聖魔術師のエリク

 王宮で花を育てる作業は順調だった。必要な資機材は全て用意されていたし、畑を耕す作業もルーエンが魔法で一瞬で終わらせてしまった。種や苗も用意されており、わからないことがあればミリーが親切に何でも教えてくれる。まさに至れり尽くせりだ。スーリアは今日も機嫌よく花畑の空いている場所にルーエンから支給されたコスモスの種を植えていた。


「やあ、何しているの?」


 土に指で穴をあけていると頭上から声が降ってきて、スーリアはびっくりして顔を上げた。目の前にいたのは若い男性だった。こちらを見下ろす男性の金色の髪が太陽の光でキラキラと輝いている。


「花の種を植えています」

「へえ。なんの花?」


 男性はしゃがみ込むスーリアの前で腰を折ってスーリアの手もとを覗きこんだ。金糸の刺繍が施された上着は上質で、身のこなしも洗練されている。腰には細身の剣をさげていた。


「コスモスです」

「コスモス?」

「細くて背の高い枝にこれくらいの八枚の花弁の可愛らしい花が咲きます。色は色々ですね。これは何色かしら」


 スーリアは花の大きさを手でつくって見せる。そして、穴にポトンと落とした種の上にそっと土を被せると立ち上がった。


「はじめまして、騎士様。薬草園に興味があるならご案内しましょうか?」


 スーリアの挨拶を聞いた目の前の男性は驚いたように目をみはったが、すぐにくすくすと笑い出した。


「あの、なにかありましたか?」

「いや、何でも無い。俺はエリクだ。お言葉に甘えて、薬草園を案内して貰っても?」


 エリクと名乗った男性は柔らかく目を細めるとスーリアを見下ろした。切れ長の瞳と真っ直ぐに通った鼻は男性的で、凛々しい印象を受ける。中性的な美しい顔立ちのアルフォークとも、垂れ目で柔らかい雰囲気のルーエンとも違った印象を受けた。


「いいですよ。こっちが私の管理している花畑で、あっちは魔術研究所の薬草を育てている薬草園なんです。あ、言い遅れましたが、私は最近ここで働き始めましたスーリアです」

「じゃあ、スーリアの花畑と薬草園の両方見せて貰おうかな」

「わかりました」


 スーリアは早速植えられている植物の紹介を始めた。ふとその時、宮殿の渡り廊下に巡回中の騎士の姿を見つけた。


「エリクさんは今、休憩中ですか?」

「え? なぜ」

「勤務中なら、あまりお時間を取らせてはいけないと思いまして。上司の方に怒られませんか?」


 エリクはスーリアの顔を見ながらもう一度目をみはり、とても楽しそうに笑った。


「俺は聖魔術師なんだ。空間の歪みが無ければのんびりしてる」


──聖魔術師。


 スーリアの持つ知識では、たしか、空間の歪みを正す力を持っており魔法騎士団と行動をすることが多い人達の筈だ。

 

「聖魔術師様を騎士様と間違えて申し訳ありません」


 スーリアは一旦言葉を止めて、気になっていたことを聞いた。


「空間の歪みって、最近減ったりしてますか?」

「空間の歪み? うーん、どうだろう? あまり感じないな」


 エリクは考えるように顎に手をあてた。


「減っては居ないが、ここ数カ月の王都の空間の歪みの発生頻度は横ばいだな。増えてはいない」


 エリクが聞かれて思い返せば、ここ数ヶ月、王都の空間の歪みの発生頻度は横ばいだ。ここ何年かは毎月のようにずっと右肩上がりの増加だったので、これは異例なことに思えた。


「そうですか……」


 スーリアは目を伏せた。シュウユはスーリアに『下界を浄化してきて欲しい』と言った。エリクの『減っていない』という言葉に、自分はその役目をきちんと果たせているのだろうかと、スーリアは一抹の不安を覚えた。


「俺たちは大体、1日おきに空間の歪みを正しに行っている。今日も午前中に行った場所に魔獣がいてね。魔法騎士が仕留めたからよかったが」


 エリクはその事を思い出したのか眉根を寄せた。


「魔獣!? 魔法騎士の方達は無事ですか? 魔法騎士団に姉の婚約者がいるんです」 


 それに、アルフォークがいる。スーリアは『魔獣』と聞いてとても心配になった。リアちゃんの最後の記憶──スネークキメラに襲われる光景は今のスーリアにも残っている。アルフォークやスティフがあれに襲われたら……

