第33話 離れていく
クリスマスディナーを終えた私たちは言葉数も少なく、酔い覚ましのように少しの間歩を進めていた。
「タクシー、ひろうか?」
いつもの貴哉ならそんなこと訊きもせず、最寄りの駅へさっさと向かうのに、今夜はどうしてか優しく訊ねられた。
「大丈夫。歩こう」
遅い時間になっても街はまだまだ賑やかで、幸せそうな空気がそこかしこから溢れている。大衆居酒屋でさえクリスマスの雰囲気に盛り上がり、サラリーマンやOLのはしゃぐ様子が窓越しからでもうかがえた。
私たちの手には、お互いに買ったプレゼントの収まるバッグが握られていた。去年までならスキップするくらいの勢いで嬉しさにはしゃいでいたのに、今は浮き足立つこともない。
伝播しているような私の感情のせいで、貴哉までもはしゃぐことなく賑やかな夜の中でおとなしい。
気がつけば最寄り駅の目の前にいて、私たちは無言のまま改札を抜けてやってきた電車へ乗り込んだ。車内もやはり賑やかで、席も空いていない。
ガヤガヤと楽しげな会話が溢れる中で相も変わらず無言を貫き、電車の揺れで倒れないようにと、それだけに集中しているみたいに黙り込んでいた。
繁華街から逸れた自宅マンションに着くと、さっきまでの賑やかさもさすがになりを潜め、エントランスは静かに明かりだけを灯していた。
いつものように貴哉は泊まっていくのだろうと、疑うことなくエレベーターの前まで進みボタンを押した。
「千夏……」
聞こえてきた貴哉の声に振り返ると、エントランスに少し入ったところで立ち止まったままだった。
「貴哉?」
ボタンを押してしまっていたから、エレベーターの箱は降りてきて、どうぞとばかりにドアが開いた。
「エレベーター、来たよ」
声をかけても貴哉はそこから動かない。
誰も乗らないエレベーターは、諦めたようにドアを閉じてしまい。再び動くこともなく、静かにその場で止まってしまった。
様子のおかしな貴哉のそばへ行くと、貴哉はなんだか怒っているような泣きだしそうな、複雑な顔をしていた。
もう一度名前を口にしようとしたところで、貴哉の方が先に口を開いた。
「俺が……本当に会社でのことを心配してると思った?」
訊ねられても、すぐになんのことなのかわからなくて、首を少しだけ傾げた。
「違うな。心配なのは、あってるか」
戸惑う私を前に自嘲気味に言うと、少しだけ下を見てからまた顔を上げた。
「体調の心配なんて、本心じゃない」
そう言われて、クリスマスディナーの時に交わした会話を思い出した。食事の進まない私へ、以前の会社で起きたみたいに体調が悪くなったのかと心配してくれた時のことだ。
「プレゼント選んでても楽しそうじゃないし。美味いもの食いに行っても、少しも美味そうじゃない。ワインだって、自分から選ぼうともしない」
そこで言葉を切ると、貴哉が私の肩へ手を置いた。そのままゆっくりと下ろしていき、やっと辿り着いたというように私の手を握る。
「千夏。気づいてるか? 今日俺といて、少しも楽しそうにしてないこと」
握られた手がやけに冷たい。貴哉の手はいつだって熱っぽくて、温かで。寒くなれば貴哉の手をカイロみたいに握る事がよくあった。その手がどうしてか、今はやけに冷たい。
「千夏の気持ちが……見えない」
力なく呟いたあと、冷たい貴哉の手がダラリと垂れ下がり離れていった。
冷たい手に握られていた私の手は、エントランスの冷えた空気に触れて、さっき以上に冷気を感じてかじかんでいった。
貴哉がゆっくりと背を向ける。一歩踏み出し、離れていく。
エントランスの自動ドアが、音を立てて開いた。外の冷たい空気が一気に中へと入り込み、寒さに身震いしそうだ。
貴哉がその自動ドアを抜けようとする。
待って……。
待ってよ。
「貴哉っ」
掛けた声に、貴哉がゆっくりと振り返る。感情の読み取れない表情が夜の闇の中で溶け出し、遠ざかろうとしている。なのに、名前以外に何をどう言葉にすればいいのかわからずに、ただ縋るように見ていたら、突然貴哉が早足でこちらへ戻ってきてぎゅっと抱きしめてきた。
「千夏……」
苦しそうに名前を呼ぶと、体を放して見つめる。少しだけ首を傾げて顔が近づく。唇が降りてくる。
目を閉じればきっと触れるその唇を見つめ、私は逃れるように俯いてしまった。
ふっと貴哉が笑った。哀しげに笑った。
そうして、今度こそ貴哉は私から離れていった。再び開いたエントランスのドアを、躊躇うことなく潜り抜け、貴哉がいなくなった。
残されたその場所で、どうしてなのか。どうしてこうなってしまったのかわらなくて、私は途方に暮れた。
左手に握られたクリスマスプレゼントはやけに重くて、ショッピングバッグの把手をぎゅっと握りしめると、掌に食い込む爪の痛みが寒さに際立った。
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