第34話 空回り

 今まで生きてきて、こんなに寂しいクリスマスはないかもしれない。

 東京へ出てくるまでは、家族とそれなりに賑やかで楽しいクリスマスを過ごしてきた。高校生の時は、友達同士で集まって騒いだりもした。東京に出てきて初めてのクリスマスは、大学の仲間と騒いだ。無駄にはしゃぐサークル仲間の中には、別のサークルメンバーも混じっていて、そこには貴哉もいた。貴哉と付き合い出してからは、貴哉と二人で過ごしてきた。

 だから、一人のクリスマスなんて初めてで、心の中にはぽっかりと空洞が空き、冬の風が何度もピューピューと行き来している。

 貴哉と帰ってくるはずのこの部屋に、昨夜一人で帰ってきた。手にぶら下げていた、クリスマスプレゼントのバッグが収まる紙袋は、テーブルの横に置かれたままだ。中から出すこともなく、佇む紙袋の姿は、余計に寂しさを際立たせる。

 視界に入らないようにしたくて、寂しさを振り切るようにテーブルの下へと押しやった。

 どうして、貴哉のキスから顔を反らしてしまったのかな。あんなに寂しげで、今にも泣き出しそうな貴哉を見たのは初めてだった。一緒にいる間少しも楽しそうじゃないと言った貴哉の言葉に、何も言い返せなかった。以前喧嘩した時も、もうダメかもしれないと思ったけれど。今回のは、それ以上に思えた。

 毎年楽しみにしていた楽しいはずのクリスマスなのに、気持ちはどうしても弾まなかった。

 プレゼントを選んでいても、賑やかな街のクリスマスソングを耳にしても、美味しい料理を食べても……。

 専務と一度行ったお店だからかな。

 項垂れ、持ち歩いていたバッグの中からハンカチを取り出すと、やっぱりタバコの香りがほんのりして、不機嫌そうな顔をしながら仕事をしている専務の顔が浮かんだ。

 今日も会社にいるのかな。スマホの画面に触れ、時刻を表示させると、まだ朝の八時だった。あまり寝付けなくて、早くから目が覚めてしまっていた。

 家にいても、こうやって考えてばかりいては、気分が滅入るだけだ。スマホのメッセージを確認してみたところで、当然のように貴哉からはなんの連絡もない。

 その事に怒りがわくでもなく、かといって自分から連絡を入れなくちゃという、焦りや使命感みたいなものも湧かなかった。気持ちが疲れている、そんな感じだった。

 スマホをバッグへ入れてから、ベッド脇にある小抽斗を開けて、航空チケットの日付と時刻を確認した。あと数日もすれば、久しぶりの顔たちへと会いに行く事になる。

 押入れにしまってあるキャリーバックを引っ張り出し、田舎へ帰る準備を少しばかりしてから外へ出た。

 イブの街は午前中からその雰囲気を崩すこともなく、やっぱり楽しそうで賑やかだ。街頭のスピーカーも朝から働き通しで、よくこれだけクリスマスソングがあるなって、感心するくらいたくさんの曲を流し続けている。

 フラフラとクリスマス一色の街を歩き、時々気になるお店の中へ入り商品を眺めていたらお腹が空いてきた。スマホで時刻を確認してみたら、いつの間にかお昼間近になっていた。

 駅に戻り電車に乗った。流れる景色を少し眺めてから降りて、すでに慣れた道のりを行けば、ショールームのライトは消えていた。裏に回ってみると鍵が開いていて、他人行儀にお邪魔しまーす。なんて小さく声をかけて踏み込む。

 中はいつもの活気がなく。もしかして誰もいないのかもしれないと思うほどだったけれど、事務所のドアを開けたら、専務が自席の椅子にのけぞるように座ってダルそうな顔をしていた。