 あの時の恐怖を思い出したことも相まって、スーリアはぶるりと身震いした。


「全員、怪我も無く無事だ」

「本当ですか?」

「ああ、ピンピンしてる。彼らは鍛錬を積んだ精鋭の騎士団だからね」


 エリクにそう言われて、スーリアはほっと胸を撫で下ろした。


「お姉さんの婚約者を心配するなんて、君は家族想いだね」

「いえ、そんなことは……」


 本当は一番最初にアルフォークの顔が思い浮かんだ。スーリアはこちらを見下ろすエリクと目が合うと、なんとなく後ろめたく感じて曖昧に笑ってみせたのだった。



 ***



 アルフォークは空間の歪みを正す聖魔術師への同行から帰ってくると、身につけていたプレートアーマーを外した。下着類はしっとりと汗で濡れている。その汗を吸った下着を脱ごうとして、アルフォークはポッケに入れた花の包み紙に気付いた。包みの中には先日スーリアに貰ったマーガレットの切り花が入っている。そっと包み紙を広げると、マーガレットは身体と下着と防具に挟まれて潰されたせいで瑞々みずみずしいままに押し花のようになっていた。


「潰れてもやはり枯れないのだな……」


 アルフォークは押し花を机に置き、先ずは汗と土ぼこりで汚れた身体を手早く清めた。魔法騎士団の制服に着替えてホッと息をつく。

 今日の空間の歪みには魔獣がいた。三角獣と呼ばれる三本の立派な角を持ったサイのような魔獣だ。性格はどう猛で、こちらが仕掛けなくても容赦なく襲ってくる。闇属性魔法を操り、皮膚を切り裂く風の攻撃をしてくることもあった。幸い、今回は誰も被害無く無事だったが、一歩間違えば多数の負傷者がでても不思議はない。


 アルフォークは鞄に入っている屋敷から持ってきた自作の品を見つけ、時計を見た。時刻は夕方だが、まだ外は明るいので、もしかしたらスーリアがいるかもしれない。この自作の品の感想を聞くために、ルーエンに用がある。ついでにスーリアの花畑にも寄ろうと思い、アルフォークは執務室を後にした。

 

 アルフォークが薬草園に着いたとき、スーリアの花畑には誰もいなかった。花畑に目をやれば、ついこの間まで土がむき出しの何も無かった場所に、規則正しく感覚をあけて緑の葉が生えている。それに、なんの花かは知らないが、既に咲いているものもあった。


「アル!」


 アルフォークは名前を呼ばれて振り返った。宮殿から薬草園に続く階段のところでルーエンが笑顔で片手をあげている。


「スーは?」

「リアちゃんならついさっき帰ったよ。残念だったね」

「いや、そういうわけでは無いのだが……」


 ルーエンはアルフォークを見ると意味ありげに口の端を持ち上げた。


「エクリード殿下も来ているから寄ってけよ。少し話したいこともあるし」

「わかった」


 ちょうどこっちも用があったので、アルフォークはルーエンの誘いに頷いた。


「今日はなぜ遮像壁に防音壁を?」


 いつものテラスに腰を下ろしたとき、アルフォークは周囲を見渡して訝しんだ。ルーエンによって、テラスを包み込むように遮像壁と防音壁が張られている。


「謎の作家に内通者が居るからだよ」

「内通者?」


 持ってきた自作のケークサレを並べていたアルフォークは眉をひそめた。ルーエンはケークサレをチラッと見ると、肩を竦めてみせた。


「アル、そのケークサレはなに?」

「見ての通り、ケークサレだ。スーリアの育てた野菜が混ぜてある。最終目標はパンだが、あれは発酵などがあって難しいらしいな? 屋敷の料理人にケークサレなら比較的簡単だと聞いた」

「突然の料理熱は冷めないんだね?」

「当然だ」


 ルーエンは笑いが堪えきれない様子で肩を揺らしている。


「アル。あの小説の続き、どうなったと思う?」

「「どうなったんだ?」」


 意味ありげな聞き方にアルフォークとエクリードは二人して身を乗り出した。


「騎士様が愛を示すために王子と魔術師に手料理を振る舞うだってさ! 傑作だろう!」

「何じゃ、そりゃーー!!!」


 大笑いするルーエンの横で、アルフォークは絶叫し、エクリードは早速つまみ食いし始めていたケークサレを盛大に噴き出した。


「あと、アル」


 呆然とするアルフォークの肩をポンと叩き、ルーエンは渋い顔をした。


「リアちゃんの野菜は残念ながら、食べてもなにも効果は無さそうだよ? 美味しいけどね」


 ルーエンの無情の報告に、アルフォークはがっくりと項垂れたのだった。

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