第14話 素直が一番
お昼が近づく頃、休憩時間はざっくりとしか決まっていないらしいこの会社の面々が動き出す。
「うちは小さな会社だけど、相手にしてるのが日本だけじゃないからね。それぞれ頃合いを見て出掛けるの」
吉川さんはそう言って、お昼を半分ほど過ぎてから私をランチに誘った。専務は既にデスクから姿を消していて、そういえばフライトがどうのと言っていたのを思い出した。浅野さんが行きたいと話していた海外へ、買い付けに出かけたのかもしれない。
お昼のために近くにあるイタリアンカフェに入ると、吉川さんは迷うことなく和風スパゲティセットを頼む。私は、たらこスパゲティセットにした。
「取引は海外が多いから、常に誰かしら事務所にはいなくちゃいけないのよ。と言っても、言語に流暢な人たちが主にだけど」
そうですよねー。扱っているのは、輸入ワインですものね。
イタリア、フランス、ドイツ辺り? 何にしても。英語を聞き取るくらいならまだしも、イタリア語、フランス語なんて言われても、今の私には無理だ。英語だって今や怪しいというのに、この会社でやっていけるだろうか。
浅野さんは、英語もままならない私をどうして採用してくれたのだろう。あの不機嫌な専務さえもねじ伏せて、という言い方は行き過ぎかな。
「吉川さんは、ペラペラなんですか?」
届いたパスタをフォークでクルクルと巻きながら訊ねると、おかしそうに目を大きくして笑う。
「まっさかー」
ゲラゲラという結構豪快な笑い声につい周囲を窺ったのだけれど、まるでいつものことだというように、他のお客たちは自分たちの頼んだ食べ物に夢中でほっとした。
いや、吉川さんも話せない、ということにほっとしたほうが大きいかな。
「そりゃー何、言ってるか、というか。言いたいのかくらいはわかるけどね」
え、わかるんじゃないですか。
思わずツッコミを入れそうになる自分を抑え込む。
それにしても、これはマズイんじゃない? 言語の勉強しなくちゃじゃない?
大学でイタリア語とかフランス語とか、とっておけばよかった。今更だけど。
「大丈夫、大丈夫。そんなに神様助けてみたいな顔しなくっても、水野さんの席にある電話には、日本のお客さんたちからしか、かかってこないから」
「そ、そうなんですね」
衝撃に食欲が半減してしまうよ。
「海外からの電話には、海外営業担当の人か。あとは専務や社長たちが出るから。あまりその辺は気にしなくていいよ」
よかったという表情がありありと出ていたのだろう、「はいっ」と返事をすると、満面の笑みが返された。
「水野さんて、素直でいいね」
満面の笑みのあとには、優しい顔を向けられる。
「この会社にしてみれば、私も長く働いてる方じゃないけど、素直が一番よ。その方がいろんなことがすっと吸収できる。疑問に感じることなんかあったら、素直に訊ねた方がいいからなんでも訊いてね。わからないまま自己流でいっちゃうのは、怖いからね」
「わかりました。ありがとうございます」
アドバイスをもらった私は、たらこのつぶつぶをテーブルに若干飛ばしてしまい、紙ナプキンでそのつぶつぶを拭きつつランチを終えた。
その後は、目まぐるしく一日が過ぎて行った。覚えることが山ほどあるから、メモを取りまくって迷惑をかけないようにと気を使って。就業時間が来た時には、大きな失敗をしなくてよかったとほっとしたくらいだ。
「お疲れね~。また、明日」
バッグを肩にかけ、颯爽と踵を返した吉川さんが、一回転してまたこちらを向いた。
「歓迎会。少し待ってね」
「あ、いえそんな」
「大丈夫、遠慮なし。専務が戻ってからだから、少し先だけど。せっかくだから、ね」
ニコリと笑って、吉川さんは再び颯爽と踵を返すと「お先でーす」と帰って行った。
その少し後に続いて、まだ仕事をしている海外担当だろう人たちに挨拶をして私も社を後にした。
電車に揺られていると、疲れがどっと押し寄せてくる。けど、この疲れは悪くない。精神衛生上、とてもいい感じの疲れだ。
それにしても、これからご飯を作るのは、面倒だな。
電車を降りて、コンビニの灯りを眺めながら空腹を訴え始めたお腹に手をやっていると、バッグの中でスマホが震えた。一瞬、貴哉かと思い急いで取り出し画面を見てみたら、知らない番号だった。
間違い?
少しの間眺めていてもなかなか切れないので出てみたら、久しぶりの声に疲れが飛んだ。
「もしもし、千夏さん?」
「好子さんっ」
嬉しさについ声が大きくなってしまい、周囲の何人かがこちらを見るからソソクサと歩き出した。
好子さんは、お腹空いてない? そうのんびりと優しい口調で食事へ誘ってくれた。
まるでお腹を空かせているのを知っているみたいなタイミングに、好子さんの家に向かう足取りは軽くなった。
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