第29話 予約

 ボジョレーが解禁になり、契約していた会社への卸や小売りの販売も滞りなく済むと、次はクリスマス商戦だ。すでに準備は色々と進んでいて、私たち社員は寒いながらも汗をかくほどの忙しさの中にいた。

 その日。午後からの仕事に奔走していると、佐藤さんが声をかけてくれた。

「忙しさにばかり駆られていると、ケアレスミスが増えちゃうから休憩してね」

 佐藤さんに促され、吉川さんと二人、マイカップを持って休憩室へと行き、頭も体も休ませる。

 それぞれカップにコーヒーを淹れ、息を吐きながら、休憩室の椅子に腰かけた。

「水野ちゃんて、お正月は実家に帰るの?」

 吉川さんは最近、私のことを水野ちゃん、と親しみを込めて呼んでくれている。

「ん~。そうですね。去年は帰っていないので、顔はだしたいなと思ってるんですけど」

 近い距離にあれば、ちょっと顔を見せに行く、なんてことも簡単にできるけれど。さすがに北海道ともなると、易々とちょっと行ってくるとはいかない。

 言葉尻を濁すようにしたら、実家が北海道だということを思いだしたようで、お土産期待してるから、行っておいでと帰省を勧め始めた。

 吉川さんてば、わかり易くて面白い。

 北海道というと、ホワイトチョコを挟んだ有名なクッキーや、魚介類を期待されることが多い。吉川さんにはお世話になっているので、お酒も好きそうだからいくらなんてどうだろう。毎年鮭の腹を裂いて、お祖母ちゃんとお母さんがしょうゆ漬けを作っているから、それを少し分けて貰おうかな。 

「飛行機の予約、そろそろ入れないと、難しくない?」

 お土産どうこうは置いといて、飛行機の予約が取れるかどうかを真剣に心配してくれた。

 確かに。本気で帰る気があるなら、最低一ヶ月前には予約しなくちゃだめだろう。それだって、時期が時期だけに、うまく取れるか分からない。しかも、お正月の航空料金はとにかく高い。ここに就職してから、少しずつコツコツと貯金はしていたけれど、それもあっという間に飛行機代諸々に消えてしまいそうだ。

 お母さんからは、最近LINEが頻発している。「帰ってくるでしょう?」という催促はないけれど、吉川さんの結婚と一緒で、書かれていなくてもそれはひしひしと伝わってきた。

 帰ってきなさいと言わないのは、しばらく前に再就職したことを話して、仕事を覚えるのに必死だというのがわかっているから、気を使ってくれているのだと思う。

 吉川さんの実家は、遠いのだろうか?

「吉川さんは、どうするんですか?」

「うちは、電車で帰れる距離だからね。三が日くらいは、顔出すかな~。あとは、一人家でダラダラしてる方が、気が楽なのよ。実家だと親戚の子供とかきて、ガチャガチャしてるから、落ち着かないし」

 しかも、お年玉をたかられる。と肩をすくめている。

 うちも、実家にはたくさんの人が出入りするだろうな。ここぞとばかりに飲んで騒いで、近所の人たちも親戚も関係なく騒ぐ姿が浮かんで懐かしさにちょっと笑えた。

「何の話?」

 休憩室での会話に、カップを持った佐藤さんも加わった。

「お正月の実家だと、お年玉をたかられるって話ですよ」

 吉川さんが、フゥ~と息を吐いてコーヒーを一口飲むと佐藤さんが笑った。

「そっかぁ。吉川ちゃんの年齢でも、お年玉をあげることになっちゃうのね。私なんて、あげるのが当たり前になってるから」

 佐藤さんもコーヒーを飲み笑う。

「こっちが欲しいくらいですよね」

 吉川さんが愚痴っているところへ、今度はタバコを持った専務がやってきた。コーヒー片手に喫煙所へ行くのだろう。

「何が欲しいって?」

 専務の質問に、「いえいえ。こっちの話ですから」と濁し、吉川さんが話を戻した。

「あ、水野ちゃんが、いまだに飛行機のチケットをとってなくて。お正月の帰省は、無理なんじゃない? って話です」

 急に話を戻されて、ちょっと驚いた。

「なんだ。まだ、予約入れてないのか」

 呆れたような専務の問いかけに、苦笑いを浮かべる。以前、車中で「たまには、顔でも出したほうがいいんじゃないのか?」そう言っていた専務だから、未だに飛行機のチケットを取っていないなんてと呆れているのだろう。

「連絡は、取ってるので……」

 言い訳のようにボソリと呟いたら、そういう問題じゃない。とバッサリ切られた。責めるような、それでいて叱るような口調になっていく専務を、吉川さんと佐藤さんが宥める。

「専務、口調、口調」

 二人に口をそろえて言われると、あっ……というように、少しだけ気まずそうな顔つきをした。

「年末年始の飛行機代は、高いし。新入社員には、中々の出費よね」

 佐藤さんが柔らかくフォローを入れてくれる。

「あのさ。専務みたいに、財布に札束ねじ込むなんてできないのよ、私達は小市民なんだから。少しは気を遣ってよねぇ~」

 冗談まじりに唇を尖らせた吉川さんに、「札束なんか入ってるかよ」と専務が不満気に嘆息している。子供みたいに言い返す専務の姿に、吉川さんはケラケラと豪快に笑ったあと、「一束頂戴」と掌を専務に突き出した。

