見ながら呟く。かなりのストックを用意していたのだが、思った以上に消費が激しい。女性を口説こうと、多くの男性が装花から勝手に花を拝借していくのは完全に想定外だった。その拝借した花を、受け取ってもらえなかった時にそこらへんに放置するものだから、更にたちが悪い。床の至る所に踏まれて潰れた切り花が落ちているのだ。
「私、ちょっと摘んでくるわ」
「スーリア一人で大丈夫?」
「大丈夫よ。だって王宮の中だもの。ミリーは散らばっているお花があったら拾っておいてくれる?」
「ええ。わかったわ」
スーリアはミリーにその場を任せて自分の花畑へ向かうことにした。宮殿のテラスから見下ろすと、庭園は魔法の光で美しくライトアップされていた。
「スーリア」
テラスからの階段を降りて庭園の中に入ったところで声を掛けられ、スーリアはテラスの上を見上げた。そこには、以前に花畑で会ったことがある聖魔術師のエリクがいた。
「あら、エリクさん! えっと……、今日は舞踏会に?」
スーリアはエリクの姿に戸惑った。真っ白な上着とズボンは皺一つなくパリッとしており、金の肩章がついている。袖の部分にも金糸を使った模様が入っており、見るからに高そうだ。エリクはすぐにスーリアのところまで降りてきた。
「ああ。スーリアは?」
「装花師の手伝いです。花瓶から引き抜く人が後を絶たないので、花畑に花を取りに行こうかと思って」
「装花師の手伝い?」
エリクは僅かに眉間に皺を寄せた。沈黙したままじっとスーリアを見下ろしてくるので、スーリアは居心地の悪さを感じた。
「そのネックレスは?」
「これですか? 友人に貰いました」
「友人……ね」
エリクが意味ありげに言葉を切る。
「どうだい? スーリアも舞踏会に出たくないか?」
「舞踏会に? 綺麗なドレスには憧れますが、私はダンスを踊れませんし、平民ですから。見ている位がちょうどいいわ」
スーリアは少しだけ首を傾げて見せる。
「エリクさんはとても素敵ですね。似合ってます。まるで王子様みたい」
今日の衣裳を着たエリクは物語に出てくる王子様のようだった。スーリアが褒めると、エリクは少し口の端を持ち上げてから、何かを考えるように顎に手をあてた。
「憧れるなら、着てみようか。俺が何とかしてやるから。ちょっと待っててくれ。くれぐれも人に見つからないように隠れていてくれ」
「え? ちょっと? エリクさん??」
スーリアが呼びかけるのがまるで聞こえないように、エリクは「すぐ戻る」と言って宮殿の方向に去っていった。
「行っちゃったわ。どうしよう……」
一人残されたスーリアは途方に暮れた。エリクはすでに姿が見えなくなっている。花畑に花を摘みに行きたいのだが、待っていて欲しいと言われた手前、ここを離れていいのかの判断が付かなかった。そもそも、『隠れていてくれ』とはどういうことなのか意味が分からない。きょろきょろと辺りを見渡すと、庭園の奥の方にベンチがあるのが目に入った。あのベンチに座ってしばらく待ってみて、戻ってこなかったら花を摘みに行こう。スーリアはそう決めると、一人でベンチに腰を下ろした。
***
アルフォークは何人かのご令嬢とダンスを踊り、夜風にでもあたろうとテラスに出た。基本的にダンスとは男性から女性を誘うものだ。しかし、むこうから話しかけられてしまうと礼儀上誘わないのは失礼に当たる。それに、王族であるエクリード殿下やプリリア王女とも親しいアルフォークと人脈をつなごうと話しかけてくる野心家も後を絶たない。やっとのことで隙を見つけて一人になったアルフォークはホッと胸を撫で下ろした。
テラスから庭園に降りると、辺りは魔法の光で美しくライトアップされていた。しかし、ライトアップされているとはいえ、夜なので薄暗い。誰かに見つけられて声を掛けられる前に闇に紛れてしまおうと、アルフォーク庭園の奥へと足を進めた。背の高い生け垣を抜けた時、アルフォークは見覚えのある人影を見つけて足を止めた。
「スー?」
ベンチに座ったままぼーっとしていたスーリアはパッと顔を上げた。声のした方を向けば、アルフォークが驚いた顔をしてこちらを見ている。濃紺の上下の上質な服が物語の挿絵の騎士様のように似合っていた。
「スーがどうしてここに?」
「あの……装花師のお手伝いをしていて…」
「装花師の手伝い?」
アルフォークの表情が訝し気なものに変わる。スーリアは先ほどのエリクと全く同じ反応をアルフォークが示したので、何か自分が悪いことをしたのかと不安になった。
「装花の花を皆さんが引き抜くものだから、花畑に花を摘みに行こうと思ったの」
「花畑に? 一人で? 危ないだろう」
「危ない? なぜ??」
アルフォークは言葉に詰まった。舞踏会の日は庭園に出て逢瀬を楽しもうとする男女が必ず現れる。女性が不用意に庭園に一人でいると、相手を誘っているのだと勘違いされる。しかし、目の前のスーリアはキョトンとした顔をしてアルフォークを見上げており、全くそんなことは知らない様子だった。
「……狼が出るかもしれない」
「狼? 王宮で狼がでるなんて、一度も聞いたことがないわ。狸の間違いではなくて?」
スーリアはくすくすと笑った。リアちゃんの時の記憶を探しても、この辺りで狼が出るという話は聞いたことがない。笑いながらアルフォークを見上げると、真剣な様子でこちらを見るアメジストのような紫の瞳と視線が絡み合った。スーリアの胸の鼓動がドクンとはねる。宮殿からは楽団が奏でる演奏が聞こえてきた。二人の会話が途切れ、沈黙が流れる。
アルフォークはスーリアの横に置かれたバケツから一輪の黄色い花を手に取ると、スーリアに差し出した。
「? なに??」
「……間違えたかもしれない」
アルフォークがバツが悪そうに花を引っ込める。その表情を見た時、スーリアはピンときた。
「私、ダンスの踊り方がわからないの」
「適当でいいんだ。楽しければ」
アルフォークがホッとした表情で微笑む。
「こんな格好だし。お仕着せよ?」
「スーはどんな格好していても可愛らしい」
──スーはどんな格好していても可愛らしい。
きっとお世辞で言っているのだろうが、それでもとてもうれしかった。アルフォークの差し出した黄色い花――オンシジウムの花言葉は『一緒に踊りましょう』。差し出された手に自分の手を重ねるともう片方の腕でぐっと腰を抱き寄せられた。ダンスとはこんなにも密着して行うものなのかと頬に熱が集まる。
音楽に合わせて体が揺れ、クルリと回され、また抱き寄せられる。夜の庭園を照らす魔法の光がきらきらと煌めき、宝石のように美しく見えた。
景色が回る。光が煌めく。こちらを見つめるアルフォークが優しく微笑む。
スーリアも自然と口角を上げて微笑んだ。このままずっと、時が止まってしまえばいいのに。シンデレラもガラスの靴を履いて王子様と踊ったとき、こんな風に思ったのだろうか。
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