 あんな表情もするんだ。

 少し眠そうな顔と、なんで俺だけ仕事なんだよ。みたいな不満顔とが相まっていて可笑しい。

 クスリと笑みをこぼしてから表情を整えて、「お疲れさまです」と声をかけた。

「水野」

 とても驚いたように、のけぞっていた体を勢いよく元に戻して立ち上がる。

「どうした。今日は休みだぞ」

「わかってます」

 他の社員がいないのをいいことに、笑顔で応え専務をお昼に誘った。

「お腹、空きませんか?」


 祭日ということもあって、近所のデリバリーは混み合っているか、クリスマス料理のみになっていたから、私たちは外へと繰り出した。

 昼時を過ぎているのが幸いしたのか、ランチタイムへ滑り込むように、近所の洋食屋さんで席を確保することができた。

「私はー、オムライスにします。専務はどうしますか?」

「カツカレー」

 注文をして、お冷やを口にする。店内はランチ終了間際といえ、それなりに混んでいて賑やかだ。

「仕事の人、意外と多いですね」

 スーツ姿のサラリーマンやOLの姿が半分以上を占めている店内をチラ見して、もう一度お冷やを口にした。

「周りが休みの時ほど、稼ぎ時の職種もあるからな」

 なるほど。

「今日は、他に誰か来ないんですか?」

「どうだろうなぁ。営業も区切りついたみたいだし。ああ、社長が部屋にいるかもな」

 部屋というのは、社長室のことだ。

「かもな、って」

 仕事に直接影響がないとなればどうでもいいとばかりに、社長に対してあまり関心はないみたいだ。家族だからと言って、いい大人が親の動向など、用事がない限りは気にも留めないということかな。

「荷物の準備はしたのか?」

 カツカレーが届くまでの暇つぶしのように、専務が訊ねる。出てくる間際に、ほんの少しだけ洋服を詰め込んできたことを話した。

「去年顔を見せてないなら、親は喜ぶだろう」

「どうですかね。それなりには喜ぶかな。それより、大掃除を手伝わされると思うと、今から疲れちゃいます」

 田舎に帰ることが本当のところはとても嬉しいのだけれど、あからさまに喜ぶのは気恥ずかしくて、そんな風に冗談で済ませてしまう。

「たまになんだから、手伝ってこいよ」

 冗談を冗談として受け止めたのかどうなのか。専務は、可笑しそうにしている。専務も私の立場なら、面倒臭そうにしますよね。とは思ったけれど黙っておいた。

 オムライスとカツカレーが届き、私たちはひたすらアツアツの料理を口へと運んだ。時々、美味しい。とか。揚げたてのカツは、旨さ倍増じゃないですか。なんて、私が口を挟む程度で、ランチ終了で追い出される前に食べなくちゃと、気が焦って早食い状態だった。

「ごちそうさん」

 レジへ向かう専務の前に乗り出し、自らの財布を取り出した。

「今日は、私に奢らせてください」

 財布の中に収まるお札を取りだそうとしていると、「新卒が、無理すんな」と鼻で笑われてしまった。

「大丈夫ですよ。カツカレーくらい。それに、いつも専務には色々買ってもらっているので」

 専務が払おうとするのを断固阻止し、強引に支払いを済ませた。

「本当に大丈夫か?」

「そこまで貧乏じゃないですって」

 あんまり心配して、何度も訊ねてくるから笑ってしまった。

「お仕事のお邪魔もしてしまっているし」

 洋食屋さんから会社までは、ほんの五分ほどの道のりだ。そのわずかな時間での会話を、普段から無口な専務へ求めるのは無理な話だ。わかっているけど、つい話しかけてしまう。

「クリスマス一色ですね。あ、あそこに飾られてるツリー、すごく大きい」

 弾むように中身のない話をすると、「そうだな」と言うくらいで、あとは何か言っても、ただ頷くだけだった。あっという間に会社が見えてきて、裏口の方へ向かいながら私は歩を緩めた。

「何にも訊かないんですね」

 鍵を取り出した専務が、後ろに立つ私をゆっくりと振り返る。

 ここへ来てからずっと、専務は私に何も訊いてこない。クリスマスイブ真っ最中に、一人で休み中の仕事場へ現れたことに、何一つ触れようとしない。それが専務の気遣いなのか、それとも単に私になど興味がないのか判断はつかない。

 立ち止まったまま、専務が口を開いてくれるのを待っていた。僅かながらに期待の色を浮かべた私の顔に向かって、専務は表情にも変化はない。

「余計なお世話だろう?」

 やっと聞けた言葉が、余計なお世話か……。

 イブにひょっこりと会社に現れ、お昼を誘うなんて。どうせ喧嘩したんだろう、くらいに思っているのだろう。俺には関係のないことだからって、面倒な女だなって、思っているのかもしれない。

 そんな風に考えてしまえば、気持ちは尻込みしていく。

「俺に訊いて欲しいのか?」

 取り出した鍵で裏口のドアを開け、専務が中へ一歩踏み込んだ。

 聞いて欲しいよ……。私は、専務に聞いて欲しいよ。

 だって、どうしてここへやって来てしまったのか。どうして、専務とお昼なんて思ったのか。どうして、専務の顔が一番に浮かんだのか。どうして、あの日。私の手を握って、抱き締めたのか……。