「だから、んなもん、入ってるかって」

 本気で言い返しているのか、冗談だとわかって言い返しているのか。どちらにしろ、二人のやり取りを見ているのは楽しい。いいコンビだと思う。

「ほれほれ」と更に手を出す吉川さんに、「集(たか)るな」とその手をパチンと弾き、専務は喫煙所へと行ってしまった。この二人、本当に面白い。

「吉川ちゃんと専務のやり取りって、本当に面白いよね。ねぇ、水野さん」

 クスクスと笑う佐藤さんに同意する私だった。


「千夏って、田舎帰んないの?」

 クリスマスを目の前にした週末。金曜の夜から訪ねてきている貴哉が、ゴロゴロと寝転がりながら何の気なしに訊いてきた。

 これは、いつもの「帰れば?」とは、少しニュアンスが違うよね。多分。

「チケット、まだとってなくて……」

 会社の休憩室で帰省の話をした後も、なんとなくチケットの予約をしないままでいた。ずっと帰っていないのだから、普通に考えたら帰るべきなのだろうけれど。何て言うか、気持ちが乗りきらないのだ。それはきっと、今の会社に就職することができ、更にはその会社の居心地が良すぎて、心が安定しているせいなのだろう。

 以前のように、会社から逃げ出して、体調も崩し。果てには、貴哉と言い合いになった時のように、心が助けを求めるように不安定であったなら、きっとすぐにでも予約を入れていたことだろう。

 都合のいい話だけれど、助けを求めるような精神状態ではない今は、いつでも帰れるわけでもないのに吉川さんのようにのんびりと構えていた。

「何、のんきなこと言ってんの?」

 専務と同じように呆れた貴哉がムクリと起き上がり、スマホをいじり出す。しばらくそうして画面をタッチしスクロールを繰り返していると、嘆くように声を上げた。

「駄目だ。どこも埋まってるし。キャンセル待ちだな」

 どうやら、航空会社の空席情報を見てくれていたみたいだ。けれど、この時期からだと、万が一行きのチケットが取れたとしても、休暇中に帰ってこられるかわからない。会社の冬期休暇を過ぎても帰ってこられないなんて、入ったばかりの社員が何をやってるんだって話になるから、チケットの予約はほぼ諦めていた。

「いいよ。ゴールデンウィークもあるし」

 その頃までには、仕事にも金銭的にももう少し余裕が生まれているだろう。

「本当は、帰りたいんだろ?」

 予約画面を閉じたスマホをテーブルに置いた貴哉が、真意を読み取るように訊ねてきた。

 そりゃあ、そろそろ親の顔は見たいけど。

 私の顔つきから気持ちを悟ったのか、「キャンセル待ちでもいいから、予約しておくぞ」と、さっき閉じた予約画面を再び呼び出した。けれど、慌てて止める。

「いいよ。この時期高いし」

「実家帰るのに、ケチるなよ」

 確かにそうだけど……。

 実のところ、資金を少しずつコツコツと貯めてはいたけれど、それだけではとても北海道へ帰るためには足りない。勉強という名にかこつけて、やたらと色んなワインに手を出していたからだ。買ったワインのために空けたキッチン側の棚には、寝かせ置きをしたワインが数本、まるで飾り物みたいに置かれていた。その側には、専務が買ってくれたワイングラスも、しっかりと飾ってある。

「なんなら、正月は、俺んちに来てもいいけど……」

「え?」

 貴哉がボソリと言った言葉がよく聞こえなくて問い返したのだけれど、何でもないと話が終わってしまった。

 それにしても、もうクリスマスなんだなぁ。一年が早い。これは、充実しているってことだよね。

 就職活動をしていたあの時も、仕事がなかなか決まらないのに、時間だけはどんどん過ぎていくから早いと思ったけど。活気付いている今の心境での時間の速さは、やっぱり充実しているってことなのだろう。

「予約っていえばさ、クリスマスどうする?」

 今までは、ささやかながらもお店を予約して貴哉と過ごしていた。プレゼントは、「変な物をもらっても困る」と平気で言う貴哉だから、お互いに欲しいものを一緒に見にいき購入し、交換し合っていた。

「それなら任せとけ」

 貴哉が顎を突き出し、得意げな顔をした。どうやら、どこかに予約を入れてくれているようだ。得意気な顔のままで、口元にはニヒルさまで加えている。

「千夏は、何も考えず楽しみにしてろ」

 相変わらずの命令口調は、端から聞いたらきっとイラっとする言い方なのだろうけど、鼻の穴を広げ気味に話す貴哉の顔を見てしまえば、嬉しさと可笑しさに笑えてしかたない。

「楽しみにしてる」

 込み上げてくる笑いを堪えていると、「何笑ってんだ」と軽く小突かれた。

 でも、貴哉の顔は、やっぱり笑っていた。

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