幕間 ~海へと向かう二人~


「なんというか、海に近づけば近づく程、植生が段々安定してきたッスね」

「比較的……だけどね」


 暗闇での活動にもっとも適任な三人組のうち、アシュリーとテッサの二人はナイフといくつかの食糧、そして罠やその設置に必要な物だけを持って先行していた。

 進行ルートの安全確保、一応前回作った仮拠点をベースとして資材の確保、早期での罠設置。

 それが彼女達の役目だ。


「で、ここらもやっぱりッスか」

「ええ、葉や幹の日焼けの向き、幹に着いた苔、不自然に曲がった枝付き。全部バラバラよ」


 目に入る適当な樹の幹を撫でながら、アシュリーが断言する。


「やっぱり、最初から生えてきたのではなく、どこかに生えていた物がここに運び込まれたと考えるべきね」

「……この世界そのものが、全部どっかからパクってきた物で構成されてるッスか?」

「多分、ね」


 完全な暗闇だが、二人にとっては真昼間に等しい。

 一定間隔で木々に目印となる白い紐――クラウの技術で染め上げた物だ――を結び付けていき、急な坂や滑りやすい所には、近くの枝に赤く染めた紐を結び付けていく。


「ふぅ……。しかし、もうすぐ海ってか例の林ッスけど、ここに来るまで動物の気配はないッスねぇ」

「まぁ、夜だししょうがないんじゃない? 夜行性の獣がいたらいたで、物音立ててるこちらには近づかないでしょうし」

「そうなんスけど……やっぱりちょっと不安ッスよ」


 湖も含めて、今まで暮らしていた拠点は食糧の調達に恵まれた場所だったのには違いない。

 だからこそ、まだ詳細も良く分かっていない魔法によって、最短ルートを作っておくことにトールも頷いたのだ。


「一応、湖にも少しは罠が残ってるし蓄えもある。飢えるのを恐れるにはまだ早いでしょ?」

「……まぁ、トール君なら食べ物最優先でしてくれるからそこらは大丈夫だろうなぁとは思うッスけど」


 むぅ、と小さく呻くテッサを、アシュリーは意外そうな顔で観察する。


「貴女がそんな顔するなんて……一体どうしたのかしら?」

「いや……我ながら、どうにも安定というか保身というか……」


 珍しく困った笑顔を浮かべるテッサは、来た道を振りかえる。

 トールがいるだろう仮拠点。そしてその先にある、今まで皆と一緒に生活していたキャンプを。


「あぁ……ボク、楽しんでるんだなぁって……思い知らされたッスよ」

「このキャンプ生活?」

「娯楽が少ないのが玉に傷ッスけどね」


 気に入らない連中や元々敵の女もいるとはいえ、皆でそれぞれ『生きる』という共通の目的の元、仕事を分け合ったり提案したりする事が、ここまで楽しい事だとテッサは思っていなかった。


