幕間~敵同士の語らい~


「で、わざわざ二人で話したいことって何かしら?」


 食事を取ってから、特に会話もしないまま示し合わせたように、二人は川の浅い所を渡って湖の向こう側へと向かっていた。


「おそらく、お前が最も危惧していただろうことについてだ」

「ふぅん?」


 アシュリーはニヤリと小さく笑う。

 彼女自身が、トールの目の前では決して浮かべない様努めていた笑顔――いや、笑みだ。


「アオイちゃんの事かしら?」

「あぁ。やはり気付いていたか」

「匂いには敏感でしょう? アタシも、貴方も――血の匂いには」

「まぁな……」


 決して二人とも周囲の観察に手を抜いているわけではない。

 これまで食べてきた野草や果実のスケッチしていたノート――トールが書いていた物だ――をパラパラめくりながら周辺の観察をし、そして他の生物の痕跡を探す。

 ゲイリーが植物や森の様子を主に観察し、そしてアシュリーは湖面の様子を窺い、魚等の影が見えないか注意を払っている。


「やっぱり殺してた?」

「この森に放り込まれる前にも、後にもな」

「……こっちに来てから殺したのは?」

「アイツと同じ世界の男だ。話を信じるなら、とんでもないボンクラ上司だったらしいな。状況も把握しないまま怒鳴りちらして八つ当たりし、あげく身体を要求してきたために斬り捨てたという事だ」

「やるじゃない、あの子。むしろ褒めてあげたいわ」


 女として強く共感したアシュリーは、アオイの行動に対して心から拍手をしたい気分だった。

 そして手間が省けたとも。

 もし、トールと合流する前にそんな男と出会っていたら自分も殺していただろうし、合流した後――そして万が一トールがその男を受け入れる。あるいは下に付いたとしてもチャンスがあり次第『事故死』させていただろう。

 内心、ゲイリーも同じ事を考えていた。


「で、来る前は?」

「奴隷管理部の経理というのは事実だが……同時に監査を務める女でもあったようだ」

「……それだけじゃないでしょう?」

「正解。粛清役も兼ねていたようだ」

「あぁ、やっぱり。道理で殺し慣れた人間の動きな訳ね」


 肩を竦めるアシュリーだが、同時にどこかホッとしていた。

 得体の知れない人間の姿が、多少なりとも正確に把握する事が出来たからだろう。


「で、それだけじゃないんでしょう? 話したい事は……むしろ、今のは前菜ね」

「あぁ、そうだ。真っ直ぐに尋ねるが――」




「――トールという男をどう思う?」




「それだと思ったわ」


 アシュリーにとっても、ゲイリーにとっても、今最も注視している人物は一人だった。


「彼、何者なのかしらね?」

「嘘を言っている気配はない。少なくとも、彼は自分の知っている事は出来るだけ正直に話している……と、思う」


 ゲイリーの少し言葉に引っかかる所にアシュリーは首をかしげるが、それでもそのまま肯定する。


「そうね。アタシも同感。正直、今いる面子の中で一番無邪気よ。……この言葉じゃあ、少し悪意があるかしら?」

「お前自身にないのならばいいだろう。本人が聞いている訳でもない」


 そういうゲイリーに、呆れた顔をしながらアシュリーはため息を吐いて、


「で? 貴方があの子を警戒する理由は、例のスキルとかいう能力?」


 吐いて、本題に入る。

 互いに、今最も興味があるのはたった一人の男だった。


「俺たちは文字通り、その時手に持っていた物以外は身一つでこの森に放り出されている。なら――なぜ、彼だけが違う?」

「……理由はさておき。肉体や知識を自分の好きなタイミングで好きなように改良したり、ダウンロードできる……恐ろしいにも程がある。えぇ、それは確かだけど……」


 相も変わらず太陽の光を照らし返すだけの湖。その光を避けるために手で影を作りながら、アシュリーは気楽そうにそう言う。


「正直ありがたいでしょう? 彼の存在。道具とかを手早く作れる人員はこの状況じゃあ重宝するし、これから上手くスキルを覚えれば、ひょっとしたらそれこそ私達四人で小さな居住地を切り開くことだって不可能じゃないわ」

「それはそうだが……」


 対してゲイリーは、深刻そうに呟く。


「なぜだ? なぜ、彼だけに変異が起こった? 同じように飛ばされた俺たちには、何一つ変わった所がないのに」

「……可能性の一つとして考えてたけど、アオイちゃんは? あの子、仮にそう言う切り札があれば徹底的に隠しそうだけど?」


 二人は敵同士ではあるが、同時にある程度互いを理解していた。その上で、もっとも警戒するべきは互いではなく、アオイという女だった。


「……正直、あり得る。あの女の擬態はかなりのものだ。身のこなしについても、本来はもっと隠せるのだろう。恐らく、ある程度の実力を持つ人間を見抜くために手加減をしていたんだろう」


 先日、ゲイリーはアオイと行動する事になった際に出来るだけ彼女がどういう人間か見極めようとしたが、のらりくらりと逃げられてしまった。


「だが、アオイについてはもういいだろう。少なくともトールがアイツを押さえてくれるはずだ」

「? トール君が?」

「……信頼……と言えるかは分からんが、彼に意見をする事はあっても逆らうつもりはないようだ」

「そう言ってたの?」

「……まぁ、そんな所だ」


 言葉を濁すゲイリーに、アシュリーは少々不審な物を感じる。

 とはいえ、ここで隠し事をする必要もない。おそらく、言葉にしづらいのだろうと推測する。

 事実、その通りだった。


「とにかく、これで少なくとも俺たちの内三人には確かな共通点がある事が分かった」

「……殺人の経験があるって事かしら?」

「あぁ」


 アオイは巨大な帝国に不満を持つ者の粛清として、アシュリーとゲイリーは己が国に仇なす敵を、互いの国の人間を殺している。


「でも、それならトール君は? あの子はただの学生よ?」


 アシュリーが分かりきっている事を口にする。

 二人とも分かっていた。

 とぼけた顔して爪を隠していたアオイと違い、トールという少年は本当に極々普通の男の子だと。

 だが――


「……本当にか? 彼は、本当にただの学生なのか?」

「少なくとも、アタシや貴方の脅威になるタイプじゃないでしょう。身体的にも思考パターン的にも」

「俺もそう考えていた……だが」


 ゲイリーは、ここに来てある可能性を恐れていた。

 誰の目から見ても凡人としか映らないトール。その姿が、アオイを超える『完璧な擬態』だったとしたら? という可能性に。


「難儀な性格ね。誰も彼も疑っていたら精神バランスのコントロールに苦労するでしょうに」

「工作員の言葉か?」

「敵と味方の区別くらいは付くって言っているのよ」

「……領主なんだ。ありとあらゆる可能性を考えるのは当然だろう」


 忌々しそうに口元を歪めるゲイリーは、何か嫌な事でも思い出したのか本気で顔をしかめる。

 それに対して、アシュリーはまたしても嘆息し、


「工作員よりも人を信じられなくなったらおしまいよ」

「ハッ! 良く言う……これから先のためにトールを籠絡――とまでは言わなくても、いい顔をして距離を詰めておいて……」




「――貴方にだけは言われたくないわね。クソ貴族」



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