第8話 ドキドキする
今日も起きた瞬間から暑かった。一晩中つけていると風邪をひきそうな気がして、寝る前に消したリモコンを手にしてエアコンのスイッチを入れる。
スウィングしながら送られてくる冷風に、「生き返る~」と息を吐いてから、まだ死んでないし。と誰にともなく攻撃的な思考は、この暑さのせいかとまた息を吐いた。エアコンのありがたみを、じわじわと思い知る。
仕事はなかなか見つからなかった。ハローワークの人にはこまめに通うしかないと、たかだか半年で辞めた新卒に対しての冷ややかな目を向けられた。きっと、やる気がないとか、甘いとか思われているに違いない。
そう思われるのは癪だけれど、あのままいたら命さえ危ぶまれていたのだから、ハローワークの視線や話し方はぞんざいで悔しいけれど耐えるしかない。
しかし、このまま何もせずに暮らしてはいけない。生きているだけで出費はかさむのだ。光熱費に食費に家賃。
「とりあえず、アルバイトでもしようかな」
言いながらスプーンを口に運ぶ。しっかり冷え切っていないフルーチェは、まあまあだ。
好子さんにもらったゼリーのカップに、貴哉が買ってきたフルーチェを作って盛り付けていた。ゼリーのカップは薄いガラスでできていて、とても綺麗なデザインだった。
ゼリーだけでも高いだろうに、きっとこのガラスのカップの分も料金に含まれていたんだろうな。そう考えると、六個でいくらしたのかと無粋なことを考えてしまう。
ただ、それだけお孫さんが来ることが楽しみだったのだろうと、また勝手にしんみりして目尻に雫がたまった。
フルーチェは、好子さんのくれたデザートのガラスカップで、高級に見える。それを貴哉が美味しそうに食べている。
「好子さんとこで食べたゼリーには、勝てないな」
底の方にたまるフルーチェを、スプーンをカチャカチャ当てながら貴哉が綺麗に食べて呟いた。
「二百円もしないフルーチェと比べないでよ」
「これはこれで美味いけどな」
言い訳みたいに完食して、ごちそーさんと手を合わせた。
「なんのバイトすんの」
テーブルに覆いかぶさるようにして、向かい側に座っている私に問う。
「コンビニとか、本屋とか」
「適当だなぁ」
「しょうがないでしょ。取り敢えずは食べていかなきゃいけないんだから、なんでもいいから働かないと」
「田舎、帰んないのか」
出たっ。なんなのこれ。どうやっても私を田舎へ帰したいみたいだ。
自然と頬が膨らんでいく。
「帰んないよっ」
プイッと怒ると、貴哉が不思議そうな顔で見る。酷いことを言ったのに、はてな顏なのがわけわからない。
怒りをぶつけるみたいに、貴哉よりも煩くカチャカチャとカップにスプーンを当ててフルーチェを食べた。トロトロのフルーチェが掬いきれずに諦めて、カタンと少し大きな音を立ててカップを置いたら、貴哉がまた不思議そうな顔をしていた。
一駅隣にあるファミレスへ面接に行った。その場で採用が決まって、翌日から働くことになった。土日の昼間に働けるというのが、店長には助かるようだ。なんにしてもすぐに働かせてもらえるのは、こちらも助かる。
面接の後、貴哉へ受かったとメッセージを入れた。
その夜やってきて貴哉は、イラっとしていた。
玄関で出迎えた私を一瞥した後、どかっとテーブルの前に座って大きく息を吐き出す。不機嫌の原因がわからないから疲れているのかと思い、冷蔵庫にある残り少なくなった缶ビールをテーブルに置いた。
目の前に置かれた缶ビールへすぐに手を伸ばした貴哉は、プルリングを開けて喉を鳴らしたあと、缶だけにカンと音を立てて私を見た。
「遊びに行けねーじゃん」
子供みたいに拗ねた顔を向けられて、思わずキョトンとしてしまう。貴哉が珍しく不満を口にしたからだ。
毒は吐くけど、あまり不満を口にすることのない貴哉だから、本当に珍しくて驚いた。
週末休みの貴哉だから、まさか私が土日に働くとは思わなかったのだろう。けど、就職先を探すためのハローワークは平日しかやっていない公共機関だ。会社だって、だいたいは平日に稼働しているのがほとんどだろう。だから、こちらとしては土日に働くほうが、都合がいいのだ。
そもそも、田舎に帰らせようとしているくらいなのに、週末遊びに行けないことに引っかかりを見せるとは思わなかった。
「ごめん」
一言謝ったけれど、唇を少し尖らせてやっぱり不満そうだった。
お母さんが送ってくれて冷凍庫にしまっていたコロッケを揚げてテーブルに出すと、貴哉の機嫌は少しだけ治った。
「これぞコロッケ」
ハフハフしながら一口食べた、貴哉からの一言だ。私が作ったコロッケは、これぞコロッケには値しないらしい。
お母さんのコロッケを褒められるのは嬉しいけど、自分のコロッケを認められないのには腹がたつ。
狭間で複雑な顔をしていたら、そういえばさ。と話題を変えた。どうやら、土日バイト問題については、取り敢えずお終いらしい。
「好子さんから、連絡ってきてるか?」
貴哉の問いに、首を横に振った。
あの時、貴哉が食べるものがあったら、なんて前置きをしたのがいけなかったんじゃないだろうか。
好子さんさえ嫌じゃなければ、私は話し相手でも、掃除の手伝いでも、買い物のお供でもなんでもしたいと思っていた。息子さんやお孫さんの代わりになれるとは思わないけれど、寂しさが少しは和らぐんじゃないかと思うからだ。けど、貴哉の前置きのせいで、連絡し難いんじゃないのだろうか。
「食いもんねーのかな」
本気でそう思っているのかと、軽蔑の眼差しを向けると「冗談だよ」と息をついた。
「週末に行ってみるか」
うん。と頷きそうになって思い出す。
「あ、バイト……」
すまなそうにこぼすと、「だーっ、もうっ!」と、貴哉が頭をガシガシと乱暴にかいた。
「だから、週末にバイトなんかいれるからっ」
「ゴメン……」
バイトひとつで、こんなにも気まずくなるなんて思いもしなかった。これは早いところ就職しないと、会うたびに険悪さが増すかもしれない。
貴哉の口は悪いし、帰れ攻撃にはうんざりだけれど、嫌いなわけじゃない。寧ろ好きだから、揉め事は少ないほうがいい。
「よしっ。分かった。俺が好子さんを連れて、千夏のファミレスに行く」
「えっ」
「なんだよ。いいアイデアだろう。手っ取り早くね?」
そうだけど、働き始めたばかりのところへ呼ぶなんて、私大丈夫だろうか。
不安に今から心臓がドキドキする。けど、好子さんに会えるのは嬉しい。
だから、やっぱりドキドキする。
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