「そっか……アタシ達はこれで二度目だけど、貴女とヴィレッタはこれが初めての引っ越しになるのよね」

「ヴィレッタさんと一緒に隠れてた時を除けばですけど」

「で、今になって拠点を移すのが不安に?」

「そんなとこッス」


 二人揃って、足元に水気を感じた。

 どうやら、ここら辺はぬかるんでいるようだ。水が近くで沸いているのかもしれない。

 テッサは素早く、適当な枝に赤い紐をくくりつける。


「大丈夫よ。結局の所、またトール君が傍にいるんだし、アタシ達もすぐに行動を起こすつもりはない。もうしばらくは、今の生活楽しめるんじゃない?」

「……トール君がトールちゃんになってからのあのちょっかいは余計と思うんスけど?」


 これに関してはずっと不満だったのだろう。

 見たことないジト目でテッサがアシュリーを睨むが、アシュリーはコロコロ笑うだけだった。


「ねぇ、テッサ」

「なんスか?」

「トール君がなんで女の子にならなくちゃいけなかったか、貴女知ってる?」

「……いや、まだッス。なんとなく想像はつくッスけど」

「大変な理由でしょ?」

「トール君ぶん殴って拉致しようかと思うくらいには……ッス」


 テッサは、限りなく本音だった。

 今、自分達のメンバーの中でトールの味方と言えるのは自分とアオイだけだろうと。

 だが。だがしかし。

 テッサから見てアオイは、トールに期待するモノが大きすぎると思っていた。

 なまじ、トールはそれに応えようとする意志と、応えられてしまう器量を持ち合わせてしまっている。


 いっそ、自分とトールだけで気ままに過ごせたら。

 テッサがそういう想像をするのは、ここ最近の日課だった。


「あの子、最近笑い方が少しずつ変わってきたのよ。だんだん、達観したような……静かなお爺ちゃんみたいな笑い方をする時、あるでしょ?」

「……そッスか?」

「ええ♪ アタシ、そういう観察には自信があるのよ♪」


 徐々に森が開けていく。

 木々の数が減り、潮の香りがしてくる。


「男に取り入って地位を得た女だもの。そこは信じなさいな」

「……反応しずらい話題振るのは勘弁してほしいッスよ……隊長」


 なんとも言えないするテッサの、その表情を見たかったとばかりにクスリと笑うアシュリーは、話を続ける。


「アタシね、トール君みたいな子にそういう笑い方はしてほしくないのよ。もっと馬鹿みたいに下らない事で品とか気にせず笑ってくれた方が、安心できるじゃない?」

「……じゃあ、最近のちょっかいって」

「馬鹿な事振ってくる人って大事でしょ?」


 アシュリーはテッサと同じタイプである。

 笑顔を張り付け、相手の隙を付くタイプだ。

 それなのに――あるいはだからか?


 テッサはその笑顔に――自然にしか見えない綺麗な笑顔に、少し見惚れてしまった。


「まぁ、弱ってるっぽいトール君。ううん、トールちゃんの傍にいれば、本当に美味しい目に会えるかもしれないし、逃す手はないと思わない?!」

「もう色々と台無しッスよ隊長。死んでくれッス」


 もっとも、多少の尊敬を含んだ目はすぐに汚物を見る目に変化したが。


「ふふ……それよりも、どうにか付いたようね」

「ん? ……あぁ、アレ確かにシェルターッスね」


 海からの風を受け流すための差し掛け小屋の影を発見する。

 以前トール達探索班が一夜を過ごすために作ったシェルターである。


「それじゃ、とりあえず急繕いのコイツを解体して丈夫なのに立て直し……」


 そうして、以前世話になったシェルターに手をかけたテッサは――



 ――その表情を強張らせた。



「……なんスか、これ」

「どうかしたの?」


 先にシェルターに駆け寄ったテッサの後を追うようにアシュリーが続き、そしてシェルターの内側――葉っぱを編んで作った壁に目をやり――やはり絶句する。


 緑一色であるはずの壁。

 新鮮な緑の葉のみで構成されているはずのその壁に――奇妙なアクセントが追加されていた。


「血文字?」

「……ッスね」


 すでに渇ききっている、手の平ほどある太さの血文字。

 自分達の生活では見なれない、だが確かに見た事のある文字が、ドス黒く輝いている。



 ―― Everyone becomes an angel.



 トールが持ってきていた教科書。

 その中に度々出てくる彼の世界の異国の文字で、まるで何かを警告するように乱暴に書きなぐられていた。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







 動く物が打ち寄せる波と風になびく木々以外ない浜辺を、一人の若い女が歩いている。

 白を基調とした、立派そうなセレモニースーツは埃や土、血ですでに汚れきっている。


「皆、天使になる」


 女は、右手にスマートフォンを握りしめている。

 そして左手には酷い怪我をしている。

 まるで手の平をナイフで突き刺したような深い傷は、血でその左手を――そして歩いて来た地面を汚すハズなのだが、そうはなっていない。

 彼女が歩いて来た浜辺には、彼女の足跡すら付いていない。


「皆、天使になる」


 よく見ると、左手の怪我は見る見るうちに戻っている。

 健康そうな手へと、まるでビデオを逆再生するかのように。


「皆、天使になる……」


 歩き疲れたのか、女はその場に座り込む。

 それと同じタイミングで、左手は完全に綺麗な白い手へと戻り――そして皮膚を食い破る様に、白い結晶のような物が生えてくる!


「皆」


 腕だけではない。

 彼女の皮膚の下から産まれてくる白い結晶は、服ごと優しく彼女を包み込む。

 守る様に。あるいは――逃さない様に。


「皆――!」


 手も足も、身体も包み込んだ白い結晶。

 その背中が盛り上がり――


「天使になる――」




 翼が、開く。




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