 私の気持ちを引き止めたのに、他人事みたいな態度なんてズルイ。

 おかげで、貴哉と……。

「どうしてですか……」

「ん?」

 私が入ってくるのを待っているのか、専務はドアに手を添えて立ち止まったままだ。

「ワインのテイスティング」

 専務が首を傾げた。

 歓迎会の時のこと、忘れちゃったかな。

「専務は、私に色々教えてくれて、とても高いワインを飲ませてくれました。素敵なグラスをプレゼントもしてくれたし。最初の食事だって。クリスマスのディナーだって」

 捲し立てるようにすると、少しだけ困ったような顔をした。そんな表情をさせてしまっていることに、このまま引き下がる方がいいと頭ではわかっていても、言葉は止まらなかった。

「私が久しぶりの新卒だからとか、誕生日だからだとか、クリスマスだからとか?」

 そんな理由だけであんな態度をとるなら、寂しい女はみんな勘違いしてしまう。

 いつもオドオドとしている私が強気な態度に出ていることに、専務は戸惑いを見せ、はっきりとしたことを何も言ってはくれない。

「彼と喧嘩になっちゃいました」

 専務の目を真っすぐ見つめると、少しだけ驚いたような、戸惑うような表情をした。

「どうしてこうなったのかわからなくて、昨日の夜からずっと考えてたんです。でも、それでもよくわからなくて」

 黙って話を聞いている専務は何か言うでもなく、ただ黙っている。

「私、ここへ来てみて、わかりました。専務のせいです」

 少しだけ強い口調で言ってから、専務の表情を窺った。すると、何か言いたそうにするから少しの間言葉を待ってみたけど、やっぱり何も言わない。

「ズルいですよ。あんな風によくしてもらうだけでも嬉しい気持ちになるのに。誕生日だからとかクリスマスだからとか。航空チケットまで手配してくれて。それに……。それにあんな風に抱き締められたら、専務にそんな気が無くても、私の気持ちは揺れますっ」

 一気に伝え、押し黙った。気持ちを吐き出した私を前にしても、専務はドアに手を添えた姿勢のままやっぱり黙っている。

 このまま、何も言わずにやり過ごされてしまうのかな。ついこの間まで学生だった子供の相手なんて、面倒に思っているのかな。少し良くしただけで勘違いされて、迷惑だって思っているのかもしれない。

 自分を卑下してみても、期待する気持ちがほんの僅かにくすぶって、さっきから黙ったままの専務が、何か口にするかもしれないと待ってしまう。

 その何かは、望むようなものではないかもしれない。こんな風に気持ちを吐露したからといって、いい方向へ向かうとは限らない。

 そもそも、私はまだ貴哉と喧嘩しているだけの状態だ。そんな中途半端な状態で、専務へ一方的に気持ちをさらけ出してぶつけたところで、結局のところは迷惑なだけ。

 一人で空回りだね。解ってたけど。解っていても、止められなかった。

 馬鹿みたい……。

 一つ息を吐き出し、精一杯の笑みを浮かべた。

「何言ってるんでしょうね。すみません、帰ります。お仕事、頑張ってください」

 何事もなかったようにサラリと言い、クルリと背を向けその場を離れた。

 何やってんだろ。

 何やってんだろ、私……。

 自分で自分の行動がよくわからない。

 専務が優しいのも、ワインの話を色々話して聞かせてくれるのも、私がここの社員になったからだ。

 何も特別なことなんかじゃない。

 そう思おうとするけれど、グラスをくれたことも、ディナーに連れて行ってくれたことも。そして、手を握って抱きしめられたことも、どうしても特別なことのように思えてしまう。

 おめでたい性格をしているだけなのかな。

 肩を落として表通りに出た時だった。

「水野っ!」

「水野さん?」

 二つの声が重なった。

 目の前には、いつもの穏やかな表情の社長がいた。

 背中から叫ばれた専務の声に振り返りたい気持ちが、社長の登場で押さえ込まれる。

「お疲れ様です」

 専務の呼び掛けに気がつかないふりをして、平静を装いながら頭を下げた。

「何かお仕事でしたか?」

 何も知らず気がつかない社長は、いつも通りの調子で訊ねる。

「あ、はい。でも、もう済んだので帰ります。お疲れ様でした」

 もう一度頭を下げて、何事もなかったようにそそくさとその場を去った。

 背後から私の名前を呼んだ専務は、もう一度名前を呼んでくれるでも、追ってくるでもない。結局、その程度なんだ。

 期待が過剰だったことが、頬を伝う涙で痛いほど思い知る。

 ホント、馬鹿だ。私……。

 真昼の太陽が出ていても、冬の風は心の中まで切り刻むように寒い。二人に対して、一体何をやっているんだろうと、ただただ後悔だけが冷たい風と共に私を冷たくさらっていくようだった。

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