殺害保険

リーマン一号

殺害保険

「殺害・・・保険・・・ですか?」


「いいえ。 正しくは、被・殺害保険です」


被殺害保険。


それは、10年添い続けた妻からようやく「子供ができた」との報告を受け、すぐさま保険会社へと足を運んだ男はにとっては馴染みのない言葉だった。


「えーと。 何ですか? それは? 生命保険とは違うんですよね?」


「そうですねー。 違うことには違うんですが、全く違うということも無いんですねー」


男の質問に営業マンは殊更もったいぶって答え、さも詳しく聞いて欲しそうにチラチラと視線を送る。


「気味悪い奴だな」男は素直にそう思ったが、いつまでたっても話を切り出さない営業マンを見て仕方なしに「それは、どういうものですか?」と尋ねると、営業マンは嬉々として説明を始めた。


「最近の世の中をどう思いますか? 非常に物騒でしょう? 親が子を殺したり、子が親を殺したり、私怨ふくんだ復讐劇があるかと思えばあれば、逆に無差別に人を殺して回る通り魔だっています」


男は適当に「はぁ」とか「そうですね」と相づちを打つと、営業マンはどんどんヒートアップする。


「そうなんでございます! そうなんでございます! 世間はそんな様でも警察は民事不介入な上、動き出すのは実害が伴ってからです。 もし、仮に私が今から刃物を持ち出して、お客様に襲い掛かっても手の施しようがないんです。 そのうえ・・・」


「あのー。被殺害保険ってのは、契約者が誰かに殺された時に保険金が支払われるということでいいんですよね?」


長ったらしい前置きに飽きた男が横やりを入れると、営業マンは話を潰されて嘆くかと思いきや嬉しそうに喜んで見せた。


「さようでございます! さようでございます! いやーお客様は頭の回転が速くていらっしゃる。 ただ、一点だけ訂正させていただ来たいのですが、我々がお支払するのはお金ではございません」


「え?・・・お金じゃない?」


予想外の言葉に男の口からは勝手に感嘆の声が漏れ、アッと思った時には営業マンは既にとろけるような笑顔を見せていた。


「ええ。 ええ。 さようでございます! さようでございます! もしや、ハンムラビ法典というものをご存知ですか? 古代メソポタミアに実在した法律の指針を示したもので、『目には目を歯には歯を』のあれです! あれ!」


「ええ。まぁ、知ってますけど・・・」


「それは素晴らしい!! ハンムラビ法典はまさに当社のサービスを体現したかのような法律でして、目を潰されたら目を潰し返し、歯を折られたら歯を折り返す。 まさにやられたらやり返すの精神! 非常にわかりやすいですよね? 昨今では『やられたらやり返す!倍返しだ!」なんてドラマもありましたけれども、こちらは『やられたらやり返す!等倍返しだ!』なんて感じになるんでしょうかね? あ、別にドラマに影響を受けてサービスを開始したわけではないですよ? なんせうちの創業は・・・」


「もう話は分かったから、結論を言ってくださいよ! 結論を!」


あまりにも長い売り口上にしびれを切らした男が机を叩いて怒鳴りたてると、営業マンは驚いた顔を浮かべた後、つまらなそうに一言だけ告げた。


「つまり、そう言うことです」


そう言うこと・・・?


この会話の中でその言葉が何を意味するか掴み取るのは男にとっては容易であったが、常識的に考えてそんなことはできるはずがない。


「はぁ・・・。 ばかばかしい。 警察でもないのに犯人を特定できるわけないし、例え人殺しをした相手でも勝手に殺せば罪に問われますよ」


くだらないと男が営業マンの話に一蹴に伏し、「こんなふざけた商売をしている保険会社なんて願い下げです」と言って席を立とうとした時。


突然、急激な眩暈が襲った。


「なん・だぁ・・」


景色がぐるぐると周り、男が必死の思いでソファに尻もちを付くと、営業マンは「ようやく薬が効いてきたようですね・・・」と呟いた。


「なんのぉ・・つもり・・だ・・・」


上手くろれつが回らず、ソファに体をぐったりと押し付けながら男は振り絞るように声を出した。


「いやぁー。 お客さん。 真面目なパパになりたかったのは素晴らしいことなんですが、口封じのために愛人の女性を殺したのはまずかったですねぇ・・・」


営業マンは一枚の書面を男に付きつけ、「読んでみてください」と男の耳元で囁く。


男は営業マンに睨みを利かせながら書面の内容を確認すると、見る見るうちに血の気が引いていった。


「じつはですねぇ。 彼女、うちのお得意さんなんですよ♪」


沈みゆく意識の中で男が最後に見たのものは、営業マンの満面の笑みだった。

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